歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

志村坂下・蓮根町 ② 高島平駅の高架を支えるモアイ像と生き残っていたダイエー志村店はサンゼリゼ店でした!そして懐かしのダニエル・ビダル!

2017年01月12日 | 東京の風景

前回の続きです。

都営三田線の高島平駅で降り、これより「ふるさと」の蓮根町に向かって歩きます。

駅前の道は「高島通り」です。前回、「高島平通り」と書きましたが、平らは入らなかったのでした。まあ、有っても、無くって、大して問題は無いのです。

それで、因みに、この高島通りは、終点西高島駅の3百メートル先で、埼玉県に入り「笹目通り」と名称が変わります。境の町並は連続していて、何か、とても、腑に落ちない変な感じなのです。

境には「白子川」と云う細い川が流れているのですが、川は境ではなく、境界線はジグザグに川の両岸を行ったり来たりしているのです。たぶん、曲がりくねった境界線が、昔の白子川の流れた名残なのでしょう。 

境界線の話しはそれくらいにして、話しを戻します。高島平駅を出て、高島通りを蓮根町を目指し歩きます。

この通りの風景は年に2~3度車で通過する際に眼にする風景です。でも、高架の柱のこの顔には気が付きませんでした。

さすが、東京都の交通局です。財政に余裕があるのです、こんな遊びができるのです。遠い南の海に浮かぶ、小さな島の石像を連想させます。まあ、いいと思います。

歩道橋に上がって埼玉方面を望みます。

かまぼこ屋根が高島平駅です。

こちらが東京方面となります。

それで、この歩道橋の近くの高島通りに、不自然な出っ張りがあるのです。写真を撮り忘れましたが、団地側の道路脇に排気筒?通気筒?と思われる設備があるのです。

と云う事で、これは間違いなく、以前は川だったのを暗渠にした為の出っ張りだと判断。平らにしなかったのは、川の水深とか、水面の高さとか、いろいろあって、工事費用面から、平らよりも、出っ張りを選択したのでしょう。

帰宅後に調べたら、やっぱり、むかし、ここには川が流れていました。それで、この昔の川の名残ですが、これから歩きまわり、昔の懐かしい風景を探す大事なポイントとなりそうです。

むかし家の近所には、川と云うか、どぶ川と云うか、家庭の排水とか、工場の廃液とか、そんなモノが流れる川が幾筋かあり、いろいろな想い出と繋がっているのです。

そんな想い出を探して、高島通りを歩きます。それにしてもこの高層アパート群は、とても、とても、冷たく、殺伐感が漂います。この日は寒かったのと、北側で日陰で、寂しさ感が増幅されたのでした。

殺伐感と云えば、むかし、ここは、自殺の名所だったのです。昔とは、1970年代の初め高島平団地が生まれた直ぐの頃からで、当時は高層アパートが珍しかったのです。1980年には飛び降りた人の合計が133人に達したそうです。

そこで、対策として、こんな柵が設置され、一件落着となったそうです。

何か、とても、暗い話しになってしまいました。話しを変えます。

話しは変わって、高島通りを蓮根町に向かい、道の両側は商業区域に変わります。昔は田圃とか原っぱでした。

こんな広い道も、こんな交叉点も信号も有りませんでした。 ここの「ダイエー」は生き残ったようです。

調べてみたら、この店の名前は、何と、何と、“ダイエー板橋サンゼリゼ店”と云うそうです。あの“シャンゼリゼ”とは異なるようです。

シャンゼリゼと云えば、「オー・シャンゼリゼ」の「ダニエル・ビダル」です。ホント!可愛らしい女性でした。

そう、1970年代の始めの頃でした。日本語版も出て大ヒットしました。ダニエル・ビダルは日本のコマーシャルでも大活躍しました。歯磨き粉のコマーシャルを見た記憶が残っています。懐かしい!

それで、ここまで歩いて来て限り、昔の風景を思い起こさせるモノには、未だ出会っていません。

もう少し歩くと、そろそろ、我がふるさとに入ります。そこには、懐かしい小学校と、消防署と、公園と、神社がある筈です。

この先は次回とします。

それでは、また。

  

 

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