学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

水林彪氏の言語感覚

2014-01-19 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月19日(日)22時38分50秒

>筆綾丸さん
水林彪氏の「第一章 基本的諸概念」のうち、私にとっては「第三節 国制の経済的基礎」が分かりにくかったですね。
注(7)を見たところ、著者が「初期土地商品化社会」「成熟期土地商品化社会」、そして両者をまとめて「土地商品化社会」という表現を使い始めたのは本当に最近のことだそうで、全く著者独自の用語法ですから、いきなり出てくると面食らいますね。
ただ、注(7)、および伝統的なマルクス主義の立場から寄せられるであろう批判を予想して先廻りで反論した注(8)は説得力があり、更に注(9)で紹介されている著者の従前の論文のうち、「土地所有秩序の変革と「近代法」」(『日本史講座』第8巻、東京大学出版会、2005)を読んでみたところ、著者の主張は基本的に理解できました。
また、「第四節 国家」において、国家の成立をどの段階に求めるかは「国家をどのように定義するかによるのであって、定義さえはっきりさせれば、どのように論ずることも可能であろう」というサバサバした態度はいかにも法律家的であり、私はこういう感覚はけっこう好きですね。

>「正当な暴力」
筆綾丸さんと少し議論したのは仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言のときだったかな、と思って過去の投稿を検索してみたら、元木泰雄氏の『河内源氏』に関してでした。
筆綾丸さんが「暴力装置」という表現に違和感を抱かれたのに対し、私はマックス・ウェーバーの用語だから全く変に思わないとレスした、という話の流れでしたね。

河内源氏について
『河内源氏 頼朝を生んだ武士本流』

手元にマックス・ウェーバーの『支配の社会学』がないので確認はできませんが、「正当な暴力」も同書に頻出するような感じがします。

>オットー・ブルンナー
ご引用の部分、私も、あれっと思いました。

水林彪氏の論文、上記の他に「日本的公私観念の原型と展開」(佐々木毅・金泰昌編『公共哲学3』、東京大学出版会、2002)、「原型(古層)論と古代政治思想史論」(大隅和雄・平石直昭編『思想史家 丸山真男論』、ペリカン社、2002)、「平城宮=古事記神話世界の形成」(広瀬和雄・小路田泰直編『古代王権の空間支配』、青木書店、2003)など、いくつか読んでみましたが、どれも面白いですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Weber と Gewere と Gewalt 2014/01/18(土) 22:40:36
小太郎さん
水林彪氏の『天皇制史論』は、我慢しながら再度挑戦してみたのですが、第2章の70頁ほどでまた挫折し、あとはパラパラ眺めました。この本はどうにも苦手です。氏は、国家の定義を、ヴェーバーによらず、エンゲルスによらず、自身の定義により、「前方後円墳体制」をもって国家の成立としているようですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC
永原氏の「屋敷地=国家の干渉のまったく及ばない空間」は、水林氏が引用するオットー・ブルンナーの所論によく似ていますね。永原氏はブルンナーの『Land und Herrschaft』の影響を受けたのでしょうか。
----------------------------------------------
在地領主(Grundherr)の所領(Herrschaft)の中核はイエ(Haus)であった。このイエ内部においては、家長(在地領主)が最高の権力者であり、イエは他の介入を拒否する絶対的な自由空間であった。(288頁)
---------------------------------------------

「ゲヴェーレ(Gewere)」(289頁)ですが、水林氏はここで「we」を「ヴェ」と表記しているのに、高名な Weber がヴェーバーではなくなぜウェーバーとなっているのか、よくわからない。「正当な暴力(legitime Gewalt)」(9頁)や「正当な暴力(rechte Gewalt)」(288頁)の「wa」はどう発音するのだろうか。また、gewaltには「権力・権限・支配権」という意味もあるのだから、「正当な暴力」は、日本語としても訳語としても変なのではないか・・・(以前にも書いて、くどくなるのですが、どうも抵抗があります)。

以下の記述を読むと、経済の話というよりは、碩学が自身の名の由来を説明しているような錯覚にとらわれますね。
---------------------------------------
宮崎市定氏は、「古代帝国出現に至るまでの長い歴史の動きは、何によって最もよく象徴されるであろうか。私はそれは経済の発展であると答えたい。(中略)春秋戦国を通じて大きな都市には、特に市と名付けられる商業区域が設けられ、ここで商品の現物取引が行われた。富を得る近道は市において商品を買い占め、値上がりを待って売っては利益を重ねることであった」と述べている。(56頁)
---------------------------------------

http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-hampshire-25760383
アルフレッド大王のものかもしれぬ骨盤・・・昨今のイギリスでは考古学がなんとも賑やかですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする