CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

日本に最初に来たインド僧 菩提僊那(ぼだいせんな) on 736年 

2018年09月13日 07時34分20秒 | 奈良情報
本日、2015年1月2日、NHK総合テレビで21時から放送された番組「世界遺産ドリームツアー!
「外国人が驚く! 古都 奈良&京都」の録画を観た。

この中で、表題の菩提僊那(ぼだいせんな)が紹介されていた。
忘れないうちにメモとして残す為にブログを作成した。
菩提僊那は東大寺大仏の開眼供養(752年)の導師を勤めたインドから来た僧です。





上の2枚の写真は東大寺蔵の四聖御影の中から撮った菩提僊那(ぼだいせんな)です。

菩提僊那についてはWikipediaの解説を引用させていただきます。

菩提僊那(ぼだいせんな、サンスクリット語: बोधिसेन、Bodhisena ボーディセーナ、
704年 - 760年3月16日(天平宝字4年2月25日)は、奈良時代の渡来僧。
婆羅門僧正、菩提僧正、菩提仙那とも称される。
中国に滞在中に日本の入唐僧の招請を受けて736年(天平8年)12月13日に来日。
752年(天平勝宝4年)4月9日に東大寺大仏殿の開眼供養法会で婆羅門僧正として
導師をつとめた。弟子の修栄が撰した『南天竺婆羅門僧正碑』および『東大寺要録』中の
「大安寺菩提伝来記」に伝記が残されている。



上の写真は東大寺蔵の四聖御影です
聖武天皇(701-756)の右隣に描かれているのが菩提僊那です。
菩提僊那は57歳で亡くなっていますが絵から推定すると晩年の菩提僊那像と
思われます。東大寺大仏殿開眼供養が行われた752年当時、菩提僊那は49歳でした。

尚、四聖御影の前の2人は行基と良弁。



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高砂の俳人 田中布舟(ふしゅう)の墓 in 高砂市十輪寺 on 2018-2-17

2018年09月12日 04時14分12秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年2月17日、高砂市十輪寺の墓地にある田中布舟(ふしゅう)・高砂の酒造家で俳人
の墓碑の写真を撮ってきましたので紹介します。
田中布舟(1734-1808)


上の写真は高砂の俳人で与謝蕪村や小林一三とも交流のあった田中布舟(ふしゅう)の墓
墓碑には「敬空宗君布舟居士」と刻まれています。


上の写真は平成元年(1989)12月に建てられた現地の説明板。

田中布舟は享保19年(1734)に高砂町材木町の酒造業を営む家に生まれました。
本名は田中左太夫、通称、鍵屋孫右衛門、別号、暮桜亭、俳号、布舟。
若いころから加古川別府の滝瓢水と交わり33歳の時に松岡青羅の門人となります。
松岡青羅は1740年生まれ1791年没 加古川の幽松庵におり常に京都を往復。
のちに菊岡布仙にも師事します。

田中布舟と蕪村
与謝蕪村(1716-1783)との交流では田中布舟に宛てた手紙が2通残っています。
「愚老半臂(はんぴ)を殺(そ)がれ候心地」という黒柳召波の死をおしんだ蕪村の手紙は
布舟に送られたもの。
蕪村が高砂に訪れた時に「双句集」には「霧晴れて高砂の町ものあたり」と蕪村の句が
残されています。
安永2年(1773)布舟39才、俳書「明がらす」で布舟は「遅桜梨に交りて咲にけり」と
詠んでいます。蕪村が天明3年(1783)に没するまでの10年余の期間、布舟と蕪村の
交友が続いています。

田中布舟と高井几菫
それ以上に親密だったのは蕪村の高弟だった高井几菫(きとう)(1741-1789)との交流で
几菫が布舟の家に寄った時に次の句を残しています。「花瓶に霜の野菊のやどり哉」

田中布舟と一茶
小林一茶(1763-1828)との交流では一茶が寛政4年(1795)西国行脚の途中、
曽根天満宮を訪れ次の句を詠んでいます。「散り松葉昔ながらの掃除番」
この時、一茶は布舟の家に宿泊しています。

