歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

湯西川温泉 ⑤ “茅葺き”と“鉄板葺き”に思うこと

2013年06月12日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

橋が見えたので、河原に出られると思い、メインストリート?から外れて路地に入ります。この橋はかなり新しく、それなりのデザインで周囲の風景に馴染んでいます。


橋の上に出ると視界が開け、右手方向に予想外の風景が眼に入って来ました。川の畔に並ぶ古民家、一瞬、オッ!アレ?、と思いました。


一軒だけ茅葺き屋根、平家の落人村的な佇まい。これが、もし、すべての屋根が茅葺きだったら・・・、と、思ったりして。


茅葺きは葺き替え費用が高く付くので、瓦葺き風?鉄板葺き?それとも、もしかしてチタン葺き?に変わってしまったのです。鉄板葺きの家は現役ですが、茅葺きの家は現役を引退していました。


鉄板葺きは、見たところ最近改修工事を行ったようです。文化財に指定して茅葺きの改修費用をそれなりに支給して、茅葺きの風景を残せなかったの?

市にも、県にも、財政的な余裕がなかった? まあ、このご時世です、そんな余裕のある自治体などある筈もなし・・・。でも、しかし、茅葺き屋根にそれなりの価値を認めていれば、予算付けの順番を変えることも可能では? 

観光協会に政治力がない? 地元に有力な議員が居ない? そもそも茅葺きには未練がない?それは、それで、イイと思います。

何が、何でも、観光地だからと云って、観光客目当の町造りでは、とてもおかしな事に、なったり・・・することも、あったり・・・しますから。 

通りがかりの旅人が、橋の上から家並みを眺めつつ、勝手な事を考えたのでした。そもそも、茅葺きの家は住み心地としてはあまり良くない? 

兎に角、それで、右手方向から、左手方向に眼をやると、こぢんまりした温泉旅館が、


新緑に囲まれ、渓流が手に届くような露天風呂。かなりイイです! これぞ、山の温泉宿です。


遠くには吊り橋が、


目の前には藤の花、もう、癒されてしまいます。


石畳の遊歩道に降ります。

橋桁の鮮やかな“錆止め色”を眺めつつ、周囲の色彩に対して、アクセント効果があるような、ないような、良いような、良くないような、かなり微妙かも・・・、何て、温泉旅行に来て、橋桁の色に想いを馳せたりしたのです。


こちらは、どうも、現役を引退したように見える?温泉ホテル。


そろそろ、この辺で、温泉街の探索は終了し宿に引き返します。

それでは、また。


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湯西川温泉 ④ 案内図は拘りのサイン

2013年06月10日 | 旅の話し
先週からの続きです。

いよいよ宿に到着です。チェックインは3時半の予定でしたが、小雨がぱらつく天候の為、予定していた観光スポットは通り過ぎ宿に直行、30分早い到着となりました。

まぁ、ホームページで見た通りの宿です。宿の全景写真に“夜景”を掲載していたのでちょっと心配していたのです、でも、しかし、昼間の全景との落差はありませんでした。


“夜景”を使うのは、一般的に“ボロ隠し”を疑われます。飛騨高山の“合掌造り”の宣伝写真は、夜景で、しかも、雪景色が定番になっています。見られては、見えては、イケナイ!ボロを隠しのテクニックです。

チェックインを済ませ、ロビーでお茶を頂き部屋に案内されます。


窓の外は眼下に渓流、新緑に染まる山、新緑の中にうす紫の藤の花。なかなかの眺めです。


連れ合いは“お茶うけ”を頂いております。わたくしは甘い物は食べられません。時々、アンパンが食べたくなります。


夕食は7時です、時間はタップリあります。一人で温泉街の探索に向かいます。平日の為か閉館しています。まあ、こういう処は開いてても入りません。料金500円です。


我々の宿は端っこで、中心街?を目指します。ガードレールがひん曲がっています。


この辺りも山間地のフツウの風景。


山の温泉地は危険な処にあります。危険な処は自然が豊かなのです。


温泉旅館がありました。道路から玄関への導入部にいろいろ工夫がされています。


元はスナックだった?


