CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ジョリーパスタ 離宮公園店でのランチ on 2021-2-15

2021年02月20日 05時31分39秒 | 神戸情報

2021年2月15日、ジョリーパスタ 離宮公園店でランチを頂きましたので

写真紹介します。

今迄、何回も訪問していますがブログを作成したことが無いのでブログを書きました。

 

ジョリーパスタ 離宮公園店の基本情報

住所:神戸市須磨区離宮西町2-3-21 TEL:078-733-2141 

料理ジャンル:イタリア料理

営業時間:11:00~20:00(緊急事態宣言の1/14以降) 定休日:なし

公式サイト:http://www.jolly-pasta.co.jp/

 

上の写真はベーコンきのこの和風ソース 630円(税別)

ドリンクバーが180円(税別)

上の写真は奥様が注文したたらこヤリイカ 730円(税別)+ドリンクバー180円(税別)

 

 

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山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その1 今在家地蔵

2021年02月19日 04時36分45秒 | 神戸市以外の兵庫県

2020年10月28日、山陽電車の西飾磨駅で下車し北西の英賀城跡を目指して歩き出し

帰りは山陽電車の夢前川に南下して戻るコースで散策してきました。

巡った場所をシリーズで書いていきます。

本日はその第1回で今在家地蔵(細川地蔵)について書きます。

 

上の2枚の写真は細川地蔵(今在家地蔵)と現地説明板石碑

所在地の住所は姫路市飾磨区今在家4丁目50(Goo地図を添付)

 

2体あるが右手の方が古い。

右手の地蔵尊は石棺の蓋に用いられた凝灰岩を利用し、彫られたものであると思う。

説明板は読み難いのでそのまま転記しておきます。

細川地蔵の由来

細川地蔵は、平安時代以降に流布した地蔵信仰に伴い、今在家にも道祖神を兼ねて

路傍に建立されたと思われます。この地蔵尊は、向かって右の石造板碑に彫込まれた

舟形輪郭の中央に、手に宝珠を持ち蓮座に立った姿で刻まれています。大きさは

高さ65cm、幅26cmです。年代ははっきりしないが室町時代と想定されます。

天正8年(1580)羽柴秀吉の「英賀攻め」の際、今在家の過半も焼失しました。

(津だ神社や字西高長の明願寺なども類焼)地蔵尊の由来も不明となったが、

里俗に次のようなエピソードを残している。

旱魃(かんばつ)の年に細川溝の溝さらえをし、大石を引き上げたところ宝珠を

もった地蔵尊が刻まれていたので、大切にして岸辺に祀った。また牛がどうしても

石橋を渡らないのでこの石を裏返すと、地蔵尊が彫込まれていたので、里人これを

岸辺に祀ったとも伝えられている。

平成27年8月 今在家自治会

 

上の写真は細川地蔵の銘板

上の写真は今在家地蔵の遠景

上の写真のような看板が作成されていました。

上の2枚の写真は秀吉の「英賀攻め」の犠牲者を祀った五輪塔などか?

 

上の写真は大正6年(1917)に玉垣が建設されたことを刻んだ石碑と玉垣

 

上の写真は水尾川(みおがわ)に架かる中浜橋

上の写真は中浜橋から水尾川の上流側を撮ったものです。

上の写真は中浜橋から観た細川地蔵(今在家地蔵)の遠景

 

 

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全豪OPテニス 大坂なおみ選手が決勝に進出

2021年02月18日 14時23分57秒 | 有用な情報

テニスの全豪オープン第11日は18日、メルボルン・パークで行われ、

女子シングルス準決勝で、第3シードの大坂なおみ(日清食品)は第10シードの

セリーナ・ウィリアムズ(米国)を6―3、6―4のストレートで下し、

優勝した2019年以来、2年ぶりの決勝進出を決めた。

NHKでLIVE放送がありましたのでハイライトを写真紹介します。

第1セット

第1セット第1ゲーム S.ウィリアムにいきなりブレークを許す苦しいスタートとなったが

第4ゲームでブレークバックして2-2のタイに持ち込んだ

上の写真は第4ゲームの様子

さらに第6ゲームで2回目のブレークをして4-2とした。

上の写真は第9ゲームで大坂選手はサービスゲームをしっかりとキープし

第1セットを6-3で終えた。

 

第2セット

第2セットの第1ゲームでは大坂選手がブレークを奪い好スタートをきった。

その後、S.ウィリアム選手にブレークバックされ迎えた第9ゲームでブレークを

奪いゲームカウント5-4とした。

さに第10ゲームでサーブをキープし6-4で奪った。

 

ゲームセット

 

 

決勝戦の対戦相手

上の写真は大坂なおみ選手の過去の戦績

決勝戦はムホバ(チェコ)とプレイデイ(米国)の勝者と対戦します

 

NHKの放送予定

 

決勝戦は2月20日(土)の午後5:25からNHK総合でLIVE中継されます。

本日、行われた準決勝の様子は2月18日(木)午後11:45から放送される予定

 

センターコートの外観

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神戸市営地下鉄三宮駅構内 摂州神戸海岸繁栄之図の掲示

2021年02月18日 04時46分53秒 | 神奈川県情報

2021年2月17日、神戸市営地下鉄三宮駅構内に展示の「摂州神戸海岸繁栄之図」の

写真を撮ってきましたので紹介します。

 

上の写真は摂州神戸海岸繁栄之図」 明治4年(1871)長谷川小信すなわち二代目の

長谷川貞信の作品で開港当時の神戸港の風景を描いたものです。神戸市立博物館蔵

外輪の蒸気船、西洋館、ガス燈、人力車、洋装の人物など当時の風物が描かれ、

文明開化に対する人々の関心の間とや、反応を伺い知ることができる。

国旗では日の丸の他に英国とフランスの国旗を確認できます。

海岸通の奥にある「伝信機」と書かれた洋館は、明治3年(1870)に神戸-大阪間に

創設された電信仮局です。

2代目の長谷川貞信を襲名したのは明治8年(1875)であるのでこの作品を制作したのは

長谷川小信と称していた時のものである。

この絵の原版は3枚の錦絵でそれらを合成したものである。

合成前の3枚の状態については下記サイトで確認できます。

 作品詳細 | 摂州神戸海岸繁栄之図三枚続 | イメージアーカイブ - DNPアートコミュニケーションズ (dnpartcom.jp)

左側の下部の赤色で囲った部分には長谷川小信の名前の他に版元の

神戸東札場前 柴屋久四良、大坂新町東口 八尾屋善助板の名前を確認できます。

上の写真は展示場所に掲示の説明板。

上の写真は展示の遠景です。神戸市営地下鉄三宮駅にて 撮影:2021-2-17

寄贈者は三井住友銀行

 

2代目 長谷川貞信についてWikipediaより引用させていただきます。
二代 長谷川 貞信(にだい はせがわ さだのぶ、嘉永元年(1848年) - 昭和15年
(1940年)6月21日)は、明治時代から昭和時代にかけての大坂の浮世絵師。

初代長谷川貞信の長男。本名は徳太郎。初め小信(このぶ)と称した。
慶応元年(1865年)頃から小信の号で描き、明治8年(1875年)に父から貞信の
名を譲り受け、2代目長谷川貞信と称した。
初代貞信は役者絵や「浪花百景」などの風景版画の分野を得意として、幕末から
明治初年にかけて上方浮世絵界で活躍したが、2代貞信もその伝統を受け継いで
役者絵を主に描いている。その他に神戸名所、浪花名所、浪花十二景などの風景画、
玩具絵、武者絵、美人画、『日々新聞』の挿絵や銅版画を手がけている。
小信を名乗っている頃には、「播州神戸海岸繁栄之図」を初めとして
神戸・大阪(川口)の居留地などを舞台に、鉄道、鉄橋、西洋館など明治初年の
文明開化の風俗をよく描いた。
小信時代に描かれた神戸を題材にした開化絵は、開港当時の風俗や居留地の
景観を知る数少ない資料として貴重である。また、貞信を継いだ後は、錦絵新聞や
西南戦争に題材を求めた錦絵を多く手がけた。
銅版画や石版画が普及し、浮世絵の需要が衰えた明治10年(1877年)以降には、
商店の引き札(広告)や輸出茶の商標、芝居絵の番付なども描いている。
享年93。墓所は初代と同じ天鷲寺。法名は明徳院貞信遍照居士。

