学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

丸森町・かかし祭り(その2)

2013-09-25 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 9月25日(水)20時47分4秒

「石羽古碑街道」には4箇所に合計70ほどの石碑があるのですが、道路拡張工事に際して、あちこちに散在する石碑をまとめたものだそうです。
丸森は良質の花崗岩の産地なので、石碑も立派なものが多いですね。

1枚目は家庭的なほのぼのした作品、2枚目は少し離れたところから撮ったので若干分かりにくいのですが、細部まで非常に丁寧に作られたお洒落な作品でした。
3枚目はNHKドラマ「あまちゃん」を素材にしたものですね。

「丸森のカルナック 石羽街道の石碑群」(金龍山瑞雲寺ホームページ内)
「石羽古碑街道という道」(「仙台人が仙台観光をしてるブログ」内、2010年11月)

※写真
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丸森町・かかし祭り(その1)

2013-09-25 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 9月25日(水)20時41分47秒

宮城県南部の丸森町には駒場瀧不動尊愛敬院という修験の古刹があるのですが、このお寺に向かう「石羽古碑街道」を訪ねたところ、たまたま「かかし祭り」をやっていました。
なかなか面白い作品があったので、いくつか紹介します。

1枚目は中央の古典的な「へのへのもへじ」を二体の地蔵、しかも明らかに女性的な地蔵が囲むというもので、組み合わせ方が斬新ですね。
3枚目の前衛的な作品は2枚目の左側に置かれていたものですが、「かかし」の通念を超越していて、殆ど何が何だか分からないものになっていますね。

愛敬院

※写真
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定禅寺ストリートジャズフェスティバル(その2)

2013-09-09 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 9月 9日(月)09時36分49秒

時折強い雨が降るなど天候にはあまり恵まれなかったため、観客の人数は例年より少なかったようですが、それでも大変賑やかでした。
1枚目は勾当台公園。
2・3枚目は勾当台市民広場で、ファイナルに出場した富士学園中学高校(山梨県)と尚絅学院中学高等学校合唱部のリハーサル風景です。

※写真
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定禅寺ストリートジャズフェスティバル(その1)

2013-09-09 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 9月 9日(月)09時31分26秒

昨日は「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」に行って来ました。

公式サイト

※写真
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遠刈田温泉・大護摩供法要(その2)

2013-09-08 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 9月 8日(日)08時53分38秒

櫻本坊院主の巽良仁氏は1960年に櫻本坊に生まれ、1981年、上智大学文学部哲学科在学中に院主を承継された方だそうで、山伏らしからぬといっては失礼ですが、なかなか紳士的な雰囲気を持った人ですね。
講演冒頭の自己紹介で、蔵王には学生時代にスキーで何度も来ていたと言われていましたが、山伏の正装でそのように挨拶されると、何だか有難味が若干減るような感じがしないでもありませんでした。

写真1枚目は「法弓の儀」の場面で、いったん弓を水平に構えてから矢を上空に打ち上げていました。
もちろん矢の先端は怪我をさせないように保護されていますが、自分の上に落ちてこないかとけっこうハラハラしますね。
2枚目、左側が巽良仁氏ですね。
3枚目は点火後、火力を調節するために時折水を掛けたりする役の人の顔に赤い炎が映っている様子です。

※写真
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遠刈田温泉・大護摩供法要(その1)

2013-09-08 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 9月 8日(日)08時44分51秒

昨日は宮城県蔵王町の「蔵王ふるさと文化会館」で行われた「蔵王のルーツを訪ねて "蔵王"はなぜ"ざおう"と呼ばれるのか?」という講演会を聴講してきました。
講師は「大峯山護持院櫻本坊(さくらもとぼう)第67世院主(いんじゅ)」の巽良仁(たつみりょうにん)氏で、一般向けの内容ですが、役行者・蔵王権現・修験道等の知識の整理になりました。
その後、遠刈田温泉の共同浴場「神の湯」前広場で行われた「東日本大震災鎮魂・復興祈願 大護摩供法要」も見学してきましたが、修験道の行事をきちんと見たのは初めてで、けっこう面白かったですね。
一番上の写真は山伏一行が苅田嶺神社に参拝後、「神の湯」の横を通って法要の会場に向かうところです。

櫻本坊サイト内「聖地巡礼 蔵王山大護摩供」

※写真
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双葉町訪問記

2013-08-25 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 8月25日(日)22時37分10秒

昨日は5月28日の警戒区域再編で立ち入り可能になった双葉町の沿岸地区に行ってきました。
といっても、浪江町の立ち入り許可を得て請戸の苕野神社を訪問した後、双葉町の境界まで行ったら、普通に通行できたのでちょっと寄ってみただけですが。

