学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

可部裁判官の「釣合いの感覚」

2016-06-18 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月18日(土)11時05分48秒

泉徳治氏(元最高裁判事)の「可部恒雄さんの思い出」(『判例時報』2135号、2012)は、

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一 スモン和解
二 判決へのこだわり
三 首席調査官時代のあれこれ
四 画歌文集「旅情」
五 チップス先生さようなら
六 そして、可部さんさようなら
------

という構成です。
四の冒頭を少し紹介してみると、

------
 可部さんは、昭和二七年四月、初任地の福岡地裁に着任し、翌二八年、同地裁判事佐藤秀氏の薦めで、当時八女に本部のあった「やまなみ短歌会」に入会し、終生同会で短歌を続けられた。
 昭和二〇年一〇月に、広島の焼け跡の、昔電車通りであった所を通っていた時に、「トタン葺の小さな本屋が出ておりまして、そこに、戦後復刊第二号の『アララギ』が出ておるのを見て、本当に飛びついて買った」と記しておられるから、青年のころから短歌の世界にあこがれておられたのであろう。
【中略】
 可部さんは、平成一二年一月一四日の宮中歌会始の「召人」に選ばれた。ご題は「時」。可部さんは、次の歌を詠進された。

 病める日も清(さや)けき時もともにゐて妻と迎ふる新しき春

 披講による朗詠の間、緊張した面持ちで起立しておられる可部さんのお姿を、私はテレビで拝見していた。私は、平成一一年六月二日の調査官出身者による可部さんの叙勲祝賀会等で、ご夫妻の仲むつまじさを目の当たりにしてきており、可部さんの誠に素直なお歌を拝聴して、思わず顔がほころぶのを禁じ得なかった。
-------

とのことで(p6)、この一作だけで歌人としての才能を判断することはできませんが、召人の立場にふさわしい歌ではありますね。
また、『旅情』は「可部さんの歌と散文、奥様の誠に見事な玄人はだしの写生画が収められている」画歌文集だそうです。
ついで、「五 チップス先生さようなら」も冒頭から引用してみると、

-------
 可部さんは、昭和五四年三月の最初の訪英の際、ケンブリッジに足を伸ばし、ジェイムズ・ヒルトンの名作「チップス先生さようなら」の舞台となったパブリック・スクール「ブルックフィールド校」のモデルといわれるリース校を訪れ、その思い出を「法曹」平成一二年六月号に寄稿しておられる。私も、この作品なら研究社の小英文学叢書で読んだことがある。可部さんは、四五年間にわたる裁判所在職は自分の半生というより一生であるというに近いとして、人生のすべてをブルックフィールド校と共に過ごしたチップスの姿にご自分をなぞらえておられる。そして、チップスが何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion"であるということを紹介しておられる。
 可部さんは、最高裁判事の六年一〇か月の間に、一二件の個別意見を書かれているが、大法廷判決での反対意見一件を例外として、他はすべて補足意見である。補足意見は、多くの場合、同僚の裁判官を説得して多数意見を形成した上で、多数意見に更なる説明を加える趣旨で書かれるものであるから、個別意見の中では最も理想的なものであると思う。論客ぞろいの第三小法廷にあって、可部さんが全件で多数意見に加わっておられるということは、可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得た結果ではなかろうかというのが、私の解釈である。私が事件の関係で先例となるべき最高裁判例を探そうとすると、可部さんが加わった判決に遭遇することしばしばであった。
------

とのことで(p7)、可部氏が主観的に<何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion">なんですね。
そして、客観的にも<可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得>ていたにも拘らず、同調が得られなかった唯一の例が愛媛玉串料訴訟大法廷判決のようですね。
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「私の記録の読み方が足りませんでした」(by 某最高裁判事)

2016-06-18 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月18日(土)09時27分28秒

国会図書館サイトで「可部恒雄」を検索したら7件しか出てきませんでした。
その中で入手が容易だったご本人の「性急な法曹一元論を排す─ある元キャリア裁判官の思うこと」(『論座』64号、朝日新聞社、2000)と、可部氏と同じく最高裁判事を務めた泉徳治氏の「可部恒雄さんの思い出」(『判例時報』2135号、2012)を読んでみましたが、両方とも面白いですね。
前者には編集部のつけた、

------
本誌〔2000年〕八月号の「再生のアジェンダ・司法を社会の中へ」で対談した矢口洪一・元最高裁長官と中坊公平・元日弁連会長は、それぞれの立場から司法改革の中心課題に「法曹一元」の実現をあげた。こうした主張に対し、スモン薬害訴訟での和解実現で知られる可部恒雄・元最高裁判事は、自らの経験に基づきながら、いまの「法曹一元論」には重大な欠陥がある、と反論する。
------

という前置きがあり、その後、

------
原子雲の下に生き残って
医者、弁護士、そして裁判官
法服を着た裁判官には上司も部下もない
「世間知らず」への疑問
途はすでに開かれている
似而非なる法曹一元
世界に誇れる清廉と公正
-------

という、これもおそらく編集部がつけた小見出しに沿って議論が展開して行きますが、その三番目、「法服を着た裁判官には上司も部下もない」から少し引用してみます。(p58以下)

------
 法曹一元を唱える人から、キャリア裁判官は「上司」である裁判長や所長、あるいは最高裁の顔色ばかり見て、良心に従った判断をしていない、という批判がなされることがある。しかし、これはおよそ実情からかけ離れた言い分である。
 ひとたび法服を来た裁判官には、一般社会でいう上司と部下という区別がない。裁判官と裁判官との間を規律するものは、先輩と後輩という関係のみである。裁判所の中で、私はこのことを、あらゆる機会に公言してきたが、一度も、そして誰からも、異論を差しはさまれたことはない。本来、弁護士志望だった私は、前述のような経緯で判事補に任官したが、その後、嫌気もささずに仕事に邁進できたのは、この自由闊達な雰囲気があったればこそである。
 私は最高裁の調査官室に前後三回にわたって勤務したが、先輩格の調査官が若い訟廷部付の判事補にやり込められて、それで格別問題の起こらないのが同室の研究会であった。
 法廷で証言を聞き、記録を読んで事実認定に力を尽くす。それが裁判官(トライヤル・ジャッジ)の仕事である。
「記録を読んでいない者には合議に参加する資格がない」。これは、ある最高裁判事が審議の席上で、不用意な発言をした先輩裁判官に向かって発された言葉である。それを伝え聞いて、私は強い戦慄に似たものを感じた。
「言いたいことを言え。ただし、一人前に仕事をしたうえで言え」「合議に際しては先輩に対しても遠慮はいらない。ただし、記録を読んでからにしろ」。そういう雰囲気の中で私は育てられ、そしてそれを後輩に伝えようと努力してきた。
 最高裁の調査官として、ある事件について主任裁判官とかなり激しい議論をしていた時のことである。そのご意見が記録に照らして誤りであることを具体的に指摘した私に対して、裁判官は「私の記録の読み方が足りませんでした」と言って、頭を下げられた。調査官として現にお仕えしている最高裁判事からそのようにされて、私は内心の感動を禁ずることができなかった。事実の認定は裁判の生命であり、それにかかわる者の間に上下の区別はないのである。
 裁判官の命を受けて事件の調査にかかわる立場の調査官にしてこうである。いわんや第一線の裁判官においてをや。
------

最高裁調査官の世界など普通の人にはなかなか伺い知る機会はないので、貴重な証言ですね。
特に<裁判官は「私の記録の読み方が足りませんでした」と言って、頭を下げられた>には驚きました。
そして、この部分を読んで、私は改めて津地鎮祭訴訟大法廷判決における「裁判官藤林益三の追加反対意見」の奇妙さを連想しました。
同意見には同一性保持権を無視した違法な引用があり、また引用に際して出典を明示しないという別の著作権法違反もありますが、このような史上稀なる失態が生じたのは、藤林が他の四裁判官との反対意見を纏めた後、時間に追われて調査官と全く相談しないまま同意見を書いたからでしょうね。

「結論が先で論理は後」(by 藤林益三)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/609e5e14290bde3ad9fbe30d3c5325fd
「裁判官藤林益三の追加反対意見」の執筆時期
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脱キリスト教化とナチズム