周辺観光“サイン”ですか、外来語の一般的でない使用方法です。間違いとも言い切れませんが、適切とは思えません。

案内の略図ですから、素直に案内図とか、観光マップとか・・・、他に表現の仕方があるのに、と、思ったりして。これって、都落ちした平家の末裔的な拘り?


それで、周辺の温泉地と湯西川温泉の位置関係をを確認し、


湯西川温泉の全体像と、我が宿の位置を確認し、そうか、そうかと納得。


ラーメンもナポリタンもある温泉地の喫茶店、寂しげで、それなりにイイ風景。


ここら辺りから、それなりに温泉地の風景。


こちらは、最近新築したと思われる“おみやげ屋さん”です。店内にも、店外にも、人の気配は無し。土日、祝祭日だけの商売。


こちらもおみやげ屋さん、それなりに商売は成立するようです。


こちらのお宿、それなりの佇まい。


路地の間から橋が見えたので行ってみることに。こちらの宿、本日5組みのお泊まり。


本日は、ここまでとします。


それでは、また。



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湯西川温泉 ③ ニホンの行く末に想いを馳せる?

2013年06月07日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

東北道を“宇都宮IC”から日光宇都宮道路に入り“今市IC”で降り、鬼怒川、川治、と北上して湯西川に入る予定でした。

でも、しかし、“タンクローリー事件”で日光宇都宮道路を見失い“西那須野IC”で降り、400号線を西に走り、121号線を南下し湯西川に向かっています。


五十里湖の畔“道の駅湯西川”でトイレ休憩です。この辺りから小雨がパラツキ始めました。


休憩所の前には最近お馴染みの“足湯”がありました。今晩はタップリ温泉三昧ですから、こんなところで、足だけを温泉に漬けてたところで・・・なのです。

※携帯写真でピンボケ

それで、ここまで、予定外のコースを辿っての湯西川、わたしの頭のなかは、現在位置も、全体の位置関係も、何が?、何だか?・・・???状態なのでした。

鬼怒川、川治、五十里湖までは2~3度来ていますが、ここから先の湯西川は未知のコースです。今、地図でみると、もう、湯西川温泉へは一本道で着いたようなものです。でも、この時は、距離感も、方向感も、まったく無いのでした。

都賀西方PAから、ずっと、ずっと、姪の旦那の後に着いて行くだけで、自分の判断で走って居ないのです。すべてにおいて、他人に判断を任せてばかりいると、頭は確実に馬鹿になるのです。

暫く走ると、また、


道の駅?的な建物。でも、しかし、道の駅ではないようです。


小雨の中、一応、確認のために、私だけ降りて、辺りの様子を確認。吊り橋があったので、一応、渡ってみました。付近の住民の為にある“生活吊り橋”ではなく、観光地によくある“観光吊り橋”でした。


それでこの施設を調べてみたら、温泉浴場、食堂、売店、そば打ち体験室、パン工房、多目的ホール等々、いろいろある“湯西川水の里・くらし館”と云う名の施設です。

観光施設と、地域住民の集会所的施設の両方を兼ねているようです。観光施設は入場に500円の料金を取られます。外には足湯もあり、こちらは無料です。

この日は、広い駐車場には他の車は2台で、閑散としていました。土日はそれなりに賑わうのかも知れません。

それと、吊り橋からふり返って撮った写真ですが、ちょっと見づらいのですが、道路を隔てて、一戸建てと集合住宅が、それなりの数?で建っていて、それなりの住宅団地がありました。


山の中に突然現れた、周りの景観とはかなり隔絶された“新興住宅地”、集合住宅も、一戸建ても、同じような時期に建てられたと判断できる、同じ色彩、同じデザイン、同じ新しさで、人の匂いを感じない一画です。

調べてみたら、湯西川ダムによって水没した住民の為の代替え住宅でした。日帰り温泉施設も、ダム建設に協力した事に対する補償処置のようです。

ダムが建設に協力すると、それなりに、道路とか、トンネルとか、観光施設とか、いろいろなメリットがあるようです。

ダム建設は、防災とか、水資源とか、発電とか、その必要性は、それなりに計画当初にはあったのですが、計画から施工までの期間が、とても、とても、長すぎて、完成する頃には、世の中は様変わり、何て、事が、しばしばです。

