歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久を歩く “理想的工場ハナキゴム”の鑑賞-その2-

2009年02月16日 | 牛久市の風景
先週は、冒頭に最終回の予告していながら、中途半端なところで終わって失礼しました。いろいろと、あるのです。

兎に角、続きを始めます。もう一度、正門からの風景を眺めます。


入り口の“新聞受”がイイです。大企業には無い“家庭的雰囲気”を残しています。


二階建ての事務所棟は、無駄も、飾りも、まったくない、実用一点張りのデザイン。律儀で、真面目に、頑張っている姿勢を感じます。

赤錆びた“構内禁煙”看板、消えかけた「構」の字に、時の移ろいを映し出しています。隣に並び立つ、止まれ、徐行、最高速10㎞の標識も、頑張ってきた様子が窺えます。ツゲとツツジでしょうか適度な緑がイイです。


突き当たりの、可燃物?、危険物?の倉庫。灰色のモルタル外壁、そして、扉の前に転がるドラム缶、工場の雰囲気を醸し出しています。

上を走るステンレス製の配管。眩しく光り輝きが、風景を引き締め、操業中の緊張感を伝えています。

右側の建物は、外観から加工場ではなく、完成品の梱包場と倉庫を兼ねているように思われます。

一回りすることにします。工場には“塀”が付き物です。ここは、やはり、灰色の“コンクリート製”が理想的なのですが、ブロック塀で我慢します。


長く続くブロック塀、ちょうど良い大きさの工場です。


水戸街道に出ました。ファミレスの駐車場越しに工場が見えます。


駐車場側に植えてある“工場遮蔽用”の木。木と木の間隔具合、高さ具合、幹の太さ具合、曲がり具合、葉っぱの繁り具合、とてもよいです。

工場の建物と木々が調和し、全体として“寂しげな風景”を演出しています。

工場の屋根には昔から、こんな感じの物が乗っかっていました。懐かしさを誘います。


構内側には大きな銀杏の木が、工場が建つ前からあったのでしょうか。煙突とタンクが重なり合っていた為に、脱硫装置付?の煙突と思ってしまいました。


壁からはい上がる排気ダクト。ゴムの臭いのしないゴム工場です。


この「ハナキゴム」ですが、HPを見たところ、創業が明治41年で、本社が東京都荒川区南千住になっていました。

“指サック”や“工業用手袋”では、業界内ではそれなりの会社のようです。

実は、わたくしが以前勤めていた会社には、“クリーンルーム”があり、指サックを使用していました。もしかして? まさか? ここの製品だった?

指サックの箱に、“ハナキゴム”と書いてあったような気がしてきました。 こんなところで、あの頃使っていた製造元に出会えるとは、何とも不思議な縁を感じてしまいます。

ハナキゴム株式会社茨城工場は、とてもよい、理想的な工場でした。

水戸街道に到達しました。


この先の、交差点を越えて、そのまた先の左手に、“牛久沼名産”の淡水真珠の専門店があるのです。

でも、しかし、シリーズ第一回で触れたように「牛久沼」は「牛久」と付いていますが、牛久市の沼ではなく龍ヶ崎市の沼なので、淡水真珠の話はまた別な機会にと思っています。

