学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『音声表現思想史の基礎的研究』

2010-02-26 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 2月26日(金)01時12分51秒

今日は清水真澄氏『音声表現思想史の基礎的研究-信仰・学問・支配構造の連関-』(三弥井書店、平成19年)のうち、西園寺家に関係する部分を読んでみました。
発想は斬新で、非常に丁寧に調べられているなとは思うのですが、結論には違和感がありますね。
それは追々書くとして、とりあえず冒頭部分のみ紹介しておきます。

-----------
第四章 音と権力─河海と琵琶─
  はじめに

 妙音天信仰は、妙音院師長によって打ち出されて以降、西園寺家に継承され、琵琶の相承に大きな意味を持った。音楽理論は密教と重ねられ、琵琶の秘曲伝授は「灌頂」とされた。『金光明最勝王経』の説く弁才天と、『大日経』に由来する妙音天が習合し、広く妙音弁才天が信仰された。その結果、鎌倉時代の琵琶は、宗教的、政治的に極めて象徴的な意味合いを持つに至った。そこで、妙音弁才天信仰の意味を究明するために、『渓嵐拾葉集』に注目した。『渓嵐拾葉集』(一三一一~四八 光宗編著。『大正新修大蔵経』第七十六巻)は、比叡山延暦寺及び関連する故事や口伝を収めた書である。巻第三七に、竹生島弁才天のまつわる安居院流唱導の由緒を記し、一流の祖、藤原通憲を賞揚する記事が収められている。なぜ安居院流唱導にとって、竹生島が重要だったのか。中世から近世にかけて、竹生島は六弁才天の一つに位置づけられていた。六弁才天とは、江の島から厳島に至る六ヶ所の霊験所である。それぞれの信仰の場について弁才天信仰の意味を検証し、弁才天信仰が地域的意義を追求した。その結果、弁才天は根源としては水神であり、護国信仰の中で軍神と結び付いていった。院政期以降の弁才天信仰は、個別の信仰から広域的な信仰へと展開し、人々の交流を生み出した。霊験所を廻る人々の流れから、琵琶湖を始点として宇治川水系、さらに西海を制した西園寺家の姿が見えて来る。西園寺家の覇権の中で、音はどのような意味を持ったのだろうか。西園寺家が到達した音の力とは何であったのかを考察したい。
-----------

『音声表現思想史の基礎的研究-信仰・学問・支配構造の連関-』
http://www.miyaishoten.co.jp/main/003/3-11/onseisisousi.htm

清水真澄というお名前の仏像研究者がいますが、『音声表現思想史の基礎的研究』の著者は同姓同名の女性研究者なのですね。

http://donkun.ath.cx/~sion/bbs/yyregi.cgi?mode=past&pastlog=12&page=80
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会図書館周辺の歴史散歩

2010-02-26 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 2月26日(金)00時07分46秒

>筆綾丸さん
国会図書館の立っている場所には、戦前、ドイツ大使館があったんですね。

----------
このドイツ大使館の敷地は、梨木坂を挟んで陸軍省の通用門に面しており、また、南の大通りの向こうには昭和11年(1936)に完成した国会議事堂があるなど、日本の立法府や軍と隣り合わせの、きわめて重要な場所に位置していたことは言うまでもない。そればかりではなく、この立地は首相官邸や霞ヶ関にも近いため、ドイツ大使館が戦前の日本で情報活動を行うにも好都合であったらしく、いわゆるゾルゲ事件もこのドイツ大使館を舞台に発生した。

http://www.ndl.go.jp/scenery/column/german-embassy.html

都立中央図書館の近くに立つ有栖川宮熾仁親王像は、昔は三宅坂の参謀本部前にあったそうですが、さすがに往時は絵になる光景だったようですね。

http://jin3.jp/annai/arisugawa.htm
http://homepage3.nifty.com/kindaikenchiku-yuuho/sakusaku/1_9.htm

参謀本部は映画『剣岳 点の記』にも登場しましたね。

http://www.jsurvey.jp/tsurugidake/topics200807-1.pdf
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする