小雨、気温4°c、雪解け、急激に進む。
昼過ぎ傘をさし、毘沙門沼周辺を1時間ほど散策、激しい雪解けを確認する。
昨夜、やっと『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』読了、随分時間がかかった。
2つの異なる世界での物語、
「世界の終わり」そして「ハードボイルド・ワンダーランド」が交互に展開する不思議な国、おとぎの国の物語。
「世界の終わり」の各章の一つのサブタイトル、「ハードボイルド・ワンダーランド」の3つのサブタイトル、
エレベーター、無音、肥満、脈絡不明、読み飛ばすことができず、なにか?をついつい考え、先に進むことができない。
酒を飲みながら、音楽を聴きながらではあるが・・・
「やみくろ」は小学生の時読んだ部分的であるが非常に強い記憶として残る「手塚治虫」の『地底国の怪人』
そのオマージュではないか、とか?モーツアルトが出てくるとそれを聴き、春樹特有の漢字、カナ、かなの使い分け、多数、なぜ?
手風琴「てふうきん」とわざわざルビを振るのは風、小さな楽器の強調(熟字訓アコーディオンは✖解りやすい)
手風琴を奏で、長いあいだ「僕」が失っていた唄、『ダニー・ボーイ』
「ロンドンデリーの歌」ではいけないのか?『ダニー・ボーイ』の英文の歌詞を調べ、理由を探ろうとしたりする。
村上作品はどうしてもひっかっかる所が多く、読み飛ばすことができない。
『ノルウエイの森』あとがきに『世界の終り・・・・・』が「自伝的とある」がこれも理解不能。
私は同時代の作家の作品をほとんど読んだことがない。「村上春樹」が初めてといってもいい。
だからだろうか、「村上春樹」は偉大なハッタリ屋、偉大な詐欺師の感が未だ拭えない。
とはいえ、読者が途中で投げ出すことなく、グイグイと読み切ってしまう作品の魅力、力はずば抜けている。
是非、ノーベル文学賞受賞、そして古典として生き残り100年、200年読み継がれる作家であって欲しい。
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