歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「全スト!?」と「燕楽」の「豚カツ」

2007年02月16日 | 食事の話し
以前、浜松町、新橋周辺を歩きました。

私が高校を卒業して、最初に就職した会社があるのです。今から40年も前の事になってしまいました。以前に触れたことのある「エレベーター」の会社です。

その日、浜松町の駅を降り、当時の経路で会社まで歩いてみました。
「貿易センター」の前を通り、大門方向に向かって歩いていたら、懐かしい「店」が「当時のまま」であったのです。

その「居酒屋」を見て、当時の事を思い出したのです。それまで、まったく忘れていました。店の名前が「秋田屋」だった事は覚えていません。しかし、この場所、この外観は「間違い」ありません。この店です。

「そうだ、ここで、何回か飲んだ事がある」そう思ったのです。一階が「立ち飲み」で、二階が「テーブル席」だったような気がします。いつも、二階で飲んでいました。

そう。ここで飲んで居て、話しの流れで「松戸」の「ストリップ」を観に行こうという話しになり、酔った勢いで3人そろって松戸に行った事を思い出しました。

その時、同期の新入社員2人と、松戸から通っていた「30代前半」の先輩社員の3人で飲んでいたと思います。その日は、その先輩の家に泊まったような「気が」します。当時、私は赤羽に住んでいました。

その先輩は、協力工場の「娘さん」と結婚して「間もない」頃だった「気が」します。家は「工場」の敷地の中にあったような「気が」します。そうだ「婿養子」だとか云ってた「気が」します。

全てが「ぼんやり」とした「曖昧」な「記憶」しかありません。遠い昔ですね。

しかし、そうです。ストリップが所謂、「全スト」と当時云われた「形式」だったことは「鮮明」に記憶しています。当時「うぶな18歳」でしたから、「全スト!」は衝撃でした。


秋田屋を過ぎ、交差点を渡り、愛宕警察の方向に向かいました。途中は裏通りを歩いたのですが、辺りの町並みは全く変わっていました。

「日本赤十字」の本社ビルは建て替えられていました。あの当時は広い庭が建物の前にあり、「赤レンガの建物」だったような気がします。

古い建物の写真が「ネット」で見つかると思い、検索したのですが、見つかりませんでした。現在の建物は、1977年完成となっており、30年も前の建物でした。そんな風には見えなかったけど・・・・・・・。

愛宕警察署も新しいビルに建て替えられていました。


当然、二階建ての「会社」も新しいビルに変わっていました。

会社も、周囲の景観も当時とは全く様変わりです。そこで、次に、そう!「食い物」です。

そう「豚カツ」です。豚カツを専門店で食べたのは「その店」が始めてでした。それまで「豚カツ」は、お肉屋さんで揚げた物しか食べたことが無かったのです。

それでも大変な御馳走でした。会社の近くの「豚カツの専門店」で、始めてべた豚カツの旨さにビックリしました。 牡蠣フライを始めて食べたのもその店です。

その店は、直ぐに見つかりました。会社から5分位の距離です。

この店です。当時のままです。まったく変わっていません。「豚カツ定食」が、「豚汁」と「キャベツにポテトサラダ」が付いて「500円」でした。

給料が2万6千円でしたから、かなり「高価」な昼食でした。それでも、週に3回は食べていた記憶があります。ホントに旨かった。

この店は、この頃「それなり」に「有名」だそうです。しかし、有名な割には「建物」が、40年以上「そのまんま」とは「何か不思議?」です。利益度外視で「美味しい豚カツ」を「追及し続け」ているのでしょうか?

「豚カツ」を「夢中で食べる」年齢は過ぎました。今までは「カツ」と云えば「ヘルシー?」な「チキンカツ」が専門になりました。チキンは「安く」て「柔らかく」て「美味しい」です。


今晩、久ぶりに「豚カツ」にと思ったのですが・・・・・・。
やっぱり。「チキンカツ」にします。身体に良さそう何で・・・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大盛りパスタと宇宙飛行士 毛利衛さん

2007年01月21日 | 食事の話し

スパゲッティーを「お腹いっぱい」食べたくなる事があります。

昨日、つくば市に行って来ました。久ぶりに歩きました。市街外れの「赤塚公園」から、中心部の「中央公園」の先のにある「松見公園」までの往復です。

つくば市の中心部は、「東大通り」と「西大通り」の2本の幹線が平行に走る。「梯子」のような「長細い街」です。その梯子の中央を「人」と「自転車」の専用の道が通っています。

「専用道」は「赤塚公園」から始まり、「二宮公園」、「洞峰公園」、「中央公園」を通り、「松見公園」が終点です。その先は「筑波大」の構内に入って行きます。

赤塚公園の駐車場を「9時半」に出発し「時間調整」の為、途中「洞峰公園」を一周。

この日は曇りで「気温」が低く、散策する人は「疎ら」でした。赤茶の「アンツーカー」見たいなものは、ジョギング用の「クッション性」のある「舗装」です。

公園の整備、街路樹の整備、広い道路、「お金」がかかっています。これって中心部だけですけどね。つくば市は「周辺部」と「中心部」の格差が大きいですね。


市街中心部にある「つくば国際会議場」です。立派な建物です。維持管理費が大変そうですね。

今回初めて中に入ってみました。お金がかかっています。一階から四階までの「吹き抜け」は、「スッゲー」開放感です。


この彫刻は「テーマ」が「髪」となっていました。最上階のホールにあり、周りをガラスに囲まれ、椅子に座るポーズから直ぐに、「女湯で髪を洗う女性?」を連想しました。そう見えませんか?

きっと「有名」な「彫刻家」の「作品」なのでしょうね。

せっかく来たので、メインホールを見学しょうと思ったのですが、入れませんでした。受付の女性に聞いてみました。

「事前連絡を頂ければ、全館ご案内致します」との回答。「まぁ。そういうことですよね」と思いつつ外にでました。大変に立派な建物でした。

ほんとに「寒かった」です。昼も近いと云うのに、人が歩いていません。

西武デパート前です。「メリーゴーラウンド(無料)」は「人影もまばら」で寒そうです。


そろそろ「昼食」の時間、私の「頭の中」で、「葛藤」が始まりました。
『今日は歩いたのだから大丈夫』『いや。「あれは」絶対食べ過ぎ。ダメ!』

「大丈夫!」、「ダメ!」。「大丈夫!」、「ダメ!」を「繰り返し」ながら、「松見公園」に向かいました。

しかし、公園に到着すると「大丈夫!」が「勝って」いました。足は迷いもなく「その店」を目指していました。「ダメ」は完全に消えていました。


その店は、公園の側にあります。「大盛り」で「有名」な「イタリヤ料理」の店です。これまで、3回入ったことがあります。2回は配偶者と一緒でした。最後に入ったは「3年」前です。

店内はカウンター席に「先客」の男性が一人新聞を読んでいました。12時過ぎなのに空いています。私もカウンター席に座り、迷わずトマト味の「アラビアータ」を注文。

注文を待っている間に、三組7人の客が入ってきました。以前より少ないです。寒さの影響でしょうね。

これが、その「大盛り」の「アラビアータ」です。写真では「実感」し難いのですが、「普通の店」の「2倍以上」あります。「てんこ盛り」です。


食べ始めて、最初の5分は「ほとんど」「量」が変化しません。


7分経過。


10分経過


12分で完食です。


満足しました。しかし、以前より「満腹感」が少ないのです。
「何故なんだろう?」「どうしてなんだろう?」と考えました。直ぐに答えが出ました。これまで、「配偶者」の分も食べていたのです。

味、ボリューム、値段(¥850)、満足でした。会計を済ませようとレジ前に行き、何気なく、レジ後ろの壁に目をやると「これ」があったのです。

こんな所に、「あの毛利さん」が居ました。「日本初」の「宇宙飛行士」、「毛利衛」さんです。あの方も、ここで「大盛りパスタ」を食べていたのです。

「宇宙開発事業団」の「訓練センター」が近かいのです。「いろいろなもの」が「つくば」にはありますね。

帰りは「腹ごなし」の為に、脇道に入ったりして、赤塚公園の駐車場に戻ったのは2時半でした。

良く食べ、良く歩いた一日でした。久ぶりの「歩く・見る・食べる・そして少し考える」でした・・・・・・。少しも考えなかったか?