週始めですが、これで、ホントに“牛久を歩くシリーズ”を終わります。


それでは、また明日。


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牛久を歩く “理想的工場”を鑑賞します。

2009年02月13日 | 牛久市の風景
一昨日の続きです。

“牛久を歩くシリーズ”は、たぶん、今回が最終回になります。

常磐線の踏切を渡って水戸街道側に行きます。この踏切、車は片側交互通行なのです。道路は広くなったのですが、踏切は昔のままなのです。

踏切が好き、そして、踏切のある風景が好き、なのですが、ここは、どうも、周囲の風景と踏切とが、旨くと云うか、未だと云うか、馴染んでいません。

どうも、鉄筋コンクリートのマンションが邪魔しているようです。この只四角いだけの固まりは、いつまで経っても“風景”には、成れないかも・・・・・・。


渡った先は住宅地です。


この普通の住宅が建ち並ぶ、何でもない普通の風景、


人影も、人の気配も、動きも、音も無く、時間が止まり、そして、ゆっくり、静かに、遠い昔の、匂いが、音が、身体に感じてくるのです。

この風景に、東京の下町をちょっとだけ感じました。もう少し歳月が経てば、すべてが馴染んでくるのです。

屋根も、フェンスも、外壁も、アスファルトの道路も、側溝も、標識も、町名表示板も、消火器も、電信柱も、変圧器も、看板も・・・・・・。

平日の午後、東京郊外の住宅地は、とても、とても、静かなのです。

静かな住宅地を抜けると、“ピーポ・ピーポ”と救急車が向かってきました。


救急車が通り過ぎ、ゆっくり右手を見ると、実に素晴らしい“理想的工場”を発見。わたくし、踏切も好き、空き地も好き、工事現場も好き、そして工場も大好きなのです。

クロネコヤマトの配送車がちよっと邪魔。

何と云っても、灰色のブロック塀、門から真っ直ぐ伸びるメインストリートを挟んで、左に渋い事務所棟、右に工場棟、突き当たりに危険物の倉庫。


敷地の広さと云い、建物の配置と云い、“鑑賞”するには、ホントに理想的な工場です。“ゴム屋さん”のようです。


ここで、ちょっと用事が出来たので、まことに、中途半端ですが、今日の処は終わりにさせて貰います。

“ハナキゴム”さん、とても面白そう!なんで、ホントに残念!


それでは、また来週。



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暫くは浮き世で“彷徨い漂います”

2009年02月10日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

まだ、まだ、牛久を彷徨っています。

どうですか? この看板は? “一万十七石”です。どういうこと? 店の名前?

“手製”ですよ。聞いたことあります? 見たことあります? 


何で一万十七石なの? 十七石が半端で気持ち悪いのですが、きっと、この十七石に何やら、意味ありげに思えるのです。

それに、蕎麦はふつう“手打ち”でしょ、確かに“手製”と云う表現でも、間違いではありませんが、しっくり蕎麦に馴染まないのです。


“十七石と手製”・・・・・・なんか? かなり引っ掛かります。思わず、店の引き戸を開けて、

『エッ! いったい! ぜんたい! どうなってんだァ!あの看板わァ!?』と叫びたくなる衝動に駆られたのです。

しかし、ここは冷静に、落ち着いて、看板をじっくり眺めたのです。一万十七石の上に、小さく“牛久藩”の文字を見つけました。

そうか、そうか、牛久藩の禄高が、もしかして、いゃ、たぶん、一万十七石だったのでは?閃いたのです。

後で調べたところ、牛久藩の禄高は1万石となっていました。十七石はいったいどこから? 謎はいつの日か、必ず蕎麦屋に入って“手製”と併せて、店主に確かめたいと思うのです。

それにしても、手製にしろ、一万十七石にしろ、蕎麦屋の名前にしては、かなり、“へェ~ンナノォ!”であります。

変な蕎麦屋を後に、広い通りを外れます。


こちら独特のデザイン建物、周りには広い駐車場。都会を離れた町で、よく見かける“葬祭場”です。


葬祭場と介護施設は遠くからでも、何故か?建物の雰囲気から判るのです。


牛久駅から歩いても十分ぐらいでしょうか。


日本だけなのでしょうか? こういう“葬儀産業”があるのは、ここ十数年で、こんな葬祭センターとか、セレモ何とか、メモリアル何とかが眼に付くようになりました。

地方でも、家庭内で葬儀をしなくなったようです。病院で亡くなり、葬祭場で葬儀をすませる。

死を日常から切り離すことになり、その事で日常にどんな影響がでるのでしょうか? 

