歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

加賀百万石そして配水塔の弾痕 その3 哲学堂

2006年11月10日 | 東京の風景
続きのはじまりです。

「帝銀事件」の「現場検証」を終わり、そろそろ昼飯に蕎麦を食べようと駅前に戻りました。狭いアーケードに入ると直ぐに、「尾張屋」を発見。先ずは店の外観を撮影し店内へ。



自動ドアが開き、一歩脚を踏み出したと同時に、「エッラッシャイ!」と威勢のいい声。一瞬「ここは寿司屋か?」と思ってしまった。先客はいません。

店員は60代と20代の男が二人。店はそこそこ小綺麗、よくある町のお蕎麦屋さん。私の座った席の横は「はめ殺しのガラス」に格子が入り、厨房の中がよく見える位置。

注文後にメニューを眺めると、まさに正真正銘の町の蕎麦屋。
チャーシュー麺、五目そば、もやしそば、味噌ラーメン、チャーハンにオムライス。カツカレーにカツライスに、雑煮、あべかわ、いそべ巻き。何でも有りの店だった。
ここまでやるかと「感心」してしまった。
「ナポリタン」に「お子さまランチ」まで「あと一歩」である。頑張ってほしい 
「大盛り」を食べました。「町のお蕎麦屋さん」の普通の味でした。

ただ。一言だけ云いたい「蕎麦をざるに盛った後で、薬味を小皿に盛るなと云いたい」順番が逆なのだ。かけ声だけは威勢がいいが、段取りがわるい。



昼食後は、路地を抜け「目白通り」「新青梅街道」を中野方面に向かって歩きました。

新青梅と「千川通り?」の交差したところに「哲学堂公園」があります。ここは、今から三十数年前、自転車通勤をしていた頃に、毎日通った道です。自転車通勤は三年ほど続けました。

哲学堂公園の近く、千川通りに面した「みずのとう幼稚園」の裏手に「野方配水塔」があるのです。「配水塔」の隣にあるから「みずのとう」幼稚園・・・・・・いいなぁー。



それで、配水塔何ですが、自転車通勤している頃です。
この配水塔を暫く・・・・・・1年ほどですかね、何故か、何となく「哲学堂」と思い込んでいたのです。

哲学堂公園から離れて、哲学堂があるのは変ですよね。
住宅地にそびえ立つその「堂々とした姿」に、何故か「哲学」を感じたのかもしれません。



今回、気付いたのですが、塔の下に公園があったのです。幼稚園の脇道から入ると野球のグランド一面ほど広さで、太いヒマラヤ杉が何本もあり、塔とのバランスもよく、静かで落ち着いた公園でした。

ベンチに座り、杉の木越しにそびえ立つ、塔を眺め暫しの休息。
「塔」の脇を、自転車で通勤していた頃を思い出しました。

個人的には二十代の前半から後半に入り始めた頃でした、世の中は「70年代」です。個人的にも社会的にも「いろいろなこと」があった時代でした。

所謂、「雨の日も、風の日も」ペダルを漕いで、会社に通っていました。電車に乗るのが嫌だったのです。

電車に乗ると「自分の意志」と関係なく、前に進むわけですが、自転車は自分の意志で漕がなければ、前には絶対進まないのです。

毎日、ペダルを漕いでいると、少しずつ「前に進む」気持ちが生まれてきました。
「哲学堂(配水塔)」の下を、毎日「哲学」しながら通った三年間でした。
私の「青春」が終わった時代です・・・・・・。

昔の思い出に耽っていると、隣の幼稚園から可愛い園児の声が聞こえてきました。携帯を取り出し、待ち受け画面の「孫」の写真を見つめてしまいました・・・・・・。

休憩後、トイレで用を足そうと歩きだすと、「小さな案内板」が目に入りました。
そこには、「塔の外壁に、空襲時の弾丸の痕跡が残されている」・「幼稚園側から見えます」との説明でした。

通り出て、改めて眺めると角窓の付近にそれらしいものが確認できました。写真では「黒点」に見えるのが「弾痕」です。

  ここで、   続きます  


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