CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その8 湯処 東湯

2018年05月07日 04時33分16秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第8回として
湯処 東湯をテーマに書いていきます。

中に入って一風呂浴びた訳ではありませんが今後、行ってみようかなと思っていますので
書きました。基本情報と外観写真のみを掲載しておきます。

大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷

第4回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社

第5回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その5 穂蓼(ほたて)八幡神社

第6回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その6 休天(やすみてん)神社

第7回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その7 西林寺

湯処 東湯の基本情報

住所:明石市大蔵天神町15−18  TEL:078-911-8478
営業時間:14:00~ 24:00
定休日:第1・3月曜日



上の写真は湯処 東湯の外観
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明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その7 西林寺

2018年05月06日 04時49分56秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第7回として
西林寺をテーマに書いていきます。



大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷

第4回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社

第5回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その5 穂蓼(ほたて)八幡神社

第6回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その6 休天(やすみてん)神社

西林寺の基本情報

住所:明石市大蔵町11−22  TEL:078-911-3226
宗派:浄土真宗 東本願寺派(寛文4年(1664)天台宗より改宗) 山号:蓮台山
創建:二階堂出羽守三代の孫の空円上人により康安2年(1361)に創建
御本尊:阿弥陀如来 



上の写真は境内の本堂など


上の写真は道路(旧西国街道)より西林寺の山門を臨む

西林寺は永井荷風(1879-1959)が昭和20年(1945)6月3日~12日にかけ滞在した
ことがあることでも知られています。
永井荷風は昭和20年3月10日の東京大空襲で偏奇館が消失、都内を転々とした後、
再び5月25日、東中野の国際アパートでも空襲を受けています。その後空襲を避けて
6月2日に東京を立ち、菅原明朗氏の実家のある明石に向かいます。

断腸亭日乗の昭和20年6月3日の記述」に次のように記述しています。
 「邸内(菅原明朗氏の実家)には既に罹災者の家族の来り寓するもの多く空室なしとの
事に、三、四丁隔りたる真宗の一寺院西林寺といふに至り当分ここに宿泊することになれり。
・・・西林寺は潅岸に櫛比する漁家の間にあり、書院の縁先より淡路を望む。
海波洋々マラルメが牧神の午後の一詩を思起せしむ、江湾一帯の風景古来人の絶賞する処に
背かず、殊に余の目をよろこぼすものは西林寺の墓地の波打寄する石垣の上に在ることなり。
墓地につづき数傾の菜園崩れたる土墻をめぐらしたるあり。蔬菜の青々と茂りたる間に
夏菊芥子の花の咲けるを見る。これまた海を背景となしたる好個の静物画ならずや。
余明治四十四年湘南逗子の別墅を人に譲りてより後三、四十年の間、一たびも風光明媚なる
海辺に来り遊ぶの機会を得ず。然るに今図らずもこの明石に来りその静閑なること雨声の如き
濤声をきき、心耳を澄ますことを得たり。何らの至福ぞや。」


注1)マラルメ:フランスの詩人

注2)断腸亭:永井荷風の父が住んでいた場所でパリから帰朝した明治41年(1908)から
       大正7年(1918)の約10年間住んでいた場所。ここで代表作を多数輩出。
       大正5年(1916)庭内に新築した離れ家に「断腸亭」と名付けた
       所在地は現在の東京都新宿区余丁町 郵政省の官舎となっています。


明石も川崎航空機明石工場が近くにあるため空襲(6月9日と6月22日)があり
危険であるため6月13日に岡山に向かいます。

永井荷風の詳細については東京紅團(東京紅団)のサイトに詳しく記述されています。


西林寺墓地でそこに眠る著名人

上の写真は境内に掲示の「西林寺墓地でそこに眠る著名人」の看板


菅原明朗

上の写真は菅原明朗(1897-1988)が眠る菅原家累代の墓碑


上の写真は菅原明朗の略歴

 菅原明朗の公式サイト:https://sugaharameirou.jimdo.com/菅原明朗について-1/


伊藤明瑞

上の写真は伊藤明瑞(1889-1948)の墓碑 
左隣には16歳で亡くなった妹、宮本梅子の墓があります。
西林寺の住職二階堂正信との親交の縁で大蔵町3丁目に住んでいたそうです。

下記の説明書き(Wikipediaの解説と同じ)で没年は昭和23年(1948)11月23日
と書かれていますが墓碑には昭和23年11月13日と書かれていました



上の写真は伊藤明瑞の略歴

舩脇新平 

 
上の写真は舩脇新平家の墓碑
 生没年不明 明石藩の学者 以上は説明書きより                         

最後に墓所の遠景と元禄4年(1691)7月7日の銘がある六地蔵の写真を添付して
筆を置きます。





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明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その6 休天(やすみてん)神社

2018年05月05日 05時33分30秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第6回として
休天(やすみてん)神社をテーマに書いていきます。
休天神社は別称「明石天満宮」とも呼ばれています。

大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷

第4回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社

第5回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その5 穂蓼(ほたて)八幡神社

休天(やすみてん)神社の基本情報

住所:明石市大蔵天神町2−7 TEL:078-911-3143(稲爪神社)
御祭神:菅原道真
御利益:所願成就、学問・学業成就、厄祓い
創建:5代目の明石城主の松平日向守信之により延宝7年(1679)創建
   明石駅家の長が菅原道真公を祀る祠を延喜3年(903)に建てたのが起源
巡拝:菅公聖蹟二十五拝の第15番





上の2枚の写真は拝殿の正面及び側面


上の写真は本殿
本殿脇にある「菅公踞石」の石碑が僅かに写っています。
菅原道真公が座って休んだといわれている菅公踞石は大蔵院に保管されていたが、
延宝7年(1679)休天神社に移設されたそうです。
明石駅家の老いた駅長が菅原道真公を偲び菅原道真が腰かけた石を御神体として
祀ったと伝えられています。延喜3年(903)のことでした。


上の写真は北側から観た休天神社の本殿と看板




上の2枚の写真は休天神社の境内遠景(国道2号線の歩道橋より撮影)


上の写真は正面の鳥居


上の写真は東側の鳥居


上の写真は休天神社の年間行事
3月25日に行われる春祭りは有名で菅原道真が身の憂いを祓うために雛形を作って
祈ったという言い伝えにもとづく「雛形神事」や「御湯立神事」が行われます。

春祭りに参加した方のブログがありましたのでリンクさせていただきました。
 http://akashi.ganbaro.org/rireki/blog-entry-1384.html


上の写真は手水舎


上の写真は「管公駐駕駅長宅址」の石碑
休天神社は明石の駅家(うまや)の跡とされています。
明石の駅家のあった場所は諸説あって、太寺2丁目バス停の近くだったという説もある。
そこには「菅公旅次遺跡」という石碑が建てられています。菅原道真公は延喜元年(901)
大宰府への旅の途中でここに立ち寄り、明石の駅長(うまおさ)の出迎えを受けます。
菅原道真公が讃岐守だったとき、何度か立ち寄ったことがあるらしく、面識があった
駅長は左遷されて大宰府へ向かう菅原道真公に同情的でした。

菅原道真が駅長に送った歌が残されていますので紹介します。(菅家後集より)
駅長(えきのおさ)驚くことなかれ 時の変改(へんがい)するを
   一栄一落(いちえいいちらく) 是れ春秋

 (駅長無驚時変改 一栄一落是春秋)

意訳:駅長そんなに驚くことはないぞ 時勢が変わり今や私が配流の身になって
   落ちていくことを、春に咲き、秋に落ち葉するのは、自然の摂理
   人の世の栄枯盛衰もまた同じなのだから



上の写真は菅原道真が詠んだ有名な歌が掲示されています。
「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて 春なわすれそ」
最後の部分「拾遺和歌集」「大鏡」「源平盛衰記」では「春を忘るな」になっています。
「宝物集」「十訓集」「古今著聞集」「延慶本平家物語」「太平記」では
「春な忘れそ」になっているそうです。


上の写真は明治100年を記念して植樹された松




上の2枚の写真は菅原道真所縁の縁起牛と縁起牛の説明板 2008-6-12撮影

関連記事:
 休天神社 on 2008-6-12

 菅公旅次遺跡碑 on 2012-10-26

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明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その5 穂蓼(ほたて)八幡神社

2018年05月04日 05時52分54秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第5回として
穂蓼(ほたて)八幡神社をテーマに書いていきます。
穂蓼八幡神社は別称「大蔵八幡神社」、「砂子八幡」とも呼ばれています。

大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷

第4回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社

穂蓼(ほたて)八幡神社の基本情報

住所:明石市大蔵八幡町6−18  
御祭神:鴨部大神(かもべたいしん=越智益躬)
    息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
    八幡大神(はちまんたいしん=応神天皇)
    玉依姫命(たまよりひめのみこと)
御利益:勝ち運・開運招福・厄除け
創建:推古天皇の時代(7世紀初め)
   稲爪神社を創建した小千益躬(おちのますみ)の子、武男が稲爪神社の
   辰巳の方角に父の益躬を祀る一社(越智神社)を建てたのがはじまり



上の写真は穂蓼八幡神社の拝殿(正面より)


上の写真は側面から観た拝殿と本殿


上の写真は拝殿の内部 獅子舞の獅子が保管されています。


上の写真は穂蓼八幡神社の遠景


上の写真は穂蓼八幡神社の現地説明板




上の2枚の写真は拝殿右手の石燈籠及び大蔵谷八幡社の修理などの経過が
書かれた石碑(大正2年(1913)8月建立)


上の写真は拝殿右手の玉垣


上の写真は拝殿左手の玉垣


上の写真は手水舎
境内は月極の駐車場となっています。
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明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社

2018年05月03日 04時48分41秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第4回として
稲爪神社をテーマに書いていきます。

大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷

稲爪神社の基本情報


住所:明石市大蔵本町6-10  TEL:078-911-3143
御祭神:大山祇命(おおやまづみのかみ)、面足命(おもだるのおおかみ)
    惶根命(かしこねのおおかみ)
創建:推古天皇(在位592-628)の頃
旧社格:郷社


公式サイト:http://www.inadumejinjya.com/

由緒

「推古天皇の時代(7世紀初め)に不死身の鉄人を大将とした三韓(高句麗・百済・新羅)
の軍勢(約8,000人)が日本に攻めてきました。四国の伊予の役人、小千益躬(おちのますみ)
は退治せよという命令を受け、九州に向かい、敵陣に入り、偽って降伏し彼らを東に
導きました。「鉄人」軍は、瀬戸内海を通って播磨の室津から上陸。淡路島を一望できる
明石の和坂のあたりにさしかかった時、連戦連勝の気の緩みもあったのか、あまりの景色の
良さについつい寛いでしまいます。
小千益躬は「今昔物語」にも記されているほど非常に信心深い方で、出陣に際しても
一族の氏神である大三島の大山祇神社に必勝祈願を行った際に神様が現れ、
「鉄人の弱みは、鎧兜で守られていない足の裏だから、これを矢で射よ」と言われた。
上述のように「鉄人」が明石で休息をとっていた時、空が突然曇り、稲妻がとどろいた。
おどろいた馬から鉄人が落ち足の裏を見せた。益躬は弓矢で足裏を射て放った矢は、
足の裏から脳天へと突き抜け、みごと鉄人を倒すことができました。
この矢を「鬼ざしの矢」と言うそうです。

この稲妻が転訛して「稲爪」となったと伝えられる。
                                              
拝殿







上の4枚の写真は拝殿
拝殿の前には越智益躬の故事にちなみ、矢が祀ってあります。

本殿




上の2枚の写真が本殿です。

稲爪浜恵比須神社





上の3枚の写真は稲爪浜恵比須神社の正面、側面、及び恵比寿様の石像
御祭神は事代主(ことしろぬし)神

随身門(神門)






上の3枚の写真は神門(楼門)と門を守る随身像
随身とは貴族の外出の際、身を守る役人のこと
通常、随身門の右手は左大臣、左手は弓矢をもっている矢大臣が配置
享保2年(1717)の建築  左甚五郎の作と言われる彫刻あり

手水舎

上の写真は手水舎

藤棚



上の2枚の写真は藤棚と藤の拡大写真

境内社




上の2枚の写真は境内社

社務所


大蔵谷の獅子舞など伝統民族芸能

上の写真は境内に掲示されていた伝統民族芸能の説明板
大蔵谷の獅子舞は戦国時代の16世紀末頃、九州の大名秋月種実が京都に向かう途中に
伝えられたとされ、五穀豊穣や無病息災を願う。
2017年は10月7日(土)の秋祭りの宵宮祭で神門前で披露されました。

神戸新聞NEXT 2017-10-8で写真入りで紹介されています。
 https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/201710/0010623715.shtml

明石市の無形文化財にもなっている大蔵谷の牛乗りの行事が10月10日に行われます。


上の写真は随身門より参道を臨んだ風景
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明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷

2018年05月02日 05時52分13秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第3回として
宿場町 大蔵谷をテーマに書いていきます。

大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

明石城下町の東側に位置する大蔵谷は古くからの明石の宿場町でした。
大蔵会館のある場所付近がかつての山陽道大蔵谷宿の本陣があった場所になります。
現在は旧西国街道沿いに僅かに残る家並みがその面影を伝えています。


上の写真は大蔵八幡神社の近くの家並みで左(東側)から大塩邸、卯月邸、服部邸
3つの邸宅は明石市都市景観形成重要建築物に指定されています。

また大塩邸は神戸学院大学 地域研究センター 明石ハウスとして活用されています。
大塩邸は明治30年(1897)代後半(口伝)頃の建築


上の写真は卯月邸(明治初期の建築)を中心に撮ったものです。


上の写真は服部邸(幕末から明治初期の建築)を中心に撮ったものです。








上の4枚の写真は古町並みを撮りました。個人宅なので詳細は記載しません。


上の写真は大蔵会館の建物外観


上の写真は大蔵会館の前の説明板。
『明石の史跡』(明石市芸術文化センター)によると
宝永元(1704)年の記録では枝村である太寺を含めた312軒の内、本陣広瀬治兵衛と
60軒の下宿・旅籠・茶屋があり馬は46疋、かご問屋2軒に駕籠かき80人とあります。
山陽道の宿場として繁栄してきた大蔵谷ですが明治中期以降は鉄道敷設などで賑わいを
失い現在は所々にかつての宿場の雰囲気こそ残すもののほぼ住宅街となっています。


尚、大蔵谷本陣であった広瀬治兵衛邸は文久2年(1862)頃、大蔵谷脇本陣であった 
龍宮屋(住野家)へ本陣の座を譲っています。
                       
江戸時代の大蔵谷村は明石藩領で、宝永元年(1704)の指出帳によれば、屋敷294軒
人口1781人、本陣1軒、旅篭屋60軒、庄屋2軒、山廻り2軒、社家2軒、医師2軒、
大工桶屋2軒であった。

稲爪神社は「稲積」とも伝えられています。「大蔵」と結び付けて古代の「屯倉(みやけ)」
との関連も推定できます。

大蔵会館の前には大蔵市場がありましたが2017年10月25日午後3時45分頃
出火し、木造2階建ての店舗兼住宅約30軒、延べ約2600平方メートルが全焼した。
大蔵市場には10世帯23人が居住していたとみられるが、けが人はなかった模様。
(テレビで何回も報道されていました。)

 火は近隣の民家16軒にも燃え移り、うち4軒が全焼。約6時間半後にほぼ消し止められた。


上の写真は江戸時代後期の大蔵谷です。(播磨名所巡覧図絵 文化1年(1804))

大蔵八幡神社、稲爪神社、休天社、両馬川、腕塚などが名所

また、明石市立図書館では最近、宿場町として栄えた、明石市東部の大蔵谷、
中部の大久保、西部の清水の絵図や古文書の調査結果がまとめられ
ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステムで「明石の宿場」として
公開されています。リンクを貼らせていただきました。

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/2820305100

ADEACのトップ



上の写真は上記のADEAC(アデアック)の資料から文久2年(1862)頃本陣となった
龍宮屋(住野家)の外観です。

明治3年(1870)の本陣制度廃止、明治5年(1872)宿駅制度廃止後も住野家は
宿籠屋として機能していたが明治14年(1881)8月廃業届を出しています。


上の写真は文久年間(1861-1863)の大蔵谷御本陣旅籠屋宿割附図に
久保直明氏が当時の住人の名前を付したものです。
本陣付近の絵図(部分引用)。 出典:ADEAC(アデアック)の資料
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明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

2018年05月01日 04時34分36秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第2回として
法華塔をテーマに書いていきます。

大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院


上の写真は正面から観た法華塔

南無妙法蓮華経 日蓮大士」と書かれています。

航海安全と海難事故の供養のために建立されました。
この辺りは埋め立て前には明石港の船入り場に近くさらに旧街道沿いであったので
この地に建立されたものだと推定します。
明石における日蓮宗は本松寺(創建1596)や大聖寺(創建1446)といった寺があります。


上の写真は裏側から撮った法華塔

法華塔の建立時期や建立者の情報は未調査で不明


上の写真は法華塔の遠景


上の写真は法華塔の所在を記した地図です。
(山陽電車 人の丸駅に掲示のものを利用)
所在地住所は明石市大蔵八幡町2−5(谷口商店)
明石市下水道朝霧ポンプ場が向かいにあります。

日蓮宗に関係する石碑ということで2017年10月11日に訪問した比叡山延暦寺
横川地区に掲示の日蓮の一生を描いた看板の写真等を添付しておきます。


















上の9枚の写真は日蓮上人(1222-1282)の一生を描いた看板


日蓮が修業した比叡山延暦寺横川地区の定光院(じょうこういん)への道案内板。
寛元元年(1243年)から建長6年(1254年)頃まで、立正大師日蓮の
比叡山における修行拠点として住んでいた所です。




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