投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月20日(火)09時42分45秒
6月7日の投稿で藤田覚氏の「天皇号の再興」(『近世政治史と天皇』、吉川弘文館、1999)を検討する予定だと書きましたが、中井竹山や「柳営御追善の連歌」の評価などに関し藤田氏の見解に若干の疑問があるものの、細かい話になるので今はやめておきます。
安徳天皇以来の「諡号+天皇号」
『雲上明覧』を読んでみた。
ま、検討はしませんが、興味を持たれた方の参照の便宜のため、同論文の「天皇号再興の経緯」から、今上帝(仁孝)の「勅問」の内容に関する部分だけ引用しておきます。(p249以下)
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一 天皇号再興の経緯
兼仁上皇は、天保十一年十一月十九日に亡くなった。十二月三日に、兼仁上皇に贈る死後の称号について、「先例可被進 御追号之処、依被為有 叡慮、追可被進候迄奉称 故院候事」(橋本実久の「実久卿記」、野宮定功の「定功卿記」。いずれも東京大学史料編纂所所蔵謄写本による)という、天皇の意向が公家たちに伝えられた。この段階で、追号を贈る慣習の再検討が示唆され、決定までのあいだ故院と称することを伝えている。しかし、幕府へは「旧院御追号被 仰出候迄者 故院と奉称候事」と、追号を決めるまでのあいだ故院と称すると伝えられただけで、追号を再検討しようとする天皇の意向は伏されている(「水野忠邦日記」天保十一年十二月十三日条、東京都立大学付属図書館所蔵水野家文書)。
十二月二十日に兼仁上皇の葬送が行なわれたが、その翌日の二十一日に、「議奏卿列座、以一紙伝仰曰、有太政天皇御諡号之事勅問、各々明日中可申所存云々」(「定功卿記」)とあるように、兼仁上皇へ贈る諡号の件で勅問の文書が出され、翌日までに意見を提出するように命じられた。勅問の下された範囲は、「実久卿記」によれば、大臣以下参議以上の現任の公卿全員であった。全公卿の意向を問うことにより朝廷の意思を決定しようとしており、諡号の再興は重要かつ重たい問題であったことが理解できる。
勅問の全文は、次のとおりである。
太上皇、如中古以来雖可被奉 御追号、御登壇以来被興復故典旧儀、公事再興不少、 御在位卅有余年、古代も稀に、加之、被貴質素不被好修飾、専 御仁愛之聖慮、遂及衆庶一同安懐之事、 今上〔仁孝天皇〕深 御感悦、依之被奉御諡号、至万代被竭 御孝道度 叡慮候、雖然 小松帝〔光孝天皇〕以後 寿永帝〔安徳天皇〕之外不被奉 御諡号、今度被奉 御諡号可有如何哉、被尋下所存候事、
天皇は、兼仁上皇が、在位中に多くの朝儀や公事を復古・再興したこと、在位期間も古来稀な三〇年以上に及んだこと、そして質素を好んだことなどから、諡号を贈り孝道を尽くしたいが、光孝天皇以来、安徳天皇を除いて諡号を贈ったことがない事実に配慮して、兼仁上皇に諡号を贈ることの可否を勅問した。この勅問では、諡号を贈られたのは光孝天皇以降では安徳天皇だけだといっているが、保安四(一一二三)年から永治元(一一四一)年まで在位し、保元の乱で讃岐に流された崇徳院の崇徳、寿永二(一一八三)年から建久九(一一九八)年まで在位し、承久の乱で隠岐に流された顕徳院(後に後鳥羽院)の顕徳、そして、承元四(一二一〇)年から承久三(一二二一)年まで在位し、承久の乱で佐渡に流された順徳院の順徳も諡号であり、安徳だけではない。これらの事実から、勅問にいう諡号とは、諡号と天皇号の組に合わさった【ママ】ものを指しているものと考えられる。
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ということで、史料に「諡号」「追号」などとあっても、「勅問」ですら、その表現が何を意味するのかは個別に検討する必要がある訳で、このあたりも議論が錯綜する一因ではありますね。
私は安徳が「院」ではなく「天皇」とされた理由が未だに分からなくて、「諡号+天皇号」を復活させるに際し、不吉な先例だと懸念するような意見がなかったのか疑問に思っていたのですが、藤田論文を読む限り、特にそんな意見はなかったようですね。
この勅問自体も、寿永帝〔安徳天皇〕はあくまで例外的存在で、小松帝〔光孝天皇〕の先例に戻すか否かが問題の核心なのだ、みたいな主張を暗黙の前提としているようにも読めなくもないですね。
「<光>格天皇」の次は「仁<孝>天皇」ですから、ふたり併せて「<光><孝>天皇」に回帰しているのではないか、みたいなことをチラッと考えたりもしたのですが、図書頭・森林太郎の「帝諡考」を見ても特に裏付けになりそうな記述はなく、まあ、妄想の類のようです。
>筆綾丸さん
>日本の学者って、あんまりレベルが高くないんだね、
ごく一部の分析から著書全体を否定する訳ではないのはもちろんですが、当初予想していたよりも更に雑な部分が見えてきて、ちょっとびっくりでした。
>ザゲィムプレィアさん
私は全く将棋の世界を知らず、先に書いたことは単なる冗談ですので。
※筆綾丸さんとザゲィムプレィアさんの下記投稿へのレスです。
伝説の人 2017/06/19(月) 20:16:43(筆綾丸さん)
小太郎さん
「東アジアの王権と思想」とか「幕末の天皇」とか大仰に謳いながら、天皇に関する基本的な認識不足を見せつけられると、日本の学者って、あんまりレベルが高くないんだね、という気がしてきますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%9F%A5%E7%9B%9B
壇ノ浦は訪れたことはありませんが、「碇知盛」の銅像(?)があるのですね。
詰将棋を解くことのほかに趣味は何ですか、という質問に、詰将棋を作ることです、と笑いながら答えるくらいなので、「飄然と棋界を去る」可能性はないような気がします。テレビは見ないそうですが、飄然としたものですね。14歳の中学生はすでに伝説の領域に入った、と言えるかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E7%9C%8B%E5%AF%BF
詰将棋には伊藤看寿の神懸かり的な作品があり、これを超えるものを作れるかどうか、藤井四段にはまだまだ大きな仕事が残されていますね。ただ、将棋に差し障りがあるので、詰将棋作りには深入りしないように、と(あまり強くない)師匠から注意されているようです。
藤井四段の未来 2017/06/20(火) 08:13:09(ザゲィムプレィアさん)
>藤井四段がこのまま連勝を続け、あらゆるタイトルを獲得し、18歳くらいで「見るべき程の事は見つ」とか言って飄然と棋界を去る、という可能性はどうでしょうか。
メディアがその内容を評価せず、単純に藤井四段の連勝数と神谷五段(当時)のそれを同列に扱っているのはあきれるばかりですね。
かつて大宅壮一は「一億総白痴化」と評しましたが、この有様を見たら何と言うでしょう。
佐藤叡王(名人)とPONANZAが対決した電王戦は、人間の完敗と評価され手合い違いだったとの意見すらあります。しかし佐藤名人はプロ棋士として決して
弱いわけではありません。電王戦の後に名人位を防衛し、6/18時点でレート:1883で第1位です。(付け加えれば、藤井聡太四段はレート:1682で第37位です)
http://kishi.a.la9.jp/ranking2.html
現在、将棋ソフトが強くなることについて限界は見つかっていません。またソフトの進歩が無くても、ハードが進歩すればそれだけ強くなります。
「あらゆるタイトルを獲得し」はともかくとして、「見るべき程の事は見つ」は考えられません。なおルールの変更が無い限り名人位獲得は最短で5年後の5月頃になります、藤井さんは19歳です。
小太郎さん
「東アジアの王権と思想」とか「幕末の天皇」とか大仰に謳いながら、天皇に関する基本的な認識不足を見せつけられると、日本の学者って、あんまりレベルが高くないんだね、という気がしてきますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%9F%A5%E7%9B%9B
壇ノ浦は訪れたことはありませんが、「碇知盛」の銅像(?)があるのですね。
詰将棋を解くことのほかに趣味は何ですか、という質問に、詰将棋を作ることです、と笑いながら答えるくらいなので、「飄然と棋界を去る」可能性はないような気がします。テレビは見ないそうですが、飄然としたものですね。14歳の中学生はすでに伝説の領域に入った、と言えるかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E7%9C%8B%E5%AF%BF
詰将棋には伊藤看寿の神懸かり的な作品があり、これを超えるものを作れるかどうか、藤井四段にはまだまだ大きな仕事が残されていますね。ただ、将棋に差し障りがあるので、詰将棋作りには深入りしないように、と(あまり強くない)師匠から注意されているようです。
藤井四段の未来 2017/06/20(火) 08:13:09(ザゲィムプレィアさん)
>藤井四段がこのまま連勝を続け、あらゆるタイトルを獲得し、18歳くらいで「見るべき程の事は見つ」とか言って飄然と棋界を去る、という可能性はどうでしょうか。
メディアがその内容を評価せず、単純に藤井四段の連勝数と神谷五段(当時)のそれを同列に扱っているのはあきれるばかりですね。
かつて大宅壮一は「一億総白痴化」と評しましたが、この有様を見たら何と言うでしょう。
佐藤叡王(名人)とPONANZAが対決した電王戦は、人間の完敗と評価され手合い違いだったとの意見すらあります。しかし佐藤名人はプロ棋士として決して
弱いわけではありません。電王戦の後に名人位を防衛し、6/18時点でレート:1883で第1位です。(付け加えれば、藤井聡太四段はレート:1682で第37位です)
http://kishi.a.la9.jp/ranking2.html
現在、将棋ソフトが強くなることについて限界は見つかっていません。またソフトの進歩が無くても、ハードが進歩すればそれだけ強くなります。
「あらゆるタイトルを獲得し」はともかくとして、「見るべき程の事は見つ」は考えられません。なおルールの変更が無い限り名人位獲得は最短で5年後の5月頃になります、藤井さんは19歳です。