歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

加賀百万石そして配水塔の弾痕 その4 「王子の狐 」

2006年11月11日 | 東京の風景
続きのはじまりです。

「野方配水塔」を後に、東武東上線「大山駅」の商店街を抜け、板橋の仲宿商店街に入ると、左足の甲が痛みだしたのです。

この日、厚い靴下を履いた為、敷き皮を取り、靴ひもの絞め具合いを変えたのが原因です。歩き始めて4時間、普段も疲れが出る頃です。

仲宿商店街を5分ほど歩いたところで、左折して「王子新道」に入りました。ここで今日の終点を京浜東北線「王子駅」に決定しました。

王子新道が「石神井川」に出る少し手前の公園の入り口で、「東京市」の文字を発見。東京にいる頃に、何度かこの公園の前を、自転車で通り過ぎていたのですが、今回、始めて気が付いたのです。



右から左に「東京市板谷公園」と刻まれています。昭和12年ですから西暦では1937年です。ということは69年前ですね。

手入れがよいせいか、まったく時代を感じさせない表示板。まァ、文字がハッキリしていたので気が付いたのですが・・・・・・・チョット残念。

そばに「開園の由来を書いた説明板」は、時代を感じさせるものでしたが、文字の判読が困難でした。
こんなことがかかれていました。

『 本園附近一帯ハ石神井流域三合野原ノ一部ニシテ寛文年中加賀前田候ノ邸地トナリシヨリ金澤ト呼バレ由來近郊ノ閑地タリシカ昭和十一年五月土地区画整理の際シ所有者板谷宮吉氏ハ此地千六百餘坪ヲ公園地トシテ寄付セラレ乃チ本園ノ完成ヲ見ルニ至レリ茲ニ開園ニ際し園地ノ來由ヲ記シ以テ寄贈者ノ芳志ヲ永ク後世ニ傳フ
昭和十二年四月  東京市 』

この辺りは、加賀藩の下屋敷があった場所で、「加賀」の地名や、金沢橋、金沢小学校など、関連する名前が残っています。しかし、この「板谷宮吉」さんて「誰?」 加賀藩との関係は?

帰宅後、ネットで調べると、北海道小樽の「海運王」で、銀行も傘下に持つ大財閥で、初代は1924年に他界、寄贈したのは2代目でした。地元の小樽では学校などいろいろと寄付をしていて有名人でした。

初代が日清・日露の戦争で財を成し、「二代目はクリスチャン(冗談)」ではありませんでしたが、二代目以降は下降線を辿ったようで・・・・・・。寄贈した時期が頂点だったようです。特に加賀藩との繋がりは見つかりませんでした。


それで、板谷公園を通りすぎ、足の痛みに耐えながらら、石神井川沿いの遊歩道をピッチを上げて歩きました。

早く王子駅に辿り着き、早く電車に乗って帰りたい。家に着いたら、風呂に入って早くビールを飲み干したい・・・・・・。

いつものパターンです。後半は周りの景色を見る余裕が無くなり、ひたすら歩くだけになってしまいます。

川沿いの遊歩道が終点に近づき、音無橋の下「音無親水公園」を通りすぎ、王子駅前にでました。

駅前にある。落語「王子の狐」の舞台になった「扇屋」で写真を一枚。

扇屋さんは、卵焼で有名な店で、一度は味わって見たいと思っているのです。こういう店は一人で入ると寂しくなるのです。

今度、桜の咲く頃に、配偶者を誘って食べに来たいと思いつつ、前を通り過ぎました。その時は、三ノ輪橋から都電です。

写真は一階の売店です。店はこのビルの三階にあります。

今回は歩きました。巣鴨で降りて王子まで、今回もいろいろ発見でき面白かったです。写真は300枚以上撮りました。これから調べたりする、楽しいネタもいろいろ発見できました。

   ここまでおつき合いしてくれた方 『ありがとう』 

     これからも、読んで下さいね!  
    

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