2004年でした。
守谷市あたり、と、云うか、“国道294号線”に沿って自転車のペダルを漕いでいます。
国道沿いによく見かける閉店した飲食店。この造りから見て、大手ではなく、個人の店舗だと思います。そば屋さんか、和食の店でしょう。閉店の原因は、不景気の所為ではありません。不味いか、高いか、のどちらかです。間違い無い!
コンクリートの柱に、灰色に塗られたトタン板の塀、そして、工場の外壁の錆た空色のトタン板。そして、そこに甘納豆の看板。何とも、色使いと云い、錆び具合と云い、見事な構成で、あたりに哀愁を漂わしています。
何と云っても、赤いペンキで描かれた甘納豆の文字、脱色状態、剥落状態、とても、とても、素晴らしい!芸術の域に近づきつつあります。
空き地と云うか、原っぱと云うか、そして、その奥に錆びたショベルカー。
錆びに惹かれるのです。錆びは、寂び、朽ちる、果てる、還る、消える。こちらの世界から、あちらの世界に往くのです。
錆びた機械は、とても、とても、寂しいのです。
足下を見ると、これは、もしかして、あの工事現場などにある、あの“コーン”と呼ばれる円錐型の標識の頭が千切れた底の部分? 雑草の中で赤と黒が重なり合っています。役割が終わったのです。
石屋さんの展示品です。こういう橋を庭の池に架け、渡ったり、佇んだり、眺めたり・・・・・・、どんな趣味の方が買われるの? あの筋方面の方?
お地蔵様?とお釈迦様でしょうか、294号線を行き交う人や車を見守っているのです。でも、こういう“展示品の仏像”は、単なる石像であって、何処かに設置され、入仏式?を執り行って、そして、はじめて仏様になる?
それにしても、この石像と云うか、仏像と云うか、お顔と云い、全体のバランスと云い、かなり良くできています。
この手の石像屋さんと云うか、石屋さんを街道沿いで多々見かけるのですが、大きな石像ほど、頭がデカクて全体のバランスが悪いのがほとんどなのです。
と、ここまで書いて、ハッ!、と、気付いたのです。もしかして、頭でっかちに造ってあるのは、仏像を真下から“見上げる”と云う条件下において、丁度イイ頭の大きさなのかも?
今度、あの道路沿いの、あの店の、あの観音様で確かめてみます。
それにしても、お地蔵様とお釈迦様が見つめる先の国道294号線には、何故か、車の影も、人の影も、まったくありません。低く垂れ込めた灰色の雲が、何か、とても、寂しいと云うか、不気味と云うか・・・・・・。
守谷市、国道294号線の寂しい風景でした。
それでは、また。
※追記
本日は13日の金曜日です。金曜日と云えば、原発再稼働撤回!の首相官邸包囲デモの日です。18~20時と云うのは、やっぱり、かなりムズカシイのです。やっぱり、東京の永田町は遠い・・・・・・。
来週16日の11時から“代々木公園”で、内橋克人・大江健三郎・落合恵子・鎌田慧・坂本龍一・澤地久枝・瀬戸内寂聴・辻井喬・鶴見俊輔等の人達が呼びかけ人となって、“さよなら原発の10万人集会”が開催されるそうです。
どうしょうかな? 行ってみようかな?
※本日(15日)の15時30分に集会参加を“決断”しました。まぁ、参加と云っても、会場の中や周囲をウロキョロと歩き廻るだけですけど・・・・・・・。あの「制服向上委員会」の方々とか「小室等さん」とかも参加され、市民グループの第二ステージは“踊って唱って”の、お祭り的雰囲気かも?
蔓草が風に吹かれて円弧を描くのです。
山の中?狭いくねくね道のその先にある橋梁工場、完成品の搬出がかなり大変そう、と、以前からずっと思っていたのですが、最近、やっと道路が拡張されました。
ローカル線の、そのまたローカル?
駅の風景は、寂しくて、とても染みます。
鉄路のまわりは、鉄錆の匂いがします。
枕木を使った柵も堪りません。そして、この、トゲトゲだらけの鉄線、何て云ったけ?ホント、最近は何でも、名前がなかなか出て来ないのです。
え~と・・・、え~と・・・、え~と・・・、う~~ん・・・・・・そうだァ!触れると刺さる棘が有るから“有刺鉄線!!!” 有刺鉄線、懐かしい響きです。思い出せてヨカッタ!