川俣ダム、五十里ダム、湯西川ダム、この一連の開発は、そも、そも、大正時代に遡るようです。最後?の湯西川ダムが2年前に完成し、鬼怒川水系水資源事業計画は終了したようです。大正、昭和、平成を跨いでの長期事業でした。

観光客の物見遊山には、広く真っ直ぐな道路、その為のトンネルは便利だし、ダムで堰き止められ出来た人造湖、ダムの景観、ダムからの放水等々、観るのはそれなりに楽しいのです。

でも、しかし、なのです。右肩上がりの経済成長は終わってしまいました。ツケは誰が払うの?なのです。単なる経済循環であれば、もう、そろそろ、経済は停滞期から発展期なのですが、どうも、そうではないようです。

ホント、小雨降る鉛色の空の下、立派なダム、立派な道路、立派なトンネル、立派な観光施設等々を眺めつつ、物見遊山にも関わらず、日本の行く末に想いを馳せたりしたのでした。

今日は、ココまで。

湯西川温泉の宿は、もう直ぐです。

それでは、また。



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湯西川温泉 ② 日光宇都宮道路はどこだァ!

2013年06月05日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

湯西川温泉を目指し、常磐道を北上し、友部から北関東道を東北道に向かって走ります。東北道に入って、直ぐの“都賀西方PA”で、姉と、その娘夫婦と、12時±30分で待ち合わせです。

こちらが都賀西方PAに到着したのが、ほぼ予定通りの11時50分、駐車スペースを探しながら前方を見ると、姉と娘夫婦を発見。あちらは東京から、こちらは茨城から、でも、東京組が早かった。

東京組も、茨城組も、ほぼ同時刻に出発したようなのですが、こちらは少し早いかと、80~90㎞の速度で走っていた結果かも?

夕食は宿での“御馳走”ですから旅行の昼食は軽く麺類なのです。それにココは“PA”なので軽食しかないのです。都賀西方の一押しは“ニララーメン”のようです。私は炭水化物はダメなので“フランクフルトに牛乳”です。

連れは“ワカメそば”、母と姉はフツウの“中華そば”、娘夫婦は離れた席で確認はしていません。“中華そば”は、濃い味好きの母が“しょっぱい!”と云うほどの味。

私も少し食べてみたのですが、味が濃いだけでは無く、すべてが酷い! 明らかに、これは、世の中を舐めたラーメンです!言語道断!前代未聞!空前絶後!そして抱腹絶倒!の中華ソバでした。それで、それで、600円も取るのです。

今回の旅行、カメラを忘れたり、史上稀に見る中華そばと出会ったり、もう、これ以上、悪い事が起こらないことを祈りPAを後にしたのです。

ここから先は、娘夫婦の車を先頭にして、宇都宮ICから“日光宇都宮道路”に入り、今市ICで降り、湯西川温泉に向かいます。

それで、娘夫婦の後をついていったのです。途中、タンクローリーが間に割り込んで来たので、追い越し車線に出て、それなりに車間が空いたところで、娘夫婦の後方につけたら、又、タンクローリーが間に、無理やり割り込んで来たのです。

娘夫婦も気が付いて、速度を落としたのですが、タンクロリーは追い越し車線に出ることも無く、私の前に立ちはだかったのでした。

“チョット変だから相手にしない方が”との連れの言葉に従い、暫く、3台固まっての走行となりました。5~6分してタンクローリーは追い越し車線に移り、我々の視界から消えて行きました。社名も何も書かれていない“灰色のタンクロリー”でした。

そんな、こんなで、タンクロリー事件?も終わり、宇都宮ICから“日光宇都宮道路”に入入り、湯西川を目指すのですが、いつになっても“日光宇都宮道路”の看板が現れず、あれ?もしかして?と思っていたら、“西那須野IC”の標識が現れたのです。

“西那須野IC”は宇都宮ICの先です!通り越してしまったのです。でも、しかし、旅行から帰って来るまで、もしかして?もしかして?待ち合わせの“都賀西方PA”が宇都宮ICの先だったの?何て、事を、娘の旦那と話したりしたのでした。


“日光宇都宮道路”とか、“日光方面”とか、そんな標識ばかり気にして、“宇都宮IC”の文字には注意を払っていなかった事も事実です。もしかして、東北道には“日光宇都宮道路の案内標識は無いの?