 

関連サイト:

 本財団図書館(電子図書館) 描かれた神戸物語-源平合戦から港街・異人館まで-図録 (zaidan.info)

 

 神戸競馬発祥の地 神戸「旧居留地」と「東門街」 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 

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特別公開「はやぶさ2」 in 明石 見学記 on 2021-1-16

2021年02月17日 04時46分49秒 | Weblog

『特別公開!「はやぶさ2」in 明石』があかし市民広場(パピオスあかし2階)で

2021年1月15日から24日開催されており、私は1月16日に訪問見学しました。

会場には探査機「はやぶさ2」の全長6メートルの実物大模型や、リュウグウの探査で

使用された数々のミッション機器の模型が展示されていました。

展示遠景

はやぶさ2 本体

 

 

本体各部名称

 

 

 

 

 

開催要項は以下のとおりです。

期間/1月15日~24日
時間/午前10時~午後6時
場所/あかし市民広場(パピオスあかし2階)

主催/明石市(あかし市民広場・明石市立天文科学館)

模型協力/NPO法人ギガスター

 

はやぶさ2の歩み

 

上の写真は探査機「はやぶさ2」の打ち上げから帰還までの歩みを纏めた図

2014年12月3日 鹿児島県から打ち上げ

2015年12月3日 地球スイングバイ

2016年3月22日 第1期イオンエンジン運転

2018年2月   小惑星「りゅうぐう」の撮影に成功

   6月27日 「りゅうぐう」に到着

2018年9月~10月 ローバー投下運用

2019年2月22日 「りゅうぐう」に1回目の着陸(下記のYoutube動画を参照ください)

「はやぶさ2」搭載小型モニタカメラ撮影映像 / Hayabusa2 Touch down movie 

   4月5日  「りゅうぐう」に人工クレーターを作る(世界初の快挙)

   7月11日  2回目の着陸(下記Youtube動画を参照ください)

Hayabusa2’s second touchdown on asteroid Ryugu 

  11月13日  約1年半の滞在を終え、りゅうぐうを出発

2020年12月6日 岩石試料の入ったカプセルを回収

上の写真は回収されたはやぶさ2のカプセル 出典:12月7日、NHK総合テレビ 朝7時のニュース

 

「はやぶさ2」地球帰還 記者会見 【カプセル回収後】2020年12/6(日)16:30

 

再突入カプセル

上の2枚の写真は再突入カプセルのカットモデルと説明パネル

 

人工クレーターの生成

2019年4月5日にはやぶさ2は金属弾(爆薬5Kg)を打ち込み人工クレーターをつくる

世界初の実験に成功した。

上の写真は人工クレーター生成のイメージ

上の写真は「人工クレーター生成」の説明パネル

上の写真は衝突装置(SCI)の爆薬部

上の写真は衝突装置:インパクター(SCI)

上の写真は分離カメラ(DCAM3)

ターゲットマーカー

上の3枚の写真はターゲットマーカーの模型と説明パネル

着陸の前に人工的な目印として小惑星表面に降ろします。

探査機はフラッシュをたき、カメラでターゲットマーカーを認識しながら降下します。

 

ローバ(MinervaⅡ)

方向探知アンテナ

上の2枚の写真は方向探知アンテナ(実物)と説明パネル

 

小惑星りゅうぐう

上の3枚の写真は「りゅうぐう」の説明パネル

上の2枚の写真は「りゅうぐう」の模型と説明パネル

 

拡張ミッション

2020年12月6日、採取岩石の回収を成功させた「はやぶさ2」は次のミッション

小惑星「1998KY26]の探査へスイングバイ旅立った

下の2枚の写真は次のミッションに関する説明パネル

上の2枚の

写真は拡張ミッションの説明パネル

上の写真はスクリーンに投写された拡張ミッションの説明

 

はやぶさ1号機

上の2枚の写真ははやぶさ1号機の説明パネル

 

「はやぶさ」と「はやぶさ2」の比較

 

過去に書いたブログ

 「はやぶさ2」カプセル内に小惑星の「砂」 JAXAが会見(2020年12月15日) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 小惑星探査機「はやぶさ2」の記者説明会 on 2019-9-24 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 「はやぶさ2でリュウグウの生い立ちをさぐる」諸田智克准教授と共同研究者の研究成果 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 はやぶさのカプセルに微粒子が存在 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 はやぶさが 2010-6-13 午後11時頃に無事帰還 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

 

 

 

 

 

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銭形砂絵(琴弾公園内)及び男木島灯台

2021年02月16日 04時36分21秒 | バーチャル探訪

本日(2021-2-16)4時台にNHKテレビで香川県観音寺市琴弾公園内にある「銭形砂絵」

の映像が流れており、珍しいユニークだと思い写真を撮りましたので紹介します。

出典:NHKテレビ 瀬戸内 ふるさとの絶景より

銭形砂絵の所在地は琴弾公園内(香川県観音寺市有明町14)のGoo地図を添付

問い合わせ先:0875-24-2150(観音寺市観光協会)

 アクセス:JR観音寺駅から徒歩20分だそうです。

うどん県旅ネットのサイトより銭形砂絵の由緒書きを引用紹介します。

 

有明浜の砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m、周囲345mもある
巨大な砂絵で、琴弾山山頂から見るときれいな円形に見える。
寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために、一夜にして作られたといわれ、
他に類を見ないものといえるだろう。この銭形を見たものは健康で長生きができ、
お金に不自由しないと伝えられている。
近年銭形を見て宝くじを購入した人が高額をあてたことから金運スポットとして知られ、
多くの観光客が訪れている。テレビ「銭形平次」のタイトルバックにもなりました。

 

琴弾公園には「世界のコイン館」が設置されているそうです。

寛永通宝が鋳造されたのは寛永13年(1636)からで上記の生駒高俊公歓迎・・・との

言い伝えには矛盾があるがいずれにせよ地元では長期にわたり大切に維持管理されてきた

ことで現在も存在しているのだと思います。

 

上述のNHK番組で男木島灯台についても紹介されていましたので写真紹介します。

(下の3枚の写真)

所在地住所表示:香川県高松市男木町1062-3(男木島資料館)

Wikipediaによる概要解説

男木島灯台(おぎしまとうだい)は香川県高松市の男木島北端トウガ鼻に立つ石造の灯台。
日清戦争後に瀬戸内海海上交通が増加したことに対応し、「灯台の父」と呼ばれるブラントン
離日後の1895年(明治28年)、日本人独力で備讃瀬戸東航路の東端にあたる位置に建設された。
灯塔は総御影石(庵治石)造りで、日本に2基しかない無塗装の灯台の一つ(もう一つは角島灯台)。

この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台で日本の灯台50選にも選ばれている。
周辺は瀬戸内海国立公園に指定され、灯台からは明石海峡に次いで全国第2位の交通量の船舶を望むことができる。

 

 

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Lb Clover(旧長井珈琲倶楽部)イオンジェームス山店でのランチ on 2020-12-22&2021-2-2

