学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

藤田覚氏について(その2)

2017-06-21 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月21日(水)10時14分23秒

松澤克行氏「近世の公家社会」の続きです。

-------
 このように、この間の天皇・公家などに関する研究は、国家史的関心と政治史的視点から主にアプローチされてきた。そのため、彼等の生活・活動の場である公家社会そのものに対する関心は必ずしも高くはなかった。そうした雰囲気は、この間にこの分野の研究を牽引した一人である藤田覚の、「あまり天皇や公家に共感を覚えないからかもしれないが、いまでも朝廷の仕組みや公家社会についてはよくわからないし、関心は薄い。それより、近世の政治史にとって天皇と朝廷はどのような意味を持つ存在であったのか、朝幕関係の変化は政治史全体とどのようにかかわるのか、という問題関心を重視して研究してきた」という述懐からも窺うことができよう。【後略】
-------

藤田氏の文章は『近世政治史と天皇』(吉川弘文館、1999)の「あとがき」からの引用ですが、この文章の直ぐ後に次のような記述があります。(p315)

-------
 かつてある編集者から、「あなたは天皇万歳主義者ですか」と聞かれたことがある。心外だったが、江戸時代の天皇や朝廷の研究成果は、使いようによってはどのようにも使える怖い面をもっている。よほどきちんとした問題意識と研究史の位置づけをしないと危ないなと思った経験がある。「寝た子を起こすことはない」とおっしゃった近世史研究者もおられたが、本当に「寝た子」だったのか疑問が残る。【後略】
-------

藤田氏は歴史学研究会委員長も勤めたそうですから(2007~2010)、「ある編集者」や「『寝た子を起こすことはない』とおっしゃった近世史研究者」も、おそらく歴研周辺にいるイデオロギー色の強い、些か古風な人々なのでしょうが、藤田氏自身の文章からも、百姓一揆の研究でもしているのが似合いそうな少々古くさい雰囲気が感じられます。
そういう人が公家社会の研究をするのは、やはり無理がありますね。
藤田氏のような「前代からの名残で存在しているにしか過ぎない『臍の緒』」的研究者ではなく、新しい世代の研究者に期待したいと思います。

なお、「臍の緒」発言の林基氏は1914年生まれで、ウィキペディアによれば「中高生時代既に英・独・仏各語に通暁していたが、通交史研究に当たってはオランダ語やポルトガル語、スペイン語も学んだ」というすごい語学力の持ち主ですが、そういう人が日本近世史の研究をしていたというのは宝の持ち腐れのような感じがしないでもないですね。
さすがに現在の歴研では革命の実現可能性を語る人はいないでしょうが、本気で革命を目ざしていた世代の日本史研究者は、語学力に限れば、今どきの日本史研究者を凌ぐ人がけっこう多いですね。
ま、「大日本帝国の贅沢品」であった旧制高校の世代だから、というだけの理由かもしれませんが。

革命的語学力
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/779badc5bafbcac08b7f6b32c5b29177
林基(はやし・もとい、1914-2010)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%9F%BA
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤田覚氏について(その1)

2017-06-21 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月21日(水)10時13分23秒

ウィキペディアを見ると藤田覚氏は1946年生まれ、千葉大学文理学部・東北大学大学院博士課程を経て東大史料編纂所に21年勤務して教授となり、次いで東京大学大学院人文社会系研究科教授として14年を過ごした人で、近世の史料を自在に活用することができる本当に恵まれた研究環境にいた人ですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E8%A6%9A

『幕末の天皇』の「学術文庫版あとがき」(2013年1月付)によれば、

-------
 本書は、ある評論家から「日本人の必読書」のひとつとまで評価された。また、従来その名を知られていなかった光格天皇が、歴史上かなり特異で重要な人物であることを認知されるようになった。十八世紀末から十九世紀初頭が、日本近世史の転換点、つまり幕末維新変革の起点となったことは、一般読者向けの書物や概説書などでも承認され、高等学校の日本史教科書にも天皇権威の浮上が取り上げられるようになった。
-------

のだそうで(p262)、私もずいぶん昔に講談社選書メチエ版(1994)を読んだときは優れた書物のように感じました。
ところで、松澤克行氏(1966年生まれ、史料編纂所准教授)の「近世の公家社会」(『岩波講座日本歴史第12巻 近世3』、岩波書店、2014)の「はじめに」には研究史が簡潔に纏められていますが、戦後暫くの間は近世の天皇など「臍の緒」(by 林基)扱いされていたそうですね。(p37以下)

------
 公家社会とは、天皇を頂点とし、それに仕え取り巻く人びとにより構成される集団世界のことである。この公家社会の成員である天皇や公家、また彼等によって運営される朝廷については、戦前の君主制・皇国史観に対する反発や心理的アレルギーの存在、また近世史研究で土地所有の検討を重視する基礎構造論が重視されていたことなどから、戦後しばらくの間ほとんど関心を向けられることがなかった。研究が皆無であったわけではないが、近世の強大な武家政権の下、天皇・公家・朝廷はそれに従属するだけの無為・無力な存在であるという視点からの研究が主流であり、近世の天皇は前代からの名残で存在しているにしか過ぎない「臍の緒」だなどという評価もなされた。
------

変化のきっかけは1965年に始まった家永教科書裁判だそうです。

------
近世の天皇は君主としての地位を失ったとする原告家永三郎の主張に対し、国が天皇はなお君主としての地位を失っていないと反論し、裁判における争点の一つとなったのである。近世の君主=主権者は将軍であると考えていた学界はこれに強い衝撃を受けたが、近世の天皇・公家・朝廷に対する関心の低さから、積極的な反論を展開できるだけの学術的蓄積をもっていなかった。そうした現状に対する反省とともに、折しも日本史学界では、上部構造を含めた国家史研究の必要性が唱えられるようになり、近世史の分野でも天皇・公家・朝廷を研究の対象とし得る状況が現出したのである。そして一九七五年に、深谷克己、宮地正人、朝尾直弘により、相次いで近世の天皇・公家・朝廷を俎上に乗せた論考が発表される。いずれも、従来のような無力論的視点や単純な公武対立的朝幕関係の図式から脱し、政治過程や権力構造の中に天皇・公家・朝廷を位置付け、近世に天皇や公家集団が存続した背景やその果たした機能などについて解明を試みたのである。こうした一九七〇年代に提起された問題意識と視点を受け継ぎ、一九八〇年代以降は幕政との関係や法、制度、朝廷運営などについて研究が進められ、近世国家における天皇・公家・朝廷の政治的諸側面が明らかにされていった。また、彼らの政治的位置がどのように変容し、幕末期における天皇権威の浮上につながったのかという問題についても検討が進められている。
-------

注記は煩雑なので省略しますが、最後の一文に付された注5には、高埜利彦氏の「江戸幕府の朝廷支配」(『近世の朝廷と宗教』、吉川弘文館、2014、初出は1989年)と並んで藤田氏の『幕末の天皇』が挙げられています。
長くなったので、ここでいったん切ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする