歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“だから荒野”④判り易い優しさ!判り難い優しさ!その絡み合いと行き違いで物語が生まれたりするのです

2015年02月17日 | テレビの話し
先日からの続きです。

今日は寒い!ホントに寒い!先ほどは小雪がちらついていました。太陽が顔を出さないとホントに寒い、炬燵でコーヒーを飲みながら書いています、と云うか、書き始めています。マグカップで2杯目、これから書き終わるまでトイレに頻繁に通う事になります。

それで、“だから荒野”ですが、これまで記憶を辿りながら、ここまで綴ってきました。かなり記憶違いがあるかも?

それで、一応、確認と記憶を呼び起こす為に、各回のタイトルを書き連ねてみました。話しとしては、二話目位まで触れてきたような気がします。15日放送の第六話“妻と夫”は録画してあるのですが未だ見ていません。

    1.逃げる主婦

    2.もうひとつの人生

    3.初恋の男

    4.母親失格

    5.息子の家出

    6.妻と夫

それで、第三話の“初恋の男”ですが、朋美の高校時代からの“親友滝川知子(YOU50歳)に進められて元彼に会うのです。

それで、私としても“何故に今更”と思い、朋美としても“何故に今更”と思いつつも、懐かしさと、変化の確認と、就職先の紹介と、いろいろな思いと、いろいろな期待とを抱きつつの再会。でも、ある程度予想はしていた、会わなきゃヨカッタ!となるのです。

もしも、元彼が今でも輝いて居て魅力的であったなら? もしも、元彼が今は輝きを失った情け無い中年男だったら? これって、どちらでも、会わなきゃヨカッタ!になると思うのです。

それにしても、医師を目指して挫折して、老舗の焼き物屋に婿入りした元彼。演じた役者は顔には見覚えはあるのですが名前は知りません。とても、情け無い感じで、何か、演技と云うよりも、役者としての個性がそのまま出ていたような?

兎に角、男運が悪いと云うか、男を見る眼がないと云うか、朋美も、そんな自分を顧みて、初恋の男と云い、亭主と云い、こんな男に惚れてしまった私って?・・・・・・。

きっと、きっと、二人の男は出会ったとき、とても、とても、“優しかった”のでしょう。男の、この優しさが、とても、とても、危険で、ムズカシイのです。

あるプレイボーイと云うか、女たらしと云うか、もて男と云うか、そんな男が、女性をものにするコツは、兎に角、マメであること、兎に角、優しくすること、この二つが重要であると、述べて居ります。

男の優しきはムズカシイのです。判り易く優しいのは危険です。ホントの優しさは分かり難いのです。判り易い優しさと、分かり難い優しさ、この二つが絡み合い、そして、行き違い、男と女の物語が生まれたりするのです。

今日は、とても、とても、寒いので、この辺でお終い。

雪は止んだようです。


それでは、また。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『だから荒野』③老いた原爆の語り部が昼食にラーメン屋でチャーシュー麺と炒飯を食べる展開にニヤリ!?

2015年02月14日 | テレビの話し
前回の続きです。

前回もまたまたストーリーとは離れて、“履歴書と請求書”何て、とても、とても、お古いお話をしてしまいました。

今日こそ、間違いなく本筋の、何が、どうして、どこが面白いのか!と、云うお話です。ホント!

それで、偶然に見た第一話ですが、何と云っても、ひとつの家族が壊れていくのを、“のぞき見”すると云う、“げす”で“卑しい” とても、とても、“他人の不幸は蜜の味的”心根からでした。

話しは逸れますが、あの高視聴率テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』ですが、あれは完全に茶の間にいて、他人の家のゴタゴタを堂々と覗ける、それが、それが、唯一、高視聴率を記録した要因でした。

まあ、考えて見れば、小説とか、ドラマとか、映画とか、他人のゴタゴタを覗き見て、それなりに世間を知り、己を知り、納得したり、喜んだり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、不条理を感じたり、いろいろ勉強するものです。

それで、だから荒野ですが、夫からも、子供達からも、無視され、黙々と、ひとり寂しく過ごすそんな日常に、疑問と、不満と、苛立ちと、不安と、情け無さを抱き、家族から逃亡する46歳専業主婦の朋美。

それにしてもです、とても、とても、とても無神経な親子です。亭主も息子も、酷すぎる、こんな設定、こんなセリフ、こんな展開、有りなの?

朋美の誕生日、レストランの食事会で、亭主の運転拒否とか、主賓が到着する前に食事を始めるとか、息子は高校時代の朋美の作った弁当が、不味く、彩りも最悪で“森村弁当”とクラスで嘲笑されていたとか、亭主の“誰もお前のことなんか見ていないよ”発言とか。

こんな酷いことを本人を前にして、しかも、誕生日の食事会で云うか!人間として、最低!最悪です。京香さんが可哀想!いや、朋美さんが可哀想!と激しく思ったのです。

でも、しかし、亭主の運転拒否についてだけは、まあ、それは、それとして、それなりに理解できます。誕生日の食事会で、都心のレストランで、ディナーですから、誰しもアルコール抜きは考えられません。

ですから、フツウ、最低でも、行きは電車で帰りはタクシー、まあ、ここは奮発して往き帰りタクシーだと思うのです。でも、しかし、それでは、ドラマは展開しないのです。それは、それで、お約束で“それを云っちゃ~おしまいよ!”でした。

そして、それで、無神経な二人に朋美は“それじゃ~ねェ”と云って、二人から去って行くのです。この場面の、そのセリフ、その言い回し、その表情、いろいろな想いを感じさせる、とても印象的な場面でした。京香さんヨカッタです。

それで、原作は“桐野夏生”だそうで、新聞の連載小説だったようです。この方ですが本屋さんで棚に掲げられた名札で見覚えがある程度でした。

私は、名前から男性と思っていたら、1951年生まれですから、私とほぼ同年配63歳の女性だったのです。どうも、何か、男性作家が女性物を書くのは何か変だとは思っていまたした。序でに、本屋の名札で見かける、似たような方で、“銀色夏生さん”も女性でした。

それで、“それじゃ~ねェ”と別れを告げ、“荒野”に踏み入り、一人彷徨い、東京から長崎への旅のドラマが始まるのです。

途中、東名高速のPAで、亭主に逃げられ裸足で歩いていた若い女性とラブホに泊まり、翌朝車を盗まれたり、長距離トラックの運転手に優しくされたと思ったら、『それで、いくらなの?』と、主婦売春と誤解されたり。

それなりに飽きさせない展開で、次回の展開は如何に?と毎回終盤に謎を持たせる仕掛けで、巧く引っ張っていくのです。

それと、キャスティングがイイです。長距離トラックの運転手を“でんでん”が演じることで、それなりに、ドラマの意味づけとか、味つけとか、いろいろと厚み奥行きが深まるのです。

そして、そして、雨の中、舞い踊る朋美が、長崎で原爆を目撃した老人の語り部と、それに寄り添う秘書的な若い男との出会い。

謎を秘めた雰囲気を漂わせる、二人の男の登場となります。若い真面目そうで、謎めいた青年が、夜中に朋美の部屋に訪れ、朋美に言い寄ったり、朋美が拒んだり、迷ったり、ますます、どうなるの?どうなるの?は増幅されていきます。

それで、やはり、日常から逃げて来た46歳専業主婦が、それなりに、社会との関わりとか、歴史との関わりとか、生きるとは?とか、そんな普遍的な、お勉強的な事柄が入り込むと、見ていて、そうか、そうかと、納得感と、お得感が生まれるのです。

それにしても、長崎、原爆、被爆の語り部、とても、とても、とても重いテーマです。その思いテーマを、語り部を、静かに、暗く、重く、孤独に演じるのが、あの“品川徹”ですから、これは、もう、めいっばい重くなります。

しかし、設定と展開の重さを吹き飛ばす場面が有るのです。途中、田舎のラーメン屋で三人が昼食を摂るのですが、重く暗い品川徹が、何と、何と、チャーシュー麺とチャーハンを注文するのです。キャラクター的には、昼食は軽く“盛りそば”です。

視聴者を裏切るナカナカ巧い展開で笑ってしまいました。現実的としてはそれも有りかも、と思ったりしました。それにしてもダブルでの糖質摂取で食後高血糖間違い無し!

私も、40代前半までは、ラーメンにチャーハン、カツ丼に盛りそば、そんな人生を送っていました。そして、今、糖質制限の人生を送っています。でも、偶には、チャーシュー麺とチャーハンが食べたい! 半チャンラーメンでもいい!

かなり話しが本筋からそれてしまいましたが、本日は、この辺でお終いとします。


それでは、また。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『だから荒野』②鈴木京香さんの顔は請求書ですか?いや違う!役柄に対しての覚悟の現れです!

2015年02月12日 | テレビの話し
前回の続きです。

それで、前回は面白い理由を幾つか上げたのですが、肝心のストーリーについては、ほとんど触れていませんでした。

ドラマですから、何たって、それはストーリー展開です。そして、登場人物のキャラクター、それを演じる役者の存在感です。

それで、この作品ですが、先ずは、父親としても、夫としても、まるで失格の“森村浩光”です。まあ、かなり誇張されたダメ男ですが、何故かこの程度で、それなりのハウジングメーカーで宣伝部広報課長の地位にいるのです。

どう見ても、どう考えても、この男では、この厳しい世の中で、この地位は、とても、とても、無理に思えます。住まいが立派過ぎは、住宅メーカー社員として特典ですか?

演じる“杉本哲太”は、それなりの役柄を、それなりに演じていますが、役者として、個性も、存在感も、あまり・・・・・・です。

そして、二人の息子です。大学卒業間近で就活中で女と同棲を始める長男。次男は高校生で引き籠もり中。まあ、設定としては、それなりに納得。二人の役者も、それなりに納得。

そして、ヒロイン朋美の“鈴木京香さん”です、46歳の設定なのですが、調べてみたら彼女も46歳でした。役者の年齢に合わせたのか、それとも単なる偶然でしょうか? まあ、45歳でも、46歳でも、47歳でも、特に、どちらにも問題はありませんけどね。

それにしてもです、画面に登場した京香さんですが、その容貌の変化には、驚きと云うか、ショックと云うか・・・・・・。

初めてお目に掛かったのが、映画『ラヂオの時間』でした。調べて見たら1997年の作品で、かれこれ20年近い歳月が経過していたのです。

体型は以前と変わらないのですが、容貌には年月の移ろいを感じずにはいられませんでした。近頃、体型はそれなりに、上げたり、寄せたり、締めたりと、便利な補整下着がありますが、容貌はナカナカとてもムズカシイのです。

46歳は、女優として、かなり、かなり、ムズカシイ年齢なのです。では、では、と思い、46歳の女優さんを検索してみたのです。

すると、46歳の方は、主だったところで、杉本彩とか、夏川結衣とか、石野陽子とか、飯島直子とか、そして、そして、我が町の隣り、水海道出身の“羽田美智子さん”がおりました。

羽田さんは、先日テレビでお目に掛かったばかりですが、容貌に老いはそれほど感じませんでした。他の方と比較しても、京香さん、ちょっと厳しいと思ったのです。

でも、しかし、女優として、存在感として、京香さんが勝っていると、私は、強く、強く思うのです。

男は歳を重ねることでの、シワとか、シミとか、タルミとか、それなりに人間としての、味わいとか、深みとか、重みとかに変わるのですが、女性にはマイナス要因になるのです。

“男の顔は履歴書、女の顔は請求書”と、むかし、むかし、大宅壮一が言いましたが、男には今でも当てはまりますが、請求書については、ちょっと、それは、今では?と思うのです。

むかし、女性の生き方は受動的で、男の要望に応え、受け入れ、身を任し、心を任し、唯々尽くし、そして、その結果としての変化が容貌に現れる、故に、請求書だと思うのです。

でも、しかし、現在、女性は強くなりました、自立しました。請求書の時代は終わったのです。溌剌として履歴書の時代なのです。

でも、もしかして、“京香さん”は、かなり古風な方で、請求書的なお方?で、これまでの、いろいろが、マイナスに作用して、いたりして・・・・・・・。彼女の私生活ついての情報は、まったく知らずに書いてます。

と、ここまで、かなり失礼な事を書き飛ばしましたが、今の、いま、はたと気が付いたのです。本当に失礼しました。

容貌の衰えは役柄の設定として、朋美としての、それなりの表現であり、演出であり、それを受け入れた、彼女の、女優としての覚悟の現れだと思ったのです。

画面に、スクリーンに、映し出される容貌は、メーキャブと、照明のあて方で、いかようにも見せられるのです。ですから、先日の羽田美智子さんも、それなりの効果で、あの容貌だったのではと、そう思うのです。

何か、ドラマの話しから、とても、とても、逸れて仕舞いました。


それでも、お時間なので、きょうはこれでお終い。


それでは、また。


ホント!失礼しました!


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“だから荒野”①砂漠には何も無く?荒野には物語がある?だから荒野?

2015年02月10日 | テレビの話し
NHKBSプレミアム、毎週日曜10時から放送、一話50分、八話完結、先日の8日が五話目の放送でした。

先ずは、兎に角、第一話を偶然?リアルタイムで見たのですが、とても面白かったのです。そして、2回目以降は録画をして、翌日の午後に見ています。私には夜の10時は遅すぎてリアルタイム視聴には無理があるのです。

それで、何処が?何が?面白いの?と、問われると、答えは、先ずは映像が綺麗です。

“フィルム”で撮影されたような仕上がりで、明るい風景ではそれなりに明るさを抑え、暗いシーンはより暗く、印象的な逆光のカットがあったり、クッキリ、カッキリでない処が、とても、とても、イイのです。

長崎の風景は、それだけで、エキゾチックで、ドラマチックで、素晴らしいです。東京から長崎へ向かうシーもそれなりに綺麗です。

46歳の朋美、日常からの解き放たれ、これまでの日常を洗い流す“雨の中で踊る?”シーン、いままでと、これからを、いろいろと象徴したのでしょうが、ちょっと無理がある演出ですが、まあ、でも、それなりにヨカッタです。

それと、音楽が、とても、イイです。特にギターの独奏シーンはとてもイイです。何処かで聴いたような気がする?とてもイイ曲で、とてもイイ演奏です。

そして、主演の“鈴木京香さん”がイイです。彼女を観るのは“ラジオの時間”以来です。そう言えば、先日、放送していました。このタイミングはドラマへの援護射撃?

それで、朋美に語らせた“砂漠が荒野に変わった”とは、如何に? 砂漠には何も無く?荒野には物語がある?だから荒野?なの?

それと、もう一つ、朋美に語らせた『・・・憑きものが落ちたように、夫の苗字が滑り落ちたのだ・・・』の表現は、見事と云うか、巧いと云うか、流石がと云うか、兎に角、やられました?

と、云う事で、中途半端ですが、本日はここまで。


それでは、また。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資本主義の終焉で!路線バスの旅は!世界ふれあい街歩きで!東証株価!

2015年01月06日 | テレビの話し
2015年も明けて今日で6日目です。

まあ、兎に角、新年ですから、“明けまして”おめでとう御座います。

東証も、何だか、何かを予兆するように、二日続けての下げのようです。

本日の前引けで1万7千を割り、ざあまあ見ろ!が半分、だから云っただろ!半分で眺めていたのです。

安倍ちゃんの、景気対策と云う名の、期待値先行の“株価対策”も、そろそろ息切れ、綻びの季節です。

そんな非難だけなら誰で云える! それなら対案を出せ!の声も、それなりに、ご無理ごもっともなご意見と承るのであります。

景気対策を、どうの、こうの、と、あがいても、そうは問屋が卸さないのであります。

景気対策で、規制緩和とか、金融緩和とか、成長戦略とか、公共事業の拡大とか、女性の活用?とか、もう、そんな、小手先の解決策では、もう、もう、とても、とても、追いつかないのです。

では、では、どうするのか?

