裏磐梯 秋元湖にほど近い森の中から・・・

裏磐梯の森の中の家、薪ストーブ、庭、山、酒、音楽を愛する独居老人の日常生活の記録、綴り続ける備忘録。

 

角川書店 昭和文学全集 銀河鐵道の夜  

2019年02月11日 | 本を読む

自室のストーブの前、ボロボロ、分解しそうな66年前のハードカバーを膝の上に載せ、読んでいる。

本は1952年(昭和27年)配本が開始された角川書店、昭和文学全集の第14巻、宮沢賢治集(昭和28年配本)の一篇、銀河鐵道の夜。

戦後の混乱期から経済成長の時代に向かう頃の空前の全集出版ブーム、我が家でも角川書店から出版予定の昭和文学全集を父が予約、

配本される都度、重そうに数冊本を抱えて会社から帰ってくる、そんな父の姿を今でも覚えている。

全60巻の配本が終わった頃、粗末な組み立て式の書架が送られてきた。

だが、その書架に全巻揃うことはなかった。家族6人、誰かが自分の好みの本を手元に持っていって返さない。

小学校3,4年生だった私は宮沢賢治に夢中だった。爾来、その本は66年間ずっと私の手元にあり続けている。

風の又三郎、ポラーノ廣場、クスコーブドリの傳記、だが断然私は銀河鐵道の夜が好きだった。

当時、賢治といえば風の又三郎だった時代、正字、旧仮名遣い、ルビなし、細かい活字の三段組の本に小学生がなぜ?

黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果・・・苹果を読み、理解し得たのであろうか?

賢治の思想、哲学、教養、宗教、科学のすべてを織り込んだ銀河鐵道の夜、小学生の私が理解し得たのか?

だが、通俗を嫌うマセガキ、現実と幻想の世界、夢想する少年、繰り返し読んだ少年期の私の深層心理に言い知れぬインパクトを与えたことは確かであろう。

文献学的研究がなされてない時代に出版された本、遺稿には頁数さえなく、紛失稿もあり、研究の進んだ現在出版されている本とだいぶ違う。

だが、私にはこの不完全な本、形而上学的深い意味を含むブルカニロ博士の登場の結末で終わる銀河鐵道の夜でなければならないのだ。

平易な結末では満足できない、この本の銀河鐵道の夜を心から愛する。

改めてよく見れば 全部ではないが初めて出てくる苹果にりんごとルビが振ってある

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薪ストーブの前で・・・

2018年02月23日 | 本を読む

ストーブ前に座り込み、Amazonから届いたばかりの本を読んでいる。

昼、そして夜。

田渕義雄著、「森からの伝言」退行的進化論と森の生活。

彼、久しぶりの本である。田渕義雄、1944年生まれ、私と同じ73歳。

田園生活者の深層にじわじわと浸透する示唆に満ちた彼の著書、私にとってのバイブル、と言っていいのだろう、

ここにある自分の生活の多くは彼の数々の書著があったから、と言っていい。

だが今、彼についてこれ以上盲目的に語るのはやめにしよう・・・

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串田孫一 山のパンセ 音楽の絵本のことなど・・・

2017年01月24日 | 本を読む

今日も一日雪、薪ストーブの前に座り込み、本を読む。

手にした本は断捨離の処分を逃れて本棚にわずかに残された一冊、今ある自分の生きる方向に大きく係わったと言っていい一冊。

高校生、1960年ごろか、国語の教科書にそれはあった。

掌編随筆、旅人の悦び、その数ページの文章の感動はかって経験した事なない心の深層に静かな衝撃を与えた。

旅人の悦びが山のパンセの1文であることを知り、それを手に入れ夢中で読んだのは無論のこと。

その後の自分の自然趣味、登山趣味、美意識の形成に深く関わっていることは間違いないだろう。大学生活は山登りの中にあったといっていい。

社会人になってメチャメチャに忙しい日々の繰り返しの中で見つけたFM東京の前身、FM東海のラジオ番組、音楽の絵本 ・・・

番組の主は山のパンセの著者、串田孫一その人であった。夜遅い番組であったと思うが、その時間までに間に合う帰宅は少なかった。

串田孫一、2005年没、90歳。(偶然you tubeで見つけた音楽の絵本   冬の記憶 2つにリンクを貼る )

当時の本は散逸してしまってない。今ある本は社会人になって再度手に入れたもの。

 

