投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月 3日(土)14時07分45秒
若尾政希氏の『「太平記読み」の時代』を読み終え、ついでに同氏の「江戸時代前期の社会と文化」(『岩波講座日本歴史第11巻 近世2』所収、2014)も読んでみて、若尾氏の研究スタイルが極めて斬新で、幅広い分野の研究者に多大な影響を与えたことは理解できました。
そのあたり、川平敏文氏が「解説─名もなき大思想家の発見」において的確に整理されていますね。(p422以下)
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若尾政希氏は、基本的には思想史研究者である。しかし氏の研究方法は、「あとがき」にもあるように、これまでの思想史研究者のそれとは大きく異なっている。それは、全国各地に散在する史・資料を自らの足を使って渉猟するという、歴史学的・文献学的スタイルをとっていることである。
筆者がイメージする思想史研究者像とは、林羅山、山鹿素行、熊沢蕃山、山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長、富永仲基といった、比較的まとまった著述が残っている「大思想家」をターゲットとして、近代に翻刻された活字本の全集などを頼りに、その特質を議論するというものである。もっとも、若尾氏もその研究の出発点は安藤昌益という「大思想家」ではあったが、昌益を追いかける過程で、氏は「太平記読み」の存在に行き当たった。「太平記読み」たちの資料は全国各地に散在し、多くは片々たる写本資料として眠っている。氏はそれを丹念に掘り起こし、基本的には活字翻刻のない、いわば「更地」の状態から思想史を構築していった。ここに、従来の書斎派的な思想史学者とは違う、フィールド・ワーカー然とした、氏独特の思想史学が立ち上がるのである。
このように氏の研究は、目的としては思想史の解明でありながらも、方法としては歴史学のそれに倣う。しかし「太平記読み」というその研究対象の必然として、通常の歴史学ともまた一風違って、史料(文書)よりも資料(書冊)を扱うことが多くなる。したがって研究の素材としては、これまで文学が扱ってきた領域とも重なってくる。つまり、目的としては思想史、方法としては歴史学、素材としては文学という、この三つの分野に跨っているところが、氏の研究の一番の特徴であり、また魅力でもある。そしてそれが冒頭に記したような、複数の分野の研究者の関心を引く理由のひとつである。
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川平氏は「筆者がイメージする思想史研究者像」について長々と書かれていますが、要するに丸山眞男ですね。
丸山眞男が行なったような「頂点思想家研究」には既に安丸良夫らの「民衆思想史研究」の立場からの批判があったものの、「これまで両研究は、問題意識の上でも大きく乖離し、それぞれ独自に無交渉に行われ、何の接点も見出せなかった」(p18)状況だったそうですが、「フィールド・ワーカー」たる若尾氏は、「太平記読み」関係資料を渉猟し、とうとう「両研究の分立状況を打開し両者を橋渡しするような、関係意識とその歴史的形成の解明を核とした、新たな政治思想史の構築」(p19)にほぼ成功した訳で、実に見事な業績だと思います。
私は別にその業績にケチをつけるつもりは全くないのですが、ただ、若尾氏が発見された「太平記読み」の思想それ自体はそれほど魅力的なものでもなく、果たして川平氏の言われるように「太平記読み」の作者が「大思想家」と呼べるのか、若干の疑問を感じます。
その宗教論を見ると、
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「太平記読み」は、①当代の僧を「邪欲深〔フカク〕ヘツライテ不直〔なをからず〕、仏戒ヲ不説〔とかざる〕」「売僧〔マイス〕」(巻一二)として非難する。特に②称名念仏(真宗)・唱題(法華宗)により往生・成仏できると説くから、人々は「悪ヲ転ズル心」(巻一一)をなくし、「万民此ヲ信ゼバ、国中ニ称名ノ声耳〔のみ〕在テ、不孝不忠盗人等ノ諸悪充満」(巻二四)し、「大ナル政道障〔サハ〕リ」となると指摘する。「太平記読み」はこのように「仏法」・僧の現状を非難しながらも、③「仏法」を否定せず、「仏法」を「国家安穏」に寄与し得る存在と見なす。具体的には④「仏法」は、「王法」(俗権)の下に従属し民衆に対する護国の教化・教導を行うことによって「国家安穏」に寄与できると説く。逆にいえば、悪いことをすれば地獄に堕ちるなどという僧による教化・教導なくしては、「国家」を安穏に治めることはできないと「太平記読み」は見ている。そして⑤現実には、①②の状態にある「仏法」を④の状態にすることが、「国ヲ政〔をさむ〕ルノ器有ル」(巻二四)「明君」の任務だというのである。その具体策は述べていないが、⑥領主は実質はともかく神仏を崇拝しているように見せかけることが重要だといい、また領主権力による暴力的再編(山門の「弓矢ニタヅサハツテ学ヲ不好〔このまざル〕悪僧」(巻一八)を殺して、「学行ヲ専トスル僧」に相続させよ!)も認めている。
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ということで(p256)、中世における仏教の専横・頽廃に対する批判としてはそれなりの価値があったとしても、これ自体はあまり魅力のない俗論ですね。
続いて要約されている「太平記読み」の学問論も実用一点張りの退屈なものです。
ま、中世から近世への大きな時代のうねりが要請した実用的な思想ではあるのでしょうが、いったん平和な時代が到来してしまうと、急速に陳腐で退屈な思想に転化してしまったのではないか、という感じがします。
※追記
私は近世文学に疎く、川平敏文氏の著書は読んでいないのですが、検索してみたら以前の投稿で川平氏に言及しているものがありました。
小川剛生氏「卜部兼好伝批判―「兼好法師」から「吉田兼好」へ―」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/69c1b4fe0cedad95f41ad2e44f775c94
「家司兼好の社会圏」と『尊卑分脈』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a9afeee438cfe68055f47fe64f95fa2d
若尾政希氏の『「太平記読み」の時代』を読み終え、ついでに同氏の「江戸時代前期の社会と文化」(『岩波講座日本歴史第11巻 近世2』所収、2014)も読んでみて、若尾氏の研究スタイルが極めて斬新で、幅広い分野の研究者に多大な影響を与えたことは理解できました。
そのあたり、川平敏文氏が「解説─名もなき大思想家の発見」において的確に整理されていますね。(p422以下)
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若尾政希氏は、基本的には思想史研究者である。しかし氏の研究方法は、「あとがき」にもあるように、これまでの思想史研究者のそれとは大きく異なっている。それは、全国各地に散在する史・資料を自らの足を使って渉猟するという、歴史学的・文献学的スタイルをとっていることである。
筆者がイメージする思想史研究者像とは、林羅山、山鹿素行、熊沢蕃山、山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長、富永仲基といった、比較的まとまった著述が残っている「大思想家」をターゲットとして、近代に翻刻された活字本の全集などを頼りに、その特質を議論するというものである。もっとも、若尾氏もその研究の出発点は安藤昌益という「大思想家」ではあったが、昌益を追いかける過程で、氏は「太平記読み」の存在に行き当たった。「太平記読み」たちの資料は全国各地に散在し、多くは片々たる写本資料として眠っている。氏はそれを丹念に掘り起こし、基本的には活字翻刻のない、いわば「更地」の状態から思想史を構築していった。ここに、従来の書斎派的な思想史学者とは違う、フィールド・ワーカー然とした、氏独特の思想史学が立ち上がるのである。
このように氏の研究は、目的としては思想史の解明でありながらも、方法としては歴史学のそれに倣う。しかし「太平記読み」というその研究対象の必然として、通常の歴史学ともまた一風違って、史料(文書)よりも資料(書冊)を扱うことが多くなる。したがって研究の素材としては、これまで文学が扱ってきた領域とも重なってくる。つまり、目的としては思想史、方法としては歴史学、素材としては文学という、この三つの分野に跨っているところが、氏の研究の一番の特徴であり、また魅力でもある。そしてそれが冒頭に記したような、複数の分野の研究者の関心を引く理由のひとつである。
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川平氏は「筆者がイメージする思想史研究者像」について長々と書かれていますが、要するに丸山眞男ですね。
丸山眞男が行なったような「頂点思想家研究」には既に安丸良夫らの「民衆思想史研究」の立場からの批判があったものの、「これまで両研究は、問題意識の上でも大きく乖離し、それぞれ独自に無交渉に行われ、何の接点も見出せなかった」(p18)状況だったそうですが、「フィールド・ワーカー」たる若尾氏は、「太平記読み」関係資料を渉猟し、とうとう「両研究の分立状況を打開し両者を橋渡しするような、関係意識とその歴史的形成の解明を核とした、新たな政治思想史の構築」(p19)にほぼ成功した訳で、実に見事な業績だと思います。
私は別にその業績にケチをつけるつもりは全くないのですが、ただ、若尾氏が発見された「太平記読み」の思想それ自体はそれほど魅力的なものでもなく、果たして川平氏の言われるように「太平記読み」の作者が「大思想家」と呼べるのか、若干の疑問を感じます。
その宗教論を見ると、
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「太平記読み」は、①当代の僧を「邪欲深〔フカク〕ヘツライテ不直〔なをからず〕、仏戒ヲ不説〔とかざる〕」「売僧〔マイス〕」(巻一二)として非難する。特に②称名念仏(真宗)・唱題(法華宗)により往生・成仏できると説くから、人々は「悪ヲ転ズル心」(巻一一)をなくし、「万民此ヲ信ゼバ、国中ニ称名ノ声耳〔のみ〕在テ、不孝不忠盗人等ノ諸悪充満」(巻二四)し、「大ナル政道障〔サハ〕リ」となると指摘する。「太平記読み」はこのように「仏法」・僧の現状を非難しながらも、③「仏法」を否定せず、「仏法」を「国家安穏」に寄与し得る存在と見なす。具体的には④「仏法」は、「王法」(俗権)の下に従属し民衆に対する護国の教化・教導を行うことによって「国家安穏」に寄与できると説く。逆にいえば、悪いことをすれば地獄に堕ちるなどという僧による教化・教導なくしては、「国家」を安穏に治めることはできないと「太平記読み」は見ている。そして⑤現実には、①②の状態にある「仏法」を④の状態にすることが、「国ヲ政〔をさむ〕ルノ器有ル」(巻二四)「明君」の任務だというのである。その具体策は述べていないが、⑥領主は実質はともかく神仏を崇拝しているように見せかけることが重要だといい、また領主権力による暴力的再編(山門の「弓矢ニタヅサハツテ学ヲ不好〔このまざル〕悪僧」(巻一八)を殺して、「学行ヲ専トスル僧」に相続させよ!)も認めている。
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ということで(p256)、中世における仏教の専横・頽廃に対する批判としてはそれなりの価値があったとしても、これ自体はあまり魅力のない俗論ですね。
続いて要約されている「太平記読み」の学問論も実用一点張りの退屈なものです。
ま、中世から近世への大きな時代のうねりが要請した実用的な思想ではあるのでしょうが、いったん平和な時代が到来してしまうと、急速に陳腐で退屈な思想に転化してしまったのではないか、という感じがします。
※追記
私は近世文学に疎く、川平敏文氏の著書は読んでいないのですが、検索してみたら以前の投稿で川平氏に言及しているものがありました。
小川剛生氏「卜部兼好伝批判―「兼好法師」から「吉田兼好」へ―」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/69c1b4fe0cedad95f41ad2e44f775c94
「家司兼好の社会圏」と『尊卑分脈』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a9afeee438cfe68055f47fe64f95fa2d