投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月 6日(月)09時53分9秒
国会図書館で検索した範囲では、谷川稔氏のここ十年ほどの著作は僅少なのですが、その中のひとつ、「書評 相良匡俊著『社会運動の人々─転換期パリに生きる─』をめぐって」(『史学雑誌』124編、11号、2015)を読んでみました。
冒頭を少し引用すると、
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本書は二〇一三年七月二四日に逝去した相良匡俊の遺稿集である。それもたんなる遺品の寄せ集めではない。ながらく埋もれていた傑作が再発見され、あらためて単行本のかたちで世に問われたことをまずは喜びたい。その再発掘に私自身もいくらか寄与できたのならば、なおさらである。本書は、相良が他界する二か月前の五月に、旧社会運動史研究会の関係者が上梓した『歴史として、記憶として─「社会運動史」一九七〇~一九八五』(御茶の水書房)と、そのお膳立てとなった三度のシンポジウムがなければ、おそらく陽の目を見ることはなかったであろう。そのシンポ劈頭の拙論「戦後史学と社会運動史、そして社会史」(二〇一一年一二月一〇日、於、東洋大)が、この研究会の存在を忘却の闇から呼び戻し、関係者たちを再記憶化の作業に駆り立てるきっかけを提供したとすれば、何がしか故人への供養になっただろうか。もう書評は書かないと心に決めていたが、その禁をあえて破ることにしたのも、「相良匡俊と社会運動史」という「記憶の場」に、私なりのけじめをつけておきたかったからである(拙稿「全共闘運動の残像と歴史家たち」前掲書所収、参照)。
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という具合で(p106)、1946年生まれの谷川氏は全共闘世代の歴史家なんですね。
日本史の場合、この世代の歴史研究者は、濃淡の違いはあれ、概ね民青(共産党)系と言ってもよいでしょうが、西洋史はちょっと違うようですね。
谷川稔氏を読み始めたばかりの私ですから、もちろん相良匡俊氏(1941-2013、元法政大学教授)の名前も知りませんでしたが、谷川氏が紹介する相良氏の研究もなかなか面白そうなので、もう少しフランス近代史の勉強が進んだら読んでみたいですね。
ま、今はあまりあせらず、入門書の続きとして谷川氏が半分程書いている『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』(中央公論新社、1999)や服部春彦・谷川稔編著『フランス近代史─ブルボン王朝から第五共和制へ』(ミネルヴァ書房、1993)などを読もうと思っています。
>筆綾丸さん
谷口功一氏に『十字架と三色旗』を教えたという長野壮一氏のブログでは「『週間チャーリー』編集部襲撃」「JE SUIS CHARLIE(俺はチャーリーだ)」などと書かれていて、これもちょっと妙な感じですね。
近代フランス社会思想史ブログ
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
伊勢神宮とライシテと屏風 2016/06/04(土) 19:02:41
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%86
ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』を読みはじめ、次の指摘は、なるほど、そういうことか、と思いました。
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ジャン・ボベロの理論的貢献のひとつは、laïcisation(脱宗教化)と sécularisation(世俗化)を概念として分けたことで、前者は法律によってライシテに基づく公教育や政教分離が制度化される過程を指し、後者は市民社会と文化・習俗において宗教の影響が減退する過程を指す。(10頁)
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ウィキによれば、 laïcisme はギリシャ語源、sécularisme はラテン語起源の言葉なんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E5%8A%9F%E4%B8%80_(%E6%B3%95%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)
ご引用の谷口功一氏のブログには、「シャルリー・ヘブド事件」とありますが、Hebdo の H は発音しないのでエブドの間違いですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2
ガリカニスムの語源ガリアは、ウィキを見ても、大変複雑な史的背景があるのですね。
http://mainichi.jp/articles/20160512/k00/00m/010/141000c
伊勢志摩サミットにおける各国(及びEU)首脳の記念撮影ですが、ライシテという観点からみると、どうなんだろう、と若干の疑問を抱きました。伊勢志摩をサミット会場に選んだ最大の目的は伊勢神宮内宮前の記念撮影にあって、議題の経済やテロの問題などはただの付け足しだったのではないか、とまでは邪推しませんが。
サミットの夕食会会場に飾られていた「燕子花図屏風」の八橋も気になりました。G7を背後から八橋が守る、という洒落かもしれませんが、あれは酒井抱一でしょうか。
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%86
ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』を読みはじめ、次の指摘は、なるほど、そういうことか、と思いました。
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ジャン・ボベロの理論的貢献のひとつは、laïcisation(脱宗教化)と sécularisation(世俗化)を概念として分けたことで、前者は法律によってライシテに基づく公教育や政教分離が制度化される過程を指し、後者は市民社会と文化・習俗において宗教の影響が減退する過程を指す。(10頁)
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ウィキによれば、 laïcisme はギリシャ語源、sécularisme はラテン語起源の言葉なんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E5%8A%9F%E4%B8%80_(%E6%B3%95%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)
ご引用の谷口功一氏のブログには、「シャルリー・ヘブド事件」とありますが、Hebdo の H は発音しないのでエブドの間違いですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2
ガリカニスムの語源ガリアは、ウィキを見ても、大変複雑な史的背景があるのですね。
http://mainichi.jp/articles/20160512/k00/00m/010/141000c
伊勢志摩サミットにおける各国(及びEU)首脳の記念撮影ですが、ライシテという観点からみると、どうなんだろう、と若干の疑問を抱きました。伊勢志摩をサミット会場に選んだ最大の目的は伊勢神宮内宮前の記念撮影にあって、議題の経済やテロの問題などはただの付け足しだったのではないか、とまでは邪推しませんが。
サミットの夕食会会場に飾られていた「燕子花図屏風」の八橋も気になりました。G7を背後から八橋が守る、という洒落かもしれませんが、あれは酒井抱一でしょうか。