本来、死を意識してこそ、生を意識する・・・・・・何~て事なんだと思うのですが。

先日、以前勤めていた会社の専務が亡くなったとの知らせを受けました。葬儀場を聞いたところ、何と、彼が生前に建設反対運動をしていた葬祭センターだったのです。

反対の理由は、葬祭センターとは云え、実態は“死体置き場”であり、日常生活の場に接近し過ぎているとの事でした。

楽しく、明るい、日常生活の場に、不快で、暗い、死を意識するような施設の存在は、許す事ができなかったようです。

ちなみに、専務の家と葬祭センターとの距離は歩いて7~8分ぐらいで、家からは施設も見える訳ではありません。

でも、駅に近く、毎朝、毎晩、通勤の行き帰りに、死体置き場の前を通過する訳です。これが、耐え難い苦痛になると思ってのことでしょう。

わたくしとしては、他人事ですので、その時、慣れれば、まぁ、“どうって事ないんじゃないの”と、思っていました。

この葬祭センターも住宅地に近く、建設反対運動があったのでしょうか、でも、しかし、彼ら業者も、そこは手慣れているのでしょう。

何たって、法律や、条例に違反していなければ、特に問題は無いのですから、住民の片手間の反対運動など、想定内のいつもの事なのです。

近隣の住民には、“特別ご優待半額割引券”なんて配って懐柔したりして? そんな訳ないですネェ。

それにしても、先ほど専務ですが、自分が反対していた施設での葬儀、さぞかし、複雑だったと思うのです。

まぁ、死者に感想は聞けませんが、案外、“近くて便利だ”と、思ったかも知れません。人間は立場が変わると、思いも変わるのが“浮き世”の常。

専務は浮き世ではなく、“あの世”に行ってしまいましたけれど、兎に角、必ず、いつかは、浮き世とおさらばするのですから・・・・・・。

案外、家族は“ご近所割引券”を持っていたりして・・・・・・。

まぁ、そんな、こんな、を考えつつ、葬祭センターの周りを一巡りしたのです。そういえば、大晦日に亡くなった親戚の納骨が、今週の11日ですから、明日です。

ホントに、最近は、親戚に会うのは、葬祭センターに、火葬場に、お寺に、墓場に、こんな処ばかりになってしまいました。

わたくしも、そのうち、いつかは・・・・・・なのです。

それまでは、ぶらぶらと、いい加減に、のんびり、気楽に、浮き世を彷徨い漂いたいと思うのです。

それでは、また明日。








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牛久を歩く “移ろってふつうの風景”

2009年02月09日 | 牛久市の風景
先週続きです。

今週も、まだ、まだ、牛久を歩いています。

先週は“牛久観光ナンバーワンスポット”でしたが、今週は、ごく、ごく、普通の町並みを歩きます。

これまでは、龍ヶ崎の町はずれから、牛久の駅前を目指して歩いて来ましたが、これからは、行き当たりばったり方式で、そこらウロキョロと歩き回ります。

先ずは、ここは、やはり、牛久市を訪れたのですから、市庁舎を拝見いたします。


外壁がピンク色です。とても、何か、少し、こんなんで?と、思う色です。

これは、市の“スローガン”と云うのか?、標語と云うのか?、市長の方針と云うのか?


“潤い・親しみ・暮らし易さ・市民主体”です。確かに、ピンク庁舎は、威圧的でなく、“したしみ”を感じます。

“本場所中”なので庁舎前には、牛久出身“稀勢の里”の幟が立っています。

“みんな応援してんだからァ、頼むぞォ! 稀勢の里!”

市庁舎の隣は、牛久郵便局てす。交通整理?のおじさんが、カメラを構える私に警戒の視線を送っています。


“お年玉年賀はがき”の幟が1月半ばを過ぎても立っています。“日本郵政株式会社”は相当に忙しいようです。


辺りをウロキョロすると、市庁舎の裏手はこんな風景になっていました。


“遊水地”を兼ねた公園のようです。何か、とっても、寂しい風景です。灰色のコンクリートが視界の大半を占める為でしょうか。

冬の季節、芝生は枯れ、木は葉が落ち、潤いがありません。潤いと云えば、やはり、“水と緑”です。

遊水“地”ではなく、普段もそれなりに水を張って、遊水“池”にした方が・・・・・・、何て、思いつつ、おじさんは灰色のコンクリートを見つめるのでした。

灰色の公園を後に、何となく、水戸街道方面に向かって歩き出しました。

ピカピカに輝く“ヘアーライン仕上げ”の“ステンレス看板”。


“自治労茨城県南会館”、自治労茨城、連合茨城、茨教組稲北支部が入っているのです。


なかなか、新しくて、立派です。

労働組合は当然、組合員の利益を守る為にあるのですが、組合員の“為だけ”を優先すると、周りが見えなくなり、保守的傾向を強めるのでは・・・・・・・ナンチャッテねェ。

“建物に相応しく、新しく、立派な運動”を期待しつつ、前を通過します。


広い通りに出ます。

閉店した量販店。白のペンキで上塗りされた看板をじっと眺めると、“SHOES”の文字。


靴流通センターとか、靴卸売りセンターとか、昔は流行ったものです。

いろいろな業種で、何とか流通センター、何とか卸売りセンター、何て看板を、郊外の幹線道路脇で見かけたものです。


3、40年前は、“卸売り”とか“流通”の言葉は新鮮だったのです。いまでは、もう、手垢がこびりついてしまいました。

自然素材は、風雨に晒され、手垢が付くと、それなりの味わい、趣がでてくるのですが、鉱物を化学変化させた素材は、年月を経ると単なるゴミとなります。

この店、白いペンキで下地を施し、新しい化粧を待っています。

こういうご時世に、こういう立地で、こういう建物に、どんな業種のお店が入るのでしょうか?

まぁ、わたしには・・・・・・何ですが、それなりに、世の移ろいを眺めるのは・・・・・・。


不動産屋にしてみれば、それなりに、新たなテナント探しは大変なのでしょう。まぁ、頑張って下さい。

広い通りを横断して、水戸街道を目指します。


それでは、また明日。



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牛久を歩く “何故か?イタリアでした”