さぁ。今夜は「宇宙遊泳の夢」でも見るか。。。。。。 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハムカツ」か? 「ハムフライ」か?そして中身はソーセージで公取委の見解は?

2006年12月05日 | 食事の話し

「ハム」を薄くスライスして、小麦粉を付け、溶き卵に浸し、パン粉を付け、油で揚げたものは、「ハムカツ」なのか、それとも「ハムフライ」なのか、現在にいたるまで、その呼称問題に決着がついていない。


【銀座の銚子屋はハムカツ派 コロッケ・ハムカツともに130円高い】


最高裁も、公正取引委員会も、この問題に関しては沈黙している。両者共に内部で密かに「カツ派」と「フライ派」の暗闘が続いているのかもしれない。

ここまで書いて、重大な「疑惑」を見逃していた。両派ともに明らかなる「材料詐称疑惑」が存在するのだ。

冒頭に「ハム」を薄くスライスしてと書いたが、材料は「ハム」ではなく「ソーセージ」がほとんどである。この材料詐称について、公正取引委員会の見解は一度も公にされていないのだ。


【銀座の先、月島はハムフライ派 コロッケ74円 ハムフライ53円庶民的】


何故か? 「ソーセージ」の方が旨い。そして、価格に大きな差がない、「ハム」も「ソーセージ」も「材料」が同一であり、違いは「加工方法」だけであり、世間一般に周知した事実として、認知しているからであろう。

最初はハムを使用していたが、たまたま「ソーセージ」使って揚げたら旨かったので、そのまま「ハム」としたたのではと推測する。それに「ソーセージカツ・フライ」では語呂が悪い。


それで、話は戻って「カツ」か「フライ」であるが、広辞苑では、

「フライ」・・・・・・ふつう肉・魚介・野菜などに小麦粉・溶き卵・パン粉の衣をつけて揚げた料理をいう。

「トンカツ」・・・・・・豚肉のカツレツ。

かなりあっさりとした説明です。岩波文化には馴染まない分野ですかね。
「フライ」の中で「肉・・・牛、ブタ、鳥」のフライを「カツレツ」と云う。そんなところですかね。

ビーフカツレツ、ポークカツレツ、チキンカツレツ。「カツレツ」では「滑舌」が悪いので、「カツ」とだけ云われるようになり、「ポークカツ」では「重量感」ないので「豚カツ」と云われるようになった。  久ぶりの「スルドイ推理!」

それで、「カツ」と「フライ」のどちらが正しいかの話しでしたね。

ここでの「キーポイント」が、先ほどの「重量感」なんです。牛肉、豚肉、はやはり「重量感」があります。総菜界の「ヘビー級」です。鶏肉は少し下がって「ライトヘビー級」ですね。

ここで「ハム派」の総菜屋さんは、牛肉、豚肉、鶏肉に対して、豚肉の加工品に「カツ」の名称を付けるには抵抗感があり、「ハム」という食品の「軽量感」から「ハムフライ」と付けたものと推測します。  これもスルドイ!

よって、「ハムフライ派」の店では、コロッケの価格よりも「ハムフライ」は下にあります。

しかし、「フライ派」である月島の総菜屋の「レバーフライ」の価格設定は変です。コロッケよりも高く、ハムの2倍もするのです。私としては、いや世間的評価においてもレバーはハムの下です。

話しがそれてしまった。
「カツ派」は単純に、ハムは「豚肉」の「加工食品」であるとして、「ハムカツ」としたのでしょう。しかし、我々の世代にとって「肉」と云う言葉は「重い」のです。軽々しく、純粋な肉と「加工食品」の「ハム」とは同列に扱って貰いたくないのです。

ハムは「鳥肉」の「ライトヘビー級」よりも軽い、「ミドル級」です。レバーは更に下の「ウエルター級」です。

結論がでました。
「ハム」を薄くスライスして、小麦粉を付け、溶き卵に浸し、パン粉を付け、油で揚げたものは、「ハムフライ」が正しい「呼称」と決定しました。

これにより、今後は「ハムフライ」と統一するように「総菜業界」に対して強く働きかけていく所存です。  だれが 


こんな事を書いていたら、むかし食べた「クジラカツ」が食べたくなってしまった。クジラは鳥肉よりも上で「クルーザー級」です。

最近、クジラ肉が安くなったらしいので「鯨カツ」を作ろう 


それでは、鯨カツの夢を見るの楽しみに!  


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀愁の町に漂う「煎餅」の香り

2006年12月02日 | 食事の話し
西新井大師は哀愁の町なんです。
お大師様の「本殿」に佇む二人のお婆ちゃん、この光景が「哀愁」です。そう思いませんか? まァ。私がそう思えばそれでいいのです。


そして、哀愁の町には誰が何と云っても「お煎餅」の香りが似合うのです。


どうです。この哀愁のある店の佇まい。


そして、車の付いた「移動式陳列ケース」の時代を感じさせる外観。
少し見にくいのですが、下の鉄枠の塗装の変色と、剥げて露出した箇所の赤茶けた錆び具合が「哀愁」ですね。
となりの丸いガラス瓶にも「哀愁」があります。

「お煎餅屋」という業種そのものに「哀愁」がありそうです。醤油の焼けた「香ばしい」匂いに哀愁が隠れています。

この写真は、都電三ノ輪橋駅前のお煎餅屋さんです。看板にある「草加」のあとの4文字で「せんべい」と読ます。不思議な文字です。


商品ケースの台が「石積み模様」がとてもいい。より「哀愁感」が増します。ここにも丸いガラス瓶がありますね。


これは根岸のお煎餅屋さんです。「根岸」という「文字」そして、「根岸」という言葉の響きに「哀愁」があります。


お煎餅の香りは、醤油の焼けた匂いですね、日本人には堪りませんね。以前、旅行の途中で、トイレを借りたスーパーの駐車場で、「焼き団子」を移動式の屋台で売っていて、お腹は空いて居なかったのに、匂いに釣られて買ってしまったことがあります。

この匂いの系列に、焼き鳥、鰻の蒲焼きがあります。「甘辛いタレ」の焦げた匂いも堪らないです。

そして、この系列の端っこにいるのが「大学いも」です。少なくなりました。揚げたサツマイモに、水飴の中に砂糖と醤油を混ぜた「タレ」をコーティングしたのが大学いもです。

※大学イモは大学の近所で売り出して、当たったので「大学イモ」らしいです。その大学は東京大学とも云われています。


一時、大学いもの「チェーン店」を見かけたのですが、いつの間にか消えてしまったようです。大学いもには「チェーン店」形式で全国展開するほどの「需要」はないでしょう。

やはり、「大学いも」は「ひっそり」と「地道」に、「細々」とが似合います。これも「哀愁」ですね。


店の佇まいも、「大学いも」商うのにぴったりです。場所も台東区「竜泉」です。近くに「一葉記念館」があります。場所にも「哀愁」があります。


一葉記念館で思い出しました。最近、立て替えられて「新規開店?」したそうなので、近いうちに様子を見てこようっと。


これは、立て替え工事が始まった頃の、今はなき「旧一葉記念館」です。貴重になりました。

やっと「風邪」が直り、平熱に戻りました。 

今晩は、クスリじゃなくて「焼酎」 飲んで寝よッ   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十割の「田舎」そばを「食べて」・「しまった!」

2006年11月06日 | 食事の話し
周囲、数キロ四方に立てられた、「店名」の無い「十割そば」の「看板」に釣られて、ここまで来てしまった。そば屋に入ってから「しまった!」と思ったが遅かったのです。