2016-06-17 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月17日(金)11時52分15秒

6月11日の投稿で、辻村みよ子氏が『比較憲法』(岩波書店、2003)において、

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 ドイツでは,前述のように,公立学校において宗教教育を正規の授業科目とすることが定められており,「宗教の授業は,国の監督権を害さない限りにおいて,宗教共同体の教義にそって行われるものとする」とされる(基本法第7条3項).実際にも,キリスト教の宗教教育が必然的なものと解されてきたため,もともと教育における国家の宗教的中立性を確保することは困難である.これに対して,フランスでは,公教育の中立性を確保するための真摯な努力が続けられている.
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と書いていることに触れ、ついでに若干のイヤミも言いましたが、まあ、ドイツだってドイツなりに「真摯」だからこそ、あえてキリスト教の宗教教育を残しているのじゃないですかね。
パリ周辺部に相当遅れたとはいえ、ドイツでも啓蒙主義の荒波を受けて社会の脱キリスト教化はそれなりに進行しており、20世紀に入って脱キリスト教化がひとつの頂点に達した時点で登場したのがナチズムですね。
久しぶりにエマニュエル・トッドを少し引用してみます。(『新ヨーロッパ大全Ⅱ』、藤原書店、1993、p38以下)

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歴史的経過の問題─脱キリスト教化とナチズム

 一八九〇年から一九一四年までの間、反ユダヤ主義は無視できない勢力を持っていたが、支配的ではなかった。汎ゲルマン主義民族主義の片隅に巣食う過激分子という格好であった。まだ現実には自律性を持っていなかったのである。一八九〇年から一九一四年の間、反ユダヤ主義の候補者の得票率は二%から三%にすぎなかった。それと一九三二年七月三十一日の選挙で民族社会党が獲得した三七・四%の得票とは、比べものにならない。反ユダヤ主義イデオロギーの勢力伸長の各段階は、ドイツの脱キリスト教化の進展速度を考えると理解できるようになる。宗教実践の衰微は一八七〇年から一八八〇年にかけてプロテスタントの労働者世界で始まる。そして一八八〇年頃には中間階級にも及び始める。しかし一九一四年の時点で、脱キリスト教化はプロテスタント・ドイツそれ自体においてもまだ完了から程遠かった。ルター主義は弱まったが、死んではおらず、とりわけブルジョワ階級に残っていた。宗教の衰微は社会民主主義と自民族中心的民族主義という二つのイデオロギーの成長を引き起こした。しかし一九一四年にはドイツはまだ道の半ばにあったにすぎない。脱キリスト教化が完成し、農民、ブルジョワ、あるいはホワイトカラーという新たなカテゴリーといった中間階級全体が不信仰へと立ち至るのは、一九一八年から一九三〇年までのことである。この時、そしてこの時のみ、一国のイデオロギー化がその頂点に達することができる。ルターの神がついに消滅し、宗教的不安がさらに重くたちこめた雰囲気の中で、時代そのものが世界の終末の様相を呈して来る、そのような時に、権威と不平等の理想の究極の実現たるナチズムが勝利するのである。一九二九年の経済危機は、家族的価値が権威と不平等の理想を生み出している国で、中間階級が伝統的宗教の心を安らげる保護膜からこぼれ落ちるまさにその瞬間に起こったが故に、人種主義型の政治危機を引き起こすことになったのである。以下のような数字によって、この時間的経過の一致を検証することができる。プロテスタントの「堅信式」の件数は一九二〇年に八〇万八千件だったのが、一九三〇年には四四万七千件に落ちた。宗教的信仰の消失の直接的結果たる出産率が落ち、そのため出生率は一九一八年に二五%だったのが、一九三〇年には一五%となっている。
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トッドが挙げた数値を根拠に「ルターの神がついに消滅」と評価できるかはともかくとして、脱キリスト教化が急速に進展した後にナチズムが登場したことは明らかだと思います。
戦後、(西)ドイツの憲法体制がナチズムへの反省から新たに構築されたことを否定する憲法学者はいないでしょうが、信仰の自由についても、「真摯さ」が足りないから政教分離を徹底させなかったのではなく、むしろドイツなりの「真摯さ」の結果として国家と宗教を徹底的に分離せず、公教育の中立性を徹底的に追求しなかったのではないか、即ち意図的な「不徹底」こそがドイツなりの「真摯さ」の現れなのではないかと思うのですが、この点はまた後で検討したいと思います。

政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その2)
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『トクヴィル 平等と不平等の理論家』

2016-06-17 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月17日(金)10時23分10秒

>筆綾丸さん
>ヴェズレーとサンデマン
サンデマンは名前も知りませんでしたが、その後継者のアメリカでの伝道はあまり成功しなかったようですね。
後世への影響力という点ではウェズレーはすごいですね。
それにしてもプロテスタントの系統図は無限に分岐して行きますから、なかなか覚えられません。
せめて宗派ごとに芸術的特色でもあればよいのですが、それは殆どなくて、理屈の違いだけですからねー。


>大覚醒
たまたまライシテの勉強の続きで宇野重規氏の『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社メチエ、2007)を読んでいたところ、大覚醒への若干の言及がありました。
もっともトクヴィルがアメリカを訪問した十九世紀前半の第二次大覚醒運動の方ですが。

サントリー学芸賞選評(鹿島茂氏)

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

神の場 2016/06/15(水) 11:46:37
小太郎さん
靖国神社大学(仮称)設立運動が現実化したら、国内的(vs.立憲主義者)にも国外的(vs.中国政府)にも大騒ぎになり、そうか、こんな条文があったのか、とメディアの世界では憲法9条よりも憲法89条の方が問題になるかもしれないですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Sandeman_(theologian)
サンデマン(1718-1771)とウェズレー(1703?1791)の関係に言及したウィキの説明によれば、青山学院大学や関西学院大学の教祖ヴェズレーとサンデマンの間には、大覚醒(The Great Awakenings)という最大公約数があったのですね。どのような思想か、知りませんが。
His work was widely read, and influenced a great many independent clergy throughout England. The Letters drew heated responses from theologians such as John Wesley and John Brine who were more closely aligned with Hervey's views.

--------------
ファラデーは、宗教的な信条から、宇宙は空虚な空間ではなく、神の存在にあまねく満たされているのだと確信していた。このことをはじめ、弱小宗派が標榜する変わった信条をいろいろと持っていたせいで、からかわれることも多く(「わたしは、キリスト教のなかでも、とても小さく、しかも軽蔑されている宗派に属しているのでね」と、彼はため息交じりに口にしたことがある)、そのうち彼は自分の考えを他人には話さないようになった。(『電気革命』103頁)
--------------
メソジスト派の宗祖ヴェズレーも、はじめのうちは、軽蔑されていたのでしょうね、たぶん。
ファラデーは宗教信念に基づいて「力の場」を物理的実在とし、マクスウェルがそれを方程式化する、という過程を考えると、大覚醒(The Great Awakenings)の後世への影響は凄かったのだな、と驚かされます。物理学が「場」に目覚めたのだ、と。

小太郎さん
また重なってしまいました。

神学の迷宮 2016/06/15(水) 13:19:26
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%90%8C%E7%9B%9F
ウィキに、ドイツキリスト教民主同盟(Christlich-Demokratische Union Deutschlands)の宗教的根源として、
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キリスト教民主同盟は欧州連合憲章に記されている神に関する事項の定着、保証に尽力する。そのためにキリスト教の象徴を公共空間に目に見える形で保持すること、ならびにキリスト教の祝祭日を保持することに尽力するとされている。
-----------
とありますが、連邦憲法裁判所の多数意見や少数意見と、「キリスト教の象徴を公共空間に目に見える形で保持すること」という支配政党の党是(?)などを考えると、まるで神学の迷宮のようで、何が何だか、わからなくなりますが、案外、こういうのがゲルマン好みの世界なのかもしれないですね。

https://de.wikipedia.org/wiki/Christlich_Demokratische_Union_Deutschlands
ドイツ語では、für die Bewahrung christlicher Symbole im öffentlichen Raum となっていて、「目に見える形で」という言葉はないですね。
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ドイツにおける信仰の自由(その2)

2016-06-15 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月15日(水)11時44分54秒

行政地方裁判所・行政高等裁判所は「十字架を単にヨーロッパ的伝統の表現だとしたり格別の信仰的意味を持たない護符だと」したそうですが、連邦憲法裁判所の多数意見は、そんな見方は「十字架を冒涜」するものであって、「十字架はキリスト教信仰の堅い核心を象徴するもの」と判断するのですね。
裁判官というより堅固な宗教的確信を抱いた教会関係者の発言のような感じもしますが、しかし、十字架の冒涜は許せないと息巻く多数意見の裁判官が出した結論はというと、「宗派学校を除く義務教育学校」に十字架を取り付けてはならない、というものなんですね。
ちょっと妙な感じがしないでもありませんが、とりあえず引用を続けます。(p63以下)

------
 これに対して、教室に十字架を掲げても信仰の自由を侵害することにならないと説く少数意見は、多数意見のように十字架のキリスト教神学的な意味から出発するのは間違いだ、とする。

「キリスト教の生徒が教室の十字架を見て、多数意見が十字架の意味として言うような印象を持つことも、あるかもしれない。だが、信心深くない生徒については、そうは言えない。その生徒から見れば、教室の十字架はキリスト教の信仰内容を象徴する意味をもつわけではなく、キリスト教的特徴をもつ西洋文化の諸価値を伝えたいというキリスト教的共同学校の狙いを象徴するもの、それどころかその生徒が信じないで背を向け、もしかすると打倒しようとしている宗教的信念を象徴するものにすぎない」

 ドイツのカトリック教会は、違憲の結論に強く反発している(憲法学者にも、多数意見を批判する者が少なくない)。しかし、それは、教会の立場からすれば十字架が本来もつべき意味を「冒涜」(多数意見)するという、逆説的な立場に立つことになる。
------

少数意見の最後の方は何だかずいぶん物騒な話になっていますね。
もう少し詳しい分析が欲しいのですが、これで終わってしまっていて、議論はイスラム教徒の女性がスカーフ着用のまま教員としての職務を行うことの是非に移ります。
それにしても十字架の「冒涜」に関するねじれ具合は面白いですね。
ドイツの判例の動向も興味深いのですが、フランスのライシテについてやっと少し理解が進んだ段階なので、暫くは手を付ける余裕がありません。
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ドイツにおける信仰の自由(その1)

2016-06-15 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月15日(水)11時02分4秒

辻村みよ子氏の『比較憲法』(岩波書店、2003)に出てきたドイツの連邦憲法裁判所の1995年5月16日決定について、もう少し詳しく知りたいと思ったのですが、辻村氏が言及するドイツ憲法判例研究会編『ドイツの最新憲法判例』(信山社、1999)は入手できませんでした。

政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その2)

その代りといっては何ですが、村上淳一・守矢健一・Hans Peter Marutschke 著の『ドイツ法入門〔改訂第8版〕』(有斐閣、2012)に若干の言及があるので、少し長くなりますが、前提となる部分を含め、引用してみます。(p59以下)

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 公民権とは違ってすべての人間に保障される人権は、普遍的な内容をもつものだと解されがちである。しかし、人権の内容は、国によって一様ではない。その例として、信仰の自由を取り上げよう。ドイツ連邦共和国では国家と教会の分離(カトリック教会と福音主義〔evangelisch.プロテスタント〕教会)の分離の原則が行われているが、それは宗教的に無色の国家が教会の公共活動に無関心な態度をとるというのではなく、国家が─特定の教会と一体化して他の教会ないし宗教団体を排除することなしに─教会の活動を支援することを許容するものである。公立学校のうち宗派学校においては宗教教育が正規の授業科目とされている(7条3項。これについては教育法の項目〔94頁〕で説明する)のも、多くの大学(州立)に神学部が置かれているのも、国家が教会税(119頁)の徴収を代行するのもその現れである。
-------

段落の途中ですが、ここでちょっと切ります。
公立学校に「宗派学校」があるとか、州立大学に神学部があるとか、国家が教会税の徴収を代行するとか、日本とは全く別世界ですね。

-------
しかし、ドイツに見られるキリスト教の強い伝統は、しばしば信仰の自由との軋轢を生んできた。大きな政治的・社会的反響をよんだ例として、共同学校を含む国民学校〔94頁〕の教室に十字架(単なる十字架ではなく磔になったキリスト像であることが多い)を掲げることを義務づけるバイエルン州の学校教育令を5対3で違憲とした1995年5月16日の連邦憲法裁判所第1部決定(憲法異議事件)を参照しよう。この決定の多数意見は、こう論ずる。

「キリスト教の文化的側面には、信者でない者に対する寛容も含まれるのである。十字架は、昔も今もキリスト教の特別の信仰象徴物に属する。否、これこそがキリスト教の信仰象徴物なのである。それは、キリストが犠牲になることによって人類を原罪から救ったこと、そして、サタンと死にうち克って世界を支配したことの象徴であり、受難と勝利を一体として象徴している〔2種類のキリスト教事典からの引用〕。……〔生徒の親が教室から十字架を撤去してほしいと申し立てたのに対してこれを却下した〕行政地方裁判所・〔それに対する抗告を却下した〕行政高等裁判所のように、十字架を単にヨーロッパ的伝統の表現だとしたり格別の信仰的意味を持たない護符だとしたりするのは、キリスト教と教会の自己理解に反する仕方で十字架を冒涜するものである。……学校におけるキリスト教教育が是認できるのはその特徴的な文化的・教養的側面に関する限りであって、その信仰的真理に関してではない。……教室に十字架を取りつけることは、学校に宗教的・世界観的色彩を帯びさせることのできるこのような限界を超えたものである。すでに確認したように、十字架からキリスト教の信仰内容との特別の関連を切り離して意味を薄め、ヨーロッパ文化一般を象徴するものとみなすことは不可能である。十字架はキリスト教信仰の堅い核心を象徴するものであって、そのキリスト教信仰がとりわけ西洋世界をさまざまに形づくってきたことは確かであるが、社会の全員がこの信仰をもつわけではなく、基本法4条1項の基本権〔信仰・良心の自由〕を主張する多くの者がこれを拒んでいるのである。したがって、宗派学校を除く義務教育学校に十字架を取りつけることは、基本法4条1項に違反する」。
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裁判官可部恒雄の反対意見

2016-06-15 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月15日(水)10時28分55秒

「靖国神社大学」(仮称)について私が書いたことは、一見すると奇矯に思えるかもしれませんが、愛媛玉串訴訟大法廷判決で可部恒雄裁判官が「憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか」と言われていることを私なりに咀嚼したものです。

「裁判官可部恒雄の反対意見」

可部反対意見に述べられているように、もともと「憲法89条は、行政実務上の解釈困難な問題規定の一つであり」、「憲法89条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によって国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り1銭1厘の支出も許されないかの如き体裁となっている」という事情があります。
そうした立法上の過誤とも言える条文の解釈において、平等原則のような大ナタを振り回すと何が起きるのか。
「津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる『特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を』することは、憲法89条に違反することにならないか」という問題については、「他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから……と説明されるのが通常」ですが、ここで平等原則を使うと、仮に「靖国神社大学」(仮称)が設立された場合、「特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出」が許されるのに何故に「靖国神社大学」(仮称)への支出が許されないのか、という問題が生じます。
ま、靖国神社を嫌悪する「リベラル」な憲法学者たちは様々な理由を工夫するでしょうが、結局のところ、差別を合理化する理由は靖国神社の過去に求めるしかないでしょうね。
極悪非道の「国家神道」の総元締めである靖国神社は過去に数々の悪事を行ってきたのだ、だからその復活は断固として阻止せねばならぬ、みたいな議論ですね。
「結界」という言葉が好きな石川健治教授だったら、<靖国神社は未来永劫「結界」に閉じ込めておかねばならぬのだ>などと主張されるかもしれません。
ただ、過去を辿ると、では他の宗教団体はどうなのか、という話にもなります。
果たして「特定宗教と関係のある私立学校」の母体である個々の宗教団体の歴史を辿った場合、戦前、積極的に戦争に協力しなかった宗教団体がどれだけあるのか。
愛媛玉串料訴訟の原告団長のように浄土真宗には靖国神社攻撃に熱心な人が沢山いますが、浄土真宗の戦争協力の実態を調べようとする人には菱木政晴氏の『浄土真宗の戦争責任』(岩波書店、1993)あたりが参考になります。
ま、過去をあれこれ詮索すると、どの宗教団体にもそれなりに「不都合な真実」がいろいろ出てきますね。
結局、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、靖国神社大学(仮称)に石を投げなさい」ということになります。

>筆綾丸さん
>関西学院大学
公式サイトの「沿革」には、

------
18世紀に英国で始まったメソヂスト教会。その指導者であるジョン・ウェスレーは豊かな霊性と知性をともに尊重する信仰覚醒運動を推し進め、活発な開拓伝道を展開して多くの教会を興しました。そして、19世紀、アジアへの伝道をさかんに展開し始めたのが米国の南メソヂスト監督教会です。1885年、同教会はジャパン・ミッション開始を決定し、当時、中国での医療伝道に父とともに従事していた、弱冠32 歳のウォルター・ラッセル・ランバスをその責任者として任命しました。


とありますね。
また、「当時の進取の気風に合わせた漢音読みで「クワンセイガクイン」と呼ぶことになりました」とありますが、東日本ではそもそも大学名を正確に読めない人も多そうですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

サンデマン派 2016/06/14(火) 18:52:01
小太郎さん
キリスト教系のトップが関西学院大学というのは意外でしたが、どのような宗派に属するのか、まったく知りません。1位と2位が関西にあるというも意外ですね。

http://eic.obunsha.co.jp/resource/topics/0403/04032.pdf
国立大学の運営費交付金(私学の経常費補助金に相当)の総額1兆1,310億円は巨額ですね。私学とは趣旨が違うものの、統廃合すべきような大学がゴロゴロしているな、という感じはしますね。

http://www.shinchosha.co.jp/book/220036/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
『電気革命』は面白い本ですが、物理学史上、不朽の業績を残したマイケル・ファラデーはサンデマン派に属したとありますが、この宗派に属する日本人はさすがにいないのでしょうね。
--------------
じつは、ファラデーの家族は、サンデマン派という、穏健な少数派キリスト教の一派の熱心な信徒だった。この一派は、アメリカで優勢なクエーカー派とよく似た、聖書を字義通りに解釈することを特徴とした集団である。ファラデーは、王立研究所に加わったときでさえも、この信仰を捨てず、熱心な信徒でありつづけた。彼の妻も、また、親友たちも、サンデマン派のメンバーだった。(102頁)
--------------

キラーカーンさん
司法試験の勉強をしていた知人から佐藤幸治氏の『憲法』を借りて、少しだけ読んだことがあります。遠い昔のささやかな思い出にすぎませんが。
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宗教系大学への補助金

2016-06-14 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月14日(火)14時58分9秒

>筆綾丸さん
>宗教法人関係の割合はどのくらいになるのか

これはちょっと分かりませんが、学校別の支給金額は「日本私立学校振興・共済事業団」サイトで見ることができますね。
「平成27年度私立大学等経常費補助金 学校別交付額一覧」によれば、全566校中、1位が日本大学95億、2位早稲田大学90億、3位慶応義塾大学82億円ですね。(億円未満四捨五入、以下同じ)
宗教系大学を拾うと、

15位 関西学院大学 30億
20位 同志社大学 28億
24位 立教大学 23億
29位 聖マリアンナ医科大学 21億
32位 上智大学 20億

といった具合です。
上位は全てキリスト教系ですが、仏教系も創価大学をトップとして、

36位 創価大学 19億
37位 龍谷大学 18億
55位 立正大学 10億

と続きますね。
創価大学が仏教系の中で1位というのは少し意外ですが、政治力によるのでしょうか。
ま、それはともかく、神道系は、

123位 国学院大学 5億
318位 皇学館大学 2億

ということで、金額的には少ないですね。


>オウム(アレフ)大学
一応真面目にレスすると、「幸福の科学大学」の例もあり、さすがにこれは無理でしょうね。


>キラーカーンさん
>民進党の某議員がバイブル視している「芦部憲法」

憲法それ自体に宗教的ともいえる情熱を注ぐ人は今までにも大勢いましたが、特定の憲法学者に帰依(?)するパターンは珍しいですね。
コニタンの無駄に華麗な経歴を見ると、芦部氏の講義を聴講する等の現実の接点はなかったようですが、だからこそ逆に妙に理想化してしまったのですかね。


※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

unter der Aufsicht des Staates 2016/06/13(月) 12:03:01
小太郎さん
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2016/01/08/1365889_2.pdf
出来の悪い文科省の資料ながら、私学助成総額4,303億円(私立大学等3,153億円、私立高校等1,023億円、・・・)の内、宗教法人関係の割合はどのくらいになるのか、わかりませんが、玉串料の比ではないでしょうね。

http://www.pref.tottori.lg.jp/127219.htm
私学助成総額は、最も人口の少ない鳥取県(約57万人)の一般会計(約3,500億円)を上回る規模になるのですね。これ以上、人口減少が続くと、鳥取県は消滅するでしょうね。

https://de.wikipedia.org/wiki/Artikel_7_des_Grundgesetzes_f%C3%BCr_die_Bundesrepublik_Deutschland
ドイツ連邦共和国基本法(949年5月24日施行)の第7条とは、これですね。unter der Aufsicht des Staates(国の監督権の下で)は、under the control of the State(under the control of public authority)によく似ています。 日本国憲法の施行時期(1947年5月3日)からすれば、一卵性双生児と考えていいのでしょうね。

キラーカーンさん
国(都)が認可するかどうか不明ですが、オウム(アレフ)大学を設立して補助金をもらう、という方法もあり、そうなれば、惚れ惚れするほどの眩しい合憲性を確保できますね。宗教とは無関係ながら、同様に、山口組大学というのも合憲で、警察庁風情にとやかく言われる筋合いはなくなります。問題があるとすれば、山口大学と紛らわしい、というくらいのものです。

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20160612_08/
著名なノーベル賞受賞者がEU残留を訴えていますが、要するにマネーです。ヒッグス粒子はCERNのLHCで発見されたはずなんですが。物理学といい、遺伝学といい、マネーがなければ何もできない・・・。
-----------
The laureates said European funding would be cut if Britain voted to leave, adding that losing that funding is a risk to UK science.
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駄レス 2016/06/13(月) 23:24:17(キラーカーンさん)

>>青林書院・現代法律学講座『憲法』
私の憲法の教科書はこれでした。
大学での憲法の教員が佐藤幸治の弟子でしたので
(その人は今は日本には居ません。カナダに居るようです)
ですので、民進党の某議員がバイブル視している「芦部憲法」は知りません

そのような記述があったのは、全く覚えていませんでした

>>山口大学と紛らわしい
「神戸山口組大学」なら、もっとややこしいです
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「靖国神社大学」(仮称)と憲法89条

2016-06-13 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月13日(月)09時38分41秒

>筆綾丸さん
>公の支配
佐藤幸治氏(京都大学名誉教授・学士院会員)は一昔前の代表的な憲法教科書である青林書院・現代法律学講座『憲法』において、「アメリカ的発想に基づくが、目的趣旨が必ずしもはっきりしないまま成立」とまで言っていますね。
(引用は「新版」(1990)、p166以下から)

------
(ロ)公金支出の禁止 憲法は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」(八九条)と定める。本条により、①宗教団体への公金支出・財産供用、および②「公の支配」に属しない慈善・教育・博愛事業への公金支出・財産供用、がそれぞれ禁止されることになる。①は政教分離に関するもので二〇条の信教の自由の箇所で述べることにして、ここでは②について若干論及することにする。
 およそ公金の使途は明確にしておかなければならないが、慈善・教育・博愛の事業の場合は美名の下にとかく包括的な支出が容認されがちであると同時に、他面、これらの事業に公権力が深く介入することはその自主性・独立性を害する結果になり好ましくない、という配慮が②の背景にあるものと推測される。既にマッカーサ草案(八三条)にあったことから知られるように、アメリカ的発想に基づくが、目的趣旨が必ずしもはっきりしないまま成立し、しかも文言上の混乱もあって(「公の支配」なら「服する」であるべく、「属する」ではありえない、「属する」なら「公の支配」でありえない、といわれる〔小嶋和司〕)、様々な論議を生むところとなった。【後略】
------

マッカーサー草案以来の「公の支配」をめぐる混乱を、政府と憲法学界が一体となったご都合主義的解釈で弥縫した結果、現在では一般の私立大学と並んで、宗教団体を母体とする大学にも、毎年、数億・数十億という巨額の公的資金が流れ込んでいますね。
支給の対象は同志社・立教・上智のようなキリスト教系大学はもちろん、大谷・花園等の仏教系大学、そして国学院や皇学館のような神道系大学にも及んでいます。
だから、仮に宗教法人靖国神社が私立の「靖国神社大学」を設立したら、憲法上何の問題もなく、巨額の公的資金を供与できるんじゃないですかね。
靖国神社の国家護持となると憲法上の超弩級の重大問題となり、かつては凄まじい騒動が起きたものですが、そんな難路ではなく、多くの宗教団体がやっているように「靖国神社大学」(仮称)を設立すれば、憲法上ノープロブレムで一挙に人材育成と公的資金投入による財源確保ができそうですね。

「靖国神社法案」

>キラーカーンさん
>「影の本命」
9条のために憲法全体が「不磨の大典」になってしまっていますが、89条は直さないとみっともないですね。

※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

公の支配 2016/06/11(土) 11:40:57(筆綾丸さん)
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%AD%A6%E5%8A%A9%E6%88%90
「宗教関係学校法人」は国(県)の認可によるもので「公の支配」(憲法89条)に服するから、「巨額の助成」であろうとも合憲だ、ということのようですね。これに比べると、玉串料や地鎮祭など、馬鹿々々しいほどケチな問題だな、という気がしますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC89%E6%9D%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%88
GHQ草案の「not under the control of the State」(現行憲法の英訳 not under the control of public authority )は、「コンコルダート」あたりに起源があるのかどうか・・・。

https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/
青井未帆氏『憲法と政治』は、少し読んでみましたが、著者の個性云々以前に、岩波書店らしい内容です。