文化5年(1808)9月2日死去。享年75歳。


田中布舟の俳句
「眉にこもる年立亀の契りかな」 布舟23歳の作

「かへりみよ我名月は五湖の舟」 布舟27歳の作


「此塚にうつすや月の枯尾ばな」

「片枝ははや日かげ也冬の梅」 安永5年(1776)布舟42歳の作


「つつじ皆むらさき咲きてほとぎす」安永6年(1777)4月10日布舟43歳の作
                  布舟が高井几菫を訪ねて詠んだ句


「花の都より高砂の古郷へ帰りて春をむかふ 都にも中々かへじ宿の春」
                   寛政元年(1789)布舟55歳の作


寛政2年(1790)10月16日、松岡青羅を宗匠とする二条家の俳諧に列席。
田中布舟は、この頃2年間程度京都に滞在していたと思われる。

田中布舟の肖像

上の写真は二世栗の本玉屑が描いた田中布舟像です。

上部の書は布舟の作った俳句で次のように書かれています。
「はるかぜや野路のふる橋水こゆる 高砂布舟」



最後に田中布舟の墓の遠景写真を添付して筆をおきます。


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菅野白華と菅野家の墓碑 in 高砂市十輪寺 on 2018-2-17

2018年09月11日 05時41分11秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年2月17日、高砂市十輪寺の墓地にある菅野白華と菅野家の墓碑の写真を
撮ってきましたので紹介します。




上の2枚の写真は菅野白華と菅野家の墓碑です。
菅野白華(1820-1870)の墓碑には「白華菅野先生之墓」と刻まれています。
菅野白華の父親である菅野松塢は菅野家之墓に納骨されていると思います。


上の写真は菅野白華の肖像
出典:申義堂の説明パネル

菅野白華は文政3年(1820)2月6日、菅野松塢(武助)の三男として高砂町今津町で生れた。
文政10年(1827)姫路仁寿山黌に学び、仁寿山黌の人々は彼を「字引」と称したという。
姫路藩は、白華が21歳の時にを江戸昌平坂学問所(昌平黌)に入らせた。
31歳で姫路藩の江戸藩邸の教官を務めます。
朱子学者であったが海防問題などにも関心を持ち有志の若者が集まったとのこと。
37歳で奥羽・蝦夷地を巡覧しのちに「北遊乗」を著しています。
安政の大獄(1858-1859)で投獄されたが、出獄後姫路藩の好古堂の副督学をつとめ
明治維新後は兵庫県の明親館の教頭をつためた後、兵庫で病死しました。
帰郷した時に申義堂で教壇に立った可能性があります。

白華の父親の菅野松塢(1773-1843)は高砂町に文化年間(1804-1817)に
設置された学問所の申義堂の初期の教授です。松塢の読みはしょうう(お)
通称 武助、名は弘祖、字は子綏(しすい)、号は眞斎
詳細は下記の説明パネルを参照してください。


上の写真は菅野松塢の肖像です。
出典:申義堂の説明パネル

菅野松塢の長男の菅野有味(1812-1857)は天保6年(1835)仁寿山校の助教授に
なっています。菅野家は学者の家系と言えます。


上の写真は菅野松塢の履歴の説明パネル  出典:申義堂の説明パネル

申義堂は、姫路藩の家老・河合道臣(寸翁)が時の藩主・酒井忠実に申し出て、
町民一般の子弟の教育を目指して北本町に設置した。


上の写真は河合寸翁に関する説明パネル
出典:申義堂の説明パネル
申義堂の創立時期はは、文化年間(1804~1818)と推定されます。
その建設および運営は高砂の岸本家の援助が大きかった。


上の写真は岸本吉兵衛の説明パネル 出典:申義堂の説明パネル

申義堂は、藩校「好古堂(こうこどう)」の支校の一つで、町民の子弟の教育場であった。
内容は、四書五経などを中心に「小学」「近思録」「春秋左氏伝」の教材が使用された。

菅野松塢の後継の教授は三浦松石、小林梧陽(利右衛門)、三谷松園、三谷茅鹿、美濃部秀芳
また、勝海舟・頼三樹三郎(らいみきさぶろう)・梁川星巌(やながわせいがん)などが
高砂に逗留中、講師として教壇たったこともあった。

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美濃部達吉の父母及び祖父母の墓 in 高砂市十輪寺 on 2018-2-17

2018年09月10日 06時01分47秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年2月17日、高砂市十輪寺にある美濃部達吉の父母及び祖父母の墓の写真を
撮ってきましたので紹介します。

達吉の祖父母・秀軒(しゅうけん)と道、父母・秀芳(しゅうほう)と悦の墓はもともと、
高砂市高砂町木曽町の共同墓地にありましたが2011年11月に十輪寺に移設されました。
詳細は神戸新聞2012年1月14日の神戸新聞朝刊に掲載されています。
この墓以外は2009年に美濃部達吉の兄・俊吉の遺族が東京に移したそうです。


上の写真は美濃部達吉の父母及び祖父母の墓です。

中央が達吉の父、美濃部秀芳の墓碑。左が達吉の母、悦の墓碑。右は達吉の祖父
美濃部秀軒と祖母の道の墓碑です。


上の写真は美濃部秀芳の墓碑銘です。
美濃部秀芳(1841-1904)について十輪寺の前に移設された申義堂の説明パネルを
お借りして紹介します。(下の写真)


次に達吉の母、悦についての話になります。



上の2枚の写真は美濃部達吉の母 悦の墓碑です。

悦は旧加東郡古川村(小野市)の儒医井上謙斎の次女
明治28年(1895)に55歳で病死
明治31年(1898)に長男の法学士俊吉と法学士達吉が連名で墓を建立




上の写真は墓の側面と裏面で美濃部達吉の祖父の美濃部秀軒と祖母の道に関する事蹟が
記載されています。

美濃部秀軒(1802-1885)は加東郡木梨村の大熊清兵衛直道の五男として享和2年(1802)
に生まれました。美濃部家の養子となり蘭方医となりました。
秀軒の妻の道は高砂の医師で儒学者で申義堂の教授であった三浦松石(1799-1853)の娘で
秀軒との間に二男三女をもうけました。長男は太郎八(後の良平)、次男は禎吉(後の秀芳)
妻の道は安政3年(1856)2月2日41歳で亡くなっています。




上の2枚の写真は美濃部達吉の生家跡の説明板と遠景
材木町の工楽松右衛門旧宅のすぐそばにあります。 撮影:2018-6-3


最後に高砂市中央公民館の美濃部親子文庫の展示で美濃部達吉と美濃部亮吉の略歴や
遺品などの展示品を添付して筆を置きます。(下の4枚の写真)








詳細は下記ブログで記載しています。
山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その9 高砂公民館の美濃部達吉・亮吉親子文庫
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高砂市 工楽松右衛門旧宅と南堀川遺構 訪問記 on 2018-8-12

2018年09月09日 06時27分41秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年8月12日、高砂市の工楽松右衛門旧宅と南堀川遺構を訪問しました。
写真紹介します。

工楽松右衛門旧宅には6月3日のオープニングセレモニーの時に訪問していますが、
当日シンポジウムに参加したり、午後には神戸で別の講演会に参加した為、工楽松右衛門旧宅
の中をゆっくり見学できなかったので再訪した次第です。

上の写真は工楽松右衛門旧宅の玄関側(東面)の小路側(南面)の遠景です。


工楽松右衛門旧宅の基本情報

住所:高砂市高砂町今津町531 TEL:079-490-4790
開館時間:9:00~18:00 休館日:無し 但し年末12/29~1/3は休館
リニューアル開館日:2018年6月3日
建築面積:1階248㎡、2階125㎡ 合計373㎡ 敷地面積:652㎡
建築時期:文化7年(1810)頃

設計・監理:有限会社 一級建築事務所 アトリエフォルム
施工:新井建設工業株式会社(高砂市荒井町小松原3丁目1−1)
保存修理の費用:約1.4億円 駐車場他の周辺整備とトイレ新設の費用は1.57億円


公式サイト:https://kurakutei.wixsite.com/kuraku


上の写真は工楽松右衛門旧宅へのアクセス 出典:リーフレットより



上の写真は工楽松右衛門旧宅敷地内の配置図


上の写真は1階の平面図  出典:リーフレットより


上の写真は2階平面図


上の写真は工楽家明治20年(1887)絵図  
出典:2018-6-3 村上裕道氏(京都橘大学教授・市立図書館名誉館長)講演資料
保存修理のもとになった絵図です。
昭和5年(1930)の改修 玄関の間・土間→・床仕上げ カウンター設置
            玄関南蔵→床仕上げ・ベンチ
            六畳→茶室・床の間
            6畳の間→茶室・床の間
            3畳の間→中庭
            2階応接間→畳から洋間に
            2階座敷→ベランダに後に(昭和24-25年)子供部屋に改修

通常の文化財修復には3~4年であるが工楽松右衛門旧宅の場合、1年4か月で完了





上の2枚の写真は工事中の工楽松右衛門旧宅 撮影:2017-11-12


上の写真は整備前の南堀川遺構 撮影:2017-11-12

前置きが長くなりましたがここから2018年8月12日に撮った写真紹介に移ります。

外観

上の写真は工楽松右衛門旧宅の玄関側(東面)の小路側(南面)の遠景です。(再掲)




上の2枚の写真は南面の外観
古い舟板を再利用した「舟板塀」が見どころです。


上の写真は東面の外観
左手に、牛や馬がぶつかって家を損傷するのを防ぐ駒寄(こまよせ)と呼ばれる
格子が特徴です。


上の写真は蔀戸(しとみど)とばったり床几(しょうぎ)のアップ


1階内部


上の写真は玄関土間


上の写真は庭蔵
こちらで工楽松右衛門旧宅のビデオで概要が把握できます。




上の2枚の写真は通り庭


上の写真は炊事場


上の写真は台所


上の写真は中の間より観た9帖の間
手前に名栗加工の床




上の2枚の写真は9帖の間に展示の松右衛門帆ろ説明パネル


上の写真は9帖の間から観た事務室
事務室は茶室であったようで茶室の痕跡が残っているとの説明を受けました




上の2枚の写真は座敷6帖の間
前室と中庭が写っています。
衝立は古い帳簿が貼られているそうです。








上の4枚の写真は座敷8帖の間と展示品及び説明パネル
文化人らと交流があった6代目長三郎(昭和10年-20年)の頃には文化サロンとして
この8帖の間が使用されていたようです。
版画家棟方志功や俳人永田耕衣らが訪れていたという。


2階内部

上の写真は鏡の間


上の写真は板の間と和室8帖の間の遠景






上の3枚の写真は和室8帖の間と引き札
和室には長持ち箪笥が置かれています。








上の4枚の写真は和室(10帖の間)と展示の堀川模型と説明パネル






上の3枚の写真も同じ和室(10帖の間)に展示の説明パネル


上の写真は洋間の応接室
高砂線のあるジオラマの展示と高砂の昔の写真が展示されていました。

庭及び蔵跡


上の写真は庭及び蔵跡


上の写真は中庭

まだまだ見どころが沢山ありそうですが出かける時間が来てしまったので
この辺でアップします。




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兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2018年度前半期の作品まとめ

2018年09月08日 04時40分34秒 | Weblog
2018年度前期の兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室が4月20日から
新しい講師の河崎ひろみ先生を迎え始まり、17回の教室が昨日(2018-9-7)終了しました。
今期も全回出席の皆勤賞です。
出席率だけは模範生です。

昨日の合評会でまず、今期の新作3作と刷りのみの3作を先生に見てもらいました。


上の写真は先生から講評をいただいた今期の作品の一覧です。

第1作


上の写真が第1作です。

題名は「BIG MAN in 神戸新開地」 製作は4月-5月、2018

第2作

上の写真が第2作です。

題名は「船屋形 in 神戸相楽園」 製作は2018年6月


第3作



上の2枚の写真が第3作です。

題名は「鑑真和上」 製作は2018年の7月-8月



上の写真は上記3作の一覧です。

次に今期に刷った作品を紹介します。


上の写真が一覧表です。

左側は喜多川歌麿「深川の雪」より江戸美人 2018年5月-6月に刷っています。

右側上は達磨で 2018年6月-7月に刷っています。

右側下は普賢菩薩騎象像 2018年4月に刷っています。


過去の5つの作品(下の写真)についても講評していただきました。 
 

今後も「下手でも楽しくやろう」の精神で継続するつもりです。


当日はエッチングの作業がなかったので3階で開催されていた
全国シャドーボックス講師作品展を鑑賞してきました。

全国シャドーボックス講師作品展の基本情報
正式名称:兵庫県政150周年記念全国シャドーボックス講師作品展
開催場所:兵庫県立美術館ギャラリー棟3階  開催期間:2018年9月6日(木)~9日(日)
主催:兵庫県シャドーボックス創作作家会

期間中の9月8日午後1時から絵本作家永田萌さんの講演会


関連サイト:https://ameblo.jp/heartsease17/entry-12396705068.html

シャドーボックスは、同じ絵柄の紙を何層も重ねて立体感を持たせたもので
素晴らしい作品が展示されていました。

その様子をPRポスターと共に添付して筆を置きます。(下の3枚の写真)






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宝田水産 海山 兵庫県ミント神戸店 でのランチ on 2018-9-7

2018年09月08日 04時20分11秒 | 神戸情報
2018年9月7日にいただいた宝田水産 海山(みやま)ミント神戸店 での
ランチを写真紹介します。
昨日(2018-9-6)にオープンしたばかりのお店です。

宝田水産 海山 兵庫県ミント神戸店 の基本情報

住所:神戸市中央区雲井通7-1-1 ミント神戸 B1F TEL:078-242-0309
営業時間:11:00~22:00 定休日:なし不定休あり
料理ジャンル:海鮮丼 オープン日:2018年9月6日