「十割そば」とは何か、混ぜも物なし「生(き)そば」ですね。そう言えば昔のそば屋の看板には、必ず「生そば」の表示がありました。

公正取引委員会がうるさいので、「不当表示」にあたる「生そば」の表示が、看板から消えてしまったのでしょう。

そのような中で、「十割そば」の看板を出すことは、それなりの「効果」があるのでしょう。
事実、またしても、過去の経験を学習せず、十割そば屋に入ったしまった「私」がいるのですからね。

それも今回は、「十割そば」に加えて「田舎そば」だったのです。
何故にそのような、二重の過ちを犯してしまったのか、帰宅後、深く深く反省しつつブログを綴っております。


この日は、そばを食べる前段より、やがて訪れる不幸を予感させる事件が発生しました。  入り口のところで「蜘蛛の巣」に引っかかってしまったのです。「野趣」溢れる、雑草混じりの「エントランス」

先客がいるのに「何故?」と思いつつ、頭に付いた蜘蛛の糸を取りながら店に入りました。

店内は薄暗く、床は土間になっていて農家の納屋のような雰囲気。入った瞬間は「わび・さび」を演出したのか思ったのです。

しかし、ゆっくりと、店内の様子と眺めて見ると、天井の梁、壁、窓ガラス、等が、埃っぽく汚れているのです。計算された演出の結果ではなく、単に手入れの悪い「ある意味」で、まさに「リアル」な農家の納屋状態なのです。

店のおばさんも、服装、接客態度、言葉使い、まさに「リアル」農家のおばさんでした。 



私は「田舎そば」、配偶者は「鴨汁そば」を注文。
「田舎そば」は、まさに「太く・不均一」なソバでした。
「鴨汁」も「田舎鴨汁」でした。

「田舎そば」の「田舎」は何を意味するのか、私の経験からすれば「太く・不均一」な「そばの切り方」でしかないとの結論です。

全国のそば屋は、「大雑把・粗雑・いい加減・適当」なソバのことを差す「名称」として「田舎」を使っているのです。

いやそうではない。「不均一」のなかに、「素朴」さを表現しているとの主張もありますがね・・・・・・。

私も、「田舎」には「素朴」を感じますが、「太く・不均一」なソバを「よく何回も噛んで」思い浮かぶのは「大雑把・粗雑・いい加減・適当」の言葉です。

「十割」と「田舎」は、やはり私にとっては「鬼門」であった。
それに、ここでは「うどん」もやっているのです。

それと、「鴨汁そば」は普通の町のおそば屋さんが使っている。業務用の「レトルトパック」の方が鴨肉(合鴨)が汁に長く浸かっている為に美味しいですね。

きょうの結論
全国の「田舎」のみなさん。全国の多数のそば屋では「田舎」を「大雑把・粗雑・いい加減・適当」の代名詞として使っています。
至急、全国的な大抗議行動に立ち上がりましょう。 




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堀之内のお祖師様・帝釈天・ まん月の狸

2006年10月24日 | 食事の話し
先日の日曜日に、お墓参りに行ってきました。
杉並の堀之内です。

朝が遅かったので、2時過ぎに昼食を摂りました。
そば屋を探して、妙法寺周辺を歩いてみたのですが、そば屋は見つかりませんでした。

環七を越え、はじめて「帝釈天通り商店街」を歩いてみることにしました。商店街が終わりかけ、引き返そうと思った時です、前方にそば屋らしい「暖簾」が揺れているのが見えたのです。

「もしかして」と思い、近づいてみたのです。「そば」の文字が眼に入りました。「ヤッター」と思いました。

店内に入ると「おッ。なかなかの店ではないか、これはもしかして当たりかな」とインテリヤ・照明・店員の服装から、そう思ったのであります。

半端な時間なのに、そこそこ客が入っていました。
先ずはメニューを拝見。配偶者は「冷やしタヌキ」、私は「辛み大根そば」を注文。この日は暑かったですね。

しかし、しかしですね、二つ先の席で食べていたのは、何と「鍋焼きうどん」同年配の夫婦です。かなり「夫婦関係」が「冷え切って」いるのか?

そうです。「うどん」を商っている「そば屋」なのです。

私は配偶者に言いました「ここのそばは、あまり期待できないねかもしれない」
配偶者は「もォー。食べる前にそんなことを言ってェ」と注意されたのです。

10分ほどして注文したそばがテーブルの上に置かれました。
見た瞬間、これは「もしかして当たりかも?」と思いましたね。

「そば」は細く、角がキッチリ出ていて、表面が艶やかに輝いていました。
一本、口に入れました。堅さが「グット」でした。
箸で摘むと、そばの香りがしてきたのです。店の貼り紙にある「新そば」に間違いない。

「そば粉」グット。「打ち・切り」グット。「茹で」グット。 トリプルグット
「つゆ」を浸けて、先ずは最初のひと啜り「つゆ」も「甘さ・辛さ・旨味」グットでした。

それに加えて、そばの量もグットでした。この手の店は量が少ないのです。
いつもは「大盛り」なのですが、この日は「大盛り」にするのを忘れていたのですが、まったく問題ありませんでした。

確かに、「旨い」そば屋はあります。
近くにある環七沿いの「田中屋」は旨い。けれど高くて量が「極端」に少ないのです。価格と量から比較して、通常の4倍ですね。
まァ。「そば」を「味わう」のではなく、「高級感」を「味わう」店です、ああいうお店は、たかがそばですョ・・・・・・ねェ。

「威張るな!ぼるな!」有名店!!!・・・・・・関係ないか。 


 ※この日は、デジカメを持っていかなかったので、携帯で撮りました。
       

そうだ。ここまで店名を書いていなかった。
店の名前は 「まん月」です。

お墓参りコースに入れる事に決定  

美味しい「そば屋」を発見し、いいお墓参りになりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀座チョウシ屋のコロッケパンと林家「こぶ平」師匠 その2

2006年10月22日 | 食事の話し

それで、そのコロッケパンなのです。見た目ボリューム感はOKですね。

コロッケの味は「う~ん、まァ~そのォ~、合格点かな」期待を裏切らない味でした。

コロッケパンは庶民の味ですから、そう「ぶったまげる」美味しさではないですからね、美味しさに「感動」・・・ということはないですけどね。

それとですね、銀座3丁目と聞いていたので、それなりの構えの店と思っていたのですか・・・・・・。

同じ、庶民の食べ物を商う、「漬け物、佃煮」の店のなかには、ピカピカで豪華な店構えのビルの一つも建っていますが、やっぱりコロッケ屋は「利幅」が少ない?

贈答品・東京みやげ・地方発送・全国展開とは行きませんよね、コロッケパンは、裏通りでひっそりが似合いますね。
表通りのピカピカ豪華なお店で「コロッケパン」を売っていても、買わないよね、きっと。

「コロッケパン」は裏通りで「ひっそり」と商うものなのですね。
そうです、そこでなんです。

そこで、そこでですね「こぶ平」師匠の話です。
「正蔵」襲名の前にですね、お合いして話しをした・・・・・・訳ではなく、タダ、テレビでしゃべっていたの、ビールを飲みながら聞いてただけなんですが・・・・・・。

そう「裏通り・ひっそり」の「青木屋のコロッケパン」のことなんです。
師匠は『ここのコロッケパンは旨いよ』と言ったのを聞いたのです。

そして、私は直ぐに「青木屋」の「コロッケパン」を食べにに南千住に行ったのです。
しかし、しかしです。青木屋には裏切られました。いや「こぶ平」に裏切られました。

青木屋のコロッケパンの「ポテトコロッケ」がいけませんね。
私的には「コロッケ」として認めることにはできません。

『断じて出来ないのです!!』そんなに「リキ」まなくてもいいのですが     

青木屋のコロッケは「マッショポテトのパン粉揚げ」でした。
じゃがいもを「擂りつぶした」だけの味しかしませんでした。「純粋ポテトコロッケ?」「プレーンポテトコロッケ?」と呼ぶべきものです。

しかし、後で家に帰って考えたのです。
あの、食い道楽のおぼっちゃま゛こぶ平゛師匠が、全国のコロッケパンを食べ尽くし辿り着いたのが、青木屋の「純粋ポテトコロッケパン」ではないのか?

