遅かれ、早かれ人は死を迎える。長寿大国日本、寝たきり老人大国とも揶揄。
果たしてどれだけの人が健康寿命を超え100年の人生を享楽しているのだろうか。
現在200万人、5年後250万人の寝たきり老人の予想、ご本人のみならず支えるご家族、関係者、
日本がいかに危ういか、恐ろしいことになるか。
医者任せでない尊厳死、安楽死を多くの人がタブー視せず、自身のこととして真剣にえる義務がある。
ベッドに縛られ死ぬまで続く拷問、延命治療。考えたくないことだ。
神の存在さえ疑いたくなるような病苦の末、あの世に向かう事実。
twitterでもつぶやいたことだが、このブログでも多くの人が安楽死法制化に賛同して欲しいので敢えて記す事にする。
国会議員はだれのために、何のために存在しているのか、背中をど突かなければ動けない臆病、卑劣、決断力なし、
気にするのは次回選挙に向けての人気取り、金集めの売国奴。
国民が触れたくないこと、嫌なことだがせねばならぬことを推し進める勇気、気概ある人物、
国民のため有用、必要な法案起草、改正、日本の将来の政策を真剣に論議するそんな議員、少しでも欲しい。
だが、虚しい、もうこれ以上言うのはやめよう。
すでに安楽死を法制度化した国はあるのだ。
葬送曲、自宅のベッド、愛する家族、ペットに囲まれて安らかに、眠るように死の世界に旅立ち、人生を閉じる、そんな自由が欲しいだけなのだ。
(葬送曲はマーラー交響曲3番、最終6楽章がいい、昨夜偶然観たハードディスクに録画していたマリス・ヤンソンス、
アムステルダム・コンセルト・ヘボウの3番の演奏があまりに素晴らしかった・・・)
この6楽章(この演奏はバーンスタイン)をじっくり聴きながら必ずやってくるご自身や身近な人の死を命ある者の定めとして思い巡らせてください。
今回いろいろのご批判覚悟の上、偉そうに書かせていただきました。
この映像の人物、なにか胡散臭く見えるが是非、最後まで観て欲しい。
真実、知らなければならない、実現しなければならないことを述べているのだから。
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