投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年10月 3日(火)11時40分51秒
『現代史資料(1)ゾルゲ事件Ⅰ』(小尾俊人編、みすず書房、1962)には「リヒヤルド・ゾルゲの手記」と題する資料が二つあって紛らわしいのですが、(一)はゾルゲの供述を司法警察官が手記形式にまとめたものであって、ゾルゲ自身が書いた「手記」は(二)のみですね。
小尾俊人氏の「資料解説」から少し引用してみます。(p8以下)
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三 「リヒヤルド・ゾルゲの手記」(二)
本手記は、一九四一年十月以降、ゾルゲ自身がタイプで打った原稿(ドイツ語)に基づくものである。生駒佳年氏によるその邦訳全文は一九四二年二月、司法省刑事局刊「ゾルゲ事件資料」(二)に前半を、一九四二年四月司法省刑事局刊「ゾルゲ事件資料」(三)に後半が印刷され、政府の関係者に配布された。占領軍GⅡの押収したものは極秘として配布番号一九一であった。(戦前の政府関係極秘文書は配布番号がナンバーリングで打たれており、番号によって配布先が判明することになっていた。)なお、これには、刑事局の手によって、目次と索引が加えられていた。
生駒氏の訳された日本文は英訳されて、一九五一年八月のアメリカ下院非米委聴問会において、証拠書類として提出された。ゾルゲ事件担当検事であった吉河光貞氏が一九四九年二月十九日、極東米軍GⅡの命によって提出した供述書〔ステートメント〕は、この手記の成立事情を詳しく述べているので、左に全文を引用する。(英文よりの訳)
私は、私の良心に基づき、私は真実を述べ、何ものも付加せず何ものも秘匿しないことを確言いたします。
私はすすんで次のごとく供述します。
一九四一年十月私は東京地方裁判所検事局に勤務を命じられていた検事でありました。そのとき、私の法的資格において、当時東京拘置所に拘禁されておりましたリヒアルト・ゾルゲに関し、検事の取調を行うよう命ぜられました。私は取調を一九四二年五月まで行いました。ゾルゲに関する私の取調は、東京拘置所の検事取調室において行われました。取調の進行中、リヒアルト・ゾルゲは、すすんで私に対し、彼の諜報活動の全体のアウトラインに関する記述を作成の上、提出したいと提議しました。この提案によって、リヒアルト・ゾルゲは私の目前で検事取調室において、ドイツ語でその供述を作製しました。ゾルゲが供述の作製に用いたタイプライターは検挙前、彼が自分の家で使用していた彼の私有物でしたが、証拠として押収されたものであります。その供述の一章または一節のタイプが終ると、ゾルゲは私の前で読み、私のいる前で、削除や追加や訂正をしたのち、私の方へ手渡したのです。この供述の唯一の原本はゾルゲが作製したのですが、そのわけはこの供述で、上海での彼の行動に関する部分が充分でなかったので、ゾルゲは、その部分に、さらに不充分の箇所を書き加えて新しくタイプしなおし、私にそれを提出いたしました。私は、原本のその部分を入れかえました。本供述書に附録としてつけた記録は、二十四ページですが、これは私が原本から削除した部分であって、上述のように、ゾルゲがあとでタイプしなおした部分を原本にさし入れたからです。
この記録は、一九四一年十月と十一月に、東京拘置所の検事取調室で、ゾルゲが私の目前でまず作製し、訂正し、そして私に手渡した供述の一部であります。この記録にはゾルゲの署名がありませんが、そのわけは、この記録がゾルゲの供述の一部に過ぎないもので、リヒアルト・ゾルゲは記録全体が完成した際、最後に署名を付したので、供述の一部である記録に署名することを彼は特に望まなかったからです。上記の記録は、上述の日より一九四九年二月十三日まで私の所有でしたが、この日より、合衆国軍隊、極東軍総司令部GⅡの Lt.Col.Paul.Rutch 氏に対しその希望により、ひき渡したものであります。 吉河光貞
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「吉河光貞についてのメモ」(その1)