何の役目をしているの? このボックス?
何か?信号系統でしょうか? 信号機が近くにないので、自動列車停止装置関係?
それにしても、線路の傍らに立ち続け、“雨にも負けず 風にも負けず 夏の暑さにも負けず 冬の寒さにも負けず 鉄錆に晒され 人の眼に触れることもなく 人知れず 独り孤独に”頑張っているのです。ホントに!ホントに!ご苦労さん!あんたはエライ!
お役を終えた?車達。
こちらは、お役を終えた、型枠?ですか。
こちらは再生して、もう一度蘇る?
まだいけそう?
図体のバカデカイ、アメ車、アリカンドリームの象徴。
オーバーデコレーションの時代。
この後、小っこくて、価格の安い、日本車の時代が来るのです。
守谷市の寂しいところを見つくろってお届けしました。
そんなことで、“その1”でした。
そう云うことで、“その2”もあるのです。
それでは、また。
大宮は、こんなご時世のなかで、それなりに発展しているようでした。
それにしても、ホントに、ホントに、人がいっぱい、いっぱい、歩いていました。母の日と関係があるの?
只今の放射線量は「0.11μSv/h」です。
これ以上は下がらないようです。大気中の放射性物質から放出されたものではなく、地上に降り積もった放射性物質から出ているようです。
値が一週間経っても、二週間経っても、減少も増加もほとんどしないのは、セシウムとかストロンチュウムが残っているのでしょう。
前回の続きです。
松戸市の、水戸街道沿いにある“蘇羽鷹神社”の境内に入るところです。
お詣りを、と思ったら、左手に“腕用ポンプ保存庫”の大きな文字が眼に入ってのです。「腕」の文字に、一瞬、器の“オワン”を連想してしまったのですが、わんはワンでも、うでの方の「腕」でした。
腕の力を用いて動かすポンプなのです。器のワンは木偏の“椀”でした。“椀用ポンプ”では“何のこっちゃ?”ですから・・・・・・ハィ。
でも、ワンと、ヨウと、ポンプの繋がりは、何か、とても、力が抜ける響きなのです。ワンちゃん用にも思えたり。ここは、やはり、動力ポンプの対義ですから、“腕力ポンプ”の方が、勢いよく水が出そうに感じます。
江戸のむかしの“龍吐水”の兄弟分と思ったら、「腕用ポンプ」は、それなりに災に直接放水して、消火作業が出来る優れものだったようで、地方の消防団では、戦後しばらくは現役で活躍していたようです。
「高度経済成長期」に造られた石碑には、物を大切にしない風潮に怒りを露わにしていますが、「低成長低所得」の時代が20数年続き、この先の見通しも暗く、結果として、碑文の主張は叶えられたようです。
“物質的”に豊かな時代は短く儚く、物質的に貧しい?時代こそが“ふつう”で、正しいのであります。
この頃は、歳の所為で、説教じみた話しになってしまうようです。兎に角、小金消防組第4部の腕用ポンプは大事しましょう。
ヘルメットと云うのか、防火防炎帽子と云うのか、このタイプは小さい頃に、消防署の壁に掛かっていたのを見た記憶があります。
大正12年2月に、の人達の尊い寄付で購入したのです。百年近く前なのです。歳をとると、昔のモノが愛おしくなるのです。
腕用ポンプに見とれてしまいました。蘇羽鷹神社でした。
階段を登り、鳥居をくぐります。
それでは、また次回。
常磐線の地下道を潜り、流山線の踏切を渡り、新坂川の“まちだはし”を渡ったところで引き返します。
この路を辿って来たのですが、来るときは下り坂であるのを、ほとんど意識していなかったです。帰りに上り坂となって、始めて坂であった事に気が付きました。これって、歳の所為?
中央の緑地帯に、石?と云うか、岩と云うか? こんな感じで置かれていました。予算が余って? 何となく、それとなく設置したような? それとも道路工事中に地中から出現したものを、それらしく置いたのでしょうか?
どちらにしても、大きくて重そうな石ですが、周りの風景から“浮いて”います。
それにしても、人通りがありません。
交差する通りは“はなみずき通り”です。う~ん、そうかァ、そうきますかァ・・・・・・。
はなみずき通りの一本先を左に折れます。そして、一区画ほど先で右に折れ、水戸街道方向に向かいます。
予想したとおりの場所に出ました。
蘇羽鷹神社です。
毎度、毎度、通過する度に、気になっていたのです。蘇生の蘇に、羽に、鷹です。“ソバタカ”神社です。あまり聞いた事も、見た事もない、変わった名前の神社です。
長年の思いが叶い、見学と参拝をします。
でも、本日はここでお終い。今日は床屋に頭を刈ってきたので更新が遅れてしまったのです。まあ、そんなことは、どうでもいいか・・・・・・。
それにしても、相撲の“八百長問題”は、誰が、どういう方向で、収束させるのでしょうかねェ。外野席は全員が正義を振りかざすばかり、ホント困ったものです。
それでは、次回。
“あの路の先”は、もしかして“このあたりかも?”と、思って、“このあたり”から逆に辿って“あの路”を目指したのですが、予想は見事に外れました。それでも、なかなかの風景です。
“ハートはりきゅう治療院”はいいです。ひらがなとカタカナ表記の鍼灸院には、それなりの時代性を込めた思いを感じます。赤いペンキで描かれた“ハート”の文字からは、特に強い思いが伝わってきます。
常磐線の線路際に出ました。高架が快速とか普通列車で、下が緩行線でしょうか。
地下道に潜り反対側に行きます。
自転車もオジサンも潜ります。
静かで寂しい風景です。電車が通り過ぎた後は、より寂しさ静けさが増します。
常磐線の先に、あれ?また、線路に踏切があります。
単線です。ちょうど良い具合に電車が近づいて来ます。
これは、流山電鉄です。“青空”ですか。何か、とても、微妙な名前です。聞くところによると、この車両は西武鉄道のお古だとか。
振り返ると、常磐線の普通列車か?快速か?下の線路を走っています。高架じゃないの?
踏切の先には、線路と平行して川がありました。
川沿い路を話しながら寄り添って歩く、買い物帰り?の、母?と娘?
線路沿いの路とか、川沿いの路とか、何かに“沿って”、寄り“添って”歩くのは絵になり、想像力を、好奇心を、とても刺激するのです。
二人とは、橋の上ですれ違ったのですが、とても良い雰囲気を感じました。たぶん、親子に間違いありません。
そろそろ、このあたりで引き返す事にします。
それでは、また次回。
それから数年して退職し、時折、水戸街道を車で行ったり来たりするようになり、あの時の“あの路の先”は、もしかして“このあたりかも?”と、思える?と云うか、感じる?と云うか、そんな場所を見つけたのです。
そんな、長年抱き続けた“あの路の先は?”の疑問を、今回、やっと解き明かすことになったのです。まあ、大した疑問でもないのですが、兎に角、わたくしにとっては、それなりに、ハラハラ、ドキドキ、ウキウキの“プチ探検”なのです。
それで、その日は、水戸街道沿いのスーパーの駐車場に車を入れて、“このあたりかも”から、線路沿いの“あの路”に向かって歩いたのです。
そうなんです。この高圧線の鉄塔が、もしかして?の風景につながっていたのです。高圧線の鉄塔は、いろいろな想いに、いろいろな風景に、つながって行くのです。
ごく普通の、よくある郊外の、静かで寂しい住宅地。
静かで、寂しい、住宅地のスーパーマーケット。
知らない町の、知らない風景の中を、ひとり歩いている不思議。
そろそろ、線路に近づいて来ました。
どうも、“あの路”では、ないような雰囲気がしてきました。
それにしても、何処にでもある、普通のこういう風景が、不思議で、とても惹かれるのです。
モルタル塗りの外壁とブロック塀の間に、ひょろりとした樹、プロパンガスのボンベ、ドラム缶、こんな日常的な風景が、知らない町で出会うと、とても不思議に思えるのです。
やはり、“あの路”では、なさそうです。
なさそうですが、もう少し先まで行って見ようと思います。
外では、チラチラ、小雪が舞っています。
それでは、また次回。