投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月14日(火)22時35分13秒
中世国家論から少し脱線中ですが、以前、著名な歴史研究者たちが『問はず語り』をどのように読んでいるかを熱心に調べたことがあって、その成果の一部をホームページに載せていました。
マルクス主義に立脚する歴史研究者では、北山茂夫氏の次の文章は文学への理解力が乏しい典型例として興味深いですね。
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ここで、文芸のほかの分野に移ろう。おとろえたとはいえ、王朝文学の流れを扱むものに、近年問題になってきた『とはずがたり』がある。これは、一三世紀後半に後深草院に仕えた二条とよばれる女性の自伝的作品である。歴史学の立場から、この日記文学をみれば、そのころの京都宮廷の天皇、貴族の生活ぶり、端的にいえぱ、恋と遊びの退廃ぶりがかなりよく表現されていて興味ぶかい。こういう生活のなかから、『新古今和歌集』以後、歴代の勅撰集に収められた宮廷人たちの、がらくたのような歌が多量に吐きだされたのである。しかもそれを、かれらはいちずに、宮廷文化の誇りとみなしていた。
『ちくま少年図書館69.歴史の本-中世の武家と農民』https://web.archive.org/web/20150129051751/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-kitayama-shigeo.htm
エロ親父的側面を濃厚に持つ網野善彦氏は『問はず語り』が大好きで、 出世作の『蒙古襲来』以降、あちこちで『問はず語り』に言及されていますね。
『蒙古襲来』
石井進氏は「在地の武士のイエ支配権の強力さ」の例として和知の場面を引用している点では永原慶二氏と共通していますが、永原氏のような極端な表現は用いていないですね。
「中世武士団の性格と特色-はじめに-」
その他、多くの歴史研究者が『問はず語り』について語っていますが、『問はず語り』を覗き込むと、逆にその歴史研究者自身の人物像が鏡の中に映し出されて来るような感じもします。
参考文献:『とはずがたり』