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山陽電鉄空襲犠牲者之碑

2021年10月21日 05時05分24秒 | 神戸市以外の兵庫県

現在、兵庫県立図書館で「兵庫の平和史跡ガイド」日本機関紙出版センター(2013)

戦争遺跡は語る 216.4 K60 郷土資料書架の開架本棚にあります)

を借りています。この本のPage80に山陽電鉄空襲犠牲者之碑について記載されていました

ので関連事項も含めて調べてみました。

上の写真は上述の本の表紙

昭和20年(1945)6月9日、川崎航空機工場が空爆を受けた。その際、西新町にあった

山陽電車の明石車両工場も被災した。その際学徒動員の中学生を含む31名の犠牲者が出ている。

7月7日の空襲では車庫、運輸事務所が被災、20両以上の車両が全焼した。

広報あかし 2020年8月15日 1315号 平和特集で山陽電車の被災の写真が掲載されています。

昭和53年(1978)8月15日、山陽電気鉄道株式会社、山陽電気鉄道労働組合によって

山陽電気鉄道 西新町倉庫正門 右脇(住所:明石市硯町2-5-49)に慰霊碑が

建立されました。手を合わせたような御影石のモニュメントの後方に山陽電鉄空襲犠牲者之碑

と書かれた慰霊碑があり、下記の碑文が刻まれています。

空爆犠牲者に捧げる

一九四五年六月九日九時五十四分、米軍B29爆撃機が明石市上空に来襲市街に猛爆撃
を浴びせ、当地一帯は瓦礫の山と化して消滅した。
このとき明石車両工場では、戦時下の輸送確保の使命をうけ、身を挺して働いていた
三十一名の尊い生命が一瞬にして奪われ、悲惨な爆死をとげられた。
時は流れて三十三年、平和な日々を送るなかで戦禍の痕跡もとどめないが、大空に散華
した還らぬ御霊を思うと痛恨の極みである。尊い犠牲となられた御霊のご冥福を心から
祈念するとともに、平和を守ることを固く誓い、これを建立する。

一九七八年八月十五日

山陽電気鉄道株式会社

山陽電気鉄道労働組合

 

西側壁には犠牲者の氏名が刻まれた石碑もあります。

山陽電鉄空襲犠牲者之碑の所在地は明石市硯町2-5-49。山陽電車西新町から西へ300m

8階建てのマンション明石ハウスに離接してある山陽電気鉄道 西新町倉庫正門の右脇に

慰霊碑があります。

上の写真は慰霊碑の場所を示したものです。

機会をみて現地に出かけ写真を撮りたいと思っています。

 


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