いろいろな方が、それなりに、いろいろな方策を発表しておりますので、答えは。それぞれの方が、それぞれの方法でお調べ下さい。

と、まあ、ここまで綴ってきて、はたと、我に返ります。

5日だったか?6日だったか?テレビ東京の“路線バスの旅”見てしまいました。今回のマドンナは“シルビヤ?”じゃなくて、え~と、え~と、そうだ!マルシア!

兎に角、面白いのです。ついつい見てしまうのです。太川陽介もこの番組で、人気復活?で数十年?ぶりに新曲を出したそうです。

スマホで検索すれば、バスの乗り継ぎは、それなりに判る筈なのに、地図を見、人に聞き、時刻表を見、三泊四日ハラハラさせるのです。

お約束の展開なのです、でも、でも、それが、面白いのです。

でも、きっと、もう少しすると、飽きてくる筈です。

“世界ふれあい街歩き”も、かれこれ、2年ほど前に飽きてしまいました。

それで、新年の年明けに、何故か、めずらしく、ことしの抱負?目標?などを宣言したのです。極々少数の身内に対してなのですが・・・・・・・。

結果は、夏までには判明します。

内容はともかく、一応、それなりに公的な場?で、不特定多数?に向かって、堅い?決意?を表明し、自分にプレッシャーをかけるのであります。

年明け再会の初日、何だか、よく判らない、とりとめのない、冬休み明けの更新で失礼しました。

それでは、また。

※本日の株価は、525円52銭安い1万6883円19銭で取引を終えたようです。灯油は近くのホームセンターで18リットルで1260円になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK朝ドラ『マッサン』は大阪制作でヤッパリ!でした。

2014年11月28日 | テレビの話し
先ずは、ツマラン!

兎に角もってツマラン!

役者がツマラン!

すべてのつまらん原因は脚本が悪すぎ、とても、とても、とても、もう一つオマケに、とてもツマラン!

ストーリーの展開にテンポが無い!

ストーリーに、奥行きも無い!深みもない!厚みも無い! 

そして、そして、決定的なのは、ストリーに“ふくらみ”と“広がり”が無い!

脇役にも、それなりのサイドストーリーがなければ、単調で、退屈で、ウスッペラで、つまらん、半年はもたん!

ホント、毎日、毎朝、エリーとマッサンの顔ばかりで飽きてくる。エリーは可愛いけど、それだけ。

それにして、キャサリンの濱田マリは、朝っぱらから鬱陶しい、ベタベタの大阪は全国放送には向かん!

それに、それに、いまは見えなくなった泉ピン子はミスキャストだァ!100%、いや、200%悪役顔で、身体全体から敵役の臭いが漂っている。

それとなく、何となく、母親の愛情を漂わすシーンやセリフはあるが、ピン子が演じると一欠片も伝わらん! 

と、云うことで、“あまちゃん”の貯金はマッサンで使い果たすでしょう。まあ、オジサンには関係ないけどね。

やっぱり、大阪は東京より制作予算が少ないの?

兎に角、あと書くことがない。

以上。


でも、毎朝、毎朝、見ています。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒木華ちゃんをスタジオパークで観る!もしかして?すっぴんノーメイク?

2014年10月15日 | テレビの話し
とても、とても、とても、

可愛い、可愛い、可愛い、

華ちゃん、で~~~~~す!!!

可愛い!


可愛い!


可愛い!


可愛い!


可愛い!


可愛い!


可愛い!


超可愛い!


綺麗カワイイ!


可愛い!


可愛い!


可愛い!


可愛い!


可愛い!


とても、とても、とても、

可愛い、可愛い、可愛い、

華ちゃん、で・し・た。

もしかして、ほとんど、ノーメイク?       


        おしまい。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連ドラ“花子とアン”で今が?明日が?見えて来るような?

