学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

書評会

2008-03-30 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 3月30日(日)02時06分3秒

28日(金)は、下高井戸の日本大学文理学部キャンパスで行われた悪党研究会例会に初めて参加してみました。
テーマは「細川重男氏著『鎌倉北条氏の神話と歴史-権威と権力-』を読む」で、同書については1月に再興中世前期勉強会でも書評会を行っており、著者の細川氏、というか釈さん自身が参加して質問に答えた二度の書評会で、批判・疑問もほぼ出尽くしたのかな、という印象を受けました。
私自身は、この本の「神話」の部分に関してはかなり批判的でして、『古今著聞集』と「平政連諫草」に出てくる北条義時=武内宿禰の再誕伝説について、前者は石清水八幡宮が幕府の最高権力者に取り入ろうとして創作したのではないか、そして、後者は前者と無関係に鎌倉で広まった伝説ではなかったのではないか、と思っています。
というのは、「平政連諫草」を読むと、政連は諫言マニアというか、ま、ちょっと扱いにくい頑固な変人タイプの人だったとは思いますが、基本的には法曹官僚であって、醒めた知性の持ち主という感じがします。
そして、漢籍を中心にかなりの蔵書も持っていたようで、「武内大神の再誕」云々も、政連がそれを信じていたからではなく、『古今著聞集』を読んで、単なる知識として有していただけという可能性もあるんじゃないかなと思います。
即ち、政連は宴会ばかりして幕府の最高権力者としての責任を放擲している馬鹿な主人に対し、諫言という非常に危険な行為を是非ともしたかった。しかし、そんなことをして暴君に殺されてはたまらないから、臣下としては細心の注意を払わなければならず、権威ある古典からの膨大な引用も必要だったし、前武州禅門(北条泰時)が救世観音の転身で、最明寺禅門(北条時頼)は地蔵薩埵の応現でしたと主人の先祖を無茶苦茶褒めちぎって、自分の諫言に反するのは先祖に反するのと同じことだ、という気持ちを起こさせるよう仕向けることも必要だった、と。
引用によって自己の意見を権威づけるのが政連の基本的な戦略だろうから、再誕・転身・応現話も何らかの典拠に基礎付けられていて、義時についてはその典拠がまさに『古今著聞集』だったのではなかろうか、と思う訳です。
以上の私見は既に釈さんにも話しており、私はここ暫く、『古今著聞集』が14世紀初頭に鎌倉に伝わっていたことを立証できないかな、と思って『古今著聞集』に関する論文を色々あたってみたのですが、なかなか見つからないですね。

>筆綾丸さん
courtesanというと、高級なprostitute、ないし貴族・金持ちの情婦・愛人といった意味ですね。
Karen Brazell女史の“The confessions of Lady Nijo”ではconcubineという表現を使っています。
『問はず語り』の英訳には、Wilfrid Whitehouse、 Eizo Yanagisawa共訳の、“Lady Nijo's own story; Towazugatari: the candid diary of a thirteenth-century Japanese imperial concubine”というのもあって、私は未読ですが、タイトルから見て、こちらも concubineなんでしょうね。

参考
http://home.infionline.net/~ddisse/nijo.html#anchor258249
コメント
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