2021年02月16日 04時29分10秒 | 神戸情報

2020年12月22日及び2021年2月2日にカフェレストラン Lb Clover

(旧長井珈琲倶楽部)イオンジェームス山店で頂いたランチを写真紹介します。

カフェレストランLb CLoverは神戸市垂水区イオンジェームス山店2階にあります。

2019年XX月から長井珈琲店からサンセイフード株式会社に経営が変わったようです。

カフェレストラン Lb Clover(Lbクローバー)の基本情報

住所:神戸市垂水区青山台7丁目7-1 イオン2F  TEL:078-751-7660
営業時間:10:00~21:00
定休日:なし

公式サイト(サンセイフード株式会社):https://www.kobe-busicolle.net/lb-clover/index.html

 

12月22日

上の写真は私が選んだオムライス+ブレンド 1,265円(税込)

上の写真はオムライスが掲載されたメニュー表

上の写真は当日、奥様が選んだシーフードドリア+ブレンド 1,254円(税込)

上の写真はシーフードドリアが掲載のメニュー表

 

 

2月2日

上の写真は奥様が選択したワッフル66円+コーヒー462円 計528円(税込)

上の写真は私が選択したサンドイッチ242円+コーヒー462円 計704円(税込)

上の写真は全部揃いぶみ

上の写真は2020-12-22に撮ったメニュー表

サンドイッチは現在220円(税別)に値上げされています。

 

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BS3 海を渡った600体の神仏 ~明治9年エミール・ギメが見た日本~(2003年)を視聴して on 2021-1-19

2021年02月15日 04時59分10秒 | Weblog

BSプレミアム 2021年1月19日 午前9時00分~ 午前11時10分に放送された下記の

番組を視聴しました。この番組で記憶に残った事項を写真紹介します。

現在もフランスのパリ市で鑑賞できるギメ美術館とチェルヌスキ美術館

(パリ市立アジア芸術美術館)があります。

番組内容

ハイビジョンスペシャル 海を渡った600体の神仏 ~明治9年エミール・ギメが見た日本~(2003年)
日本の仏教美術をヨーロッパに知らしめたエミール・ギメ。
維新後の混乱が続く明治9年、日本を訪れ70日間の滞在で600体の神仏像、300点の仏教関係書を
フランスに持ち返った。写真家の浅井慎平がナビゲーターとなって、ギメの精力的な文物収集の
足跡をたどり、いまだ霧の中にある「廃仏毀釈」に焦点を当てる。

チェルヌスキ美術館(パリ市立アジア芸術美術館)を創設したエンリコ・チェルヌスキ

(1821~1896)と東京都目黒区にある浄土宗の幡龍寺の仏像についても紹介されていた。

パリ・コミューンの悲劇に深く衝撃を受け、チェルヌスキは1871年9月から1873年1月まで、
若き美術評論家、テオドール・デュレ(1838ー1927)を伴い、世界を周る旅に出ます。

日本と中国に滞在した際に、およそ5000点の美術品を購入し、これが彼の蒐集品の柱となります。
持ち帰ったコレクションは、当時、非常に珍しいもので、とりわけ青銅作品はまったく例を
見ないものでしたが、これらは東洋博覧会(1873年8月ー1874年1月)の産業館で展示されました。

 

 

ギメ美術館とギメ

上の2枚の写真はギメ美術館の展示を鑑賞する写真家の浅井慎平さん

上の写真はギメ美術館の展示

上の写真はギメ美術館の玄関の銘板


ギメ美術館の創設者エミール・エチエンヌ・ギメ(1836-1918年)について
彼はフランス政府より「極東学術調査」ということで日本、中国、インドの各国を回り
宗教を調査した。明治9年(1876)に来日したギメはあらゆるものを扱い、
現在、その収集品はフランスのギメ美術館で展示されている。