2009年02月06日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

展示室の見学を終え階段を降ります。

薄暗いと云うよりも、かなり暗い階段、壁は煉瓦、階段は木製、古い煉瓦の匂い、古い木の匂い、音を立てずに階段を一段、一段、下って行きます。


踊り場のランプ。百年前から灯っているような匂いが・・・・・・。


それで、煉瓦造りの建物何ですが、外壁、床、階段、屋根組は“木造”が普通です。

床も階段も屋根も“煉瓦造り”の建物は見た事が有りません。二階の床を煉瓦で造るのは、これはホントに、相当に大変だと思います。

でも、お城や、宮殿等の“石造り”の建物には、床も、階段も、屋根も、みんな石造りと“見える”ものがあります。

実際にこの眼で見た訳ではなく、NHKの“世界遺産”とか、その手のテレビで見かけるのですが、映像では、その辺の細かい造り方、構造は解らないのです。

いったい、床や、階段や、屋根は、どうなっていて?、どうやって石で組み上げて行ったの?、ずっと、ずっと、とても不思議に思っているのです。

二階の石造りの床は、一階から見上げると天井になるわけですが、いったい、ぜんたい、どうなってるの? と思うのです。

そんな、こんなを考えてかなり暗い通路を歩いていると、突然、アルミサッシにカラス張り、ワインの醸造場が現れるのです。


二階の展示室から、一階を通り越し、地下一階に降りていたのです。いまでも、ここで、ワインを醸造していたのです。

内部は何故か湯気で霞んでよく見えません。人の気配もありません。ガラスの前を通り過ぎます。


明るい階段を上がると、ワインの販売所に出るのです。巧いこと造ってあるのです。


ワイン、


ワイン、


ワイン、


世界中の、普通のワインから、ちょっと高いワインから、かなり高いワインまで、いろいろ、取り揃えてあります。


折角ですから、見学記念に、普通のイタリアワインを一本買いました。
         

家に帰って、配偶者と二人、味わったのですが、その時に云われたのです「何で? シャトーカミヤに行って、イタリアワインなの?」

そうなんです、何でシャトーカミヤのワインを買わなかったのか? 自分でも、何で? と思ってしまいました。

敢えて、云うならば、シャトーカミヤのワインが、まったく眼に入らなかったからだと思うのです。

並んでいたのは、あっちも、こっちも、イタリア、フランス、ドイツ、スペイン、チリ、南アフリカ、カリフォルニア、オーストラリア・・・・・・、だったのです。

ワインはヨーロッパとかの外国産の方が、やっぱり・・・・・・との、密かな想いが陳列方法に現れてしまっている、と思ってみたりしています。

確かに、自社ワインを積極的に売る気配は感じませんでした。



“プチプチシート”に包まれたワインをしっかりと持ち、シャトーを後にします。

帰り際に見つけました。


とても食べたかったのですが、髭面のおじさん一人で、ソフトを舐める勇気がどうしても湧きませんでした。

今度、二人で来たときには“きっと頂きます”と、堅い、堅い、決意の表明を密かに行い、静かに前を通り過ぎるのでした。

外に出ました。道路の向かい側、広い駐車場からシャトーを望みます。


昔は、こんな葡萄畑でした。

【シャトーカミヤHPより転載】

シャトーカミヤ、じっくり、しっかり、見学して、おみやげも買いました。

今度は、二人で訪れ、レストラン“キャノン”で二千円のランチを食べ、シャトーを見ながら、ソフトクリームを舐めたいと思います。


牛久歩きは、まだ、少し続きます。


それでは、また来週。



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シャトーカミヤで“ロスチャイルド”でした。

2009年02月05日 | 牛久市の風景
一昨日の続きになります。

ま~だ、“シャトーカミヤ”の“記念館”の二階入り口付近をウロキョロしているのです。これからなのです見学は。

え~と、最初に目に付いたのが、このショーケースに並んだ“高級そう”なワインの瓶です。

この中身なんですが、封を切っていないのでホンモノがそのまま入っているのでしょう。こんな状態で保管していたら中のワインは飲めるのでしょうか?心配です。
       
“Ch,Mouton Rothschild”と表示されています。


知りませんでした! ワイン好きには、もう、とても、有名な“シャトームートンロスチャイルド”なのだ、そうです。

こんな処にも、大富豪ロスチャイルドの手が及んでいたのです。金が貯まると良い酒が飲みたくなるのです。

ロスチャイルドさんは、単に飲むだけではなく、旨い酒を造るシャトーも所有してしまったのです。大したもんだァ。

でも、何で?「シャトーカミヤ」に「シャトームートンロスチャイルド」なの? やっばり、これがあると箔が付くんですかね?

こちらの写真、前列右から二人目が“松方正義”左隣が奥さん。


あの“松方”です。明治15年(1882年)に日本銀行を設立。第4代、第6代の内閣総理大臣です。

後ろの中央が神谷さんです。偉い人達とお付き合いをしていたのです。企業はある程度の大きさになると、政治家との繋がりが不可欠なようです。

いつの時代も、何処の国でも、政治家と企業家とは“持ちつ持たれつ”なのです。

こちらの写真も、持ちつ持たれつの仲間なのです。


そうでした、ここはワインの記念館です。

懐かしい!? たぶんむかし見た記憶があります。あの“赤玉ポートワイン”と一緒の、甘~い、甘~い、やつです。


葡萄の栽培、醸造等の資料です。


この資料を集め、勉強し、研究し、実際に葡萄の栽培や醸造をやっていたのは、神谷傳兵衛さんではなく、婿養子の「伝蔵さん」だったそうです。

傳兵衛さんは経営者であり資本家で、出来上がった物に“いろいろ混ぜ合わせる事”はできても、最初から造り出すことはなかったのです。

「香竄葡萄酒」が売れに売れ、偽物が多数出回ったそうで、これらが偽物のラベルそうです。


こちらも懐かしい“ブルーコメッツ”です。ブルコメと云えば、ブルーシャトーです。


「シャトー」繋がりで歌ったのでしょう。でも、しかし、「ハチハニーの歌」は、まったく覚えていません。聴けば思い出すでしょうねぇ。

こんなの酒屋さんに飾ってありました。


葡萄を搾る機械に、


瓶詰め機械。


いろいろあった、二階の陳列室を振り返ります。


これで、やっと、記念館の見学はお終いです。


これから、階段を下に降ります。上がって来た階段の反対側になります。


それでは、また明日。

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牛久を歩く “何でも混ぜる神谷さん”

2009年02月03日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

ワインの上に“キャノン”が付くのは、シャトーカミヤのワインだけでは無いようです。他のメーカーでも一部のワインにはキャノンが付いています。

ワインに付く“キャノン”には称号的意味合いがあるのでしょうか? 

カメラの“キヤノン・・・聖典、規範、標準”と、語源的には同一と思いますが、ワインとしての意味合いとか、それなりの謂われとかがありそうです。

まぁ、この件は、これぐらいにして話しを進めます。

それで、“合同酒精”の方は、

【1880年 創業者・初代神谷傳兵衛が東京・浅草に「みかはや銘酒店」を開業(後の「神谷バー」)。

1900年 日本酒類製造株式会社(後の神谷酒造旭川工場)を設立。

1924年 神谷酒造旭川工場を中心に北海道の焼酎製造会社4社が合併して合同酒精を設立。本社を北海道旭川市に置く。

2003年 合同酒精株式会社をオエノンホールディングス株式会社に社名変更し、事業部門を(新)合同酒精株式会社として分割。富久娘酒造を買収し子会社化。】

まぁ、こんな、ことでした。
     
     


香竄葡萄酒も、電気ブランも、合同酒精も、いろいろ、混ぜ合わせて出来たのでした。混ぜ合わせが好きな会社のようです。

     

そうでした! 忘れていたことがありました。蜂印香竄葡萄酒の“香竄”の「竄」の字はあまり良い意味に使われないと書きました。

     

“香竄”の謂われを調べてみたら、HPに、

・・・「香竄」とは、父 兵助の俳句の雅号であり、親のご恩を忘れないためと、この言葉の中に「かくしてもかくしきれない、豊かなかぐわしい香り(まるで樽の中の卓越したワインのように)」という意味があることにちなみます・・・。

     


と、ありました。何となく、そうなのかァ? 輸入ワインにいろいろ混ぜ合わせて、味、香り、色合い、を変えたからの方が・・・・・・・と思うのです。

何か出来過ぎている気はするのですが、本家本元がそう言うのですから、きっと間違い無くそうなのでしょう。



昨日に続いて、何となく興味がわかず、だんだんやる気が失せてきてしまいました。

書いている方が、面白くないのですから、読む方は、もっと、もっと、面白くなかったことでしょう。

こんな、やる気の無い日もあるのです。やる気の無い日は、それなりに正直に、やる気の無い内容を、それなりのブログに残すのも、・・・・・・・。

兎に角! 終わり!

さぁ、昼飯を喰って、午後は近所を走り廻ってくるぞ!

それでは、また明日。



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牛久を歩く “何でワインにキャノンが付くの?”

2009年02月02日 | 牛久市の風景
先週の続きです。

それで、「神谷傳兵衛さん」何ですが、出身が現在の愛知県で、昔の「三河」です。

明治13年(1880年)、東京浅草で“にごり酒など”の一杯売りを始めたのです。店の屋号が「みかはや酒店」。

そう何です!“酒屋さん”と云えば、この屋号です。団子屋さんと云えば“伊勢屋さん” 悪徳商人と云えば“越前屋”と決まっているのです。

そして「みかはや酒店」が“神谷バー”につながっていくのです。 

明治14年(1881年) 輸入ワインにハチミツや漢方薬を加えて、「蜂印香竄葡萄酒」を発売し、これが大当たりして財を成したのです。
      

「蜂印香竄葡萄酒」が後の「蜂葡萄酒」になり、「ハチブドー酒」に繋がるのです。
      

それと、“神谷バー”と云えば、「電気ブラン」が有名ですが、造られた年代はハッキリ分かりませんでした。

「香竄葡萄酒」の後から造られた事は間違い無さそうです、まぁ、兎に角、それほど画期的な発明ではありませんから、「何年何月電気ブラン完成」何て記録は付けていなかったのでしょう。

最初は「電気ブラン」何って名前ではなく、それとなく、何となく店で少量のカクテルとして客に出しつつ、少しずつ配合も変化しつつ、そこそこ評判になったところで、大量生産の瓶詰めとして売り出したのでしょう。

そんな、こんなで、電気ブランの名前も、それとなく、なんとなく、いつの間にか付いて・・・・・・、まぁ、そんなことで、始まりも、配合も、命名も、ハッキリしなかった、と思うのです。

それでも、兎に角、この「シャトーカミヤ」を見学して、神谷傳兵衛、神谷バー、、電気ブラン、シャトーカミヤの繋がりが判り、又、“香竄葡萄酒”の存在も知ることになりました。

それと、未だ、これまで抱いていた疑問に、「合同酒精」との関わり、「キャノンワイン」と云う名前の由来、そんな処が残っています。

ワインの上に「キャノン」が付き、カメラの上にキャノンが付く、そして、互いの距離が近い、ここに何か? 隠された事実が・・・???

常磐線で3つ隣の取手にある、カメラの「キャノン」と同じ名称が気になるのです。まぁ、直接的には関係無いと思うのですが・・・・・・。

合同酒精と云う酒造メーカーが、今でも、“蜂印香竄葡萄酒”“電気ブラン”“ハチブドー酒”の製造販売をしているのです。

なんやかんやと、いろいろあり、未だ、未だ、話は続くのですが、本日は、都合により、中途半端ですが、兎に角、今日は、ここで終わります。


それでは、また明日。


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牛久を歩く “蜂印香竄葡萄酒”とは?

2009年01月30日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

いよいよ、記念館に入ります、兎に角、真っ暗、写真は明るさを調整してあります、実際はもっと暗いのです。

入ると右方向に大きなワイン貯蔵用の樽が両脇に並んでいます。何となく、甘い香りが漂っていたような、いなかったような・・・・・・。


正面突き当たりを左、二階に上がる階段があります。


上がると、また突き当たり、踊り場を左です。


この階段を上がると展示室、


暗闇の中に並ぶ樽の前を通り抜け、周りの壁は煉瓦造り、木製の階段を上がり、暗闇の中に浮かび上がる、レトロ感たっぷりのポスター。

もう、気分は、明治そして大正に。この髪型は、もしかして? あの“二百三高地髷”では? たぶん、そうです。


それにしても、ポスター左肩の“蜂印香竄葡萄酒”の「竄」が気になります。「竄」は「改竄」の「竄」で良い意味では使われません。
       
香りを改竄した葡萄酒? 展示室の説明で、そのうち「竄」の真相が明らかになるかも?

それで、展示室ですが、中年前期の男と女、平日の午後、二人の様子から観光客ではありません。


何か仕事で近くに来て、帰りにちょっと立ち寄った雰囲気。二人は直ぐに居なくなりました。

私が、パチパチ写真を撮るのが気になる様子でした。暗闇の仲、怪しい二人連れ、何か、もしかして、只ならぬ仲?・・・・・・考えすぎ?


