学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

奈良の新マスコット

2008-03-06 | その他
奈良の新マスコット 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 3月 6日(木)01時18分6秒

産経新聞より。
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 平城宮跡(奈良市)を主会場に開催される平城遷都1300年祭を2年後に控え、奈良県などでつくる事業協会が発表したマスコットキャラクターのデザインが波紋を呼んでいる。不評が多く、地元の市民グループは5日、白紙撤回を求める署名活動に乗り出す方針を決定。これに対し、同協会は「変更しない」と強気の構えを示している。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080305/trd0803052341018-n1.htm

キューピーマヨネーズからも抗議されるカモ。
せめて鹿の角をカブリものにすればよかったのに。
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『承久三年四年日次記』

2008-03-06 | 勝軍地蔵と良助法親王
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 3月 6日(木)00時50分23秒

>筆綾丸さん
またまた首藤善樹氏の論文からの孫引きで恐縮です。
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もう一は『承久三年四年日次記』である。これは仁和寺の日次であるが、承久三年(一二二一)五月廿八日条に次のごとく記されている。
 廿八日、辛亥、立毘沙門供養勝軍地蔵勝敵。以聖覚法印為導師。
 被遣主典代俊職。大蔵卿願文章為長卿。清書前宮内権少輔行能。
これは、清水寺の住侶等が勝軍地蔵・勝敵毘沙門を造立供養し、その導師は聖覚法印であり、主典代紀俊職が遣され、願文は大蔵卿菅原為長が草し、前宮内卿権少輔藤原行能が清書したというのである。
 導師を勤めた安居院の聖覚は、後鳥羽上皇の重用を受けており、主典代俊職は後鳥羽上皇の院司である。願文とは、すなわち承久の乱にさいした後鳥羽上皇の関東調伏の願文であったことは、推察に難くない。
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仁和寺の人がただ「聖覚法印」と言っているのだから、安居院法印聖覚で間違いないように思いますが、大原嘉豊氏の「高野山親王院所蔵『勝軍地蔵』画像に関する考察」(『尭榮文庫研究紀要』6,2005)でも、「東大寺聖覚が供養導師になった」とありますね。
ふーむ。気になる。
ま、私が承久三年の聖覚を延暦寺の人みたいに書いたのもトンチンカンでしたね。

>甲冑の異人を良助法親王とする議論には論理の飛躍がある
そうですね。
この結論を出すために、黒田氏はかなり無理していますね。
例えば、金ならうなるほど持ってるぜ、という「前太政大臣西園寺入道」は、黒田氏の西園寺実兼説より、首藤善樹氏の西園寺公経説の方がはるかに自然ですね。
大原嘉豊氏の論文は、また後で紹介します。

>うえんつさん
>こんなに鎌倉が愛しく切ないなんて。。。
和歌で愚痴を言うのは、あまり良い趣味ではないですね。
宗尊親王はしみったれた性格だから早死にしてしまったのでは、と思います。
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