昨日、安倍晋三首相は17日、靖国神社で始まった秋季例大祭に、「真榊(まさかき)」を「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で奉納したそうです。
と、まあ、本日は、いきなり出だしから、とても、とても、お堅い話題から始まるのです。新聞テレビでは、いつも、いつも、この時期、この話題になるのですが、庶民の間では、まず話題にはしません。
関心が無さそうで、有りそうで、でも、反対なのか、賛成なのか、自分の意見を、ご近所、お友達、会社の同僚などと、話し合う事はありません。
まあ、どのような事柄でも、国論を二分する微妙な政治的問題には、見ざる、聞かざる、云わざるで、当たり障り無く暮らすのが、とても楽な生き方なのです。
それで靖国神社ですが、私は、数年前に参拝して来ました。“戦場”で命を無くした方々に対して、二拝し二拍手し一拝したのでした。
戦勝国が敗戦国を裁判に寄って裁くのには問題があります。当然、戦勝国の都合の良い判決が下されるのは“当たり前田のクラッカー”です。
新たな戦争の“タネ”は、敗戦処理の中に、潜んでいる?隠れている?仕込まれている?と、世間では云われております。
負けたほうは、時が経つにつれ、どうしても名誉挽回の行動に出てくるのです。敗戦国を、経済的、政治的、思想的に追い詰める敗戦処理は間違いで、危険なのです。でも、やっぱり、どうしても、排除できない矛盾?
ポツダム宣言の受諾、東京裁判、すべての戦争責任を軍部に押し付けて、手打ちにしたのです。それによって天皇制、官僚制は守られ、国家は守られ、世界は納得し、戦後の経済的発展が約束されたのです。
安倍総理の“戦後レジームからの脱却”は、戦勝国から見ると、“ちゃぶ台返し”と思われる危険性があります。
最近では、どう思われようと、日本国として、日本人として、絶対に譲れない矜持であり、一戦交えてでもと思う方もいるようです。
欧米諸国も、中国も、韓国も、判って居る人は、判っているのです。何処の国でも、これまで、やったり、やられたりの歴史なのです。
まあ、まあ、そう云うことで、東京裁判なんてモノも、やったり、やられたりの、勝った方がに負けた方を一方的裁く、そんなものです。
戦勝国が正義で、敗戦国は不正義なんて、そんなこと、何処の国でもそれなりの方々は、誰も本気にはしていません。
その事に対して、本気になって感情的反発するのは、とても、大人げないと思うのです。
でも、時々、本気になって感情的に反発する政治家がいるのです。歴史的な諸問題は、互いに、歴史学者に任せ、政治家は現実的な政治をやったら如何と、思うのです。
大人げないと云えば、いわゆる“従軍慰安婦”に関連する韓国の対応です。兵士の性欲を処理する、それなりの施設を設置する事は、何処の国の軍隊でも、ないしょで、密かに、やっていた事ことです。
問題は、強制があったのか?にある訳ですが、当然、“強制”もあったでしょうし、その強制に一部公権力の介在もあったことでしょう。それに対して日本は、それなりの対応を過去に行って来ました。
でも、韓国側の当事者の方々の中には、これまでの謝罪や補償では、とても、とても納得できないと、思う方が居ることも事実。
でも、でも、です。その事をです、国家間の外交関係に、友好関係に、日韓関係の第一義的な課題として、“入り口の問題”とするのは疑問です。
正常な外交関係の中での交渉課題とするべきです。出口の問題とするべきです。と、まあ、私が叫んだところで、朴槿恵大統領の耳に届く訳でもありませんが・・・。
兎に角、韓国も、中国も、そして、日本も、尖閣や、竹島や、上海大虐殺や、慰安婦や、前大戦で蒔かれた戦争のタネを、いろいろな思惑で煽り合うのは危険です。
政権の“政策”として煽っているのは韓国であり、中国である、と、日本が叫び。いや、日本の政権の政策として対立を煽っていると、まあ、お互いに譲らない現状。
こういう対立に、静かに、じっくり話しあい、折り合いを付けるのが政治なのですが、どうしても、どうしても、強硬意見を声高に叫ぶ勢力に人々はなびき易いのです。
対立は、煽った方が、ずっと、ずっと、楽ちんで、頭も使わないで済みます。でも、いつか、いろいろな思惑を超えて、誰も制御できなくなり悲劇的な結末を、必ず迎えます。
でも、しかし、中国も、韓国も、日本も、もう、後戻りできない、曲がりが度は過ぎてしまっている・・・・・・、そんな気がする今日この頃。二度目の貴重な経験は、もう始まっている?
外は、風もなく、寒くもなく、暑くも無く、空を青く、雲は白く、とても、とても、気持ちの良い日です。
それでは、また。
と、まあ、本日は、いきなり出だしから、とても、とても、お堅い話題から始まるのです。新聞テレビでは、いつも、いつも、この時期、この話題になるのですが、庶民の間では、まず話題にはしません。
関心が無さそうで、有りそうで、でも、反対なのか、賛成なのか、自分の意見を、ご近所、お友達、会社の同僚などと、話し合う事はありません。
まあ、どのような事柄でも、国論を二分する微妙な政治的問題には、見ざる、聞かざる、云わざるで、当たり障り無く暮らすのが、とても楽な生き方なのです。
それで靖国神社ですが、私は、数年前に参拝して来ました。“戦場”で命を無くした方々に対して、二拝し二拍手し一拝したのでした。
戦勝国が敗戦国を裁判に寄って裁くのには問題があります。当然、戦勝国の都合の良い判決が下されるのは“当たり前田のクラッカー”です。
新たな戦争の“タネ”は、敗戦処理の中に、潜んでいる?隠れている?仕込まれている?と、世間では云われております。
負けたほうは、時が経つにつれ、どうしても名誉挽回の行動に出てくるのです。敗戦国を、経済的、政治的、思想的に追い詰める敗戦処理は間違いで、危険なのです。でも、やっぱり、どうしても、排除できない矛盾?
ポツダム宣言の受諾、東京裁判、すべての戦争責任を軍部に押し付けて、手打ちにしたのです。それによって天皇制、官僚制は守られ、国家は守られ、世界は納得し、戦後の経済的発展が約束されたのです。
安倍総理の“戦後レジームからの脱却”は、戦勝国から見ると、“ちゃぶ台返し”と思われる危険性があります。
最近では、どう思われようと、日本国として、日本人として、絶対に譲れない矜持であり、一戦交えてでもと思う方もいるようです。
欧米諸国も、中国も、韓国も、判って居る人は、判っているのです。何処の国でも、これまで、やったり、やられたりの歴史なのです。
まあ、まあ、そう云うことで、東京裁判なんてモノも、やったり、やられたりの、勝った方がに負けた方を一方的裁く、そんなものです。
戦勝国が正義で、敗戦国は不正義なんて、そんなこと、何処の国でもそれなりの方々は、誰も本気にはしていません。
その事に対して、本気になって感情的反発するのは、とても、大人げないと思うのです。
でも、時々、本気になって感情的に反発する政治家がいるのです。歴史的な諸問題は、互いに、歴史学者に任せ、政治家は現実的な政治をやったら如何と、思うのです。
大人げないと云えば、いわゆる“従軍慰安婦”に関連する韓国の対応です。兵士の性欲を処理する、それなりの施設を設置する事は、何処の国の軍隊でも、ないしょで、密かに、やっていた事ことです。
問題は、強制があったのか?にある訳ですが、当然、“強制”もあったでしょうし、その強制に一部公権力の介在もあったことでしょう。それに対して日本は、それなりの対応を過去に行って来ました。
でも、韓国側の当事者の方々の中には、これまでの謝罪や補償では、とても、とても納得できないと、思う方が居ることも事実。
でも、でも、です。その事をです、国家間の外交関係に、友好関係に、日韓関係の第一義的な課題として、“入り口の問題”とするのは疑問です。
正常な外交関係の中での交渉課題とするべきです。出口の問題とするべきです。と、まあ、私が叫んだところで、朴槿恵大統領の耳に届く訳でもありませんが・・・。
兎に角、韓国も、中国も、そして、日本も、尖閣や、竹島や、上海大虐殺や、慰安婦や、前大戦で蒔かれた戦争のタネを、いろいろな思惑で煽り合うのは危険です。
政権の“政策”として煽っているのは韓国であり、中国である、と、日本が叫び。いや、日本の政権の政策として対立を煽っていると、まあ、お互いに譲らない現状。
こういう対立に、静かに、じっくり話しあい、折り合いを付けるのが政治なのですが、どうしても、どうしても、強硬意見を声高に叫ぶ勢力に人々はなびき易いのです。
対立は、煽った方が、ずっと、ずっと、楽ちんで、頭も使わないで済みます。でも、いつか、いろいろな思惑を超えて、誰も制御できなくなり悲劇的な結末を、必ず迎えます。
でも、しかし、中国も、韓国も、日本も、もう、後戻りできない、曲がりが度は過ぎてしまっている・・・・・・、そんな気がする今日この頃。二度目の貴重な経験は、もう始まっている?
外は、風もなく、寒くもなく、暑くも無く、空を青く、雲は白く、とても、とても、気持ちの良い日です。
それでは、また。