学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

宮地正人氏「国家」(『日本史大事典』)(その2)

2014-01-31 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月31日(金)14時03分9秒

(承前)
それでも、毒を食らわば皿まで、の心境で更に読み進むと、エンゲルスの「家族・私有財産及び国家の起源」についてのあまり正確ではない要約に続いて、「今日の歴史学の立場からすれば、国家成立に関しては対外的契機をより重視すべきであろう」という唐突な提言が出てきます。

何じゃこれ、と驚きつつ、一応続きを見ると、「一定の国際関係と軍事的圧力のもとでは、経済的にはきわめて遅れた種族的諸集団も短期間で国家形成を遂行し、その国家機関を国内の再編成に利用する。また国家の属性を考えるうえでは、国家支配を正統化するイデオロギーとイデオローグ、さらにはそのイデオロギーを社会に浸透させていく諸媒介物の存在や、社会に一定のリズムと画一性・階層性を賦与するための国家的儀礼・儀式・位階、体系の創出(君主制の機能はこの両者に深く関係する)、あるいは国家の公共性を顕示する上での施療・施薬機能等を看過することはできない」となっていて、様々な要素を秩序無く並べたゴッタ煮の様相を呈してきます。

このあたりになると、普通の辞書・辞典類の解説にはない奇妙な雰囲気が漂ってくるので、好奇心から更に読み続けると、「ただし、近代以前の段階では、国家が社会から自立して存在してはいるものの、その国家的意思の伝達と行政遂行に当たっては、種々の伝統的中間的諸機関・諸団体との依存・協力関係が不可欠であり、したがって近代国家理論の中核ともいうべき国家主権概念(国家は領域内の集団・個人に最高かつ絶対の支配権を持ち、他のどのような法的制限にも従属しないこと)は、一六世紀フランス絶対主義のイデオローグだったボーダンによって初めて説かれたのであった。ウェーバーの国家説もこの延長線上にあり、「国家とはある特定の領域の内部において、それ自身のために合法的な物的強制力の独占を要求するところの人間共同体である。・・・すなわち、国家のみが、強制力行使の「権利」の唯一の源泉とし妥当している」(「国家社会学」)と彼は定義している」のだそうです。

まあ、ジャン・ボダンの主権論にしても、マックス・ウェーバーの国家論にしても、ずいぶん乱暴な要約なのではなかろうかと思いましたが、この後の文章を読んだ衝撃で、そんな疑念は吹き飛ばされてしまいました。

「人権宣言以降、基本的人権概念が定着するなかで、主権の最高絶対性が法的に主張されることはなくなってきたが、現実には国家的危機に瀕した際には、国家は自己決定組織として行動し、他のいかなる諸組織の決定にも従属しない。」

うーむ。
どうも筆者は日本国憲法を読んだことがないようで、「主権の最高絶対性が法的に主張されることはなくなってきた」という筆者の認識と異なり、主権国家である日本は国際社会に対して日々「主権の最高絶対性」を「法的に主張」しまくっており、また国民主権を基本原理とする日本国憲法は、対内的にも「主権の最高絶対性」を「法的に主張」しまくっているんですね。
「主権」概念には国際社会に対する国家の最高独立性としての「対外的主権」と、国内での最高権威としての「対内的主権」の二面があり、「国民主権」の「主権」は後者であって、これは別に露骨な権力・暴力ではなく、あくまで権威であり、支配の正当性の源なんですね。
筆者は主権に「対外的主権」の側面があることを知らず、更に「対内的主権」を権威ではなく露骨な権力であると二重に誤解しており、ちょっと想像を絶するおバカさんですね。

以上、相当長く引用しましたが、『日本史大事典』の記述はこれで半分くらいで、以下、「日本における国家の成立とその展開を考える場合」の問題点を四つ並べていますが、くだらないので省略します。
ちなみにこの項目の筆者は宮地正人氏(東京大学名誉教授・東京大学史料編纂所元所長・国立歴史民俗博物館元館長)ですね。

宮地正人(1944生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9C%B0%E6%AD%A3%E4%BA%BA
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宮地正人氏「国家」(『日本史大事典』)(その1)

2014-01-31 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月31日(金)13時06分28秒

『国史大辞典』と比較すると、出発点としてあまり良くないのは『日本史大事典』ですね。
『日本史大事典』の「国家」の項目は「社会の全構成者の協同性を維持するための、社会から自立した、軍隊・警察・官僚・裁判所・監獄等の強制装置。社会が諸階級に分裂している場合には、通常種々の媒介を通じて支配的諸階級の階級支配の道具となる。階級対立のすでに存在しない社会主義国家においては、マルクス主義理論からは、国家機能の漸次的衰退が説かれているものの、現実には国家統治と経済運営を担当する官僚層に特権をもたらしている」という文章で始まります。
まあ、第二次世界大戦終了直後だったら斬新な記述だったでしょうが、ソ連崩壊後の1995年に、何でこんな文章を読まねばならないのだろうと不思議に思うくらい変てこな文章ですね。

そして「アダム・スミスの「国富論」第五編「主権者または国家の収入について」は、国家発生の問題を扱っているが、彼は「(狩猟民族は)自分の労働で自分を扶養する。事物のこういう状態のもとでは、本来、主権者もなければ国家もない」と述べ、他人の労働による冨の蓄積と国家成立との関係との関係を指摘し、「市民政府は、それが財産の安全のために確立されるものであるかぎり、実は貧者に対して富者を防衛するために、すなわち無財産の人々に対して若干の財産をもつ人々を防衛するために確立されるものなのである」と断言する」と続くので、我が国有数の歴史学者が執筆しているはずの『日本史大事典』を引いたつもりだったのに、いったいどういう方向に話が進んで行くのだろうか、と若干不安になります。

そんな不安を感じながらも、更に読み続けると、「右のような、市民社会の理論家達の国家成立史観を共有しながらも、そこに分業的視点を導入したのがエンゲルスであった。彼は「反デューリング論」第二編第四章において、国家権力のはじまりを、共同体内部の紛争の裁決、水利の監督、宗教的機能の遂行といった共同の利益を担う職務が分業によって特定の諸個人に委託されたことに求め、共同体が集まってより大きな全体をつくるようになると、共同の利益を保護し、相反する利害を撃退するためにさらに一つの新しい分業としての機関が創出され、社会に対する社会的機能のこのような独自化の過程のなかで、これら職務の担い手と機関が時とともに社会に対する支配者に転じていくとした」という展開となり、まあ、このあたりで、よほど暇な人以外は読む気をなくすだろうなと思います。

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石井紫郎・水林彪氏「国家」(『国史大辞典』)

2014-01-31 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月31日(金)12時56分56秒

国家論に興味を持った人のために基礎的な資料を紹介しておくと、出発点として一番良いのは『国史大辞典』ですね。
「国家」の項目の執筆者は石井紫郎・水林彪氏です。

まず最初に「国家の意義は、史料上の意義と学問上の意義との二つの面において考える必要があるが、前者の歴史については、現在の研究水準では断片的に諸事実が知られるのみで・・・」とさらっと触れた後で、「学問上の国家概念については、社会科学上の概念が一般的にそうであるように、西ヨーロッパ的概念の影響が大きい。西ヨーロッパ各国語の国家という言葉(state(英)・état(仏)・Staat(独)・stado(伊)・estado(西)など)はラテン語のstatusが派生したものである。それぞれの土着の言語には、王国、大公国、公国、伯邦などといった下位概念を包括する上位概念としての国家を指す言葉はなかった。ヨーロッパ中世の一般人は抽象的に国家を表象することをしなかったのである。・・・」という具合にヨーロッパでの議論が紹介されています。

ついで、「これに対して、わが国の歴史学においてはほとんどの場合マルクス・エンゲルスの影響を多かれ少なかれ受けた国家概念を用いて、各時代について多様な国家論が展開されてきた。マルクス・エンゲルスの国家論は、西ヨーロッパにおいて、官僚制・常備軍という支配機構とこれによって統治される客体としての領土・領民が国家という概念で表象されるに至った段階に即して、このような支配の形態が成立した歴史的必然性を、統治される側の人々の社会関係の基幹部分たる生産関係のあり方から説き明かそうという問題意識から生まれたものであり、終局的には、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』において、古典古代をモデルに、発達した機構としての国家は、社会における商品経済の全面的展開を基礎として成立する、というように定式化されるに至るが、わが国の学界ではこれが多少異なった形で理解され、商品生産の未発達な時代にも適用される、いわば歴史貫通的な国家論として受けとめられてきた。すなわちわが国では・・・」という具合に、古代は石母田正説、中世は石母田・黒田俊雄・永原慶二・佐藤進一・石井進説等を簡潔に紹介して行きます。

