学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

鏡としての『問はず語り』

2014-01-14 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月14日(火)22時35分13秒

中世国家論から少し脱線中ですが、以前、著名な歴史研究者たちが『問はず語り』をどのように読んでいるかを熱心に調べたことがあって、その成果の一部をホームページに載せていました。
マルクス主義に立脚する歴史研究者では、北山茂夫氏の次の文章は文学への理解力が乏しい典型例として興味深いですね。

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 ここで、文芸のほかの分野に移ろう。おとろえたとはいえ、王朝文学の流れを扱むものに、近年問題になってきた『とはずがたり』がある。これは、一三世紀後半に後深草院に仕えた二条とよばれる女性の自伝的作品である。歴史学の立場から、この日記文学をみれば、そのころの京都宮廷の天皇、貴族の生活ぶり、端的にいえぱ、恋と遊びの退廃ぶりがかなりよく表現されていて興味ぶかい。こういう生活のなかから、『新古今和歌集』以後、歴代の勅撰集に収められた宮廷人たちの、がらくたのような歌が多量に吐きだされたのである。しかもそれを、かれらはいちずに、宮廷文化の誇りとみなしていた。

『ちくま少年図書館69.歴史の本-中世の武家と農民』https://web.archive.org/web/20150129051751/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-kitayama-shigeo.htm

家永三郎氏は昭和29年という、まだ注釈書も全く存在しない非常に早い時期に『問はず語り』に着目されており(「歴史資料としての日記」(『国文学解釈と鑑賞』昭和29年1月号)、内容の把握・整理も的確で、さすがだなと思います。

エロ親父的側面を濃厚に持つ網野善彦氏は『問はず語り』が大好きで、 出世作の『蒙古襲来』以降、あちこちで『問はず語り』に言及されていますね。

『蒙古襲来』

石井進氏は「在地の武士のイエ支配権の強力さ」の例として和知の場面を引用している点では永原慶二氏と共通していますが、永原氏のような極端な表現は用いていないですね。

「中世武士団の性格と特色-はじめに-」

その他、多くの歴史研究者が『問はず語り』について語っていますが、『問はず語り』を覗き込むと、逆にその歴史研究者自身の人物像が鏡の中に映し出されて来るような感じもします。

参考文献:『とはずがたり』
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「国家の干渉のまったく及ばない空間」

2014-01-14 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月14日(火)21時11分32秒

先に引用した永原氏の「中世国家においては国家の中に国家権力の介入できない「家」世界が存在していたことであり、近代国家的理解からはおよそ考えられない事態」という表現、素直に考えればずいぶん変な感じがしますが、本当なんですかね。
『日本中世の社会と国家』には類似の表現が頻出していて、最初はp48以下に次の記述があります。

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 こうして郡司・郷司層は、国家の地方官僚という立場を捨て去らないままに、次第に私的な豪族的側面を強めていった。この段階で、かれらが土地・人民に対しておよぼす私的支配力は、大まかに整理すれば次のような三種類の構成をとったといえる。
 第一は、屋敷地である。これは園地として律令制下の農民の場合でも私的所有権が認められていたところであるが、郡司・郷司層の場合、これを「屋敷地」という名目においていっそう排他的に掌握し、広大な土地をその中に囲いこみ、国家の干渉のまったく及ばない空間としていった。一〇~一二世紀の史料を見ると、この屋敷地は、それにつづく耕地をふくめ、しばしば一町歩~数町歩のひろさにおよび、時には一郷全体を「住郷」と称することさえあった。そして国司の検注に際しても、そこには検注使が「馬の鼻を向けざる所」(立ち入りしない所)という慣行を成立させていった。平安後期以降になると、在地領主がその家父長権の下にある「家」を完全な私的権力の社会的砦とし、そこには国家権力の一切の立ち入りを認めない関係が成立するが、その「家」権力に見合う空間が、こうした地方支配層の「屋敷地」に他ならないのである。
 第二は「私領」であり、第三は「職」的支配の対象となる「公領」である。「屋敷地」「私領」・「職」の対象地としての「公領」の三つは、いわば同心円的な形で、郡司・郷司層の私的権利の強弱を表している。(後略)
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ということで、「地方豪族の土地支配構造」というタイトルの同心円を描いた図も添えられています。

永原氏によれば「屋敷地」は「国家の干渉のまったく及ばない空間」であり、「家父長権の下にある「家」」は「完全な私的権力の社会的砦」であり、「そこには国家権力の一切の立ち入りを認めない関係が成立する」そうですが、検注使はともかく、たとえば当該郡司・郷司が国家に対して反逆を企てた場合、その者が自分自身の、あるいは仲間の他の郡司・郷司層の「屋敷地」に逃げ込んだら、国家からその者の逮捕を命じられた担当者は、「屋敷地」に踏み込まないで、外からボーっと眺めているのでしょうか。
そこへ逃げ込んだら国家・社会は一切関与できない領域と聞くと、平泉澄氏や網野善彦氏流の「アジール」という言葉も浮かんできますが、特別に宗教的な権威も持たない普通の郡司・郷司層の一人一人がそんな特別の領域を持っているのでしょうか。

私には非常に奇妙に感じられるのですが、仮に私が永原氏に「国家権力の介入できない「家」世界が存在していた」証拠を出してみろ、と要求したら、唯一の証人として後深草院二条が登場してくるのでしょうか。
謎は深まるばかりです。

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