学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『ジューコフ元帥回想録─革命・大戦・平和』

2017-10-10 | ナチズムとスターリニズム
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年10月10日(火)15時06分41秒

>筆綾丸さん
>ノモンハン
ウィキペディアのジューコフの記事は言語によってずいぶん内容が異なりますが、英語版は戦後の活動についても相応の分量の説明があって、バランスが取れていますね。


日本語版はノモンハンばかりが目立ちますが、「逸話」の「またジューコフ元帥は日本の下級士官、下士官、兵の戦意、能力を高く評価した一方、高級士官たちの能力に対する疑問を回想録で書いている」という記述の注を見ると、『ジューコフ元帥回想録─革命・大戦・平和』の該当ページが出ているのかと思いきや、朝日新聞編集委員・田岡俊次氏が『軍事研究』という雑誌に寄稿した概括的テーマの記事の一文だけをそのまま丸写ししていて、手抜き仕事感に溢れています。

「部外との知的交流を妨げるな! 自衛官よ、他流試合を恐れるなかれ」(『軍事研究』1999年12月号)

東京外大卒の朝日新聞モスクワ特派員三人組が訳したジューコフ回想録は上下二段組みで六百ページあり、さすがに全部読む気にもなれませんが、「第七章 ハルハ川(ノモンハン)の宣戦なき戦争」をパラパラ眺めたところ、ジューコフの日本軍への評価というのは次の部分みたいですね。(p132以下)

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 一九四〇年五月はじめ、私は他の職務に任命されるため国防人民委員部に出頭するようモスクワから命令を受けとった。私がモスクワへ帰還したころ、赤軍の最高指揮官の将官称号にかんする政府決定が公布された。私は三人の同志とともに軍大将の称号が授けられた。
 数日後私はスターリンに直接引見され、キエフ特別軍管区司令官に任命された。スターリンとはこれまで会ったことがなかったので、私は強く興奮して引見にのぞんだ。
 部屋にはスターリンのほか、カリーニン、モロトフその他政治局のメンバーたちがいた。あいさつしたのち、スターリンはパイプたばこを吸いつけながら直ちにたずねた。
「君は日本軍をどのように評価するかね」
「われわれとハルハ川で戦った日本兵はよく訓練されている。とくに接近戦闘ではそうです」と私は答え、さらに「彼らは戦闘に規律をもち、真剣で頑強、とくに防御戦に強いと思います。若い指揮官たちは極めてよく訓練され、狂信的な頑強さで戦います。若い指揮官は決ったように捕虜として降りず、『腹切り』をちゅうちょしません。士官たちは、とくに古参、高級将校は訓練が弱く、積極性がなくて紋切型の行動しかできないようです。
 日本軍の技術については、私は遅れていると思います。わが軍のMS1型に似た日本軍の戦車は老朽となり、装備も悪く、行動半径も小さい。また戦闘の初期には日本空軍がわが空軍機を撃墜したことは確かです。日本軍飛行機は、わが軍に『チャイカ』改良型やⅠ16型を配備しない前にはわが方より優勢でした。しかし味方にスムシケビッチを代表とするソ連邦英雄の飛行士団が加わってからは、わが空軍の優勢は目に見えてきました。
 総じてわれわれが日本軍のいわゆる皇軍部隊と呼ばれる精鋭と戦わねばならなかったことは強調せねばなりません」
 スターリンは非常に熱心にきき終ってから、またきいた。
「わが部隊はどんな戦いぶりだったか?」
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ということで、この後、ジューコフはソ連軍の活躍を具体的に人名・部隊名を挙げて詳述します。
日本軍があまりに弱体だったらソ連軍の活躍も目立たないので、いわば引き立て役として日本側も少し余分に褒めたような感じがしないでもありませんが、ま、ジューコフは政治家ではなく叩き上げの軍人ですから、このあたりは基本的に率直な分析として受け取って良いのでしょうね。

>ただの勘ですが、スターリンが殺したのだろう、という感じがしますね。

『フルシチョフ 封印されていた証言』を含め、三冊のフルシチョフ回想録の位置づけについては種々議論がありますが、アリルーエワの死に関しては、フルシチョフ自身にはわざわざ事実を捏造・改変する動機もないだろうと思います。
ただ、フルシチョフがこの話を聞いた「スターリンの護衛長のウラシク」は、原注によると、

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ニコライ・ウラシクはスターリンの最初の最も長続きした護衛官。スターリンの部屋のドアの外で居眠りをしながら赤軍につとめるようになり、中将の位まで昇進した。背が低く、小作人あがりで無教育のウラシクは、ほとんど字が読めなかった。彼はスターリンの"敵"を抹殺することと、ゴーリキー街のアパートで裸の女性や「その朝運ぶのにトラックが要ると彼らが言ったほど大量のワイン」(クレムリンのもと護衛官、ピョートル・ジェリアビンによる)でパーティーをやることで悪評が高かった。
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という人物だそうで(p41)、スターリンの死後であっても、フルシチョフの質問に対して全て誠実に答えるようなタイプとも思えないですね。
そもそもフルシチョフはウラシクから何時、どのような状況で聞いたのかも明確にしていないのですが、前回投稿で引用した部分の後にあまり品の良くない話が続いていることも考慮すると、どうも正式な調査の機会ではなく、酔っぱらった席での下品な話題程度のような感じもしてきます。
いずれにせよ、フルシチョフの話とアリルーエワの娘のスヴェトラーナが乳母から聞いたという話、そしてアイノ・クーシネン『革命の堕天使たち』の三つの選択肢しかないとすれば、その中ではアイノ・クーシネンが一番信用できそうな感じはしますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神は死んだふりをするー或る日のニーチェアン 2017/10/07(土) 14:59:47
小太郎さん
6月に中国東北部に旅したとき、長春からノモンハンまで列車で行こうかなと思いましたが、あまりに遠くて諦めました。

ご引用の幾つかの文を読むと、ただの勘ですが、スターリンが殺したのだろう、という感じがしますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%8A
リュドミラ・プーチナは、まだ殺されていないとして、何をしているのだろうか。

https://www.msz.co.jp/topics/08624/
日経の書評欄に岡田温司氏の『映画とキリスト』が紹介されていましたが、面白そうですね。
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・・・西洋近代が理性によって悪魔祓いしたと考えていたキリスト教――広くは宗教――をめぐる諸問題が、今ふたたびあらゆる局面で再浮上し、あらためて問い直されようとしている。
・・・。「死んだ」と思っていたはずの神は、実はそんなに簡単には死んでいなかったのである。
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http://eikaiwa.dmm.com/uknow/questions/11090/
要するに、神は死んだふりをしていた、ということになりますか。英語では、play opossum とも言うのですね。

追記
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3:_%E3%82%B3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88
https://www.youtube.com/watch?v=El_s9SJv9B8
帰国便の機内で見た『エイリアン: コヴェナント』はまさに聖書の世界で、ワーグナーの『ラインの黄金』の使い方などは心憎いばかりでした。
コメント
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