しかし、困った物のです。
どういう経過で収束して行くのか、まったく見えません。
このまま行くと、ダラダラと、数週間?数ヶ月?数年?、放射性物質を大気中に、海水中に垂れ流し続けるのでしょうか、それとも、臨界?で一気に・・・・・・・。
地震や津波の自然災害に対しては、二重、三重の安全策がこうじられており、安全であると説明されていたのです、が、二重三重の安全策は一瞬で吹き飛んでしまったのです。
原発が自然災害に対して、無防備に近いと主張していた学者やジャーナリストは居たのですが、彼らの主張に対して、マスコミも政治も世間一般の人々も、まったく真面目に採り上げることは有りませんでした。
わたくしも、反原発の本は数冊本棚にあるのですが、今は恐ろしくて手に取ることが出来ません。彼らの主張よりも、現実の原発は、もっと脆かったように思います。
世間一般の人にすれば、原発が、まさかこんなに簡単に壊れ、こんなに重大で、こんなに広範な災害をもたらすとは、夢にも思っていなかったのでしょう。
でも、わたしは、原発がかなり脆く、一度事故が起こると、取り返しのつかない大災害が起きる事を、それなりに知っていました。でも、しかし、とくに何もしてきませんでした。
毎日、身近な事だけを考え、その日が楽しければ、まあ、それで良いと思って暮らしてきたのです。専門は専門家に任せて置けば大丈夫だと、そう思っていました。
原子力発電は国家方針だそうです。単に、電力会社の経営戦略ではないそうです。いつの間にか、そんなことになっていたのです。
原発が爆発しても、東電は独占企業ですから、他に変わる会社が無いので、絶対に倒産しないのです。あんな危ない会社なのに、銀行は資金をいくらでも貸してくれるのです。
どんなことがあっても絶対に潰れない会社、赤字になりそうなら電力料金を上げればイイだけなのです。
そんな会社がまともの経営をしていたとは思えなくなりました。原子力発電が無ければ、日本の経済も、暮らしも、支える事がホントに不可能なのか?みんなで考える時では?と思うのです。
発電から供給までを独占させるのは危険では?と思うのです。そして、先ずは、原発に頼らず、本気で、死ぬ気で、自然エネルギーに変換していくべきだと思うのです。
毎日、毎日、福島第一原発の冷却作業の状況を注視し、マイクロシーベルトの値や水道水のベクレルの値を注視し、ビクビク怯えて暮らす生活は、もう、嫌です。
もし、次の衆議院選挙が行われ、ただ一点、原発反対を掲げる政党に投票します。兎に角、“命あっての物だね”なのです。
それにしても、戦時中の、あの嘘八百の“大本営発表”を、国民が疑わずに、よく信じたものだと、以前は、そう思ったのですが、今回の原発事故で、何か、それなりに、判るような気がしてきました。
誰しも、嫌な事は聞きたくないのです。疑いつつも、そうあってほしいと願い、そうだと信じるほうが、精神的に楽だったのです。
兎に角、それでも、原発の安全停止に携わる、東電の下請け、孫請け、消防、警察、自衛隊の決死的な行動に期待したいと思います。ホントに頭が下がります。
毎朝、毎晩、神様、仏様にも祈っております。
それでは、また・・・・・・。
山崎ハコ 「アカシアの雨がやむとき」
どういう経過で収束して行くのか、まったく見えません。
このまま行くと、ダラダラと、数週間?数ヶ月?数年?、放射性物質を大気中に、海水中に垂れ流し続けるのでしょうか、それとも、臨界?で一気に・・・・・・・。
地震や津波の自然災害に対しては、二重、三重の安全策がこうじられており、安全であると説明されていたのです、が、二重三重の安全策は一瞬で吹き飛んでしまったのです。
原発が自然災害に対して、無防備に近いと主張していた学者やジャーナリストは居たのですが、彼らの主張に対して、マスコミも政治も世間一般の人々も、まったく真面目に採り上げることは有りませんでした。
わたくしも、反原発の本は数冊本棚にあるのですが、今は恐ろしくて手に取ることが出来ません。彼らの主張よりも、現実の原発は、もっと脆かったように思います。
世間一般の人にすれば、原発が、まさかこんなに簡単に壊れ、こんなに重大で、こんなに広範な災害をもたらすとは、夢にも思っていなかったのでしょう。
でも、わたしは、原発がかなり脆く、一度事故が起こると、取り返しのつかない大災害が起きる事を、それなりに知っていました。でも、しかし、とくに何もしてきませんでした。
毎日、身近な事だけを考え、その日が楽しければ、まあ、それで良いと思って暮らしてきたのです。専門は専門家に任せて置けば大丈夫だと、そう思っていました。
原子力発電は国家方針だそうです。単に、電力会社の経営戦略ではないそうです。いつの間にか、そんなことになっていたのです。
原発が爆発しても、東電は独占企業ですから、他に変わる会社が無いので、絶対に倒産しないのです。あんな危ない会社なのに、銀行は資金をいくらでも貸してくれるのです。
どんなことがあっても絶対に潰れない会社、赤字になりそうなら電力料金を上げればイイだけなのです。
そんな会社がまともの経営をしていたとは思えなくなりました。原子力発電が無ければ、日本の経済も、暮らしも、支える事がホントに不可能なのか?みんなで考える時では?と思うのです。
発電から供給までを独占させるのは危険では?と思うのです。そして、先ずは、原発に頼らず、本気で、死ぬ気で、自然エネルギーに変換していくべきだと思うのです。
毎日、毎日、福島第一原発の冷却作業の状況を注視し、マイクロシーベルトの値や水道水のベクレルの値を注視し、ビクビク怯えて暮らす生活は、もう、嫌です。
もし、次の衆議院選挙が行われ、ただ一点、原発反対を掲げる政党に投票します。兎に角、“命あっての物だね”なのです。
それにしても、戦時中の、あの嘘八百の“大本営発表”を、国民が疑わずに、よく信じたものだと、以前は、そう思ったのですが、今回の原発事故で、何か、それなりに、判るような気がしてきました。
誰しも、嫌な事は聞きたくないのです。疑いつつも、そうあってほしいと願い、そうだと信じるほうが、精神的に楽だったのです。
兎に角、それでも、原発の安全停止に携わる、東電の下請け、孫請け、消防、警察、自衛隊の決死的な行動に期待したいと思います。ホントに頭が下がります。
毎朝、毎晩、神様、仏様にも祈っております。
それでは、また・・・・・・。
山崎ハコ 「アカシアの雨がやむとき」