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ひとりよがりのクリスマス

2013年12月24日 | 本を読む

家周りの除雪に半日を費やす。

たったこれだけで何かを成したという充実感、馬鹿なことだ、と思う。さらに・・・

2人だけのクリスマスイブ、夕方から妻は料理に忙しい。

薪ストーブの前のテーブル、今日は特別、妻が作ったおいしい料理、イタリアでレストランテでも開こうか。

ローストチキン、パンチェタ、チーズたっぷりの焼きたてピッツア、トラメッツィーニ、スプマンテ、ワイン・・・

東京のI氏に送っていただいた山下達郎のアルバム、Season's Greetingsがずっとリピートで流れ続けている。

アルコールに酔った妻、自室に。

ひとりよがりのクリスマス・・・

今日の私、ガーダードのオイルランプの下で開高を読んでいる、初版本、1979年11月発行の釣りの絵本OPAを拾い読みしている。

第一章、神の小さな土地、第二章、死は我が職業、第三章、八月の光・・・

1時間、幸わせになりたかったら酒を飲みなさい。

3日間、幸わせになりたかったら結婚しなさい。

8日間、幸わせになりたかったら

豚を殺して食べなさい。

永遠に、幸わせになりたかったら釣りを覚えなさい

               ・

酔とストーブの暑さ、グリンリベットのグラスを持って外に出る。

暗い夜空、見上げる顔に雪が冷たい、首筋が冷たい。ああ雪が降っている。

温度計を見る。-5°c、そんな寒さ、全く感じとることはできない。

ただただ暗く、そして静かだ。

暑く、乾いた喉を潤すためにビール、今は一時間の幸せの追求に夢中・・・

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やっと読了・・・

2013年02月19日 | 本を読む

今日も雪。

やっと一冊の本を読み終えた。

この頃全くと言っていいほど本を読むことがなくなった。ここ数年、一体何冊の本を読んだだろうか?

深い雪に閉ざされた長い冬、長い自由な時間があるにもかかわらずだ・・・

ボケ始め、溶け始めた脳に喝を入れるため、一冊の本を手にしたのが1月はじめ、既に40日以上前。

一昨年冬、およそ読むことがないだろう本を数百冊処分した。

現在本箱に残っている本はこれから死を迎えるまでの残された短い時間に読むつもりの選ばれた本。

その少ない本の中からの一冊、ツルゲーネフ、父と子再読。(40年以上前に読んだ本、だが、おおよそのプロットは覚えていた)

戦前の古い翻訳、それにロシア文学特有の読みづらい登場人物の姓名、父称、愛称と複雑に使い分けされ、時として混乱し、戻り読みする。

注意深くゆっくりとほとんど朗読するかのように読み進める、こんな本がボケ始めた脳にはピッタリなのだ。それにしても読書スピードが遅くなった事驚くばかり・・・

自分の若い頃、少年期、青年期を通し、根本思想のどこかに虚無的な考え、シニカルな悲観的考えが巣食っていた。

これははつらつと生きようとする青少年には非常に有害な考えであった。

そんな時分読んだ父と子、宗教、哲学、芸術を一笑に付し、すべてのオーソリティーを否定するニヒリスト、そんな主人公のバザーロフに共感したのであろう、共鳴するところがあったのだろう・・・

だが、今回の読後感は全く違うものであった。主人公バザーロフの不完全さ、未成熟さばかりが目立ち、若くして死んでしまう主人公の人生いの虚しさ、悲惨さ、彼の存在はなんだったのであろうか、と思ってしまう。

彼の優れた分析、批評能力は単なる否定のための否定、人間社会をより良くしようと努力する人間に嘲笑的態度を取ことに終わってしまう、若きバザーロフ・・・

今回の再読はツルゲーネフが創造した主人公バザーロフよりも彼を取り囲む人々、父と子、即ち旧時代と新時代との見解の相違、衝突と言う古くて新しい問題、人間の根源的問題、ライトモチーフとも言うべきものに心揺り動かされた。

パーヴェル・ペトローウィチ、バザーロフの激しい論争に体を熱くし、我が子を思う主人公の父、ワシーリイ・イワーノウィチ、母、アリーナ・ヴラシェヴナの狂おしいばかりの愛情、アルカージイとその父ニコライ・ペトローウィチにあっけなく感涙した。

