投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 7月29日(火)01時07分51秒
>筆綾丸さん
舎利はまるで生き物のように増えたり減ったりしますね。
内藤栄氏の「叡尊の舎利信仰と宝珠法の美術」(日本の名僧シリーズ『叡尊・忍性』、吉川弘文館、2004)p76には、
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空海著と伝えられる『御遺告』によれば、仏舎利八〇粒の実体は恵果が自ら作った能作生宝珠(阿闍梨が舎利や香木、漆などを用いて練って作る宝珠)であったといい、空海はそれを大和の室生山に埋めたとも、東寺経蔵に納めたともいう。ただし、本書は空海自著とは認めがたく、平安中期に空海に仮託して成立したと考えられている。仏舎利八〇粒を能作生宝珠とする説も当時流布していた信仰を反映したものと思われるが、この説はその後の舎利信仰に多大の影響を与えることになった。
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との一文がありますが、増やす場合、実際に行う作業としては、元となる舎利に香木等を加えて漆でペースト状にし、適当な大きさに分けて形を整え、固まるのを待つということなんですかね。
能作生(のうさしょう)で検索すると、生駒市長福寺の国宝・金銅能作生塔が出てきますが、このお寺さんはやっぱり真言律宗ですね。
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/11/1102chofukuji/110202kongonosa/110202kongonosa.php
http://www.geocities.jp/nara_no_daibutu2/03-tera-kougai/chouhukuji.html
>筆綾丸さん
舎利はまるで生き物のように増えたり減ったりしますね。
内藤栄氏の「叡尊の舎利信仰と宝珠法の美術」(日本の名僧シリーズ『叡尊・忍性』、吉川弘文館、2004)p76には、
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空海著と伝えられる『御遺告』によれば、仏舎利八〇粒の実体は恵果が自ら作った能作生宝珠(阿闍梨が舎利や香木、漆などを用いて練って作る宝珠)であったといい、空海はそれを大和の室生山に埋めたとも、東寺経蔵に納めたともいう。ただし、本書は空海自著とは認めがたく、平安中期に空海に仮託して成立したと考えられている。仏舎利八〇粒を能作生宝珠とする説も当時流布していた信仰を反映したものと思われるが、この説はその後の舎利信仰に多大の影響を与えることになった。
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との一文がありますが、増やす場合、実際に行う作業としては、元となる舎利に香木等を加えて漆でペースト状にし、適当な大きさに分けて形を整え、固まるのを待つということなんですかね。
能作生(のうさしょう)で検索すると、生駒市長福寺の国宝・金銅能作生塔が出てきますが、このお寺さんはやっぱり真言律宗ですね。
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/11/1102chofukuji/110202kongonosa/110202kongonosa.php
http://www.geocities.jp/nara_no_daibutu2/03-tera-kougai/chouhukuji.html