でも、しかし、日本を代表する、世界を代表する、世界遺産です。“日光の文字”が東北自動車道路に無い筈はありません!きっと、“タンクロリー事件”で見落としたのです。そう云うことにします。

カメラ忘れ事件、中華そば事件、日光宇都宮道路見落とし事件、これで三件、二度あることは三度あるで、もう、これで、大丈夫です。

降水確率60パーセントのこの日、ここまで雨に降られていないのです。それなりにラッキーなのです。

兎に角、西那須野ICから、400号線で塩原経由で湯西川温泉は、コース的には間違いでもなく、それなりに妥当性のあるコースなのです。


塩原から“紅葉ライン”で川治へのコースは二度ほど走っていますが、今回のコースは始めてでした。“藤の花”が真っ盛りで山は薄紫色で、とても、とても、旅情で、日本情緒で、とても癒されました。

話しは変わりますが、あの“藤純子(ふじ・じゅんこ)”ですが、“富司純子”に改名して、読みは“ふじ・すみこ”だそうです。かなり変!

何故に、突然、“藤純子”かと云えば、昨日、映画“山桜”を観たのです。そして、再放送中の朝ドラ“てっぱん”も時々観ているのです。

昔のままの“藤純子”でいてほしい! もしかして、昔のイメージを断ち切る為の、別人としての“ふじ・すみこ”なの?

慎ましくも艶やかな藤の花を見て、昔の藤純子に想いを馳せたりしたのでした。

兎に角、湯西川温泉に向かっています。


それでは、また。


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湯西川温泉 ① カメラを!忘れたァ!

2013年06月03日 | 旅の話し
更新を暫くお休みしていました。

先週、木金の一泊で温泉に行き、その準備とか、帰って来ての疲れとか、なんとなく、更新が億劫になり“一週間のご無沙汰です”と、なったのです。

このフレーズで思い出すのは“ロッテ歌のアルバム”の司会をしていた“玉置宏”です。“玉置 浩二”ではありません。

“ロッテ歌のアルバム”・・・う~ん、懐かしい響きです。“歌謡曲”が全盛の時代でした。

それで、浩二の方は“たまき”で、宏の方は“たまおき”と、読みが異なるのです。以前勤めていた会社の同僚にも“玉置”姓が居ましたが、彼は“たまおき”でした。愛称は“タマちゃん”でした。

その“タマちゃん”ですが、歌が上手くて、一度、社内でミニライブを開いたのです。舞台をセットし、それなりの音響、照明で、ギターの弾き語りで、1時間ほどのショーを演じたのです。玉置浩二の歌も何曲か唄いました。

50人ほどの観客を、1時間ほど飽きさせず、それなりに盛り上がり、プロ並みの演奏と歌唱力でした。飲んだり、喰ったりで、手を叩いたりで、楽しいひとときでした。いい時代だったのです。

それから、5年ほどして、その会社は自主廃業となったのです。まあ、飲んだり、喰ったり、唄ったり、そんなことで社内が盛り上がっていた、そんな体質も廃業の要因だったのです。

でも、仕事は楽で、残業も無く、休日出勤も無く、面白可笑しく働けて、それなりの給料でした。それと云うのも、製品が特殊で競争相手も少なく、それなりのシェアを持っていたので、価格競争がほとんど無かったのです。

でも、しかし、特殊な製品も時代の流れで使われなくなり、売り上げは右肩下がり、それなりに新たな商品の開発も模索したのですが、暗中模索に終わり、余力を残して自主廃業の道を選んだのでした。

話しが、暗い方向に流れてしまいました。窓の外は、明るい陽ざしが輝いています。梅雨入り宣言後、旅行から帰った後、ずっと、ずっと、青空なのです。

それで、歌手?ではなく、ミュージシャン?の玉置浩二ですが、あまり印象は無いのです。玉置浩二も玉置宏も、そう言えば、もう、この世には・・・、と、思ったりしたら、浩二さんは存命でした。“桑名正博”と勘違いしで、失礼しました。

玉置浩二の顔を覚えたのは映画『教祖誕生』です。公開は1993年ですが、見たのは数年後のビデオです。かなり地味な印象で、これが?、あの?、玉置浩二?、と、思ったりしたのです。