2014年09月03日 | テレビの話し
“花子とアン”はBS7時半の放送を朝食を摂りながら見ています。このところの時代背景は、とても消化によくありません。

挙国一致で、戦意高揚で、時の政権の“政策”に反対するものは、非国民と呼ばれ、辛く、悲しく、暗く、寂しく、密かに片隅で沈黙を強いられるのです。

数十年?・・・十数年?・・・前には、こんな戦前、戦中のドラマを見ても、遠い昔の物語であり、現在の世の中とは、何の関わりも無いと、かなり気楽に眺めていたのです。

でも、しかし、今は、遠い過去のお話ではなく、数年先に起こりえる現実と思えてくるのです。朝飯が不味くなるのです。と、云う事で、今は録画して朝のウォーキングの後に見ているのです。

先月は、8月でしたから、毎度お馴染みの戦争関連の番組が、アチラコチラの放送局で流れていました。戦争の悲惨さを伝えて平和の尊さを、戦争を知らない世代に説く・・・、まあ、そんな主旨なのです。

“戦争体験者”が少なくなり、戦争の悲惨さが語られなくなり、伝わらなくなり、そして、だから、戦争をくり返してしまう・・・、まあ、そう云うことなのです。

戦争体験と云っても、所詮は、怖かった、恐ろしかった、悲しかった、辛かった、腹減った・・・、まあ、そんなところで、だから?どうした?なのです。

挙国一致・戦意高揚、これって、かなり、かなり、気持ちイイのかも? 国の為に、家族の為に、愛する人の為に、自分の命を捧げる、崇高で、純粋で、とても、とても、美しく、頭のてっぺんからつま先まで、陶酔感にどっぷり浸かれ、妖しくて、カッコ良くて、魅力的なのです。

戦争ドラマでは、それなりに反対を表明する“連子さん”とか、それなりに反対でも世間の流れに逆らわず、時が過ぎ去るのを待つ“花子さん”とか、そう云う方がメインに描かれます。

でも、しかし、圧倒的多数は戦争に酔いしれて、バンザイ!バンザイ!だった筈です。でも、こういう方々をメインに描くドラマは、テレビドラマや映画にはなりません。初の女性従軍記者になった“宇田川満代”のような方は端役なのです。

ある特定の誰かが、いつ、どのように戦争反対を叫び、弾圧されたかを描くよりも、ごく普通の庶民が、いつ、どのようにして戦争バンザイ!を叫ぶようになったかを描いた方が、とても、とても、前向きで、積極的で、反戦的で、平和的だと思うのです。

もしかして?そうか!だから!庶民の目に触れる、そういうテレビドラマや映画は作られないのか・・・・・・・。

映画“小さなお家”は、それなりに、そういう映画だった気がします。あの時の“黒木華ちゃん”は、とても、とても、ヨカッタ!です。

でも、“花子とアン”での“かよ”役は、それは、それで、イイのですが、役柄的に花子の“吉高由里子”と、役者としては連子の“仲間由紀恵”の間に入って、目立たないのが残念です。

それで、兎に角、再開第二弾、なかなかキーを叩くまでが億劫で、でも、しかし、書き出すと、考え出すと、それなりにスラスラと言葉が浮かんできて、それなりに云いたい事が、それなりに綴れまたような、そんな気が、しないでも、ない。


と、云う事でした。


それでは、また。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロバート・キャパを創った女ゲルダ・タローそしてあの大女優“イングリッド・バーグマン”との恋の結末に想いを馳せたり巡らせたり

2014年04月30日 | テレビの話し

本日、BSプレミアムで放送された「キャパが愛した三人の女」を録画で観ました。

見つめました、黙りました、固まりました、考えました。

見終わって、小さく、長く、静かに、ため息をもらしました。

ロバート・キャパ、スペイン内戦、日中戦争、第二次大戦、第一次中東戦争、最期は1954年5月25日、第一次インドシナ戦争に従軍、戦場で地雷により爆死、享年40歳。

キャパは、それなりに知っていたのですが、以前、NHKスペシャルで放送された、“崩れ落ちる兵士”

の“謎解き”ドキュメンタリー以来、彼のことが、とても気になっていました。

「崩れ落ちる兵士の謎解き」と「キャパが愛した三人の女」この二つの番組をつなげて観ると、それなりに、キャパに近づいた気がしてくるのです。

結論を言ってしまえば、タイトルにあるように、ロバート・キャパは、恋人ゲルダが創り上げた写真家なのだと思いました。そして、そのことを“アンドレ”は生涯ひきずって生きたのです。

20歳の男“アンドレ・フリードマン”と


24歳の女“ゲルタ・ポホリレ”


ともにユダヤ人の二人。戦争の時代、パリで巡り会い、愛し合い、写真家として成功することを夢見て“ロバート・キャパ”を創ったのです。

キャパになった“アンドレ”


ゲルダ・タローになった“ポホリレ”、プロデューサーは年上の女ゲルダです。因みに“タロー”は当時パリに居てアンドレと親交のあった“あの芸術は爆発だぁ!の岡本太郎”からとったそうです。

“Nスペ”では、戦場カメラマンのキャパが描かれ、“三人の女”では、キャパの恋が描かれ、どちらにも、背後に、深く、重く、“ゲルタ・ポホリレ”の存在を感じさせるのでした。

キャパは、生涯、ゲルダを忘れることなく愛し続けていたと、たぶん、アンドレにとって、ゲルダが“初めて”の“女”だったのです。

“Nスペ”での、“崩れ落ちる兵士”は、戦闘中に銃撃を受けた瞬間ではなく、演習中に脚を滑らせ転んだ瞬間で、撮影はキャパではなくゲルダだったとの結論でした。

でも、しかし、“崩れ落ちる兵士”は反ファシズムの象徴となり、生涯キャパは、“二重の偽り”と、“ゲルダへの愛”との狭間に苦しんでいたと・・・・・・思うのです。

それで、あの大女優“イングリッド・バーグマン”との恋なのです。


大戦直後のパリ、大女優と著名なカメラマンとの恋、バーグマンは一夜にしてキャパに恋してしまい、キャパは断ったのですが、プロポーズまでされたそうです。まったく知りませんでした。


キャパは、かなり、かなり、女性に“もてた”そうで、口説くこともなく、自然に振る舞っているだけで、女性はみんなキャパに恋してしまったそうです。

何故、どうして、大女優まで虜にするほどの魅力が? そして、恋はしても、決して結婚はしなかったのか? 

答えは、“二重の偽り”と“ゲルダへの愛”が、そうさせたと思います。

戦場での恐怖と緊張、戦場を離れての酒と女。

地位も、名誉も、金も、愛も、そして、命さえも、欲することなく生きる。

“二重の偽り”と“ゲルダへの愛”、苦しみを抱きつつ、苦しみから逃れつつ、今を生きるキャパ。

こんな、思惑も、打算も、駆け引きもなく、自然に明るく振る舞う男を、女は放って置く筈はないのです。男から見ても魅力的に映ります。

キャパ自身、そんな自分を離れた位置から眺め楽しんでいたのかも?

キャパは、戦場で悲劇的な最期を予想し、そして、その事で、過去の苦しみから解き放たれ、ゲルダへの愛が結実すると、そう思い続けていたのかも知れません。

戦争の時代の、悲劇的で、劇的で、そして、最期は、見方によっては、とても、とても、ハッピーな終わり方だったのかも?

戦争の時代は、魔力的で、魅力的で、濃密で、ドラマチックで、だから、とても、とても、恐ろしく危険なのです。

それなりに満たされた人間は、こころの片隅に、不幸願望を抱いているような、でも、しかし、現実に不幸になると、それは、それで耐えられないのです。

まあ、そんな、あれや、これやを「キャパが愛した3人の女」を観て思ったのでした。


それで、更新は大型連休でお休みと記したばかりですが、見終わって直ぐに感想を書き綴らないと忘れてしまうのと、区切りとして書かないと、次の録画番組が見られないので、こんな結果になりました。