40数年の時の流れ・・・変わった。年老いた。

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朝露の一滴にも天と地が映っている・・・

2011年12月12日 | 本を読む

昨日の書棚の整理で出てきた本、開高 健、『もっと遠く』その見返しに・・・

何かずっと前、もうすっかり記憶から消え去ろうとしていた本、ずっと大切にしていた本だったのに・・・

釣りの絵本、最初はFish on、続く1978年のオーパ、そして1981年出版、『もっと遠く』がこの本だ。

見返しに書いて頂いたサインは1983年ごろだろうか、はっきりした記憶は今はない。

朝露の一滴にも天と地が映っている・・・はたして天才コピーライター開高が創作したコピーだろうか、解らない、だが、そうであってほしい。

洋酒の寿屋の手先だった彼をとても好きになれなかった、そんな時もあった、いつからだろうか、そんな彼の作品に夢中になってしまったのは・・・

開高 健、作家としての真骨頂は随筆にあったと思う。読み手の五感に見事に訴えかける言葉の展開の見事さは随筆にあった、と思う。

存命していたら81歳、川端、大江に続いて3人目のノーベル文学賞受賞の可能性も十分あっただろうに。

BEHOLD、 開高のこのサイン、ロゴマークといってもいいサイン、あぁ、すぐにでも、あぁ、すぐにでも、輝ける闇、夏の闇、読み直してみたい、猛烈に。

昨日の整理ではなかった、どこにいってしまったか、家のどこかにあるはずである・・・

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サラサーテの盤

2010年12月16日 | 本を読む

内田百のサラサーテの盤を読む。昨日郡山の書店に寄った時、買ってしまった。帰宅後すぐ読み、そして今日ストーブの前でゆっくりと再読している。

サラサーテの盤には近づきたくなかった、読みたくなかった、だがついに読んでしまった・・・

最も繰り返し観る映画、私にとって比類のない映画、鈴木清順のツィゴイネルワイゼンの原作であるからだ。

読後の落胆は、内田百のサラサーテの盤の存在は鈴木清順のツィゴイネルワイゼンという作品を損ねてしまうという心配、それはまったくの杞憂だった。

背筋が寒くなる恐怖、忍び寄る説明不能な空恐ろしさ、現界と霊界をさまよう夢想の世界は損なわれることなく、

さらに強烈に増幅されてツィゴイネルワイゼンの映画に見事に昇華されていることを知った。

映画、ツィゴイネルワイゼンの主観的説明は無用。

是非ご覧あれ。

 

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スイカズラとフォークナー

2010年06月30日 | 本を読む
一日雨。一日家ですごす。たまったエコポイントをネットで申請する。とても解りづらい。時間がかかるり、イライラ・・・やっと3件処理。
居間の窓を開ける。大きく育った軒下のコンスタンス・スプライが満開、そしてその枝に野放図に絡みつき育ったスイカズラ、これも満開、その強い香りが交じり合い流れ込む。
スイカズラに鼻を近づける。これがスイカズラの香り・・・
ずっと前、若いころフォークナーにかぶれた事があった。響きと怒り、サンクチュアリ、八月の光・・・どの作品だったか、覚えてない、が、スイカズラの花の香り・・・よく出てくる。スイカズラというとすぐにフォークナーを思い出してしまうほどだ。そのころスイカズラなどまったく知らない。ましてその花の香りなぞ。ただずっとスイカズラに未知の憧憬を抱いていた、と思う。
翻訳者はスイカズラの香りを知っていたのだろうか?今日、翻訳したらそのままハニーサックルとするするのだろうか?など余計なことを考えている。
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稲田に浮かぶ磐梯山

2009年07月22日 | 本を読む
郡山に夏の買い物。曇り空、これでは部分日食も期待できない。車の中、日食で暗くなったはずであったが、気付かぬまま終わってしまった。本屋で『白痴』買う。久しぶりの文庫本のコーナーで驚いたこと、それは上下巻でおよそ2,000円、文庫本も知らぬ間にずいぶん高くなったこと、際立つ品揃えの悪さ、岩波文庫の棚が荒れていたこと、岩波、大丈夫だろうか?と思うほど。八重洲ブックセンター郡山店、比較的大型の書籍店にもかかわらずだ。
いろいろ雑多な買い物で車のトランクが一杯になってしまった。
帰路、猪苗代の広大な水田を通る。磐梯山が梅雨雲と戯れている。
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ドストエフスキー