一週間のご無沙汰フレーズで、玉置宏から、玉置浩二に、同僚だった“タマちゃん”に、話しが流れ、流れて、湯西川から離れてしまいました。

それで、湯西川温泉旅行の話しです。梅雨入り宣言があった翌日?当日?の29日、10時に我が家を出発したのです。

一週間も前から、29日、30日、は天候不順で降水確率が50~60パーセント、雨を覚悟の出発でしたが、午前中は時々青空が見えたりしたのです。

常磐道を北上し、友部で北関東道に入り、暫くして前方の雲間から青い空が見えた、その時、“あッ!”と、叫んでしまいました。“カメラ”を持って来るのを忘れたのです。

青い空を見て、撮りたい!と、思ったのです、カメラを持って来なかったことに気付いたのです。

隣りに座る連れあいが、“えっ!なに?どうしたの?そんな声を出して!ビックリするでしょう”と、云われたのですが、直ぐにはカメラを忘れたとは云えませんでした。

一呼吸置いて、“実は・・・、カメラを・・・、バックに・・・、入れるのを・・・忘れた”たと呟きました。

我ながら、情け無いと云うか、バカバカしいと云うか、恥ずかしいと云うか、老化現象が、密かに、ひたひたと、歩み寄って来た恐怖と云うか、複雑な思いがしたのです。

確かに、この日は、車窓からの眺めは暗雲が垂れ込めていたのですが、これから、楽しい温泉旅行の行く手にも、暗雲が垂れ込めて来たような・・・・・・。

今回、何故か、まったく、カメラのことは頭の中に無かったのです。でも、何故か?不思議なことに、予備のSDカードと充電ケーブルだけは、しっかりバックに入れたのです。でも、しかし、カメラ本体についてはまったく意識から消えていたのです。

“一週間のご無沙汰”でしたので、話しが、あっち、こっちに飛びまくりました。次回からは、ホントに、旅行話しとなります。たぶん・・・。


それでは、次回。

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湯西川温泉に行きます

2013年05月16日 | 旅の話し
湯西川温泉に行くことになりました。

湯西川温泉は栃木県で、鬼怒川温泉の先、川治温泉のそのまた先なのです。かなり、奥まったところなのです。


山の温泉と云うと、全国どこでも、真ん中に川が流れ、川に面して旅館が並び、背後には山並みと云う、そんなロケーションなのです。そんななかでの温泉選び、距離を考えると栃木県となります。

鬼怒川は賑やか過ぎで、川治では中途半端な寂れ感で、この際は、ぐっと山奥?の湯西川あたりが、ひなびたと云うか、素朴と云うか、“山の温泉”何て、情緒が、それなりに漂っているのでは?と、思ったのです。

今回は初めて、母と、私達夫婦と、姉と、姉の娘夫婦の“6人の大集団?”で出掛けます。今月の23日で91歳になる母の“最後の温泉旅行”(本人の弁)とのことで、このような大編成?となったのです。

湯西川温泉の周囲にはどんな観光スポットがあるのか? 地図を見て直ぐに眼に入るの“五十里湖”です。五十里と書いて“いかり”と読むそうです。

鬼怒川、川治には、2、3度泊まったことがあるので、五十里湖には、一回か二回は行ったような記憶があります。人造のダム湖だったような?そんな気がしてしてきました。

早速、ウィキペディアで調べてみたら、やっぱりダム湖でした。この辺りは人造のダム湖が点在しているのです。

ダムからの放水は、何故か、それなりに見ていて飽きないのです。水が落下する、それだけで、気持ちがイイのです。まぁ、云ってみれば、“人工の滝”なのです。

※ウィキペディアから転載

単に、水が貯まっているだけの、池とか、沼とか、湖とか、ただそれだけで人は癒されるのです。

※ウィキペディアから転載

貯まっているのと、落下するのと、いっぺんに両方見られる、ダム湖と、ダムの放水は、それなりに観光資源なのです。

当日は、五十里湖を眺めて、旅館で貸し切り露天風呂にノンビリ浸かって、囲炉裏端で酒を飲んで、御飯を食べて、お休みです。

翌日は、249号線をドライブして、霧降高原の大笹牧場で、羊や牛を眺めたり、私以外は甘いソフトクリームを舐めたり、お昼でも食べたりして、帰途につく予定です。

まぁ、出掛けるのは再来週の平日です。


兎に角、本日は、ブログの更新と旅行計画を同時進行でお伝えしました。


それでは、また。


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新潟市⑭ 湊町通り干し大根の哀愁

2012年02月20日 | 旅の話し
先週からの続きです。

4日ぶりの新潟市内歩きのお話です。

そして、今日で最終回です。14回目で終わるのは、何となく切りが良くないと思うのです。でも、前回は第四(し)銀行でしたので、これでお“し”まいです。

それで“みなとぴあ”ですが、博物館の本館と税関庁舎は、残念ですが時間がないので、外観だけを眺めて、また今度と云うことにしました。

これから、ホテルに戻り、帰路にに着くのです。ホテルへの道は、勘を頼りに歩きます。ホントは、気の向くまま、脚の向くまま、裏通りを漂いたかったのですが、連れも居るし、時間も無いし、最短コースを辿ることにしました。

“みなとぴあ”を後にします。さよなら、又、来ます


税関庁舎のてっぺんが見えます。


兎に角、こっちの方と、歩きます。


“おばあちゃんの居る風景”好きです。


“赤屋根銀バス”とは異なる外観のバスを発見。地味な通りに派手なバス。


ありました! こういう木造板張りの外観がとても好きなのです。工場のような、倉庫のような、風に、雨に、雪に、陽に晒されて、灰汁がが抜け、味わいが出てくるのです。


木造瓦葺き、今は使われていない明かり取り、鉄格子、白漆喰、はめ殺し?


この晒され、打たれ、朽ちていく色合いが懐かしい。


今日はひとり歩きではありません。あまりのんびり眺めていられないのです。

路面に、湊町通りの標識を発見。


湊町51番地なのでしょうか。“港町13番地”は“ひばり”です。


小さな八百屋さんの軒先に、


大根のようです。


こちらは、まだ水分が、


右側の大根が、風にさらされ、陽に晒されて、左側のように干し上がるのでしょう。この完成品?は売り物?それとも、自家消費分ですか? これは何と云うものなの?どうやって食べるの? 切り干し大根は知っていますが、丸干し大根に近い切断具合は?沢庵漬け用にも見えません。


商品のディスプレーがイイ感じです。


はじめて町、はじめて裏通り、小さな八百屋さん、人知れず? 軒先で、ひっそりと干される大根たち、こんな新潟の風景が、とても、とても、イイのです。


こちらの大根たちは、まだ、まだ、みずみずしく元気そうですが、そのうち、いつの日か干からびてしまうのです。干し大根は北の町の哀愁です。


尖り屋根がランドマークです。あちらの方向に目指すホテルがあります。


あれが“ラフォーレ原宿”のビル? しかし、その名を、見て聞いて驚きました。


兎に角、尖り屋根を頼りに、ホテルに到着。駐車タワーから車を出して駐車料金500円を払い、1時過ぎに新潟を後にしたのでした。我が家に到着したのが6時過ぎ。

やっぱり、還暦過ぎのオジサンには、地図で見ていた時よりも、新潟は遠かったです。

一泊二日の新潟旅行。もっと、もっと、見たかった、歩きたかった、今考えると何で、もう一泊しなかったのか悔やまれます。

今度は、本町も、新町も、古町も、東掘通りも、西掘通りも、川端も、白山公園も、いろいろ歩いて見たいし、タレカツ丼も、イタリアンも食べたいのです。

そして、フェリーで佐渡島にも・・・・・・。

まあ、次の楽しみです。

ホント、いつか、きっとです。


これで、新潟のお話は、お終い。


それでは、また。

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新潟市⑬ “おおさど丸”が半回転します

2012年02月16日 | 旅の話し
昨日の続きです。

奥のテーブルに座ります。

着席して四方を眺めると、写真を見て抱いていたイメージより、こぢんまり感があります。


いつの間にか、ビジネスマン風の男が二人、テーブルを一つ隔て先で仕事話しをしていました。


天井など眺めていると、先ずは、


オードブル、


そして、スープ、


そしてメインディシュ、私は“山形庄内豚のソテー シェリービネガーソース”で¥2,100

※食べ始めてから撮り忘れに気付いたので、とっちらかっています。

連れは“真鯛とホタテ貝のソテーエピス風味のアメリケーヌソース”で¥2,300


食事をしていると、連れが窓の方を指さして「船がァ!」と小さく叫んだのです。ふり返り窓の外を見ると、大きな、大きな、船が、ゆっくり、ゆっくりと入港して来るのが見えたのです。佐渡汽船のカーフェリーです。

