3月9日、一昨日です。小貝川を下り、利根川を下り、念願の“光堂”に行って来ました。
とうとう、遂に、利根川を渡って、
ここから、千葉県は布佐の町に足を踏み入れます。
1月24日から2月9日の5回シリーズ“千葉ニュータウンを目指して”を“書いた時”に発見した“光堂”です。“行った時”には見逃していたのです。
この石柱は、前回も発見したのですが、
500㍍先で眼に入ったのは、
天龍山泉倉寺で、
この本堂が、なかなか良かったので、光堂のことは頭から消え去ってしまったのでした。
帰宅後に“光堂”を調べてみたら、何と、なんと!国の重要文化財に指定されているほどの貴重なお堂だと知り、残念至極だったのです。
脇をかすめた1月23日、あれから45日?の歳月を過ぎた、この日、しっかりと、約500㍍先、泉倉寺の脇で、これを発見したのです。
“光堂”とは書かれていませんが、間違いない筈です。
他人の庭先に入って行くような道なのです。
あそこにも、何か立っています。
鉄柱の方はほとんど何が書いてあるのか判読できません。石柱の方は“光堂道”の文字がうっすら見えます。
右に曲がって、
左に曲がって、
狭くて暗い道を進みます。
民家の脇を右に折れると、
何か、お寺や神社の裏手で良く見かける、
行事用の資材置き場風のものが現れました。
見えてきました。
さあ、宝珠院観音堂、別名“光堂”に到着したようです。
本日はこれまで、この先は、次回と致します。
とうとう、遂に、利根川を渡って、
ここから、千葉県は布佐の町に足を踏み入れます。
1月24日から2月9日の5回シリーズ“千葉ニュータウンを目指して”を“書いた時”に発見した“光堂”です。“行った時”には見逃していたのです。
この石柱は、前回も発見したのですが、
500㍍先で眼に入ったのは、
天龍山泉倉寺で、
この本堂が、なかなか良かったので、光堂のことは頭から消え去ってしまったのでした。
帰宅後に“光堂”を調べてみたら、何と、なんと!国の重要文化財に指定されているほどの貴重なお堂だと知り、残念至極だったのです。
脇をかすめた1月23日、あれから45日?の歳月を過ぎた、この日、しっかりと、約500㍍先、泉倉寺の脇で、これを発見したのです。
“光堂”とは書かれていませんが、間違いない筈です。
他人の庭先に入って行くような道なのです。
あそこにも、何か立っています。
鉄柱の方はほとんど何が書いてあるのか判読できません。石柱の方は“光堂道”の文字がうっすら見えます。
右に曲がって、
左に曲がって、
狭くて暗い道を進みます。
民家の脇を右に折れると、
何か、お寺や神社の裏手で良く見かける、
行事用の資材置き場風のものが現れました。
見えてきました。
さあ、宝珠院観音堂、別名“光堂”に到着したようです。
本日はこれまで、この先は、次回と致します。