学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『観応の擾乱』の「あとがき」

2017-07-29 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 7月29日(土)14時45分37秒

また投稿に間が空いてしまいました。
先週、前橋市の女子高生で構成されるミュージカル同好会「BaMbina」の第7回公演『ロミオとジュリエット』を観てから小田島雄志訳の『ロミオとジュリエット』(白水社、1983)を通読し、ついで大塲建治氏の『対訳・注解 シェイクスピア選集5 ロミオとジュリエット』(研究社、2007)を見て、気になった部分の英文を確認しているのですが、やはりシェイクスピアは面白いですね。
シェイクスピアと並行して、苅部直『歴史という皮膚』所収の「平和への目覚め─南原繁の恒久平和論」に紹介されている南原繁の短歌、例えば、

三週間の絶対安静をわが命ぜらる世界に何事も起りてあるな
二十日あまり臥(こや)りてをれば窮まれる米ソ外交の行く方知れずも
病むわれの久にして見る外電ニュース世界は何事も起りて居らざりき

といった下手な歌を読むのは、単に精神的に重荷であるばかりか、殆ど肉体的苦痛を感じるほどなので、『歴史という皮膚』の読了は当分先になりそうです。

歌人としての南原繁
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3cabcef3a47943005fc6d46793f9291d

>筆綾丸さん
>しかし、『園太暦』の原文は「「降人の身として見参するは恐れあり」と称して謁せず」であり、

亀田氏の説明を読んだ後で佐藤説を見ると、ずいぶん無理な読み方をしているのが分かりますね。
歴史上の人物に対し、医学の素養もないのに精神疾患を患っていた云々と判定するのも無茶な話です。

>「17年8月より国立台湾大学日本語文学系助理教授」

「主要参考文献」の亀田氏の著作リストを見ると、これほどの業績があっても日本の大学は受け入れないのか、と思ってしまいますね。
『観応の擾乱』の「あとがき」には、

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 本書で筆者が特に伝えたかったのは、細川顕氏や佐々木導誉など魅力あふれる室町幕府の諸将の姿や、訴訟制度を根本的に変革した足利義詮の優れた政治力もそうだが、やはりなんといっても将軍足利尊氏の変化である。擾乱以前には基本的に無気力であった尊氏が、擾乱以降はきわめて積極的に活動しているのだ。このときの尊氏は、四〇代半ばである。当時としてはかなりの高齢であろうし、現代でもこの年齢で性格が変化することは滅多にないであろう。
 だが人間は、努力すれば必ず変わることができる。尊氏の変化は、個人的には勇気を与えられるし、読者の方々にも同じように感じていただければ、それだけでも本書の存在意義はあると考えている。
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とありますが、著者自身が「四〇代半ば」であることを考えると、これは新天地での新たな人生への静かな決意表明であるとともに、日本への縁切状的要素が僅かに含まれているようにも感じてしまいます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

碩学の誤読 2017/07/26(水) 22:25:59
小太郎さん
佐藤進一氏への疑義については、次ような記述もありますね(116頁~)。
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 翌三日、細川顕氏が上洛して尊氏を訪問した。しかし尊氏は面会を拒否し、顕氏を恐怖させた。これも比較的著名な逸話である。
 敗北したにもかかわらず恩賞を要求するなど、厚かましいにも程がある。特に顕氏との一件を見ると、尊氏は自分を勝者であると勘違いしている。尊氏は不可解な行動をすることがあり、精神疾患を患っていたとする佐藤進一氏の見解がかつて存在し(『南北朝の動乱』)、このときの顕氏に対する言動もその根拠に挙げられることがあった。しかし筆者は、その説は誤りであると考えている。
 そもそも佐藤氏は、尊氏の発言を「(顕氏が)降参人の分際で見参を望むとは何ごとか」と現代誤訳した。しかし、『園太暦』の原文は「「降人の身として見参するは恐れあり」と称して謁せず」であり、「「(私尊氏は)降参人の身であるので、(顕氏と)面会するのは恐れ多い」と称して対面しなかった」と訳すべきあると考える。「見参」は、目下の者が目上の人にお目見えするという意味だけではなく、逆に目上が目下に対面する用法も存在する。本例は後者の用例であろう。
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亀田氏の説くとおりであるとすれば、『古文書学入門』という屈指の名著を有する佐藤進一氏ですら、たかが六百数十年前の和臭の漢文を正確に読めていなかったことになり、これはこれで驚くべきことですね。ましていわんや異国の言語においてをや・・・以て他山の石とすべき、と言えるのかもしれませんね。

正否の判断をできるほどの知識はありませんが、室町幕府草創期の訴訟制度を論じた箇所(141~144頁)を最も興味深く読みました。また、佐藤氏が高く評価した足利直義を亀田氏がさほど評価していないのも、なかなか面白いものがありますね。さらに、「観応の擾乱に関しては、やはり本書が今後の必読文献になることができればと考えている」という自ら恃むところの厚い表明については、おそらくそうなるんだろうな、と思いました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6
亀田氏の経歴に「17年8月より国立台湾大学日本語文学系助理教授」とありますが、「国立」台湾大学という表記は台湾を「国家」として承認していない日本国の立場からすれば微妙であり、中国本土からイチャモンをつけられそうな感じもしますね(It's not your business.ですが)。

https://en.wikipedia.org/wiki/Geography_of_Taiwan
英語のウィキには台湾の標題は Geography of Taiwan とあって(仏語、西語、独語も同様)、地理や風土や動植物相や資源などに関する一通りの記述があるだけで、「国家」としての解説は一切ないのですね。

コメント
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