投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月18日(土)11時05分48秒
泉徳治氏(元最高裁判事)の「可部恒雄さんの思い出」(『判例時報』2135号、2012)は、
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一 スモン和解
二 判決へのこだわり
三 首席調査官時代のあれこれ
四 画歌文集「旅情」
五 チップス先生さようなら
六 そして、可部さんさようなら
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という構成です。
四の冒頭を少し紹介してみると、
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可部さんは、昭和二七年四月、初任地の福岡地裁に着任し、翌二八年、同地裁判事佐藤秀氏の薦めで、当時八女に本部のあった「やまなみ短歌会」に入会し、終生同会で短歌を続けられた。
昭和二〇年一〇月に、広島の焼け跡の、昔電車通りであった所を通っていた時に、「トタン葺の小さな本屋が出ておりまして、そこに、戦後復刊第二号の『アララギ』が出ておるのを見て、本当に飛びついて買った」と記しておられるから、青年のころから短歌の世界にあこがれておられたのであろう。
【中略】
可部さんは、平成一二年一月一四日の宮中歌会始の「召人」に選ばれた。ご題は「時」。可部さんは、次の歌を詠進された。
病める日も清(さや)けき時もともにゐて妻と迎ふる新しき春
披講による朗詠の間、緊張した面持ちで起立しておられる可部さんのお姿を、私はテレビで拝見していた。私は、平成一一年六月二日の調査官出身者による可部さんの叙勲祝賀会等で、ご夫妻の仲むつまじさを目の当たりにしてきており、可部さんの誠に素直なお歌を拝聴して、思わず顔がほころぶのを禁じ得なかった。
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とのことで(p6)、この一作だけで歌人としての才能を判断することはできませんが、召人の立場にふさわしい歌ではありますね。
また、『旅情』は「可部さんの歌と散文、奥様の誠に見事な玄人はだしの写生画が収められている」画歌文集だそうです。
ついで、「五 チップス先生さようなら」も冒頭から引用してみると、
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可部さんは、昭和五四年三月の最初の訪英の際、ケンブリッジに足を伸ばし、ジェイムズ・ヒルトンの名作「チップス先生さようなら」の舞台となったパブリック・スクール「ブルックフィールド校」のモデルといわれるリース校を訪れ、その思い出を「法曹」平成一二年六月号に寄稿しておられる。私も、この作品なら研究社の小英文学叢書で読んだことがある。可部さんは、四五年間にわたる裁判所在職は自分の半生というより一生であるというに近いとして、人生のすべてをブルックフィールド校と共に過ごしたチップスの姿にご自分をなぞらえておられる。そして、チップスが何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion"であるということを紹介しておられる。
可部さんは、最高裁判事の六年一〇か月の間に、一二件の個別意見を書かれているが、大法廷判決での反対意見一件を例外として、他はすべて補足意見である。補足意見は、多くの場合、同僚の裁判官を説得して多数意見を形成した上で、多数意見に更なる説明を加える趣旨で書かれるものであるから、個別意見の中では最も理想的なものであると思う。論客ぞろいの第三小法廷にあって、可部さんが全件で多数意見に加わっておられるということは、可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得た結果ではなかろうかというのが、私の解釈である。私が事件の関係で先例となるべき最高裁判例を探そうとすると、可部さんが加わった判決に遭遇することしばしばであった。
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とのことで(p7)、可部氏が主観的に<何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion">なんですね。
そして、客観的にも<可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得>ていたにも拘らず、同調が得られなかった唯一の例が愛媛玉串料訴訟大法廷判決のようですね。
泉徳治氏(元最高裁判事)の「可部恒雄さんの思い出」(『判例時報』2135号、2012)は、
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一 スモン和解
二 判決へのこだわり
三 首席調査官時代のあれこれ
四 画歌文集「旅情」
五 チップス先生さようなら
六 そして、可部さんさようなら
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という構成です。
四の冒頭を少し紹介してみると、
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可部さんは、昭和二七年四月、初任地の福岡地裁に着任し、翌二八年、同地裁判事佐藤秀氏の薦めで、当時八女に本部のあった「やまなみ短歌会」に入会し、終生同会で短歌を続けられた。
昭和二〇年一〇月に、広島の焼け跡の、昔電車通りであった所を通っていた時に、「トタン葺の小さな本屋が出ておりまして、そこに、戦後復刊第二号の『アララギ』が出ておるのを見て、本当に飛びついて買った」と記しておられるから、青年のころから短歌の世界にあこがれておられたのであろう。
【中略】
可部さんは、平成一二年一月一四日の宮中歌会始の「召人」に選ばれた。ご題は「時」。可部さんは、次の歌を詠進された。
病める日も清(さや)けき時もともにゐて妻と迎ふる新しき春
披講による朗詠の間、緊張した面持ちで起立しておられる可部さんのお姿を、私はテレビで拝見していた。私は、平成一一年六月二日の調査官出身者による可部さんの叙勲祝賀会等で、ご夫妻の仲むつまじさを目の当たりにしてきており、可部さんの誠に素直なお歌を拝聴して、思わず顔がほころぶのを禁じ得なかった。
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とのことで(p6)、この一作だけで歌人としての才能を判断することはできませんが、召人の立場にふさわしい歌ではありますね。
また、『旅情』は「可部さんの歌と散文、奥様の誠に見事な玄人はだしの写生画が収められている」画歌文集だそうです。
ついで、「五 チップス先生さようなら」も冒頭から引用してみると、
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可部さんは、昭和五四年三月の最初の訪英の際、ケンブリッジに足を伸ばし、ジェイムズ・ヒルトンの名作「チップス先生さようなら」の舞台となったパブリック・スクール「ブルックフィールド校」のモデルといわれるリース校を訪れ、その思い出を「法曹」平成一二年六月号に寄稿しておられる。私も、この作品なら研究社の小英文学叢書で読んだことがある。可部さんは、四五年間にわたる裁判所在職は自分の半生というより一生であるというに近いとして、人生のすべてをブルックフィールド校と共に過ごしたチップスの姿にご自分をなぞらえておられる。そして、チップスが何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion"であるということを紹介しておられる。
可部さんは、最高裁判事の六年一〇か月の間に、一二件の個別意見を書かれているが、大法廷判決での反対意見一件を例外として、他はすべて補足意見である。補足意見は、多くの場合、同僚の裁判官を説得して多数意見を形成した上で、多数意見に更なる説明を加える趣旨で書かれるものであるから、個別意見の中では最も理想的なものであると思う。論客ぞろいの第三小法廷にあって、可部さんが全件で多数意見に加わっておられるということは、可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得た結果ではなかろうかというのが、私の解釈である。私が事件の関係で先例となるべき最高裁判例を探そうとすると、可部さんが加わった判決に遭遇することしばしばであった。
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とのことで(p7)、可部氏が主観的に<何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion">なんですね。
そして、客観的にも<可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得>ていたにも拘らず、同調が得られなかった唯一の例が愛媛玉串料訴訟大法廷判決のようですね。