歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

野口雨情も東海林太郎も“都鳥さえ”何て云ったのです

2012年03月27日 | 東京の風景
先週からの続きです。

隅田川の河畔を二人連れだって歩いています。

“言問団子”の店の前は、ちょっとした公園になっていて、いろいろ石碑が建っているのです。

こちらが“巨匠”と云われる“野口雨情”の歌碑です。


説明には「昭和8年門下生の詩謡集の序詞執筆のため当地に来遊の折り唱われたものである」と記されています。昭和63年に作成された文章です。


『都鳥さえ 夜長のころは 水に歌かく 夢もみる』ですか・・・・・・。


門下生とか、詩謡集とか、序詞とか、執筆とか、来遊とか、かなり古い表現が使われています。遠い、むかし、昭和8年、あの頃、あの時代・・・・・・。そんな想いを、込めた、意識した、結果がこの表現なのでしょうか。、

それにしても、巨匠野口雨情を意識し過ぎたのか、最後の「記念碑に刻し、永遠に保存する」は、とても、とても、大時代的で力み過ぎです。

それで、本題の歌の方ですが、“都鳥さえ”の“さえ”が、引っ掛かるのです。都鳥本人の耳に入ったら、かなり不愉快な気持ちになると思います。

※都鳥はユリカモメ説が有力なのですが、確定ではないそうです。つい最近まで使っていた言葉なのに、何で確定ではないの? あまりにも当たり前過ぎて、誰も都鳥に感心を持っていなかった?

あんな、何処にでも、うじゃうじゃ居る、ありふれて、見飽きた、只の鳥でも、夜長の頃になると、物思いに耽って、下手な歌の一つ捻りたくなる、と、云っているのです。

そう云う歌を、門下生の歌集の巻頭に載せるのは、どういうこと? 門下生の歌は都鳥レベル?って云う事こと? と、思ったのです。

が、しかし、ここは、やはり、自分の弟子の作品を師匠が褒めたら、それは、世の習いに反すると云う事で、卑下した結果なのでしょう。

隅田川に多く生息していた都鳥としては、そんなことに、自分の名前を使われては、立つ瀬がありません。とても失礼なことです。

隅田川で、“都鳥さえ”で、もう一つ、可哀想なことを思い出します。あの歌、あの歌謡曲、あの名曲です。

作詞が佐藤惣之助、作曲が山田栄一、昭和12年(1937年)発売で、あの“巨匠”東海林太郎が唱い、大ヒットした“すみだ川”です。

そんな古い歌を、リアルタイムで聴いたことが有ろう筈も無いのに、ナゼか知っているのです。それだけ、この歌が一世を風靡した証拠です。

それで歌詞ですが、一番が、

♪銀杏返しに黒繻子(くろじゅす)かけて 泣いて別れたすみだ川
 思い出します 観音さまの 秋の日暮れの鐘の声

どうです、情緒たっぷりで、いい詞です。いまでも、メロディーが耳に流れてきます。

そして、二番が、

♪娘心の仲見世(なかみせ)歩く 春を待つ夜の歳(とし)の市
  更けりゃ泣けます 今戸(いまど)の空に 幼馴染(おさななじみ)のお月様

そして、三番に都鳥の登場で、

♪都鳥さえ一羽じゃ飛ばぬ むかし恋しい水の面(おも)
 逢えば溶けます 涙の胸に 河岸(かし)の柳も春の雪

“都鳥さえ一羽じゃ飛ばぬ”です。“さえ”は、ホントに都鳥に失礼だと思います。ホントにこの日は、一羽じゃなくて、二人連れでヨカッタ! 

隅田川の河畔を一人で歩き回っていたら、きっと、自分は都鳥以下なのか? と、春なのに、とても寂しく、悲しく、情け無く、重たい気分になったことでしょう。

兎に角、何と云っても、二人連れ、これより、本日のメインである、東京スカイツリーに向かいます。

案内には、当然、未だ、スカイツリーの名は刻まれていません。


刻まれていなくとも、見上げれば、いいのか?


さあ、それでは、スカイツリーを目指します。


それでは、また。

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