歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

日光街道は旧宿場町の春日部市へ ① 苗字帯刀の庄屋様のお屋敷ですか?

2018年03月12日 | 街の風景

今回は、とても、とても、久しぶりの街歩きで、知らない街の春日部市を歩きます。

これまで、16号線を、4号線銭を、車で通り過ぎるだけでした。

本日は、日光街道の宿場町であった面影を探し求めて、市内を彷徨い歩きます。

数ヶ月前より、それなりに調べてはいたのですが、突然、そうだ!明日!春日部へ行こう!と、前日の夜に思い立ち、数ヶ月前の薄らいだ知識で3月10日の決行となったのです。

まあ、事前の調べ過ぎは、初めて見る楽しみを半減させるので、それは、それで、結構な決行なのです。

それで、かねてより決めていた駐車場所の“コジマ電機春日部店”を目指し16号線を走ります。予定の範囲内、11時少し前に到着。トイレで用を済ませ出発。

帰りには、必ず買い物をする事を堅く心に誓い店を後にします。

 

先ずは16号線側の入り口から出て、記憶に頼りつつ、直ぐの交叉点を左折して市内に向かい春日部駅を目指します。

左折したした先には、“コジマP”の看板を発見。

裏口?があったのです。

そうか、そうか、そうだったのかと思いつつ歩いていると、旧宿場町を感じる門構えが。

中を覗き込むと、横に伸びた幹が、ふつうは枝を横に伸ばして“見越しの松”ですが、こちらのは幹を横にした見越しの松?。

幹が赤いので赤松?まあ、そんなところでしょう。黒いのは黒松。何てことを考えつつ市内に向かうのでした。

バックが曇り空で、橋は焦げ茶色に塗られ、寂しげな橋。

川の流れも、周囲の風景も、東京から離れた、首都近県のベッドタウンの匂いがしてきます。両岸に工場などチラホラあると、寂しさはより一層なのです。

寂しげな“焦茶橋”は、それなりに飾りを施したデザインで、こんな花壇で飾られているのですが、前日の雨に濡れ如何にも寂しげで、寒そうなパンジー達。

この日の天候は午前中が曇りで午後からは晴れの予報でした。この天候予報も突然の決行を決めた要因のひとつでした。午前中は肌寒かったです。

時々、空を眺めつつ歩いていると、この塀が出現。

母家と云い、塀といい、敷地の広さと云い、

門構えと云い、春日部では、それなりに名の知れたお方のお住まい?

日光街道から離れているので、元はここいらの農村を束ねていた、苗字帯刀を許されていた庄屋様の御子孫?のお屋敷? 

でも、もしかして、その昔は小作人で戦後の土地解放で農地を取得、そして、農地が道路計画に入り、しこたま土地代金が転がり込んで、その結果のお屋敷だったりして?

勝手に妄想を膨らませ失礼致しました!

この場所で、この構え、それなりのお方のお住まいです。

本日は、このあたりで終わりとします。

失礼しました。

春日部のお話は続きます。

それでは、また次回。

 

 

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武蔵小杉周辺の高層マンションは供給過剰に

2013年08月14日 | 街の風景
“武蔵小杉シリーズ”の最終回です。

そもそもです、武蔵小杉くんだりを、暑い最中、歩いているのは、姉のお見舞いなのです。入院先は関東労災病院です。

それで、時間も早いので、綱島街道を挟んで向かいにある“川崎市平和館”一通り見て回り、汗が引いたところでボチボチ病院に向かったのでした。

平和館前と云うか、労災病院前と云うか、兎に角、綱島街道に架かる歩道橋を渡ります。


ふり返り左手に平和館、


武蔵小杉駅方面には高層ビル、


右手には労災病院。


歩道橋を下り、病院正面に到着。600床の病院はそれなりに大きいです。


休日の為、正面玄関は閉鎖されており、脇の入り口から入ります。受付で面会票に、日付、時間、患者名、診療科、病棟名、病室番号、そして、面会者の名前を記入して、首から紐で吊す“面会許可証?”を貰い受けます。

それで、記入しているとき、姉の名前を書こうとしたら、アレ?苗字?何だっけ?と手が止まったのでした。暫く?一分ほど?考えて、やっと、苗字が頭に浮かんだのでした。単なる、いわゆる“ど忘れ”、それとも、もしかして・・・・・・。