公式サイト(ミント神戸):http://mint-kobe.jp/
   TOP画面からグルメを選択すると海山(みやま)もリストアップされています。

海山の前は同じ宝田水産が経営の寿司のお店がありました。

宝田水産はサンマルクカフェや 鎌倉パスタなどを展開するサンマルクホールディングス
のグループ会社です。


上の写真は当日、頂いた海山丼 880円(税別)
ミント神戸のカード提示でお一人様のみ8%引きのサービスがあります。


上の写真はお店の外観です。


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ブラックアウト

2018年09月07日 06時48分40秒 | 時の言葉
ブラックアウトという言葉が北海道胆振(いぶり)東部地震(2018年9月6日の3時8分に発生)
の発生後、TVなどの報道で頻繁に使用されています。

そこで言葉の意味を調べてみました。


今回起きた北海道胆振(いぶり)東部地震(2018年9月6日の3時8分に発生)による停電の原因
は北海道厚真町にある北海道電力苫東厚真石炭火力発電所が地震の影響で緊急停止、
道内で電力の半分の賄う給電が停止したことで大きな周波数変動による発送電・変電施設の
破壊を伴う懸念が出たため北海道内全ての火力発電所が設備を停止しました。

上記のように周波数変動による発送電・変電設備を守護するための大規模な停電
このことをブラックアウトと称している。

英文のWikipediaでは次のように記載されています。
Power outage, an intentional or unintentional loss of electric power

今回のブラックアウトで北海道全域(離島を除く)295万戸で停電が発生しました。

ブラックアウトを全系崩壊という言葉に言い換えている報道もありました。

連鎖的な電気の供給遮断のことをブラックアウトというようです。


上の写真は本日(2018-9-7)7時12分頃のNHKテレビによるブラックアウトの解説


上の写真は同じく上記番組で解説されている東大生産技術研究所の萩本和彦特任教授


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京都 錦 お好み焼き わらい 垂水店でのランチ on 2018-9-6

2018年09月07日 04時24分24秒 | 神戸情報
2018年9月6日(木)、お好み焼き わらい 垂水店でランチをいただきましたので
写真紹介します。わらいの漢字表記は和来

錦わらい 垂水店 の基本情報

住所:神戸市垂水区舞多聞東1丁目10−5 TEL:078-787-5171
営業時間:11:30~24:00  休み:不定休


公式サイト:http://www.nishikiwarai.com/


Goo地図は下記ブログで掲載しています。

 京都 錦 お好み焼き わらい 垂水店でのランチ on 2018-8-25


上の写真は私が頂いた「わらい焼きと京天焼き(豚)」のハーフ&ハーフ 972円(税込)
写真を掲載していませんが飲み物又はごはんとみそ汁もついています。


上の写真は奥様が選んだ「わらい焼と焼きそば」のハーフ&ハーフ 950円(税込)


上の写真は揃い組





上の2枚の写真はメニュー表


上の写真はお店の外観

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東播磨のマンホール

2018年09月05日 04時48分56秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年8月12日、高砂市の工楽松右衛門邸を訪問した時に東はりまマンホールラリーの
イベントに遭遇して下の写真の台紙を入手した。



まず、東はりまマンホールラリーの基本情報について記載しておきます。

応募期間:平成30年(2018)8月1日(水曜日)から8月20日(月曜日)
設置場所:東播磨の3市2町(各市町2箇所 合計10箇所)
主催者:兵庫県東播磨県民局加古川土木事務所(企画調整担当)


公式サイト:https://web.pref.hyogo.lg.jp/ehk01/press/300727_3.html


スタンプラリーに参加した訳ではありませんが東播磨のマンホールを列挙する
いい機会なので写真があるものと配布のリーフレットを利用して写真紹介します。

高砂市




上の2枚の写真は2018-6-3に改装なった工楽松右衛門邸付近のカラーマンホールです。
撮影:2018-8-12

稲美町


上の写真はリーフレットより

播磨町

上の写真はリーフレットより

加古川市

上の写真はリーフレットより

明石市

上の写真はリーフレットより

上の写真は明石市のマンホールの図案です 撮影:2017-3-24


上の写真も明石市のマンホールで9月10日が下水道の日であること、2011年に
下水道が出来て100周年であることことをPRされています。
大久保小学校3年生の作品 撮影:2017-4-5

我等の神戸市の汚水マンホールデザインも添付しておきます。

上の写真は神戸市の汚水マンホールのデザインをもとにぬり絵で描いたものです。
塗り絵で優秀賞を獲得した児童の作品です 撮影:2015-5-21

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