2009年07月17日 | 本を読む
昨夜、BShiで亀山郁夫、悲劇のロシア・前編を見る。珍しくも、ぐっとひきつけられ、釘付けになってしまう。番組はツァーリズム末期、暗く、深い絶望感に支配されたロシアを背景に創作されたドストエフスキーの作品を紹介するものであった。虐げられた人々、罪と罰、白痴、悪霊、そしてカラマーゾフの兄弟。ドストエフスキーの出会いは強烈であった。家に転がっていた本、兄弟の誰かが読んだ本、深夜何気なく手に取り、寝ながら読み始める。ぐんぐんひきつけられ、時間の経過も忘れ、気が付けば白々と夜は明けている、通学の電車の中でも、授業をサボり、キャンパスの芝生の上でも読み続け、そしてやっと読了。それほど夢中に、一気に読まされてしまった本、それは『虐げられた人々』であった。ドストエフスキーとの初めての強烈な出会い、18,9歳のころの出会いであった。それから罪と罰、カラマーゾフの兄弟、憑かれたように読み漁ることになる。
亀山郁夫に遥か遠い青春の埋もれ、忘れ去ってしまった何かを触発されてしまった・・・すぐにでも白痴を、悪霊を読んでみようと思う。すぐにでも本屋に飛んでゆこうと思う。田舎の本屋の文庫本の棚にも置いてあるだろう。
(あった・・・何度の引越しにも捨てられることなく。河出書房、昭和27年発行ドストエフスキー全集第3巻 虐げられた人々)
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春の雪

2008年03月31日 | 本を読む
窓を開ける。やはり春の雪が静かに降っている。木々は白い雪の花を咲かせている。明日はもっと降る予報だ。春の雪といえばなぜか三島由紀夫を連想してしまう。今年の冬はたっぷり時間があったにもかかわらず、ほとんど本を読まなかった。久しぶりに三島を読んでみようと思う。春の雪、奔馬、天人五衰、暁の寺、豊饒の海4部作を文庫本はやめ、三島らしいけばけばしい装丁のハードカバーで読んでみようと思う。
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文庫本・・・

2008年02月07日 | 本を読む
一時本を手放すことができず、やたら読み漁る時期があった。本棚に捨てられず、いまだ残った文庫本、変色し、埃だらけの一冊を手にとる。それはヘミングウェイ、「陽はまた昇る」旅の前に長い機中で読もうと探したが見つからなかった一冊だった。スペイン、ブルゲーテでのマス釣り、パンプローナの闘牛、各ページ、登場する酒、酒、酒。そして妖艶なブレッド。このヘミングウェイ初期の作品が好きで何度も読み返し、ボロボロ、忘れがたき一冊。ところでめくったページの奥付。角川源義から春樹、この奥付が消えるころから文庫本は大きく変わった。出版人の良識が変わった。スピンがなくなり安易なすぐバラバラになる製本に変わった。装丁の低下とともに本の内容の質が大きく変わった。そして日本人の価値観、倫理観が変わった・・・・・
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ターシャ・テューダー そしてヘンリー・デイヴィッド・ソロー

2007年01月31日 | 本を読む
2夜に渡ってbs-hiで放映された、ターシャの四季の庭「喜びは作り出すもの」ターシャからの贈りもの「夢はかなえるもの」を見る。ターシャ・テューダー、1915年生まれ、今年91歳。絵本作家、庭師、料理人、バーモント州の広大な森の中で暮らす、19世紀的生活様式の実践者。20世紀に失ってしまった大切なものが何なんであったか、おぼろげながら気づきつつある現代人のターシャ人気はすごいものがある。ターシャの話の中にヘンリー・D・ソローが出てくる。当然といえば当然だが、彼女も熱烈なソロー信奉者の一人なのであろう。今夜から私も早速、『ウォールデン-森の生活』を読み直すつもりである。大きく狂い始めた21世紀、ターシャ、さらにソローの共鳴者、信奉者が世界中に増えれば21世紀の暗闇の中にかすかな灯り、希望を見出せるかもしれない。
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今年も庭のリンゴが咲き始めた

2006年05月25日 | 本を読む
庭のリンゴが開花すると決まって開高健が好んで色紙に書いた言葉を思い出す「あした世界が滅ぶとも今日リンゴの木を植える」 後にこの言葉はマルティン・ルターからパクッたものと知ったのだが ともあれ私は開高健が好きであった この地に移住したときすぐに植えたのがこのリンゴだった 主だった作品はすべて読んだ 生前 幸運にもお会いする機会があった 早速彼の著書の見返しに彼 独特の書で次の言葉を書いていただいた 「朝露の一滴にも天と地が映っている」 うむー そこにコピーライターとして超超一流の開高健があった(庭にて)  
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