こちらの方こそ、シャトーカミヤの創設者“神谷傳兵衛さん”です。神谷と云えば、浅草の“神谷バー”もこの人が開いたのです。


神谷バーと云えば、“電気ブラン”です。それもこの方が造ったのです。日本に洋酒を広めた方なのです。

神谷傳兵衛さんは、安政3年(1856年)に現在の愛知県幡豆郡一色町で生まれたそうです。

傳兵衛さんには「天性の商才」があったそうで、24歳のとき浅草に「みかはや銘酒店」という、にごり酒の一杯売りを開業したそうです。

安い酒の一杯売りはこの方が最初に始めたらしいです。そして、洋酒が好まれ始めると、今度は、葡萄酒に「目をつけ」たそうです。

展示室には、まだまだ、いろいろとあります。

この続きは、次回とします。


それでは、また来週。


※それで、ちょっと追記なのですが、話は変わりまして、今週27日のアクセス数が何と“638”もあったのです。

もしや、このブログも遂にブレークしたと思ったのですが、翌日が“220”で、昨日が“171”で、徐々に平静さを取り戻しています。

ブレイクしたのは、去年の10月27日に書いた「朝の連ドラ“だんだん”慣れてきました」に、“569”も集中していた事が原因でした。

どこで、何が、あったのでしょうか? それにしても、その時に覗いた人は、その時だけだったようです。

それにしても、27日は、ブログを始めて3年目にして、ランキング“512位”に登場したのです。ランキングは1000位までが表示されるのです。

兎に角、「一度はランク入り」と思っていたので、それなりに、そこそこ嬉し事件でした。

世の中で話題になっているネタを扱うと、アクセス数は確実に増えます。でも、やはり、自分の好きな事を取り上げるのが一番楽しいのです。

いつの日にか、“地味ネタでランク入りを”と思う、今日この頃です。

そんな、こんな、でした。

                以上


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牛久を歩く “シャトーの煉瓦!煉瓦!煉瓦!”

2009年01月29日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

記念館の見学です。


こちらは記念館脇にある“ワイン販売所”です。帰りに覗くことにします。


いいですねェ~、ホント!赤煉瓦は、落ち着いちゃいますねェ~。


窓の上の“アーチ”の曲線がいいです。このアーチを造る時は先ず木枠を組み、その上に煉瓦を並べて組み上げるのでしょうか。


記念館ですが、煉瓦造りが気になります、入る前にちょっと外回りを見学したいと思います。


半円の窓、白い木製の窓枠、外壁の煉瓦と、窓枠周りの煉瓦の色が異なります。材質が違う? 焼きが違う? 製造年代が違う? 

それとも、デザインにメリハリを付ける為に、意識的に異なる色合いの煉瓦を使った? 

それとも、煉瓦を焼く、時間、温度の差が、年代を経て色の変化に差を生じさせた?


まぁ、細かいことは、と云っても、細かいことが気になったりして・・・・・・。


見て下さい、窓枠のコーナーからひび割れが!


記念館よりも、販売所の建物の方が傷みが酷いようです。100年以上も耐えてきたのですが、明らかに差が生じています。

これは、煉瓦の違い? 煉瓦職人の技能の違い? それとも、もしかして、建物の方向の違い?

そう、方向かも知れません。記念館と販売所は建物の長手方向が90度異なるのです。百年の間、何度も地震で揺さぶられ、震動方向での有意差が生じた?

兎に角、記念館の看板です。


ワインの貯蔵用の樽の出入り口の大扉。


煉瓦に緑が似合います。


換気と採光ですかね。


鉄枠は最近取り付けたのでしょう。観光客の落下防止でしょう。


底は、薄暗く、じめじめしてシダが生い茂り、怪しさ、危なさが漂っています。


これも通風口?


昔は、ガス灯? アーク灯? それとも、灯油? 


灯油と書いて、この歳になって、恥ずかしながら、始めて気が付きました。“灯油”とは、照明用としての、“灯す”油だったのです。

現在、灯油は暖房用です。我が家でも灯油ストーブを使っています。18リットルで990円です。リッター55円。

話が日常雑事的方向に逸れてしまいました。記念館の見学は次回とします。


それでは、また明日。




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