先ずは、事前に調べておいた2階のレストランに向かいます。


綱島街道方向を見渡し、


玄関ホールを見下ろし、


メニューに眼を落とします。海老フライにするか?カキフライにするか?迷ったのですが、やはり、ハンバーグ定食に決定。

お味は、とても美味くは無く、とても不味くも無く、褒めることも、貶すことも、何とも云えない、とても、とても、微妙なお味でした。

但し、御飯だけは、正々堂々、ハッキリと、不味い!、と云えるシロモノでした。3口程度しか“食べられない”ので、それは、それで、まあ、大した問題ではないのです。

食物摂取によって上昇した体温が静まるまで、辺りを見下ろし暫くは食後の休憩。1時を少し回ったところで病室に向かいます。

木目模様の床は、なかなか落ち着きます。病院の冷たさを、緊張を、和らげます。


8階の突き当たりでした。


4人部屋、名札の氏名を確認して入ります。


窓側で眺めは最高。


入院して2日目で、手術は2日後です。やることも無く、退屈で、退屈で、時間をもてあしているとの事。予定では3週間の入院。


姉と弟、あまり話す事もなく、お見舞いを置いて、“また来るよ”と云って病室をあとにしました。この日は7月27日で、そのあと、一週間ほどした8月4日、母を連れて車でお見舞いに行ったのです。

行きはエレベーター、帰りは非常階段。病院の“階段”は、冷たく、静かで、薄暗く、とても、とても、“怪談っぽく”一般見舞客が足を踏み入れてはイケナイ!、そんな雰囲気を漂わせていました。


病院を後にし、ふり返ります。


8階のあの辺りに行って来たのでした。


帰りも、武蔵小杉駅からの乗車です。

ホントに、ホントに、こんなにいっぱい建てちゃって、大丈夫なの? あれから、いろいろ、調べて見たら、このへんでも、供給過剰で、ちらほらと、売れ残り、価格下落、等の噂が流れていたり、していました。


消費税の増税前にと、駈け込み需要を煽っているようですが、売れ残って、価格の下落幅が増税額を上回るとの噂も・・・。

また、政府も増税後は住宅購入に対しては、増税分は何らかの現金給付で救済する方策を考えて居るようです。慌てると、確実に、損をします。

まあ、そんな事は、余計なお世話でした。


それでは、武蔵小杉駅シリーズを終わります。

では、また。

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川崎市平和館が戦意高揚館へ?

2013年08月09日 | 街の風景
武蔵小杉駅より関東労災病院に向かって歩いています。

右手に関東労災病院が見えて来たところで、ふと、左手を見ると、資料館的な建物を発見。


“川崎市平和館”へぇ~、こんな処に、こんなモノがでした。大きく“入館無料”の文字が目に飛び込んで来ました。“無料”に弱いのです。“タダ”なんですから、これはもう、躊躇なく寄り道です。


なかなか立派な建物です。


戦争を考える特別な8月です。拉致問題の関連展示もあるようです。


2階に上がります。何となく、それとなく、焼け跡的な導入部。


川崎は戦前から工業地帯です、軍事工場も多くあり、激しい空襲があり、犠牲者も多かったのでした。


いろいろなディスプレイが並んでいます。


こんなのとか、


こんなのとか、


こんなのとか、


全部を見ていたら先に進めません。すべて横目でチラ見で通り過ぎました。

こちらは、当時のいろいろな戦争関連品が展示されています。


こういう戦争当時の実物展示を見て、辛かった、悲しかった、怖かった、腹へった・・・、何てことを思い出す、そんな世代はもうごく僅かです。


当時を知っているのは、私の親の世代です。私の子の世代、孫の世代は、この展示品を見ることで、平和の大切さを、しっかりと頭に刻み込むことが・・・、何てことは、とても、とても、無理な気がします。


当時を知る高齢者が訪れて、当時を偲び、懐かしむ、単なる“思い出の品”の展示のような・・・。

巻脚絆、いわゆる“ゲートル”です。『少年兵用』の文字に暫く視線を止めてしまいました。少年と兵士の文字が一つに繋がることは、絶対にあってはなりません。でも、いまでも、世界には、少年兵がいるのです。


慰問袋に、何を考えるのか?


招集令状です。昔、昔のお話ではありません。国防軍、徴兵制、命令拒否は死刑、そんな文字が新聞の紙面に載る時代が来てしまいました。


神風手拭い、いまでも観光地で売っています。無邪気に買う時代から、本気で買う時代に?


いろいろな証明書です。


竹槍、国民服、防空ずきん。


この“戦死通知葉書”には驚きました。こんな重大な連絡が、分隊長クラスから、


『拝啓、時下盛夏の候と成りました・・・・・・』

こんな文面で始まる葉書が家族に送られて来ていたとは、とても、不思議な気持ちになりました。

葉書などではなく、それなりの書類で、それなりの文面で、陸軍省とか、海軍省とか、そんな機関から、それなりに公式に伝えられるのか、と、そう思っていたのです。

招集令状のお役所的な書類と比較して、死んだら、こんな葉書一枚しか送られて来ないとは、兵隊は死んでしまえば単なる数字?いや、生きているときも、単なる数字?

平和館が、いつしか、知らないうちに、そっと静かに“戦意高揚館”と、看板が書き換えられていたりして・・・・・・。まったく、有りえないことも無い、今日この頃なのです。

展示品はそのままで、看板を書き換えても、それほど齟齬はないような、そんな気がしたのでした。


それでは、また。


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武蔵小杉は製造業が衰退して高層マンションが乱立!

2013年08月05日 | 街の風景
先週からの続きです。

少しばかり途絶えていましたが、未だ終わってはおりません。それで、南部線と横須賀線とに跨がる、JR武蔵小杉の駅頭に降り立ち、高くそびえるビル群を暫し眺め回しています。

まあ、ホントに、


“たいしたもんだよイナゴの小便”なのです。


こんなに高い建物を、


こんなにいっぱい建てて大丈夫なの?何て、余計な心配をしているのです。余計な心配、大きなお世話なのです。でも、オジサンは・・・暇なのです。


ふり返り、画面奥がJR武蔵小杉駅の新南改札(横須賀線口)となっています。


先ほどの“イナゴの小便”ですが、「大した」と「田へした」を掛けているのです。


植えられた木々は、未だ、土にも、風景にも、馴染んでいません。樹は未だ独り立ちできていません。


案内板も新しいです。


“綱島街道”の位置を確認します。


確認して出発。コッチの方向が綱島街道。


しかし、開発ブームに沸き、高層マンションの建設ラッシュ、いったい何処から、どのような方々が、このマンションに移り住んでくるの?


そもそもです。この武蔵小杉周辺の再開発は、製造業の海外への移転とか、業界自体の衰退とか、そんなこんなで空いた土地に住宅を建設しているのです。

この一時の高層マンションブームは、経済の成長を表現しているのではなく、停滞を、衰退を、海外移転を、表現しているのです。

それにしても、ホント、ここにお住まいの方は、どんな職業で、どちらに通勤しているのでしようか?

それにしても、移転した工場で働いていた方達は、いま、何処で、何をしているのでしょうか?


アレヤ、コレヤに思いを馳せつつ、綱島街道に出ました。こちらも道路の拡張工事中です。最近こちらに引っ越して来たような、若いパパと可愛い女の子。


関東労災病院を目指します。病院のアクセス案内では駅から10分とありました。


こちらでもマンションの建設が始まっています。


東名高速と、第三京浜はこういう方向になるのですか。


“つなしまかいどう”です。「つなしま」と「かいどう」、しっくりと繋がっています。この周囲には、中原街道とか、府中街道とか、いろいろな街道が通っているのです。

“カイドウ”は耳に心地良く響きます。


街道に高層マンションは、あまり似合わないような・・・・・・。


前方に、


関東労災病院が見えて来ました。意外と近い?


もうすぐ到着です。


それでは、また。

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じぇ!じぇ!じぇ!JR武蔵小杉は2つで一つの駅だったァ!!!

2013年07月31日 | 街の風景
昨日の続きです。

品川駅の15番ホームで電車の来るの待っています。ふと柱に眼をやると、横須賀線の路線図?がありました。東京と横須賀間を走っていると思っていたら、相互乗り入れとかいろいろあって、南北に延びているようです。

品川の次が西大井で、その次が目的の武蔵小杉で所要時間11分。二駅で11分はかなり駅間が長い、電車に乗ると云うよりも、列車に乗るイメージ。

それにしても、この路線図は上下が逆じゃない?やっぱり北が上でないと、これだと武蔵小杉は品川の北に位置するような、そんな、錯覚を生じるのです。

それにしても、“↑15番線”と“13番線↓”の表示は何を意味するのか?と、ココまで書いて改めて眺めたら、品川から東京方面は13番線ホームで、横須賀方面は15線ホームの意味だったのです。

ローカル単線じゃあるまいし、上り下りが同じホームで発着する何て思いませんから、この表示は、小さな親切余計なお世話的と・・・、兎に角、いろいろ考えさせられる表示でした。


いろいろと思いを馳せつつ、品川駅15番ホームで待つ事数分、横須賀線の電車が入線して来ました。


車体の色も変わりました。確か昔は、窓の辺りが白で、その上下が青だった、そんな様に思います。白色も、青色も、鮮やかさは無く、灰色にくすんでいたような・・・・・・。


品川駅と西大井間は、狭く、低く、“木密地帯”で、灰色の町並で、東武伊勢崎線の風景に似ていました。

西大井を過ぎると視界は開け、鉄筋コンクリートの建物が目立ち始め、町並は高く広く明るく、東急東横線的?な風景になって来ました。それにしても、西大井駅は知りませんでした。駅前広場も、駅前商店街も、何も無かった?

たった2駅です、直ぐに武蔵小杉駅に到着。何か、新しそうな駅です。


ホームがカーブして見通しが悪いので、こんな風にして乗客の安全を確保しているのです。


透明樹脂の屋根は明るいです。照明の節約で省エネです。


左手は“NEC”の工場です。


目隠フェンスは産業スパイの視線を遮る役割?


階段が、かなり狭く、暗いのです。乗降客は意外と少ないの?


こちらも東武伊勢崎線的。


NEC専用改札口がありました。通退勤時間のみ開かれるようです。それで、何を隠そう、実は“連れ合い”はこの工場で、むかし、むかし、給料計算などしていたのです。


従業員専用で、外来者は工場に用件があってもここからは入ってはいけないのです。でも、切符があれば改札は通過出来る?それとも何か仕掛けがしてあるの? まあ、その筋の専門企業ですから、何か、きっと、仕掛けがある。


線路を潜って一般人の改札に向かいます。


この改札口から外に出たのです。よく見ると、「JR武蔵小杉駅 新南改札(横須賀線口)」とあります。じぇ!じぇ!じぇ!「横須賀線口」と云う事はです、“別の口”があるのです。


JRで、武蔵小杉で、横須賀線とは“別の口”となれば、別の口は“JR南部線”になるわけで、と云う事は、です、もしかして・・・、横須賀線の武蔵小杉も、南部線の武蔵小杉も一つの駅だったの?

そう云えば、ホームの写真をよく見たら、私の降りたホームの柱には“3番線”の表示が!ホームは1本なのに3番ホームと4番ホームだったのです。1番と2番は南部線に?


調べてみました。やっぱり、JR武蔵小杉は一つでした。直線で約300㍍も離れているのですが、連絡通路で繋がっていました。


横須賀線の武蔵小杉駅は2年前にできたばかりだったのです。連絡通路は一年遅れて開設されたようで、それまではいったん改札を出て乗り換えていたようです。

前に、武蔵小杉駅は3つあると書いたのですが、2つの間違いでした。ここで訂正しお詫び致します。チャン・チャン。

世の中、いろいろで、現場を“歩いて、見て、考え”ないと、判らない事があるのです。


今日は、歩く、見る、そして、考える・・・でした。食べるは未だです。


それでは、また。



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横須賀線に乗って武蔵小杉へ!そして関東で№2でも関東労災病院を名告っています!関東よりも東京の方が上!

2013年07月29日 | 街の風景

先日、久しぶりに電車に乗って東京を通過し川崎市に行って来ました。

実は姉が入院したのでそのお見舞いです。入院と云っても重篤で明日をも知れぬ・・・何て病ではありません。『変形性股関節症』で手術をすることになったのです。

それで、入院した病院ですが、歴史と伝統のある日本の工業地帯の代表、京浜工業地帯の労働災害による被災労働者対策をメインに昭和32年(1957年)に設立された“関東労災病院”です。

神奈川県川崎市中原区に所在するのに、神奈川労災病院でもなく、川崎労災病院でもなく、中原労災病院でもなく、関東と名告っているのには何か訳がある?

関東があると云う事は、関西には“関西労災病院”が、と、思ったら有りました。東北には“東北労災病院”があり、九州には“九州労災病院”がありました。

でも、関東には、“東京労災病院”があり、近くには“横浜労災病院”有るのです。

それで、規模をベット数で見た場合てすが、東京が400床で、関東が610床で、横浜は650床で、横浜が一番なのです。

でも、開設は横浜が平成三年で、東京が昭和24年で、関東は昭和32年で、関東労災病院は規模では“関東№2”で、開設時期でも№2で、それでも、関東を名告っているのです。

それで、労災病院は全国に34箇所あり、“労働者健康福祉機構”と云う独立行政法人が運営しているのでした。昔は労働省がやっていたのです。

はい、長くなりましたが、労災病院のお勉強を終わります。

それで、“関東労災病院”へのお見舞いですが、姉からは東急東横線の元住吉駅からが近いと云われたのです。地図を見たら、横須賀線の“武蔵小杉駅”からも近いことが判り、それと、“武蔵小杉駅”と云う駅は、近くに“3つ”もあることが判ったのです。

私にとっては、武蔵小杉駅が狭い範囲に三つもあった!とは、とても、とても、大発見なのです。東急東横線の武蔵小杉、南部線の武蔵小杉、横須賀線の武蔵小杉、こんな事は他には無い?


それで、どうやって行くかと考えたのです。東急東横線の“元住吉コース”だと、常磐線北千住で乗り換え、日比谷で乗り換え、中目黒で乗り換えで、乗り換えは3回、1時間49分で1160円。

“武蔵小杉コース”は、日暮里乗り換え、品川乗り換えの2回乗り換えで、1時間40分で1110円です。50円安くて、9分早くて、乗り換えが少ない、これはもう決まりです。

それに、それにです。“横須賀線”には、これまで63年の人生で初めてなのです。兎に角、ワクワク、ドキドキの初体験です。

と云う事で、日暮里駅に到着。


この日は暑かったのです。


久しぶりの日暮里、


山手線に乗り換えます。“山手線”は“やまて”だったか?“やまのて”だったか?案内板をよく見ると“Yamanote”とありました。

オジサンの若い頃は“ヤマテセン”でした。戦後、米軍が駅にローマ字で“Yamate”と表記した為に、“やまのて線”が“やまて線”になり、戦後は終わったと云う事で、数十年前に“やまのて線”に戻ったのでした。


それで、品川駅で降ります。


品川駅に降りるのは、たぶん、数十年ぶり、案内板を頼りに、横須賀線のホームを目指します。


品川駅は変りました。海側は暗い工場街に倉庫街だったと・・・、今ではオフィスビル街に変貌し、新幹線も発着するのです。


連絡通路を進みます。


曲がります。


“駅中”のショッピング街もできました。


ここが中央連絡通路?


横須賀線の15・16が無いけど・・・、たぶん、コッチ?


有りました! 横須賀線ホーム。


ここで、数分待ちます。


東京駅方向を見ると、人影は疎ら、こんな風景が、私にとっての横須賀線のイメージ。


兎に角、生まれて初めての横須賀線を待ちます。

きょうは、ここまで。

それでは、また。


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石岡市の風景

2013年04月26日 | 街の風景
石岡市の、















































風景でした。


それでは、また来週。



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本日は快晴でスカイツリーと富士山と豚丼です。

2012年11月02日 | 街の風景
本日は青い空で、快晴でした。




取手からの“東京スカイツリー”に、


富士山に、


焼き味?豚丼並、380円にコールスローが90円で、合計470円でした。


焼いてはいないけれど、焼いたような、見た目?と味?で、


焼き味豚丼?なのですか?

とても、とても、タレが甘く、これは、もう、何とも“バカッタレ!”でした。

血糖値が爆発です。

食後、直ぐに、缶コヒー(無糖)を飲んで突っ走りました。

それでも、2時間後の血糖値は200超えかも?

インスリン全開も、偶には・・・・・・・ねぇ?

兎に角、快晴でした。

でも、風が強かった。


じゃ、また。

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③ あの人は、今、2006年の人

2012年10月29日 | 街の風景
あの人は、今、




































2006年の人、でした。




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② あの人は、今、2005年の人

2012年10月10日 | 街の風景
あの人は、今、






































2005年の人でした。


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