近世は安良城盛昭・佐々木潤之介・石井紫郎・水林彪・山口啓二説等の紹介、近代は紙幅が足りなかったのか講座派・労農派の紹介以外は少なくて、いささか物足りないですね。
ま、以上のような感じで、1980年代までの議論を紹介してくれています。
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獅子よ、あなたは眠りすぎ

2014-01-31 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月31日(金)10時34分37秒

>筆綾丸さん
戦国大名を「複合国家」の構成員と認める人であっても、「近世複合国家論」を支持する人はさすがに少ないでしょうね。
水林氏は「近世の『家』権力は、たしかに大きな制約を受けてはいたが、依然として、その領国において、独自の軍隊と官僚制機構を有し、徴税権、裁判権、立法権、その他もろもろの行政権を行使していた」と言われますが、「大きな制約」の程度は半端ではないですからね。
戦国大名の気概は近世初期の幕府による改易乱発ですっかり萎縮し、鉢植えのように転封されても文句を言えず、一揆でも起きれば管理がなっておらんと叱られる立場だと、「代官の様なる物」と思われても仕方ないし、実際に江戸時代の思想家でも大名など「代官の様なる物」と考えていた人は結構いますからね。
戦国大名が眠れる獅子たる「国家」だったとしても、眠り始めたのは1648年のウエストファリア条約締結前で、西国雄藩が眠りから覚めた時点では世界はすっかり万国公法=国際法の時代になってしまっていますから、いくらなんでも寝すぎですね。
寝ている間は獅子ではなく可愛い猫で、幕末に獅子たらんと叫び始めたけれども、結局のところ明治国家という獅子の一部に参加して満足、ということではないですかね。

戦国大名については「国家」と呼ぶかどうかは「概念の遊び」で、呼びたい人は呼べばいいのでは、みたいな感じで捉えていたのですが、丸島和洋氏の『戦国大名武田氏の権力構造』の「あとがき」に登場する桃崎有一郎氏の『中世京都の空間構造と礼節体系』を読むと、それではやっぱりまずいな、と思えてきました。
桃崎氏は同書の「序論」で「日本中世史研究において「国家」概念を用いる事の適否について正面から議論する事は本書の射程を大きく逸脱するのでここでは措くとして」(p4)と述べており、非常にあっさりした性格の人ですが、注2では次のように書かれています。(p36)

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(2)代表的なところでは新田一郎『日本に中世はあったか』(日本史リブレット19、山川出版社、二〇〇四)等で踏み込んで論じられているように、すぐれて近代的な概念である上に、実際には近代においてさえも定義が困難なまま用いられてきた「国家」という概念を、前近代たる中世社会の評価に持ち込むことがどれだけ妥当か、また仮に持ち込む事が必ずしも無益でないとしても、その概念をどのように用いれば当該期社会の理解の深化に資するのか、という疑問が、今日の日本史学に常につきまとう事はいうまでもない。
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桃崎氏はこのように言われながらも石母田正氏の国家論・「礼の秩序」論に全面的に依拠して議論を進めるのですが、同氏の国家論・「礼の秩序」論が「当該期社会の理解の深化に資するのか」、私は疑問を感じています。
これは後で少し書くつもりです。

『中世京都の空間構造と礼節体系』

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

step by step 2014/01/31(金) 08:54:07
小太郎さん
現在、全世界の国の数が約二百ですから、日本に約三百の「国家」があるのは、いくらなんでも多すぎてsupersaturation(過飽和)ですね。約二百の内でも、ヴァチカン市国からロシア・中国まで、同じ「国家」という類概念で括れるのかどうか、あやしい感じもしますが、前者のイタリア語名は Stato della Città del Vaticano で、たしかに堂々と stato なんですね。

http://sankei.jp.msn.com/science/news/140129/scn14012921150000-n1.htm
割烹着姿の才媛が画期的な発見をしたようですが、STAP細胞という万能細胞が、エンゲルスの 『Der Ursprung』における、普遍的に存在する civilisation のようにみえてきますね。つまり、西欧の civilisation や中国の civilisation などは、万能細胞から分化した成れの果てのようなものだ、と。
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こう整理してよいだろうか。マルクス・エンゲルスが切り開いて到達した地点に立って見ると、西欧人が civilisation ということばで日常的に意識していた事柄は、いわば上部構造的 civilisation で、その基礎には土台の civilisation としての、市場経済というか、商品交換経済というか、そういう事態が存在する。そして、このように理解すると、西欧の civilisation は、普遍的に存在する civilisation の特殊な一形態にすぎない。(『比較国制史・文明史論対話』)
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