船が見えた途端、何だか、落ち着かないのです。早く外に出て、船を見なければ・・・・・・なのです。

デザート、


そして、最後のコーヒー。


そうでした、ランチのお味ですが、銀行建築の重厚な存在感には、相当な料理でなければ負けてしまうのです。ここは、料理の味を楽しむと云うより、食事の雰囲気を楽しむ場所なのでした。

銀行建築に気を取られ、カーフェリーに気を取られ、料理には集中できないまま、ランチは終了しました。まあ、素材、味付け、器、盛りつけ、サービス、価格、フツウのランチでした。

兎に角、外へ出て、カーフェリーです。先ほど芝生で戯れていた親子とは別の、


カワイイ女の子がママと“お船”を眺めています。久しぶりに見る大型船に興奮します。


早いです、もう、出航です。船首を海に向けるのです。その場で180度回転するのです。これは初めて見ます。


ホントに、ホントに、間近で見ると、大きいのです。


“おおさど丸”です。


連れも、間近で大型船を見るのは初めてと云って多少興奮気味です。


こちらは、パパと兄妹。


子供は船を見ると、手を振るのです。還暦を過ぎたオジサンも振りたかったのですが、チョット気恥ずかしいので止めました。


日本海に向かって進む船を見送りながら、いつの日にか、きっと、あの船に乗り、佐渡へ渡って見ようと思ったのでした。


昨日は、“日本海に沈む夕陽”に感動し、今朝は“C57ぼんえつ物語”の汽笛に驚き、そして、今、“おおさど丸”を見送り、佐渡への旅を、連れと誓い合ったり・・・・・・。

一泊二日の短い旅でしたが、夕陽に、蒸気機関車に、大型カーフェリーに、そして、それなりに美味しい料理を頂き、それに、新潟市の運転マナーの良さを目にして、なかなか、良い旅でした。

何て、綴っていると、これで、新潟旅行話しも、最終回の雰囲気になって来ましたが、何故か、まだ、あと、1回あるのです。


こっちこそ!新潟の町と云うか、これぞ!新潟の町と云うか、そんな写真が未だ残っているのです。わたしとしては、こんな風景の方が、とても、とても、好きなのです。


それでは、また。

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新潟市⑬ 旧第四銀行住吉町支店を見学

2012年02月15日 | 旅の話し
昨日の続きです。

それで、旧第四銀行住吉町支店の内部に入ります。

“ぽるとカーブドッチ”でランチを頂くのです。“ぽると”はイタリア語で港でした。フランス語でポート、そう云えば、あっち、こっちに、ポート○○とか、○○ポートとか、何て云うのがありました。

“カーブドッチ”と云うワイン屋さんが経営する、港を望むレストランなのです。

入り口です。壁は大理石で、天井は真っ白な漆喰。


元銀行のカウンターも大理石。


床はタイル貼り。傘立てのビニール傘がチョットです。


電話は個室です。そもそも、電話なんてものは、個室で密かに、周囲に聞こえないように、静かに話すものでした。携帯電話が普及してから、周囲を無視して大声で話す愚か者が増えました。


ワイン屋さんですから、いろいろ並んでいます。


なかなかイイ感じです。


広く、高く、真っ白い天井。この白さは解体移築時の色ですが、これは、これでイイものです。歳月が経過して、白さに陰りを見せ始めると、また、それは、それで、イイ味わいになるのです。


テーブルには、客の姿はありません。開店前なのです。


銀行強盗がカウンターを乗り越え侵入して、札束を強奪するのを防ぐ柵です。それなりに装飾が施されているのがイイです。ホント!歳をとると、昔のものが、古いものが、何でも愛おしく見えてくるです。


でも、しかし、やっぱり、今の銀行建築では、居抜きでレストランの営業には無理があります。やっぱり、造りに遊びが無いのです。それに、内装材に化学工業製品を多用しているので、歳月を経過すると、劣化が進行するだけで、最後には単なる産業廃棄物になってしまうのです。