区域再編直後の4月に浪江町に入ったときは警備員が車のナンバーを控えるだけで、そのまま入れましたが、今回は手続きが若干複雑になり、入口で警備員から、まず浪江町役場に行って「臨時通行証」を申請するようにと言われました。
そこで浪江町役場へ行き、氏名・住所・通行目的・車両ナンバーを申請書に記入して職員に渡すと、何故かその人がそれをファクス送信。
何をやっているのかなと思ったら、役場の建物にいる人は単なる窓口で、審査と交付は役場機能が移転した二本松市で行っているのだそうです。
そして、いい加減待ちくたびれたころファックスがギーコギーコと鳴り、やっと「臨時通行証」をもらうことができました。

私は申請書の通行目的欄に「苕野神社訪問」と書いたのですが、受け取った通行証には「自宅に一時帰宅するため、警戒区域及び帰還困難区域内の通行を認める。発行権者浪江町長 馬場有(町長印)」とあり、更にその下には「複写、加筆したものは無効になります」との添え書きがありました。
私はもちろん浪江町内に自宅は持っていないので、「自宅に一時帰宅するため」との表現に少しびっくり。
でもまあ、神社に行きたいなどという理由で申請する人はめったにいないでしょうし、面倒を避けてルーチンで処理したいという職員の気持ちも分からないではありません。
しかし、日中の立ち入りが可能な「避難指示解除準備区域」で充分満足な私に対して「警戒区域及び帰還困難区域内の通行」許可が出たのには、正直かなり驚きました。
ついでに言えば、二本松市内でハンコを押してファックス送信した「臨時通行証」を浪江町内で受信・印刷した書面が「複写」として「無効」にならないのかも疑問ですね。
もちろん私は紙切れをもらえれば満足なので、全ての疑問を封印して車に戻りました。

そして苕野神社参詣後、双葉町との境界まで行くと、車止めもなかったので、そのまま双葉町の「避難指示解除準備区域」内に車で入り、双葉町内の「帰還困難区域」との境で写真を撮っていたら、警備会社の車が来たので、警備員さんと少し立ち話ししました。
その後、いったん浪江町内に戻り、今度は県道254号線(広野小高線)に設置されていた車止めを乗り越えて双葉町の「避難指示解除準備区域」内に入り、徒歩で双葉海浜公園近くの「帰還困難区域」境界まで往復して戻ると、私の車の横に福島県警のパトカーが停まっていて、私は警察官2名と和やかに懇談することになりました。
まあ、明確にバリケードを乗り越えて入った訳ですけど、私が歩いていたのは「避難指示解除準備区域」内で、別に違法ではないですね。
警察官に本来なら双葉町の立ち入り許可を得ないといけないみたいなことを言われたのですが、その手続きを聞いたら警察官も答えられませんでした。
双葉町の役場機能は埼玉県加須市に移転後、今はいわき市にあるそうですが、仮に双葉町で何らかの立ち入りの手続きを定めていて、私がその手続きに反したために過料等の行政的な制裁の対象になったとしても、刑事責任の対象ではないですね。
ま、私は現場の警察官と細かい法律談義をするほど意地の悪い人間でもないので、ほどほどのレベルの話で終えました。

ところで浪江町は区域再編直後の4月にはそれなりに大勢の人が入っていましたが、昨日は工事関係の僅かな人に会っただけでした。
そして双葉町内では警備会社の人のみ。
人口の僅か4%の地区が立入可能になっただけなので当たり前といえば当たり前ですが。

国道6号線を南下すると、いったん警戒区域に入れられてしまった地域とそれ以外の地域の雰囲気の差を誰でも感じることができます。
同じ南相馬市でも原町区は活気がありますが、1年間警戒区域だった小高区は今でもひっそりとしていますね。
2年続いた浪江は再起不能とは言いませんが、住民が暮らせるようになるには相当の時間がかかりそうです。
そして双葉町はというと、ここは本当に厳しいですね。

写真は一番上が車止めもなかった浪江町と双葉町の境界。
二枚目は県道254号線(広野小高線)から見た双葉海浜公園周辺。
三枚目は双葉海浜公園近くの「帰還困難区域」との境界です。
このバリケードのすぐ左が二枚目の写真の白い建物ですね。

参考:2013年5月29日付産経新聞記事

※写真
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石巻・白浜海水浴場

2013-08-07 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 8月 7日(水)06時26分3秒   通報 編集済

『河北新報』に次のような記事が出ていました。

------------
海水浴場に復興託す 10、11日限定の海開き 石巻・白浜

 東日本大震災の津波で集落が流された宮城県石巻市北上町十三浜白浜の住民有志が10、11の2日間限定で、白浜海水浴場を再開する。地盤沈下を免れた美しい浜を、防潮堤の整備や集落跡の利用といった将来の地域づくりにどう生かせるかを検証し、提案する。「浜の復活を応援して」と大勢の来訪客を期待している。
 白浜海水浴場は国道398号沿いに延長約200メートルの砂浜が広がる。北上川河口に近く、遠浅で波が穏やかなのが特徴。ピーク時には海水浴客が年間1万人を超えた。
 北上地区復興応援隊と住民有志が7月上旬、3年ぶりの海水浴場開設に向けて活動をスタート。7月20日に運営母体となる「白浜海水浴場再開実行協議会」を設立し、東京のボランティアと海岸の清掃、草刈りをした。水質検査では海水浴に適していると判定され、5日に市の許可を得る見通しだ。(後略)

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/08/20130803t15009.htm

白浜の鎮守・鹿島神社は「ビール神社」の通称を持ち、一部マニアには有名だったそうですね。
私も何度か参詣しているのですが、ちょうどよい機会なのでブログの方にまとめてみました。

「2011年8月の白浜・鹿島神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/71931678.html
「2012年4月の白浜・鹿島神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/71945223.html
「2012年8月の白浜・鹿島神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/71965846.html
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ブログ更新

2013-08-05 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 8月 4日(日)20時51分25秒

久しぶりにブログを更新しました。
先週訪問した山元町・八重垣神社の夏祭り(地元の通称「お天王さん祭り」)の様子です。

「八重垣神社の夏祭り」(その1)
http://chingokokka.sblo.jp/article/71782616.html
「八重垣神社の夏祭り」(その2)
http://chingokokka.sblo.jp/article/71785361.html
「八重垣神社の夏祭り」(その3)
http://chingokokka.sblo.jp/article/71790168.html
「八重垣神社の夏祭り」(その4)
http://chingokokka.sblo.jp/article/71794993.html
「八重垣神社の夏祭り」(その5)
http://chingokokka.sblo.jp/article/71798487.html
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八重垣神社の夏まつり(その2)

2013-07-28 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 7月28日(日)22時57分45秒

八重垣神社周辺の堤防の再建工事はここ数か月で急速に進んでおり、地元の人もその進捗具合に驚いていましたね。

※写真
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八重垣神社の夏祭り(その1)

2013-07-28 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 7月28日(日)22時51分28秒

今日は宮城県山元町に鎮座する八重垣神社の夏祭りを見学してきました。
神仏分離前は「牛頭天王」と呼ばれていた神社で、八重垣はスサノオノミコトが詠んだという「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」に由来するのでしょうね。

八重垣神社に最初に参詣したのは2011年8月ですが、ブログの方には同年12月以降の変化の様子を載せています。


2011年12月
2012年4月
2012年5月
2012年6月
2012年12月

※写真
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堀を越える人と堀に落ちる人

2013-07-28 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 7月28日(日)22時43分59秒

>筆綾丸さん
リベラルの意味が日本とアメリカでは全然違っていて、アメリカのリベラルには軍事活動に積極的な人が結構多いですね。
ダイアン・ファインスタインについては以前少し調べたことがあるのですが、1933年生まれで80歳、上院の情報・軍事関係を牛耳っている頭脳明晰で迫力のある女傑ですね。


堀越二郎の奥さんは病弱だったのかと思ったら、長生きしたそうですね。
結局、堀越二郎と堀辰雄って、「堀」以外は何の共通点もないような感じがします。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

prism(分光)とpatriotism(憂国) 2013/07/28(日) 15:11:12
小太郎さん
起訴状を見て、ホッとしました(笑)。

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Calls for Treason Charge

Many members of Congress said they believed Snowden was a traitor and should have been charged with treason. The chairwoman of the U.S. Senate Intelligence Committee, Democrat Dianne Feinstein of California, said: "I don’t look at this as being a whistleblower. I think it’s an act of treason."

U.S. Sen. Bill Nelson, a Democrat from Florida, said: "Edward Snowden is not a whistle-blower. What Edward Snowden did amounts to an Act of Treason. And the Department of Justice should bring charges against him for deliberately taking classified information and leaking it in such a way that our enemies can use it against us.
------------------------------------------------------------------------------------
二人の上院議員が、反逆罪にしろ、と気炎を吐いていますが、ともに民主党議員なんですね。見せしめのため反逆罪で処刑してしまいたい、といったところでしょうか。外野席の声が司法長官の判断に影響を与えることはないと思いますが。

昨日の日経文化欄は、宮崎駿氏へのインタヴューで、次のような箇所があります。

「・・・一時、世界で流行した(主翼が途中で上に曲がる)逆ガル翼。僕の深読みかもしれないが、堀越は逆ガル翼を絶対に作ってみたかったと思う。」
なるほど、映画に登場するゼロ戦のような妙な戦闘機は思い入れの産物なんですね。堀越氏の設計で、ゼロ戦の後継機「烈風」は、わずかながら「ガル翼」になっていますが。

「戦時中は意に染まないことばかりやらざるえを得なかった。それでも自説を曲げず、誇りを失わなかった。まともな態勢さえあればちゃんとした飛行機を作れたはず」
様々な制約条件があったから、あれだけの戦闘機を作れたのだ、と思います。宮崎氏の説では、ゼロ戦は「ちゃんとした飛行機」ではないことになりますが、堀越氏に対して失礼な言い草ですね。

文責は日経の文化部にあるようですが、堀越氏を「飛行機の設計技師」と及び腰で紹介しています。戦前の三菱を考えれば、暢気に「飛行機」などの設計をしていたわけでないことは自明なんですがね。
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近すぎる近衛兵?

2013-05-29 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 5月29日(水)23時40分19秒

>筆綾丸さん
竹内正浩氏の本は未読ですが、基本的な発想がおかしいんじゃないですかね。
竹橋事件の教訓は近衛兵を不平不満分子の集団にするな、というシンプルなものであるはずで、対策は人事・制度・教育の改善に尽きると思います。
遠くに置けば安全だ、というのは頓珍漢というか、そもそも天皇を近くで守るのが「近衛」であり、遠くに置いてしまったら、そんなものは「近衛」でもなんでもないだろうという感じがしますね。

まとめて少し長めの文章を書きたいと思っていたのですが、明日から移動が多くなるので、次回の投稿も少し間が空いてしまうかもしれません。
あしからず。


※筆綾丸さんの投稿、「行在所としての西の丸」へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6811
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増川宏一氏

2013-05-24 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 5月24日(金)06時22分34秒 編集済

>筆綾丸さん
法政大学出版局の「ものと人間の文化史」シリーズで沢山の本を出している人ですね。
私も何冊か読みました。
正統的な歴史学者が注目していなかった分野を独力で切り拓いてきた在野の研究者ですので、文章には少しクセがあり、時々変な記述もあったりしますね。
1930年生まれだそうなので現在83歳ですか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E5%B7%9D%E5%AE%8F%E4%B8%80

>かつての侍臣で、出家して清寂という名になった者
これは藤原清房で、上杉家の祖・重房の父なんですね。
ま、ウィキペディアの記述ではありますが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B8%85%E6%88%BF

>西園寺公衡
政治家としては有能とは言い難い人ですが、こまめな日記を残してくれた点は本当にありがたいですね。
後深草院の遺品が書かれた部分、以前読んでいるはずですが、さすがに将棋盤についての記述があったかどうかは記憶していません。

後深草法皇の死と葬送の記録(網野善彦氏訳)
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/amino-yoshihiko-gofukakusa.htm


※筆綾丸さんの投稿「将棋の歴史」へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6808
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マクリダシ

2013-05-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 5月22日(水)23時10分34秒

>筆綾丸さん
「角海浜(その2)」を書こうと準備していたところ、「角海浜(その1)」でリンク先にしていたサイト(「廃報アーカイブ」)の記事の方がずっと詳しいことに気づき、ちょっとがっかりしていました。
最初のページだけかと思っていたら続きがあって、しかも運営者はトンネルの先まで行っているんですね。
正直、負けたと思いました。

ただ、この方が2005年に訪問した際、角海浜入口には新潟市が設置した柵がなく、文中にも道路崩壊の記事がありません。
私は2010年に初めて角海浜を訪問したのですが、その時には道路が2か所で崩壊しており、崩壊の程度は今回の訪問時とあまり変わっていませんでした。
とすると道路崩壊もジワジワ起きたのではなく、かつて海側に存在していた集落を消滅させた「マクリダシ」現象のミニ版として、一気に起きたのかもしれないな、などと思っています。
ま、このあたりは地元の人に聞けば分かるのでしょうが。

>(伝)南部左馬頭茂時
「南部」は確か南部藩の伝承ですね。
気になるので、後で調べてみます。

倉本一宏氏『藤原道長の権力と欲望』は未読です。
これも後で読んでみるつもりです。
色々、間延びしたレスですみません。
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