投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 7月26日(水)11時21分42秒
ちょっと投稿に間が空いてしまいました。
苅部直氏の『歴史という皮膚』、少し真面目に検討しようかなと思って、ところどころ拾い読みしてみたのですが、どうにも相性が良くない感じがして、暫く離れることにしました。
気分転換のため、筆綾丸さんも話題にされた亀田俊和氏の新刊『観応の擾乱─室町幕府を二つに割いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』(中公新書)を読んでみたところ、これは非常に面白い本でした。
--------
観応の擾乱は、征夷大将軍・足利尊氏と、幕政を主導していた弟の直義との対立から起きた全国規模の内乱である。室町幕府中枢が分裂したため、諸将の立場も真っ二つに分かれた。さらに権力奪取を目論む南朝も蠢き、情勢は二転三転する。本書は、戦乱前夜の動きも踏まえて一三五〇年から五二年にかけての内乱を読み解く。一族、執事をも巻き込んだ争いは、日本の中世に何をもたらしたのか。その全貌を描き出す。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/07/102443.html
『南北朝の動乱』(中央公論社、1965)で一世を風靡し、半世紀の間、それなりに権威を保持していた佐藤進一説も歴史的な役割を終えたようですね。
亀田氏は「あとがき」で、
------
同じ時期を扱っているため、内容的には今までの拙著と重複する部分も多く、その点は御容赦いただきたい。ただし、筆者の見解を変更した点もいくつか存在する。
そしてもちろん、今までの本では言及しなかった事柄も新たに大量に紹介した。その際、参考にしたのが、主要参考文献にも掲げた橋本芳和「南北朝和睦交渉の先駆者、足利直義(Ⅰ)~(Ⅵ)」(『政治経済史学』五九二~五九七、二〇一六年)である。
しかし、本論文は学術雑誌に掲載された学術論文であり、一般の読者にはなじみが薄いものである。また題名からあきらかなとおりに直義による南朝との講和交渉を主題とする論文であり、観応の擾乱そのものは論点ではない。史料解釈に関しても、筆者の見解とは異なる部分が多い。何より、基本的には従来の定説に依拠している。以上の理由から、観応の擾乱に関しては、やはり本書が今後の必読文献になることができればと考えている。
------
と書かれていますが(p251以下)、失礼ながら橋本芳和氏は、専門研究者の間でもそれほど有名ではない人かもしれないですね。
私は鎌倉後期の貴族社会を調べていたとき、橋本芳和氏が『政治経済史学』に載せた論文をいくつか読んでいて、特に「遊義門院姈子内親王の一考察─東二条院所生の後深草法皇皇女と後宇多上皇の後宮」(『政治経済史学』283号、1989)は、自分が追求していた課題に直接関係するタイトルだったので、苦労して入手した後、むさぼるように読みました。
しかし、率直に言って、橋本氏の推論の過程はあまり丁寧ではなく、貴族社会に対する洞察力にも欠けている感じがして、結果的にはあくまで資料集として参考にさせてもらった論文でした。
また、『政治経済史学』も「学術雑誌」というには若干微妙な雰囲気があり、きちんとした査読がなされているとは思えず、執筆者が固定された同人誌みたいだなあ、という印象を受けました。
国会図書館サイトで検索してみたら、橋本芳和氏には45本の論文があり、その全てを『政治経済史学』に載せているようで、ちょっと珍しい人ですね。
>ザゲィムプレィアさん
いえいえ。
私も棚田を環境破壊の観点から考えたことはなかったので、ご投稿は大変参考になりました。