そろそろ、開店しても・・・・・・。


準備が整った様子なので、店に入ろうとしたら、“開店は11時半からです”とキッパリ云われてしまいました。入り口には準備中とかを告げる札も、進入を防ぐ鎖も、立て看も、特に有りませんでした。

時計を見ると11時25分でした。5分位で!何で!役所かァ!と一瞬、ムッと、したのです。歳をとると、気が短くなるのです。

連れの“モゥ!なに考えてるの”との視線をこちらに向けて、“もう少しだから、あっちで待ってョ”と云われたのでした。

それで、あっちの資料室で、ビデオで解体移築の様子を見たり、


こんな写真と説明とか、


こんな説明と写真とか、


こんな写真とか、


こんな欠片とか、スイッチとか、コンセントとか、


天井の漆喰の欠片とか、シャッターの巻き上げ機とか、


現役の真鍮製のドアノブとか、いろいろ眺めて時間をつぶしたのです。まあ、それは、それで、ケッコウ楽しかったのです。


11時半を少し過ぎたところで、従業員の女性が開店を知らせに来ました。


いよいよ、一年以上前から決めていた、“ぽるとカーブドッチ”でのランチタイムです。


今日は、ここまで。


それでは、また。

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新潟市⑫ “みなとぴあ”の洞窟へ

2012年02月14日 | 旅の話し
先週からの続きです。

信濃川河畔の遊歩道を歩いています。

朱鷺メッセの前では、浚渫作業が行われています。川は自然のに任せておくと川底にいろいろ堆積物が溜まるのです。

人間が手を加えないと川幅は広がって行くとか、流れを変えるとか、川が勝手気ままと云うか、それが自然の営みと云うのか・・・・・・、いろいろあるのです。


対岸に見えて来ました。佐渡汽船の船着き場? ジェットフォイルの姿も、カーフェリーの姿もありません。


船着き場の向かい、いよいよ目的地に到着です。“みなとぴあ”です。


この姿、歴史を感じるなかなかの建物なのですが、つい最近の建物です。


この姿、何度も、何度も、写真で見ていて、初めて会ったとは思えないのです。


典型的な“銀行建築”です。こちらは、それなりに古い建物なのです。


広い芝生には、ママと幼児が日向ぼっこです。


ママが帽子を被せても直ぐに取ってしまうのです。うちの孫もこの頃は帽子が嫌いでした。奥に見えるのが、それなりに古い“税関”の建物。


ホントに、ホントに、平和でカワイイ風景です。ヨチヨチ歩いていました。


ここは“新潟市歴史博物館”で、愛称?を“みなとぴあ”と云うそうです。敷地には、本館、銀行建築、税関、等の建物があるのです。


こちらが本館。明治41年の大火で焼失した市役所をモデルにした最近の建築です。外装は、木造モルタル造りの“二代目市庁舎”にならって、モルタルで装飾を施したそうです。


2代目は“木造”で“石造”を装った、“仮面建築”だったようです。


こちらが、明治2年の竣工当時の姿を残す“新潟税関庁舎”


一昨年の“新潟旅行計画”では、到着した日のランチを、この“旧第四銀行住吉支店”の中にあるレストランでと思っていたのです。しかし、時間的に無理があり、二日目のランチにしたのです。


こういう、重くて、厚くて、頑丈で、装飾を施した建物は、銀行に向いたデザインなのです。お金が“唸って”いそうに見えるのです。やっぱり、機能だけでは味気なく、いろいろ遊びのあるデザインの方が、見ていて楽しく寛げるのです。


“だいよん”ではなく“だいし”と読ますそうです。“四”は“死”に通じるとして、“し”と読まないのがフツウですが、“ナンバー銀行”としては、「いち・に・さん・し・・・」、となるの?それとも、新潟訛りですか?


いよ、いよ、建物内部に入ります。


“ぽるとカーブドッチ”でランチを頂きます。

“Porto Cave d'Occi”だそうですが、“Cave”は洞窟で、経営者が“落 希一郎”と云う方なので“d'Occi”ですかね。“Porto”は、スペインはマヨルカ島の洞窟のあるポルトから?

まぁ、店名の詮索はそのくらいにして、ランチタイムです。


それでは、また。




コメント (2)
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