あの「こぶちゃん」いや。「正蔵師匠」が「旨い」と仰ったのですから、あの味こそが「究極」の「ポテトコロッケ」ではないのか、あの味が判らない私こそ、修行が足らない未熟者であると・・・・・・・。

「庶民」の食べ物・・・・・、「おやつ」として、ご飯の「おかず」として、ビールの「つまみ」として、最近では、「そばのタネ」として・・・。

コロッケは最高です。


いつか、青木屋のコロッケを食べて「旨い」「感動した」と言えるように頑張る所存です。 

寄席の客席で、青木屋のコロッケパンをかじりながら正蔵師匠の落語を聞いている客がいたら、それが私です。

今日の結論
「コロッケパン」は青木屋に始まり、青木屋で終わるのだ!!!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀座チョウシ屋のコロッケパンと林家「こぶ平」師匠 その1

2006年10月21日 | 食事の話し

コロッケパンが大好きなんです。

先日、歌舞伎座の裏手にある「チョウシ屋」に行ってきました。
昼休みが終わる一時ちょっと前だった為、店に客は居ませんでした。

下の写真は帰る時に撮ったものです。数分で行列できていたのです。
有名店なんですね。


創業昭和2年と書いてありますね。と言うことは、昭和2年だから25プラスして27だから、西暦1927年だから、2006-1927だから、答えは、今から79年前ですね。
うーん。79年コロッケ作っていたのか・・・・・・・。

しかし、コロッケ屋として79年ではなく、「肉屋時代」があり、「肉屋と総菜屋の時代」があり、「総菜屋とコロッケパン屋の時代」とそれなりの時代の変遷があったのでしょう。・・・・・・・私の勝手な推測です。


その日は、コロッケパン1個、ハムカツパン1個の計2個、440円を使いました。まぁ、価格としては問題はないでしょう。
「おかず」としての単品価格は都内の一般的価格と比較して2~3割高いですね。兎に角、天下の銀座、それも3丁目ですからね。


店の外観、店内の様子は、南千住の商店街の総菜屋さんとかわらないです。
しかし、さすが創業79年「チョウシ屋」特製の「コロッケ・トンカツソース」を置いているのです。
しかし、その特製ソース(150円と300円の2種類)なんですが、明らかに普通のソースに、「ちょうし屋」のラベルが貼っただけに見えますね。

それと、それとですね。
ソースの下にある、「福神漬け」「リプトン紅茶」「サッポロ塩ラーメン」が並んでいるのです。
どういうコンセプトでの品揃えなのか? 摩訶不思議です。


   ここで    です。

            続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満員電車と王子アーチ橋と居酒屋ランチ

2006年10月11日 | 食事の話し

先日、都電に乗って王子に行ってきました。最近はよく都電に乗ります。いわゆるマイブームです。

都電の車両は、前方の運転席の横に乗り口があり、後方に降り口があるります。その日は始発駅からほぼ満員で、二停留所先の「荒川区役所前」で満員になりました。
最後に乗り込んだ70代の老夫婦が、次の停留所「荒川二丁目」で降りる相談を始めたのです。車内は一杯で降り口まで到達するのは不可能な状況です。旦那の方が、運転士に話しかけたのです。
「降り口に行けそうにないので、この乗り口から降りていいですか?」と聞いたのです。

私は、何て答えるのか耳を澄ましました。(私は運転席の右後方にある空間にいつも立って乗っています。前方の景色を見ながら乗るのが好きなので)