これまで録画した番組がかなり溜まっているので、もしかしたら、また、更新したりするかも? まぁ、何たって、その時の気分次第なのです。

それにしても、キャパは魅力的でした。

そして、“愛した女”の番組進行の若き女性カメラマンも魅力的でした。

恋人もカメラマンで、キャパとゲルダに似ているのです。でも、二人は戦場カメラマンではありません。

それでは、また。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“大竹しのぶ” 清貧と魔性の間?それとあの“山崎ハコの『織江の唄 』は青春の門の“テーマソング”で作詞は五木寛之で映画では流れませんでした

2013年10月30日 | テレビの話し

先日、BSプレミアムで放送された、

『邦画を彩った女優たち 清貧と魔性の間 女優 大竹しのぶ 』

を録画で見ました。

この『邦画を彩った女優たち』で採り上げられたのは、私の記憶ではこれまで、太地喜和子、大原麗子、倍賞千恵子、そして、今回の“大竹しのぶ”だったと思います。

1960年代以降で、それなりに“大女優”として活躍された方々で、これからの女優を採り上げたのは“大竹しのぶ”が初めてです。

“大竹しのぶ”と云えば、“さんま”の奥さんで、“いまる”のお母さんで、映画では『学校シリーズ』で観た程度です。あっ、それと、清水ミチコの“モノマネ”です。

この番組で、デビュー作が『青春の門(筑豊篇)』だったこと、その役名が“織江”で、恋人の役名が“信介”と聞いて、アレッ! これって、あの“山崎ハコの『織江の唄』ってことなの?でした。

「織江の唄」が青春の門の“テーマソング”だったとは知りませんでした。調べて見たら“サブテーマ”で、映画のなかではまったく流れていないそうで、何か不思議なテーマソングなのです。

もしも、作品の中で流れたら、強烈な個性の“山崎ハコ”ですから、映画自体が山崎ハコの歌声、詞に、かなり、かなり、引っ張られ、観客は見終わってから混乱したかも知れません。

話しが逸れてしまった。

それで、「大竹しのぶ」なのでが、確かに、名女優だと思います。でも、その評価が、激しく、泣き、叫び、わめきちらす等、感情を爆発させる狂気迫る演技に対しての賞賛なのです。

狂気迫る演技として、青春の門の信介とのシーンとか、


「死んでもいい」 1992年


「一枚ハガキ」2011年 新藤兼人監督 




とかの、シーンが紹介されていました。

でも、感情を爆発させ狂気迫る演技は、ホントに、ホントに、ムズカシイの?と思うのです。フツウノ役柄で、フツウノ言葉で、フツウに演じて、感動させるのが、ホントはムズカシイと思ったりするのです。

それにしても、100歳の「新藤兼人監督」ですが、


もう、大平洋戦争の話しは、とても、とても、古いのです。


いつまでも、いつまでも、あなたは“あの戦争”に拘りたいのでしょうが、あれから。もう。70年近くの歳月が流れているのです。

戦争を憎み、平和を願う気持ちは分かるのですが、「一枚ハガキ」は題材が古すぎて、苔むし、朽ち果て、かなり、かなり、一部の、高齢の、マニアックな方達にしか、理解されない、昭和40年代までの映画です。

遠い昔の全盛期の感覚で、いつまでも、いつまでも、反戦とか平和とかを描くのは、とても、とても、無理があると思います。

まことにもって、失礼ですが、まさに、これこそ“オールド左翼的な自己満足的な映画”だと思います。

照明係の方が、新藤監督が初めて撮影中に役者の演技に涙した作品と云っておりました。それだけ“大竹しのぶ”に入れ込み、演技に満足した証のように語っていたのですが、これって、単なる、老化現象にしか思えませんでした。

本日は、更新が遅れ、焼酎を飲みながら綴りましたので、かなり、かなり、内容、表現に不適切な点があったかと思いますが、酔っ払いの戯言として、聞き流して下さい。

でも、戯言に真実ありかも・・・・・・・。

最後に“おまけ”です。本箱でたまたま見つけたました。週刊文春の平成5年2月4日号巻頭グラビア。撮影篠山紀信。


それでは、また。


コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする