2020年10月28日、山陽電車の西飾磨駅で下車し北西の英賀城跡を目指して歩き出し
帰りは山陽電車の夢前川に南下して戻るコースで散策してきました。
巡った場所をシリーズで書いていきます。
本日はその第1回で今在家地蔵(細川地蔵)について書きます。
上の2枚の写真は細川地蔵(今在家地蔵)と現地説明板石碑
所在地の住所は姫路市飾磨区今在家4丁目50(Goo地図を添付)
2体あるが右手の方が古い。
右手の地蔵尊は石棺の蓋に用いられた凝灰岩を利用し、彫られたものであると思う。
説明板は読み難いのでそのまま転記しておきます。
細川地蔵の由来
細川地蔵は、平安時代以降に流布した地蔵信仰に伴い、今在家にも道祖神を兼ねて
路傍に建立されたと思われます。この地蔵尊は、向かって右の石造板碑に彫込まれた
舟形輪郭の中央に、手に宝珠を持ち蓮座に立った姿で刻まれています。大きさは
高さ65cm、幅26cmです。年代ははっきりしないが室町時代と想定されます。
天正8年(1580)羽柴秀吉の「英賀攻め」の際、今在家の過半も焼失しました。
(津だ神社や字西高長の明願寺なども類焼)地蔵尊の由来も不明となったが、
里俗に次のようなエピソードを残している。
旱魃(かんばつ)の年に細川溝の溝さらえをし、大石を引き上げたところ宝珠を
もった地蔵尊が刻まれていたので、大切にして岸辺に祀った。また牛がどうしても
石橋を渡らないのでこの石を裏返すと、地蔵尊が彫込まれていたので、里人これを
岸辺に祀ったとも伝えられている。
平成27年8月 今在家自治会
上の写真は細川地蔵の銘板
上の写真は今在家地蔵の遠景
上の写真のような看板が作成されていました。
上の2枚の写真は秀吉の「英賀攻め」の犠牲者を祀った五輪塔などか?
上の写真は大正6年(1917)に玉垣が建設されたことを刻んだ石碑と玉垣
上の写真は水尾川(みおがわ)に架かる中浜橋
上の写真は中浜橋から水尾川の上流側を撮ったものです。
上の写真は中浜橋から観た細川地蔵(今在家地蔵)の遠景
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