すると、運転士が
「乗り口から降りる事はできません。規則ですから!」と冷たい口調で事務的に答えました。

老夫婦は一瞬困った表情をしました。
しかし、その後で
「乗り口から黙って降りられたら、どうする事もできないよなァ」と呟くように言ったのです。老夫婦は顔を見合わせ軽く頷きました。

次の停留所に着き乗り口が開くと、二人は黙って降りて行きました。運転士は何もなかった様に、真っ直ぐ前方を見つめていました。

いいんだよなァ~こういうのって、嬉しくなるね。

アッパレ ~ !!! (^_^)/ 東京都交通局の運転士さん

それで、それでなんですが。その日、音無橋を見て、以前に住んでいた赤羽まで歩き、駅前の商店街を散策して、赤羽駅から京浜東北線に乗り上野駅に戻りました。

下の写真が音無橋です。鉄筋コンクリート製の「アーチ橋」です。リベット橋とは違い、「のっぺり」としています。それでも、アーチ橋はベストフォルム!!!


下の写真は、名主の滝公園の前にあった「居酒屋」で食べた昼食です。
メインのプレートにのっているのは、2枚のチキンカツ、目玉焼き、ポテトサラダ、ブロッコリー、右上端は納豆、左上端は竹の子の煮物、ほうれん草のお浸し、みそ汁の右上にある小皿には、胡瓜と大根のヌカ漬け、黄色い物はデザートのパイナップルで、みそ汁の具は「ナメコと豆腐と三つ葉」でした。これで「650円」でした。
美味しかった。超リーズナブルなランチでした。



楽しい一日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉野家の「牛丼」に対する「大きな疑問」

2006年10月10日 | 食事の話し
私は、20代の頃から吉野家さんにお世話になっています。
当時、私にとって牛丼はご馳走でした。カツ丼も好きなのですが、牛丼の倍の値段で滅多に食べることはありませんでした。
給料日に「豪華フルコース」を食べるのを楽しみしていました。
フルコースとは「ビール、牛丼大盛り、玉子、サラダ、みそ汁」の豪華4点セットです。

いつの頃からか「大きな疑問」を抱くようになりました。
それで。いつの頃からか?・・・・・・思い起こせば30代の後半に入って、それまでの「大盛り」から「並盛り」を食べる比率が高くなった頃だと思います。

50代の半ばを迎え人生経験もそれなりに積んだ現在、そのおおきな疑問は「大きな確信」へと「昇華」したのであります。 

大きな確信とは何か?
それは、牛丼業界を震撼させ、牛丼業界の将来を決定づける、BSE問題をも越える大問題であると認識しています。

そう。それは、牛丼「並盛り」は牛丼ではないという決定的な事実です。
何故?「徳盛り」「大盛り」には問題はなく、「並盛り」だけが問題なのか?
そう。それなんです。並盛りの「器」に問題があるのです。

並盛りの器は「どんぶり」ではないのです。
「どんぶり」と呼ぶには小さい!!! 断じて小さいのです。
丼と呼べない器を使用するのであるから、牛「丼」と呼んではならないのです。

「どんぶり」と呼べるのは、直径が140㎜以上の「飯盛り茶碗」の一般的、歴史的、慣習法的な呼称なのです。

そんな寸法規格があるのか? そう。日本工業規格JISにある・・・・・・と言いたいのですが、残念ながらありません。

ただ。私の調査結果より、丼の直径はすべて140~150㎜でした。間違いありません。調査は我が家の食器棚の奥で眠っていた丼に基づくものです。資料数は5個と少ないですが・・・・・・とにかく間違いありません。

測定値も重要ですが、手に持った重量感こそが大切だと考えます。
明らかに「並盛り」は重量感が不足しています。直径は未確認ですが、明らかに体感的に140㎜以下です。 近く実態調査を行う計画です。

今日の結論 

吉野家の「牛丼並盛り」は「丼」を使用していないために、牛丼とは呼べない。

※何処かの吉野家で「並盛り」の「器」を測定している「あやしい男」がいたら、それは私です。

※この写真は「豚キムチ丼」の大盛りです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする