投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月13日(火)10時29分58秒
>筆綾丸さん
『雲上明覧』下巻を見ると、御摂家方・御華族方・大臣家・閑院家・花山院家・中御門家・御子左家・日野家・勧修寺家・四条家・水無瀬家……といった具合に分類されていて、この分類自体がいかにも近世的ですね。
私は公家の諸流の系統を『尊卑分脈』に従って分類することに慣れていたので、ちょっと妙な感じです。
>大田氏のブログ
文体も内容も、些か息苦しいですね。
先日、御厨貴・阿川尚之・苅部直・牧原出編『舞台をまわす、舞台がまわる 山崎正和オーラルヒストリー』(中央公論新社、2017)を読んだのですが、満州国崩壊後のなかなかショッキングな描写がありました。
鹿島茂「舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー」
>キラーカーンさん
>何を以って「没落」とされているのでしょうか
貴族社会から消えてしまった訳ではないので「没落」は強すぎる表現だったかもしれないですね。
九条道家は幕府との良好な関係を背景に朝廷において強力な指導力を発揮していたのですが、後鳥羽・順徳院の帰京を図って幕府の怒りを買ったことがあり(1235年)、次いで四条天皇急死(1242年)を受けて順徳院皇子の忠成王擁立を図ったことで幕府の不信感を決定的にしたようですね。
とはいえ直ぐに失脚した訳ではありませんが、宮騒動(1246年)・宝治合戦(1247年)の時期に幕府と完全に敵対し、了行事件(1251年)を経て将軍頼嗣追放の使者が入京した翌日に道家が急死します(1252年)。
九条流の一条・二条・九条三家のうち、道家と壮絶な親子喧嘩をして義絶された二条良実を祖とする二条家を除き、一条実経が関白になるのが1265年、九条忠家が関白になるのが1273年で、形式的にはこれで道家流が復活したように見えるかもしれませんが、道家の時代と比べると摂関の重みが実質的に全く違ってしまっていますね。
近衛流の近衛・鷹司家を加え、五摂家が摂関を持ち回りのように短期間に交替させるようになったのは、実際上の政治的指導力と摂関の地位が無関係になってしまったからですね。
『後深草院二条』サイトがあったときには九条道家とその子孫に関係する資料を直ぐに参照できたのですが、掲示板での投稿となると、次の二つくらいしか参考になりません。
『二条殿秘説』
「九条道家」
九条道家については本郷和人氏の『中世朝廷訴訟の研究』(東大出版会、1995)が一番参考になります。
キラーカーンさんがこの本を読まれたならば、もう少し実質的な議論ができると思います。
なお、鎌倉時代の摂関については、手元に適当な資料がないので、便宜的にウィキペディアの「摂政・関白の一覧」を参考にしました。
※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記投稿へのレスです。
笹竜胆 2017/06/12(月) 18:44:01(筆綾丸さん)
小太郎さん
渡辺浩氏は「正式」などと言いながら、『公卿補任』を参照していないのは、たんに勉強不足なのでしょうね。
ご引用の『公家鑑』には、村上源氏の笹竜胆の家紋があって、なんだか懐かしいですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%B8%AB%E7%AF%84%E5%A4%A7%E5%AD%A6
知人によれば、東北師範大学は東北三省の中で最もレベルの高い大学らしいのですが、日本近代思想史が専門の大田英昭氏は、日本共産党との関連で、中国共産党についてどのような講義をしていたのか、少し興味がありますね。
長春駅の南に人民大街という大通りが伸びていて、駅から数キロ?南下した東側に東北師範大学はあります。通りを挟んで西側に大きな湖のある南湖公園というのがあり、南湖大橋なるものが架かっています。ブログの写真は、冬の南湖と南湖大橋のようですね。南湖公園の西に旧満映があるので、甘粕もかつて逍遥したことがあるかもしれません。南湖公園の北には、旧満州国の重要な機関(国務院など)が並んでいるので、岸信介も散策したことがあるかもしれません。
追記
大田氏のブログの『中国東北・雑記』「長春のタクシー運転手との会話」ですが、ほんとに、以下のような会話をしたのかな。嘘っぽい感じがする。もっとも、「安倍政権の極右的な歴史観」を絶賛したら、公安にマークされるかもしれませんが。
なお、長春の吉林省公安局は旧関東軍司令部と道を挟んだ反対側にあって、ともに威圧的な建築ですが、私がタクシーを停めさせて両建築を眺めていると、車を移動させなさい、と運転手さんは巡邏中の警察官に注意されました。
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運:「お仕事で長春にいらしているのですか?」
私:「はい。○○大学に勤務しています。」
運:「何を教えていますか?」
私:「東アジア、特に日本の近代史です。」
運:「そうですか!中国と日本とでは歴史観が違うでしょう。問題になりませんか?」
私:「確かに国家の歴史観には違いがありますね。しかし私は国家の歴史観を教えているのではなく、自分自身の歴史観を語っています。学生ともよく議論しますが、何の問題もありません。もちろん、私の歴史観は、安倍政権の極右的な歴史観とは全く違います。」
運:「ほう、そうですか。安倍政権は日本ではどうですか?」
私:「支持率は前より下がってきています。特に安倍政権の極右的歴史観については、支持する人は決して多くありません。」
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駄レス 2017/06/13(火) 00:30:42(キラーカーンさん)
渡辺浩氏は「正式」などと言いながら、『公卿補任』を参照していないのは、たんに勉強不足なのでしょうね。
ご引用の『公家鑑』には、村上源氏の笹竜胆の家紋があって、なんだか懐かしいですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%B8%AB%E7%AF%84%E5%A4%A7%E5%AD%A6
知人によれば、東北師範大学は東北三省の中で最もレベルの高い大学らしいのですが、日本近代思想史が専門の大田英昭氏は、日本共産党との関連で、中国共産党についてどのような講義をしていたのか、少し興味がありますね。
長春駅の南に人民大街という大通りが伸びていて、駅から数キロ?南下した東側に東北師範大学はあります。通りを挟んで西側に大きな湖のある南湖公園というのがあり、南湖大橋なるものが架かっています。ブログの写真は、冬の南湖と南湖大橋のようですね。南湖公園の西に旧満映があるので、甘粕もかつて逍遥したことがあるかもしれません。南湖公園の北には、旧満州国の重要な機関(国務院など)が並んでいるので、岸信介も散策したことがあるかもしれません。
追記
大田氏のブログの『中国東北・雑記』「長春のタクシー運転手との会話」ですが、ほんとに、以下のような会話をしたのかな。嘘っぽい感じがする。もっとも、「安倍政権の極右的な歴史観」を絶賛したら、公安にマークされるかもしれませんが。
なお、長春の吉林省公安局は旧関東軍司令部と道を挟んだ反対側にあって、ともに威圧的な建築ですが、私がタクシーを停めさせて両建築を眺めていると、車を移動させなさい、と運転手さんは巡邏中の警察官に注意されました。
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運:「お仕事で長春にいらしているのですか?」
私:「はい。○○大学に勤務しています。」
運:「何を教えていますか?」
私:「東アジア、特に日本の近代史です。」
運:「そうですか!中国と日本とでは歴史観が違うでしょう。問題になりませんか?」
私:「確かに国家の歴史観には違いがありますね。しかし私は国家の歴史観を教えているのではなく、自分自身の歴史観を語っています。学生ともよく議論しますが、何の問題もありません。もちろん、私の歴史観は、安倍政権の極右的な歴史観とは全く違います。」
運:「ほう、そうですか。安倍政権は日本ではどうですか?」
私:「支持率は前より下がってきています。特に安倍政権の極右的歴史観については、支持する人は決して多くありません。」
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駄レス 2017/06/13(火) 00:30:42(キラーカーンさん)
>>突撃命令を延々と繰り返した無能な将軍
最近の研究では、乃木大将は、少なくとも平均的な能力はあったとの見解が優勢のようです
遅レスですが
>>九条道家の系統は急坂を転げ落ちるように没落し
一応、道家の子孫は摂関・藤氏長者にはなっているようなので、
表面的には「没落した」ようには見えないのですが、
何を以って「没落」とされているのでしょうか
最近の研究では、乃木大将は、少なくとも平均的な能力はあったとの見解が優勢のようです
遅レスですが
>>九条道家の系統は急坂を転げ落ちるように没落し
一応、道家の子孫は摂関・藤氏長者にはなっているようなので、
表面的には「没落した」ようには見えないのですが、
何を以って「没落」とされているのでしょうか