学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

将軍地蔵

2012-06-20 | 勝軍地蔵と良助法親王
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月20日(水)21時50分20秒

近づいて撮った将軍地蔵の写真も載せておきます。
また、掲示されていた文章も転載しておきます。

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将軍地蔵(しょうぐんじぞう)

 将軍地蔵は「勝軍地蔵」とも書き、中世武士の地蔵信仰を背景
に、室町時代に入って生み出された地蔵で、騎馬武者姿で表わさ
れることが多く、その名から特に戦国武将に信仰された。
 本像は、光背型石仏の将軍地蔵立像で、正確に「将軍地蔵」と
刻まれている。甲冑(かっちゅう)を着け天衣を垂らし、左手に幡(はた)と思われる棒状
のもの、右手に剣を持っている。
 石仏としては、本像を含めて市内に一例しか確認されておらず、
数少ない将軍地蔵信仰の一端を示すものとして貴重である。
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「本像を含めて市内に一例しか確認されておらず」というのは文章として若干変ですが、これは「例」の前の数字を消して「一」に書き換えているためですね。
また、「室町時代に入って生み出された地蔵」とありますが、大原嘉豊氏はもっと古いと言われていますね。
ただ、大原氏の「高野山親王院所蔵『勝軍地蔵』画像に関する考察」(『尭榮文庫研究紀要』6,2005)という論文で紹介されている高野山親王院蔵の勝軍地蔵像は武人には見えず、普通の勝軍地蔵のイメージとは全く異なります。

高野山親王院

※写真
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かのかわ古道(その4)

2012-06-20 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月20日(水)11時38分53秒

最後は馬頭観音と将軍地蔵ですね。
(その1)が一番南で、次第に北に移動しています。
西称院は「かのかわ古道」の途中、少し東に離れた位置にあります。

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かのかわ古道(その3)

2012-06-20 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月20日(水)11時35分41秒

「三馬頭観音」は割と珍しい像のように思います。
そして「中組道祖神場」のタラコ唇。

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かのかわ古道(その2)

2012-06-20 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月20日(水)11時34分33秒

上から「下組道祖神場」、特に説明もなかった葡萄畑の丸石、そして別の丸石とその解説板ですね。
中沢厚氏の『石にやどるもの 甲斐の石神と石仏』の世界です。

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かのかわ古道(その1)

2012-06-20 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月20日(水)11時32分0秒

西称院の周辺、3年前に歩いた時は普通の田舎町のような印象だったのですが、かなり雰囲気が変わっていましたね。
最近、「かのかわ古道」として綺麗に整備されたようです。
まずは南側の入口、水車小屋付近の様子。

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