学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

大川小学校と安全配慮義務

2012-06-23 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月23日(土)12時31分8秒

大川小学校の「裏山」、草付きの部分を実際に測量された「2011年旭市の津波被害を記録する会」代表の春川光男氏と少し議論をしていますので、この問題に興味のある方は見て下さい。
1段目の平場までの角度は33度、1段目から2段目の平場までは40度近いとのことです。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54643398.html

コメント欄にも書きましたが、

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大川小学校の問題で不可解なのは、教頭以下の職員が、長時間逡巡したとはいえ結局は避難の必要性を認めたにもかかわらず、なぜ平行移動して「三角地帯」を目指したのか、ですね。
私もいろいろ考えたのですが、もしかすると「安全配慮義務」への過度の懸念が原因だったのかな、と想像しています。
学校で事故が発生した場合、在学関係にも「安全配慮義務」を認めて学校側の損害賠償責任を肯定する判例が最近目立っており、一般理論としては決して間違ってはいないのですが、学校側の責任ある立場の人から見れば、児童がちょっとでも怪我をしたら親から訴えられてしまう、といった発想になりがちなのかもしれません。

「裏山」を具体的にどこと考えるかはともかく、杉林・草付・竹藪など、いずれも避難時に多少の怪我をする可能性はある場所ですが、それに比べれば「三角地帯」までは道路を歩くだけで、怪我の恐れはありませんからね。
後から見れば、多少の怪我の心配などより命が大事なのは明らかですが、責任問題を避けたいという発想に慣れていると、本当の緊急時に本末転倒の結論を出してしまうのかもしれません。
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というのが、現時点での私の考え方です。

コメント
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どちらが拒否したのか。

2012-06-23 | 網野善彦の父とその周辺

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月23日(土)10時41分12秒

人の家のお墓をしげしげ眺めるのは趣味が悪いような感じもするのですが、地方におけるキリスト教布教史に関する一資料として注目しているつもりです。
念のため。

>筆綾丸さん
「墓誌」の後半を見ると、筆頭に明治2年に亡くなった先代の徳兵衛氏の名前が「宝照院釈明教居士 通称徳兵衛」とあり、ついで「きん子」氏の名前が特に法名・戒名をつけずに出てきますね。
以下、法名・戒名なしに女性・徳兵衛氏(昭和12年没)・毅一氏(長男)・女性・女性・道夫氏(毅一氏の長男)と続きます。
「昭和三年九月墓地改造※※父母ヲ追懐シテ其名ヲ墓誌ノ初頭ニ銘記ス」とあるので、先代徳兵衛氏の名前は書かれているものの、先代の徳兵衛氏とさらにその先祖は改葬はせず、元のまま萬福寺に置かれているようですね。
また、毅一氏の二男で民俗学者の厚氏の名前はないので、別のお墓なのでしょうね。

先代徳兵衛氏は明治2年没ですからキリスト教徒のはずがありませんが、その妻で明治37年に76歳で亡くなった「きん子」氏は法名・戒名がないことと「家族改宗」との文言から、息子の徳兵衛氏と同時期かは分かりませんが、亡くなるまでの間にキリスト教に改宗したと考えるのが素直なんでしょうね。
だからこそ墓地の問題が現実化したのではないかと思います。
キリスト教への改宗は、それが内心の問題である限り地域社会とは直接の関係を持ちませんが、葬儀となると正面からぶつかる可能性が出てきますね。
丸石神を祀っているような素朴な風土の中で、地域の有力者である徳兵衛氏とその家族がキリスト教に改宗し、日下部教会も着実に根付きつつある状況を考えると、仏教関係者も心穏やかではなかったと思います。
徳兵衛氏自身はお墓は浄土宗の寺の境内でもよいという考え方ですから、拒否したのは浄土真宗の萬福寺側じゃないですかね。

少し検索してみたら「死者儀礼から見た宗教的多元性─日本と韓国におけるキリスト教の比較より」という論文がありましたが、ここで紹介されている櫻井圀郎氏の論文を読んでみたいですね。

http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/report/2-pdf/3_tetsugaku2/3_02.pdf

なお、「墓誌」の中の「一門」という表現が若干気になったのですが、光の具合で微妙ではあるものの、他の字には見えません。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

syncretism? 2012/06/23(土) 03:49:59
小太郎さん
中途半端な書き方をしてしまいました。
基督者の埋葬を浄土真宗の寺は許さず、浄土宗の寺は許容してくれたので、徳兵衛さんは前者の住職と決別して後者に鞍替えした、けれども、奉ずる宗教は浄土宗ではなく、あくまで基督教である、ということかなと思いました。とすると、基督者ではなく、真宗門徒として亡くなった「祖先歴世ノ遺骸」を、何の許しもなく十字架の下に改葬してしまうのは宗教的僭越独断であり、「霊魂」は迷惑至極に感ずるだろうだから、それらは前者の墓地に残して置かざるを得なくなって、ここに奇妙な断絶が発生した、と。
しかし、事実はそうではなく、基督教に燃える徳兵衛さんは、真宗門徒の祖先の内面などあっさり無視して、十字架の下に一気に改葬してしまった、ということになりますか。とすれば、尊い阿弥陀様の主宰する浄土まであと一歩というところで、この野郎、何しやがんだ、と立腹する祖先の一人や二人、存在してもおかしくないのではないか。いや、もしかすると、寛容な阿弥陀様は十字架などお気になさらないかもしれない。そんなもの、やがて風化するだろうから。
皮肉な言い方になりますが、後者の墓は、和洋折衷のような、洋魂和才のような、ある種のsyncretism(神仏混合)というべきかもしれないですね。欧州の基督教の墓石には、ふつう、IHSとかαω(アルファ・オメガ)などの記号が執拗に彫られていますが、中澤家の墓石には、さすがに、それらはないのでしょうね。
コメント
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