「公の支配」等々 2016/06/11(土) 22:55:45(キラーカーンさん)
>>ドイツ出羽の守
ドイツに限らず、欧州各国には「キリスト教○○」という有力政党がありますから、
その意味で、日本の憲法学者が考えるような「政教分離」という議論には不適切なのでしょう

>>辻村みよ子女史
辻村女史はフランス憲法が専門ですから、フランス憲法とフランス革命を無意識のうちに「至高の物」としている可能性があります。

>>公の支配

個人的には、憲法改正での「影の本命」ではないかと思っています。
少なくとも、現状の運用について異論を唱えている勢力はないので
改憲のコンセンサスは取れるはず。
(朝鮮学校は、おそらく、現状ではいかなる意味でも「公の支配」には属しません。
 「専門学校」に該当するという可能性は残っていますが)

「影の対抗」は衆議院の「7条解散」の明文化です
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政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その2)

2016-06-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月11日(土)11時38分34秒

辻村みよ子氏の『比較憲法』からの引用をもう少し続けます。(p97以下)

------
宗教と教育
 宗教と教育の関係では,「磔刑像」に関する問題が興味深い.ドイツの諸州では,義務教育学校の教室にキリスト像のついた十字架を架けることが一般的であり,バイエルン州では学校規則で「十字架が設置されなければならない」としてこれを命じていた.十字架ではなく実際には「磔刑像」が設置されていたことから,児童の両親がその撤去を求めた事件で,仮処分の訴えが行政裁判所で却下された後,連邦憲法裁判所に憲法訴願が提起された.
 連邦憲法裁判所は,1995年,基本法第19条4項の法的救済の規定,第4条1項の信仰の自由,第6条2項の親権者の教育権などを根拠として,行政裁判所の判断を退けた.そこでは,キリスト教徒以外の信教の自由を侵害するとして違憲判断を下したが,この決定は世間の大きな批判にさらされることになった(1995年5月16日決定,BVerfGE93,1)(詳細は,ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの最新憲法判例』98頁以下〔石村修執筆〕参照.
------

少し前まで私はドイツの「義務教育学校の教室にキリスト像のついた十字架を架けることが一般的」であること自体を知らなかったので、「磔刑像」について社会的な論争が起きたことも全く知りませんでした。
ま、正直、十字架が良くて「磔刑像」が駄目という感覚は全く理解できないのですが。
さて、以上を受けて、辻村氏は次のようにまとめます。

------
 ドイツでは,前述のように,公立学校において宗教教育を正規の授業科目とすることが定められており,「宗教の授業は,国の監督権を害さない限りにおいて,宗教共同体の教義にそって行われるものとする」とされる(基本法第7条3項).実際にも,キリスト教の宗教教育が必然的なものと解されてきたため,もともと教育における国家の宗教的中立性を確保することは困難である.これに対して,フランスでは,公教育の中立性を確保するための真摯な努力が続けられている.
------

最後の一文はまさに「ライシテ」の中心問題ですが、辻村氏の書き方も些か微妙ですね。
「フランスでは,公教育の中立性を確保するための真摯な努力が続けられている」を裏返すと、ドイツでは「真摯な努力」がなされていないということになりそうです。
辻村氏はある国の制度が「真摯」なものであるか、ある国の国民が「真摯な努力」をしているかどうかを判別することも比較憲法学の役目と考えておられるのですかね。
そうだとすれば、ちょっと傲慢なのではないかと思うのですが。

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政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その1)

2016-06-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月11日(土)11時15分4秒

憲法学の世界になじみのない人が憲法判例、特に人権分野の判例の解説を読むと、日本の判例を分析しているはずなのに、何故にアメリカの判例や学説への言及がこんなに多いのか、という素朴な疑問を抱くと思います。
政教分離論議はその典型で、そもそも津地鎮祭訴訟大法廷判決の目的効果基準はアメリカからの輸入品に若干手を加えたものですし、愛媛玉串料訴訟大法廷判決における目的効果基準批判派もアメリカの別の判例理論の輸入業者ですね。
ま、新憲法制定の経緯から、憲法学界にはアメリカ留学組が極めて多く、ついつい議論が「アメリカでは・・・」となりがちなのですが、それでも旧憲法下のドイツ国法学の伝統を嗣ぐドイツ出羽守も相当な存在感を示していますし、現在は樋口陽一氏以下のフランス出羽守も一大勢力を誇っていますね。
そこで、普通の人権の議論では、アメリカをベースとしつつも、ドイツ・フランスの学説を適度にブレンドした、それなりにバランスの取れた議論がなされるのが通常なのですが、政教分離論議においてはドイツ出羽守の存在感が稀薄です。
それは何故かというと、ドイツではそもそも政教分離がなされていないので、日本の議論には全く参考にならないからですね。
辻村みよ子氏の『比較憲法』(岩波書店、2003)にドイツの事情についての簡明な説明があるので、ちょっと引用させてもらうと、

--------
 ドイツ連邦共和国基本法は,第4条1項で「信仰および良心の自由ならびに信仰告白および世界観の告白の自由は,不可侵である」と定め,2項で宗教活動の自由を保障している。しかし,政教分離を定めた規定はない.それどころか,第7条3項で,宗教教育は,公立学校においては,非宗教的学校を除き,正規の教科目とすることを明示している.
 さらに基本法は,第140条でワイマール憲法第136-139条,第141条の規定を基本法の構成をなすものとして取り込んだ.その内容は,以下のとおりである.市民・公民の権利の享有は宗教に無関係であり,何人も教会の儀式・祝典または宗教的行事への参加を強制されない(ワイマール憲法第136条).国教会は存在せず,宗教団体結成の自由が保障される.ライヒ領域内の宗教団体の結成はいかなる制約にも服さず,これらの規定を執行するための法規は州の立法による(同137条).法律等にもとづく宗教団体への国の給付は,州の立法によって支払われる(同137条).国民の休息の日は,法律等によって,日曜に定められ(同139条),軍隊・病院・刑事施設および公の営造物では,礼拝式または司牧の要望があるときは宗教団体が宗教的儀式を行うことも認められる(同141条).さらに,宗教団体の財産権が特別に保護される(同138条2項).
 これらの規定からすれば,国教をもたないという原則のもとで,宗教団体や教会が特別の地位を得ることが可能となるようにみえる.実際に,コンコルダートによって国家と大教会が公法上の契約を締結している事実が説明されることになるが,連邦憲法裁判所は,国家の宗教的中立性の義務を強調する傾向にある(例えば,大教会に保障されている手数料免除について,小規模の宗教団体との区別を設けることを正当化できないと判断している).
------

といった具合です。(p96以下)
ドイツにはもちろん信教の自由はありますが、政教分離という発想自体がないんですね。
政教分離をめぐる日本の煩瑣な議論に慣れた者にとっては殆ど驚異の世界ですが、中でも不思議なのは公教育における宗教の位置づけです。
少し長くなったので、ここでいったん切ります。

辻村みよ子(1949-)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%9D%91%E3%81%BF%E3%82%88%E5%AD%90
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「原告団より弁護団が先にできたほどだった」(by 東俊一弁護士)

2016-06-10 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月10日(金)12時43分39秒

自由法曹団編『憲法判例をつくる』(日本評論社、1998)を確認してみましたが、冒頭の「発刊によせて」によれば、「この本は、自由法曹団の弁護士が、みずからがかかわった、憲法問題を争点にした裁判の弁護活動と判決をコンパクトにまとめたもの」だそうですね。
愛媛玉串料訴訟は地元愛媛の東俊一という弁護士が担当です。
それを見ると、「事件のあらまし」に、

------
「靖国の国家護持に反対する愛媛県民の会」の会員らを中心として20名余の原告が選出され、82年6月、知事を被告として損害賠償代位請求住民訴訟が提起された(以降第5次まで提訴。第2次からは、県東京事務所長らも被告に)。
------

とあり(p217)、また、「訴訟の重点と工夫」には、

------
1 住民側が、まず最初に心を砕いたのは、確実に勝訴するために、原告団と弁護団の構成をどうするかであった。「一部の宗教者の裁判だ」などとの知事側からの矮小化の主張を許さず、この裁判が、幅広い県民の支持によって闘われていることを示すものにすることが何よりも重要だと考えたのである。
 原告団には、僧侶・牧師等宗教者だけでなく、学者・労働者・教師・主婦等多様な人々が県内各地から参加し、団長には真宗大谷派の若き僧侶安西賢二が就任した。彼は右翼の執拗な脅迫にも屈することなく毅然たる態度を貫いたし、また不偏不党の立場を堅持した。
 弁護団には、思想信条を超え約10名の弁護士が参加し、団長には、長老の弁護士が就き、病身ながら重責を果たした。ところが、団長と若手弁護士が1審判決の直前に、そしてもう1名の若手弁護士が1審判決の直後に、いずれも病気で死亡した。痛恨の極みであったが、次々と若い人々が弁護団に参加したし、後を継いだ若き弁護団長は団結を何よりも重視した。原告団、弁護団のこのような構成と団結は、裁判に対する国民的支持を広げ、また裁判所に住民側の主張を真正面から受け止めさせるうえで、重要な役割を果たした。
-----

とあります。(p218以下)
阪口正二郎氏(一橋大学教授)が引用した「原告」のコメントと「原告」名田隆司氏の経歴にはちょっとびっくりしましたが、まあ、名田氏は裁判記録集の「おわりに」を執筆するくらいだから、それなりに熱心に活動した人なんでしょうが、あくまで「20名余の原告」の一人なんですね。
一審判決の前後に弁護団長を含む三人の弁護士が病死した、というエピソードは、面白いと言っては不謹慎ですが、たぶん「罰が当たったのだ」みたいな言われ方もされたんでしょうね。
さて、東俊一弁護士の書き方だと「靖国の国家護持に反対する愛媛県民の会」から原告が選出され、それとは別に弁護団が選任されたように読めますが、田中伸尚氏の『政教分離─地鎮祭から玉串料まで』(岩波ブックレット、1997)を見ると、最初から「県民の会」の中心に複数の弁護士がいたようですね。
同書によれば、「真宗大谷派の若き僧侶安西賢二」氏は『浄土真宗の戦争責任』(岩波書店、1993)の著者、菱木政晴氏などの思想的影響を受けて真宗教団の戦争責任を追及する活動を行っていた人のようですが、

------
【前略】安西さんは、玉串料公金支出の〔1982年1月12日の共同通信〕ニュースに接したとき戦争責任を負っている真宗者として見逃してはならないと受け止めた。たまたま前年から結成準備が進められていた「靖国の国家護持に反対する愛媛県民の会」(以下、「県民の会」)が二月一一日に発足し、早くもその日の総会で、玉串料問題を「会」として訴訟する方針が確認された。県内の有力な弁護士をはじめ労働組合員、教員、宗教者らがメンバーで、安西さんも当初から加わっていた。
 動きは早かった。四月一九日に安西さんら一〇人が【中略】知事に返還を求め、さらに今後の支出の差し止めを求める監査請求をした。
-----

とのことで(p28)、監査請求が却下されると、

-----
 安西さんらはすぐに訴訟の準備に入った。訴訟については「県民の会」の弁護士が特に熱心で、原告団より弁護団が先にできたほどだったと東俊一弁護士はいう。憲法の精神、原理を大切にする弁護士にとって、靖国神社に公金が支出されるのは、とてもみすごすことができる問題ではなく、自身の課題としてとりくんでいこうという意思が当初から強くあった。
------

そうですね。(p30)
地方自治法に基づく住民訴訟は相当複雑な手続きですから、一般市民ではなかなか動けず、最初から法律に精通した弁護士が組織的に取り組まなければ素早い対応は無理ですね。
まあ、原告団長の「真宗大谷派の若き僧侶安西賢二」氏も自由法曹団、そして共産党があまり目立たないようにするために、「一部の共産党系弁護士の裁判だ」などとの「知事側からの矮小化の主張を許さ」ないために選ばれた人なんじゃないですかね。
それなりに信念のある人でしょうから、飾りとまで言っては失礼ですが。

>筆綾丸さん
>以下の言説は核心をついていて

結局、多数意見も決め手は法的論理ではなく、歴史認識なんですね。
歴史認識で「国家神道」は真っ黒だから、「国家神道」につながるものは全て駄目、「悪の芽」は全て摘み取るのだ、という発想です。
その典型は尾崎行信判事の見解ですね。

------
2 これに対し、本件の玉串料等の奉納は、その金額も回数も少なく、特定宗教の援助等に当たるとして問題とするほどのものではないと主張されており、これに加えて、今日の社会情勢では、昭和初期と異なり、もはや国家神道の復活など期待する者もなく、その点に関する不安はき憂に等しいともいわれる。
しかし、我々が自らの歴史を振り返れば、そのように考えることの危険がいかに大きいかを示す実例を容易に見ることができる。人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたが、その情勢は、わずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命身体の自由をも奪われたのである。「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」との警句を身をもって体験したのは、最近のことである。情勢の急変には10年を要しなかったことを想起すれば、今日この種の問題を些細なこととして放置すべきでなく、回数や金額の多少を問わず、常に発生の初期においてこれを制止し、事態の拡大を防止すべきものと信ずる。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

立憲僧 2016/06/09(木) 16:57:36
小太郎さん
ご引用の反対意見のうち、以下の言説は核心をついていて、僭越ながら良いものですね。
-------------
宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。
-------------
このあとに大本教弾圧の話が出てきますが、若い頃、高橋和巳の『邪宗門』を何度か読もうとして、結局、読めなかったことを思い出しました。今から読んでもしょうがないかな、と考えています。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Robespierre_(m%C3%A9tro_de_Paris)
パリ市内に、ロベスピエールを顕彰する通りの名はなく、20区に隣接するモントルイユ市にメトロ9号線のロベスピエール駅が辛うじてあって、むかし、訪ねたことがあります。外に出ると、荒んだ街並みが広がっていて、がっかりしたものです。ウィキによれば、1936年、共産党の市長のときに命名されたのですね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Tignous
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%A9
シャルリ・エブド事件の犠牲者の一人にモントルイユ在住のティニュスという人がいましたが、モントルイユ市役所の大広間で行われた葬儀の模様を、当時、インターネットで見ました。トビラ司法相が追悼の言葉を捧げていましたね。

『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』では「立憲僧」、『十字架と三色旗』では「立憲派僧」とありますが、これは後著の参考文献中「Un curé constitionnel」(7頁)の訳語のようですね。昨今の日本で流行している立憲主義という用語からすると、なんだか奇異な感じがしますね。
(curé constitionnel は立憲司祭のことで、立憲僧は moine constitionnel か?)
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愛媛玉串料訴訟の原告について

2016-06-09 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月 9日(木)08時30分7秒

昨日の投稿で、愛媛玉串料訴訟の原告の「歴史は人民大衆が創造するという、一つのテーゼがありますが、判決は、日本の現代史に新たな『民衆の意志』による記念碑をうち立てたともいえるでしょう」というコメントを紹介した後、「私は共産党関係者が主導し、「リベラル」な憲法学者たちが追随する日本の政教分離原則論議がそれほど面白くはなくて」と書いてしまったのですが、少なくとも愛媛玉串料訴訟の場合、原告が「共産党関係者」と言えるかは問題なので、若干の補充をするとともに「共産党関係者」を「思想的にかなり偏った人々」に変更しました。

阪口正二郎氏の「愛媛玉串料訴訟判決を振りかえる」の上記原告コメントには、

------
2)名田隆司「おわりに」「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集刊行編集委員会編『「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集』(1997年)458頁。
------

との注記があり、名田隆司氏の名前で検索したところ、最初に「愛媛現代朝鮮問題研究所」ブログが出てきました。
そのブログによると、名田隆司氏は「愛媛現代朝鮮問題研究所」代表で、「2012年4月15日/朝鮮民主主義人民共和国国際文芸作品コンクールで、最優秀賞を受賞」したという『強盛大国へ向かう挑戦』の著者であり、「2012年4月15日に朝鮮民主主義人民共和国から、「名誉博士」号(政治社会部門)を授与された」人だそうです。
また、ウィキペディア情報ですが、名田氏は「えひめ高齢者協同組合専務理事や愛媛チュチェ思想研究連絡会代表も務める。「さらむ・さらん社」という出版社を運営し、そこから朝鮮民主主義人民共和国を賛美する書籍を出版している」そうですね。


国会図書館で名田氏の名前で検索すると北朝鮮関係を中心に24件ヒットしますが、1936年生まれの名田氏の最初の著作は『偉大な愛の讃歌金正日書記と人民』(幸洋出版、1983)という「金正日書記生誕41周年を祝して」発行された「金正日の肖像」付の本だそうです。
また、1992年には『人民の子、金正日 : 金正日書記生誕五十周年を祝して』(さらむ・さらん社)、1995年には『 ノンナムは見ていた : 四国朝鮮初中級学校50年』(さらむ・さらん社)を出版し、愛媛玉串料訴訟大法廷判決の翌1998年には『マスコミ市民』という雑誌に「「拉致疑惑」歴史をねつ造するな! 」という論文を寄稿しているそうです。
以上の名田隆司氏の経歴・著作を見ると、日本共産党の党員ではなく、もう少し極端な思想の持ち主のようですね。
私は愛媛玉串料訴訟は日本共産党系の自由法曹団が手掛けた案件だとずっと思っていて、そのためついつい「共産党関係者が主導」みたいな表現を用いてしまったのですが、あるいは若干の誤解があったのかもしれません。
少し検索したところ、自由法曹団編『憲法判例をつくる─自由法曹団が選んだ50の判例』(日本評論社、1998)という本に愛媛玉串料訴訟も載っているそうなので、事実関係を確認してみるつもりです。

>筆綾丸さん
>「悪の芽」

可部反対意見は面白いですね。
ご指摘の「悪の芽」の前に出てくる「憲法論議としての自殺行為」云々も筋の通った議論です。

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一二 憲法89条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によって国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り一銭一厘の支出も許されないかの如き体裁となっている。そこで忽ち問題となるのが、津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる「特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を」することは、憲法八九条に違反することにならないか、ということである。
 この点は、他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから……と説明されるのが通常である。しかし、憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか。
 一方において、宗教関係学校法人に対する億単位、否、十億単位をもってする巨額の公金の支出が平等原則の故に是認され得るとすれば、そして、もしそれが許されないとすれば即信教の自由の侵害になると論断されるのであれば、その論理は同時に、他の戦没者慰霊施設に対する公金の支出が許されるとすれば、同じく戦没者慰霊施設としての基本的性質を有する神社への、五千円、七千円、八千円、一万という微々たる公金の支出が許されないわけがない、もし神社が「宗教上の組織又は団体」に当たるとの理由でそれが許されないとすれば、即信教の自由の侵害になる、との結論を導き出すものでなければならない。宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。
 戦前・戦中における国家権力による宗教に対する弾圧・干渉をいうならば、苛酷な迫害を受けたものとして、神道系宗教の一派である大本教等があったことが指摘されなければならない。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

悪の芽 2016/06/08(水) 12:29:15
小太郎さん
ご引用の『愛媛玉串料訴訟上告審判決』における「裁判官可部恒雄の反対意見」の[49]は面白いですね。玉串料の如き些末なものはどうでもよく、ほかに存在するであろう「悪の芽」を摘んだほうがよい、と。最高裁判決の中で、反対意見とはいえ、「悪の芽」という表現はかなり異質な感じがしました。
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悪の芽は小さな中に摘みとるのがよく、憲法の理想とするところを実現するための環境を整える努力を怠ってはならない。しかし、国家神道が消滅してすでに久しい現在、我々の目の前に小さな悪の芽以上のものは存在しないのであろうか。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E9%83%A8%E6%81%92%E9%9B%84
最高裁判所首席調査官というのは大変なエリートだと仄聞していますが、可部氏には可部氏なりの言うに言われぬ鬱屈があったのでしょうね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Manifestations_des_10_et_11_janvier_2015
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 首都パリを西から東へ横断したこの百万人デモの集結点がナシオン広場つまり「国民広場」であり、そこに通じる最後のブルヴァールが「ヴォルテール大通り」であったのは、偶然とはいえまことに象徴的である。反教権的フランスを象徴する思想家ヴォルテールと国民との結合、あたかも「ヴォルテール的フランス」そのものを表現しているかにみえる。(『十字架と三色旗』14頁)
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これは1994年1月16日のデモの進路ですが、約20年後のデモ(2015年1月11日)の進路の一つも、レピュブリック広場からヴォルテール大通りを経由してナシオン広場へと至っていて(Le cortège parisien va de la place de la République en direction de la place de la Nation, via le boulevard Voltaire.)、この進路は谷川氏の言われるように偶然ではなく必然です。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Boulevard_Voltaire
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・・・il prend le nom de boulevard Voltaire le 25 octobre 1870. Il relie la place de la République et la place de la Nation. Très rapidement, le boulevard Voltaire est devenu une voie qu'empruntent de nombreux défilés de partis politiques de gauche, de syndicats ou de mouvements de contestation.
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ウィキの説明によれば、偶然ではないことがよくわかります。共和国広場と国民広場を結ぶのはヴォルテール以外ありえず、左派・労働組合・抗議運動など様々なデモの進路となる聖地のようです。命名の翌年のパリ・コミューンが、このブルヴァールの性格を決定づけたのでしょうね。
1962年2月8日広場というのがヴォルテール大通りとシャロンヌ通りとの交叉点にあって、アルジェリア戦争反対のデモで9名の死者が出た、ともありますね。

谷川氏のアパルトマンがあったスールト大通り(Boulevard Soult)は、パリ12区の東端、ヴァンセンヌの森に近く、「全共闘世代の歴史家」らしい選択だと思いました。今時の学生や研究者は、意識的か無意識的かはともかく、パリの西側に住むはずですね。つまり、大統領府や首相官邸に近い方です。セーヌの右岸と左岸、東側と西側では、パリは何かが決定的に違います。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-de-Dieu_Soult
スルトは大通りの名に相応しい顕官ですね。
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ライシテと愛媛玉串料訴訟大法廷判決

2016-06-08 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月 8日(水)10時11分15秒

>筆綾丸さん
>津地鎮祭訴訟をライシテ訴訟と言うと、いまひとつピンときませんが、

政教分離原則に関しては1977年(昭和52)の津地鎮祭訴訟大法廷判決の20年後、1997年に愛媛玉串料訴訟大法廷判決が出ていて、これは目的効果基準という判断枠組みこそ津地鎮祭訴訟を承継しているものの、結論としては非常に厳格な政教分離を求めていますから、現在の日本は「かなり厳格なライシテの国」と言ってよいでしょうね。
もともとこの掲示板で津地鎮祭訴訟を論じるようになったのは5月3日に石川健治氏が朝日新聞に寄稿した「9条 立憲主義のピース」がきっかけですが、判例としては津地鎮祭訴訟大法廷判決は若干古いものになってしまっていますね。
藤林益三からは離れてしまうので、今まで愛媛玉串料訴訟には特に触れませんでしたが、憲法学界での評価の一例を紹介すると、阪口正二郎氏(一橋大学教授)は『論究ジュリスト』No.17(2016年春号)において、「愛媛玉串料訴訟判決を振りかえる」と題して、次のように述べています。(p61)

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Ⅰ.愛媛玉串料訴訟判決の画期性

 1997年4月2日、最高裁大法廷は、1981年から1986年にかけて、愛媛県が靖国神社の行った例大祭にいわゆる「玉串料」を、みたま祭に「献灯料」を、さらに県護国神社が行った慰霊大祭に「供物料」として、県の公金から合計16万円あまりを支出した行為は、憲法が保障する政教分離原則に違反するとの判断を示した。
 この愛媛玉串料訴訟判決(以下「本判決」とする)が「画期的」な判決であることについては、当初から、広く認識が共有されていると言っていい。訴訟を提起した原告は、「歴史は人民大衆が創造するという、一つのテーゼがありますが、判決は、日本の現代史に新たな『民衆の意志』による記念碑をうち立てたともいえるでしょう」と評価している。また原告の弁護団長も、「1997年4月2日は、わが国の憲法裁判史において画期的な日として長く記憶されることとなろう」としている。判決を報じたマスコミにおいても、読売、朝日、毎日の主要3紙が判決について「社説」を掲載している。憲法学界の反応は、判決後特集を組んだ『ジュリスト』誌における鼎談「愛媛玉串料訴訟最高裁大法廷判決をめぐって」における3名の憲法学者の発言におおよそ示されている。司会を務めた戸松英典は、鼎談の冒頭で、そもそもなぜ鼎談を行うのかという理由として、「これは最高裁判所が政教分離原則違反を争う訴訟に対して、初めて違憲の裁判を行った画期的なもので、憲法学界はもとより、各方面から注目を浴びております」と述べている。これを受けた横田耕一も、「従来政教分離の裁判にいろいろな形で関与していますが、この事件で違憲判決、しかも13対2という形で違憲判決が出たということは、これまでの最高裁の傾向からして、正直言って意外でした」と述べている。また、長谷部恭男も、「この判決は日本国憲法下における精神的自由権プロパーに関する初めての違憲判決と言ってもよい判決で、その点で重大な意義を持っていると思います」と述べている。
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ざっとこんな論調ですね。
注記によれば、原告の「歴史は人民大衆が創造するという、一つのテーゼがありますが、判決は、日本の現代史に新たな『民衆の意志』による記念碑をうち立てたともいえるでしょう」というコメントは名田隆司「おわりに」(『「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集』1997、p458)からの引用だそうで、この種の訴訟がどのような立場の人によって提起されているかを伺うことができます。
まあ、正直、私は思想的にかなり偏った人々が主導し、「リベラル」な憲法学者たちが追随する日本の政教分離原則論議がそれほど面白くはなくて、何だか息苦しい感じがします。
そんなのよりは比較法的検討の方が、視野が開けて楽しいですね。

『論究ジュリスト』No.17(2016年春号)

京都産業大学・憲法学習用基本判決集
愛媛玉串料訴訟

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

骨までライシテ 2016/06/07(火) 14:23:59
https://www.youtube.com/watch?v=uVGkSdrYqvI
『城卓矢 - 骨まで愛して』
YouTubeで台湾の番組を見ると、漢語では、要愛我入骨、と言うようですが、なんだか、骨上げの儀式のような趣がありますね。

小太郎さん
https://fr.wikipedia.org/wiki/Gabriel_Le_Bras
『十字架と三色旗』の参考文献に、「Le Bras,Gabriel. L'église et le village,Paris,1976.」(11頁)とありますが、著者はエルヴェ・ル・ブラーズの父ですね。

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・・・ボベロの肝いりで作られたGSRLも、Groupe de Sociologie des Religions et de la Laïcité から Groupe Sociétés, Religions, Laïcités へと改称している。最初は「宗教」が複数形で「ライシテ」が単数形だったのに対し、今では「社会」も「宗教」も「ライシテ」も複数形である。クセジュから出た最新著は、その名も『世界のライシテ』(二〇〇七年)で、「ライシテ」は当然のごとく複数形で用いられている。同書によれば、日本もー靖国問題や象徴天皇制をどう考えるかという難問はあるがー「かなり厳格なライシテの国」である。(『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』184頁)
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巻末参考文献の標題をみると、ライシテが複数形になっているのは、
Jean Baubérot, Les laïcités dans le monde, ≪Que sais-je?≫,2007.(?頁)
Guy Bedouelle, Jean-Paul Costa, Les laïcités à la Française, 1998.(?頁)
の二つだけで、前者は国別ライシテの諸相、後者はフランスにおけるライシテの時代別諸相、ということなんでしょうね。
津地鎮祭訴訟をライシテ訴訟と言うと、いまひとつピンときませんが、Les laïcités dans le monde の中の貴重な一例と考えれば、珍奇な追加反対意見があるものの、フランス革命という大分水嶺にまで遡及可能な輝かしい世界性を帯びてくるから、まあ、不思議と言えば不思議な感じがしてきますね。
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「十九世紀フランスの小説は、社会史的史料の宝庫」(by 谷川稔)

2016-06-07 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月 7日(火)10時12分5秒

>筆綾丸さん
>「JE SUIS CHARLIE」を「俺はチャーリーだ」とする言語感覚

巴里のアメリカ人が書いた紀行文をグーグル翻訳したみたいな文章ですね。

>谷川稔氏『十字架と三色旗』

「あとがき」を見ると、「本書の基本的な構想は一〇年以上もまえにできており、史料や文献の収集もそれなりに進めていた」にも拘らず、「文部省主導の「大学改革」という名の会議の嵐に巻き込まれ」てしまって、出版はずいぶん遅れてしまったそうですね。
しかし、谷川氏は次のように続けます。(p241以下)

------
 そのようなわけで、本書は長くあたためたわりには、未熟児のまま世に送り出される結果となった。もっとも、「不出来な子ほど可愛い」のたとえどおり、長年この主題にかけてきた思いだけはひとしおである。それに不恰好なものではあれ、方法的な工夫も多少試みている。
 ひとつは、ミクロ・ストーリア全盛の時代に、あえて長いタイム・スパンをとったことである。フランスの近代国民国家形成を、文化統合という観点からとらえかえすには、どうしてもフランス革命それ自体の再検討が必要であり、しかもそれを十九世紀全般にわたる文化ヘゲモニーの変容とあわせて、総合的に理解しなければならないと考えたからである。
 この試みは、専門分化の著しい今日の歴史学においては、無謀の謗りを免れないことも承知している。しかも今日では、西洋史という外国史研究の領域においてさえ、「手稿史料信仰」とでもいうべきものが成立しており、手稿を使わない研究は研究の名に値しないと極論するむきさえある。本書にあてはめれば、第二章以外は落第ということだろうか。
 だが、こうした「帰化史学」的論法はどこか思い違いしているように思われる。活字文化が成熟していない前近代史の世界ならいざしらず、近現代史においては、新聞、雑誌、議事録、回想録といった活字化された文献もりっぱな一次資料であり、しかも手稿史料より情報量が多いのが通例である。【中略】それに、なによりもこの古文書至上主義は、外国史研究の特性である視野の広角性を失わせる恐れがある。
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日本史の専門分化は凄まじい段階に達していて、『歴史学研究』・『日本史研究』・『史学雑誌』あたりに載る論文であっても、著者が実際に読者として想定しているのはせいぜい十数人くらいでは、みたいな論文もけっこうありますが、日本史より多少はマシとはいえ、西洋史も傾向は同じなんでしょうね。
さて、もう少し続けます。

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 この史料選択という点でひとつ試みたのは、叙述に臨場感をだす工夫である。歴史家にとって史料は、武器と同時に足枷であり、作家のように登場人物の心象風景を描いたり、一人称で語らてみたりすることにブレーキとして作用する(もっとも本書第二章では、嘆願書に語らせてはいるが……)。そこで、逆に、同時代を生きた作家の小説や自伝の表現を借りて、原史料に準ずるものとして語らせてはどうかと考えた。それも、たんなる状況証拠ではなく、同時代人の目撃証言あるいはひとつの解釈としての史料的価値を有する有力な文献史料として。
 第四章以下でバルザック、フロベール、パニョルらの小説をふんだんに引用してみたのは、そのささやかな実験である。今ではすくなくとも、十九世紀フランスの小説は、社会史的史料の宝庫だとの確信を深めている。なによりも、この「史料」はアクセスが万人に平等に開かれているのがありがたい。手稿のように、アクセスに社会的・経済的な特権性がつきまとうようなこともない。
------

本書では「ささやかな実験」は明らかに成功していますね。
工藤庸子氏の『宗教vs.国家:フランス「政教分離」と市民の誕生』(講談社現代新書、2007)にも十九世紀の小説が「ふんだんに引用」されていて、なるほど、こんなやり方があるのか、と思ったのですが、直接には谷川稔氏の先例があったのですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

瀆神的なキリスト教? 2016/06/06(月) 18:31:22
小太郎さん
ご引用の「近代フランス社会思想史研究ブログ」を拾い読みしましたが、ほんとにフランス社会思想史の専門家なのか、と思いました。
地下鉄車両内の写真を「メトロ6番線のリシャール=ルノワール駅です」としてますが、この駅を通るのは「メトロ6番線」ではなく「メトロ5号線」です。また、「シャーリー、ヌソムトゥ(俺たち皆チャーリーだ)!」の原文は、おそらく「Charlie, Nous sommes tous!」かと思われますが、この場合の「tous」は「トゥ」ではなく「 トゥス」と「s」を発音します。
レピュブリック広場のプラカード「I AM CHARLIE」は「俺はチャーリーだ」でいいかもしれませんが、「JE SUIS CHARLIE」を「俺はチャーリーだ」とする言語感覚は理解できません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3_(%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%84)
ちなみに、シャルリは『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』のパロディという説もあるようですが、いくらなんでもチャーリーはないだろ、と思いました。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Charb
もうひとつのプラカード「CHARB MORT LIBRE」の通称CHARB(シャルブ)は、くだらぬマンガばかり描いて射殺されてしまいました。ちなみに charbonnier とは炭焼き人のことですが、デッサンにカーボンは必需品です。

ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』に、これ見よがしな(オスタンタトワール、オスタンシブル)が出てきますが(165頁)、当時、たしかにこの言葉が流行語になりました。ostensible も ostentatoire も、カトリックの ostensoir(聖体顕示台)の派生語なので、これらがイスラムのヴェールとの関連で使われたため、その逆説的なシニカルさが受けて流行語になったのでしょうね。

同書180頁に『世俗的なキリスト教?』(Un christianisme profane ?)とありますが、英語 profane の第一義は「冒瀆的な」とか「神を汚す」という意味であるために、「冒瀆的なキリスト教?」という訳が浮かんでしまうのですが、フランス語の第一義は「世俗的な」とか「宗教外の」という意味なんですね。英語と仏語の微妙な意味のズレのためにスパイの身元がばれてしまう、というような探偵小説があったような気がします。

谷川稔氏『十字架と三色旗』を入手しました。

補遺
『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』の「第五章 ライシテ協約としての政教分離 ? 国家の反教権主義と政教分離」あたりを読むと、エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』の訳注(226頁)について、こんなことが本当にありうるのか、と驚きますね。
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一九〇五年の政教分離法にもかかわらず、当時はフランスの統治下になく、第一次世界大戦後にフランスに復帰したアルザス地方には、一八〇一年に執政官ナポレオンと教皇ピオ七世の間で結ばれたコンコルダートが現在に至るまで存続している。
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