1889年11月に、パリ6区イエナに新しい「宗教美術館」を建設しフランス国家に寄付し、

開館した。これがギメ美術館の母体となった。

ギメと米国の画家のフェリックス・レガメは明治9年(1867)8月26日、横浜に上陸した。
東京では、アメリカから来る途中に知り合った松本壮一郎宅を訪ね、
彼に東京を案内してもらっている。また日本に来てから作品を通して知った河鍋暁斎を訪ね、
親交を交わした。
東京では、文部大丞(局長級)・九鬼隆一とも面会している。京都では浄土真宗の幹部らと会見。
ギメとレガメは、11月3日、神戸より出港、中国、インドを経由して1877年3月に帰国した。

上の写真はギメの極東旅行報告書(1877)

廃仏毀釈

上の写真は廃仏毀釈の図(図説日本仏教史より)

上の2枚の写真は書籍「明治維新 神仏分離史料」の外観と序文

 

 

チェルヌスキ美術館(アジア芸術美術館)

上の写真はチェルヌスキー美術館の建物外観

チェルヌスキ美術館(パリ市立アジア芸術美術館)の公式サイト:

 Musée Cernuschi | Musée des Arts de l'Asie de la Ville de Paris

上の写真は創設者のエンリコ・チェルヌスキ(1821~1896)

上の写真はチェルヌスキに同伴して1871年9月から1873年1月まで、世界を廻った
若き美術評論家、テオドール・デュレ(1838ー1927)

上の写真はテオドール・デュレ (Theodore Duret)が書き残したアジア周遊記 En Asie

海を渡った幡龍寺の仏像

上の写真はチェルヌスキ美術館で一番大きい仏像

この仏像は東京都目黒区の幡龍寺から持ち出されたものである。

運搬の際、分割して運ばれた為その跡が残っているそうです。

上の2枚の写真は東京都目黒区にある浄土宗の幡龍寺

上の写真は幡龍寺の仏像が描かれている古い絵図

上の写真は取材に応じた幡龍寺の長老 吉田嚞雄(てつお)さん

 

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宮城県、福島県で最大震度6強(M7.3) 2月13日(土)23時8分頃

2021年02月14日 04時58分03秒 | 神奈川県情報

2月13日午後11時8分頃、宮城県、福島県で最大震度6強を観測する地震が発生しました。

震源地は福島県沖(北緯37.7度、東経141.8度)で、震源の深さは約55km、地震の規模

(マグニチュード)は7.3と推定されます。この地震による津波の心配はありません。

今後、1週間程度は最大、震度6強の余震に警戒が必要とのこと。

上の写真は震源地と各地の震度

上の2枚の写真は常磐道の相馬IC付近で起きた土砂崩れの状況

上の2枚の写真は2月14日(日)1時過ぎに行われた気象庁の記者会見

上の写真は2月14日(日)2時過ぎに行われた菅首相の記者会見

上の写真はけが人 少なくとも31人

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雑魚寝堂(ざこねどう) in 駒ヶ林(神戸市長田区)

2021年02月14日 04時37分45秒 | 神戸情報

昔の資料を整理中に雑魚寝堂(ざこねどう)の資料が出てきたのでブログとしました。

上の写真は現在の駒ヶ林保育所(神戸市長田区駒ヶ林5丁目8-6)付近にあった

雑魚寝堂(ざこねどう)

 

明治初年までは駒ヶ林には海泉寺、宝珠庵、慈眼庵、松月庵、松源庵が存在。

慈眼、松月、松源の三庵は明治初年に、村の経済の都合で廃寺となつた。

このざこ寝堂はかっては上記5つのの寺又は庵の阿弥陀堂であったと思われます。

明治6年(1873)に駒野小学校として利用され、その後公民館などに利用された後

現在の海泉寺に移築されました。

上の写真は海泉寺に移築された後の「ざこ寝堂」左手の建物。

この建物は阪神淡路大震災で大きな被害を受けて現在はありません。

新たに本堂として再建されて下の2枚の写真のようになっています。

撮影:2017-2-19

 

2016年1月17日にはお披露目も兼ねて阪神淡路大震災の犠牲者を追悼する法要が

この本堂で行われました。

 

 

 

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