※配信の途中で若干のトラブルがあり、二回に分けました。
第12回配信
第13回配信
一、前回配信の補足
近藤成一(1955生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E6%88%90%E4%B8%80
「三十四年間もかけてたった三年足らずの分しか編纂できなかった」(by 近藤成一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bdf8e212f65ccf8fbcbd04615366c75b
近藤成一(1955生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E6%88%90%E4%B8%80
「三十四年間もかけてたった三年足らずの分しか編纂できなかった」(by 近藤成一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bdf8e212f65ccf8fbcbd04615366c75b
「寺家」の異質性
国家の本質を一定の領域での「正統的暴力の独占」と考えれば、朝廷(公家)は、鎌倉幕府の登場までは日本全体で「正統的暴力」を独占していた。
鎌倉幕府も東国で「正統的暴力」を独占している。
朝廷と幕府は一定の領域支配への指向性を持つ点で共通。
しかし、「寺家」はそもそも一定の領域を支配しようなどとはしない。
もちろん、個々の寺院は荘園を支配している。
しかし、「寺家」全体が一定領域を支配することはない。
そもそも、「寺家」は個々バラバラな存在の単なる集合であって、朝廷や幕府のようなまとまりはない。
黒田は「八宗」でまとまりがあるように言うが、例えば同じ天台宗の山門(延暦寺)と寺門(園城寺)は仲良く統一的な行動をしたことがあるのか。
山門と興福寺はどうか。
個々の寺院が、主として朝廷に宗教サービスを提供するのみ。
権門体制論にとって、東国の寺社(例えば鶴岡八幡宮寺や走湯山・箱根・三島)はいかなる存在なのか。
東国の寺社は、黒田の分類では「寺家」には入っているのか。
朝廷ではなく幕府に宗教サービスを提供しているだけではないか。
それが最も鮮明に出るのは承久の乱。
二、幕府の「超権門的性格」
川合康氏「鎌倉幕府研究の現状と課題」を読む。(その3)~(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c86ac9836376b48ac6ffc692e720e03a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/445055e235c4074de2517fb032953962
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/605611b8db9d85327161d4bce4139188
鎌倉幕府も東国で「正統的暴力」を独占している。
朝廷と幕府は一定の領域支配への指向性を持つ点で共通。
しかし、「寺家」はそもそも一定の領域を支配しようなどとはしない。
もちろん、個々の寺院は荘園を支配している。
しかし、「寺家」全体が一定領域を支配することはない。
そもそも、「寺家」は個々バラバラな存在の単なる集合であって、朝廷や幕府のようなまとまりはない。
黒田は「八宗」でまとまりがあるように言うが、例えば同じ天台宗の山門(延暦寺)と寺門(園城寺)は仲良く統一的な行動をしたことがあるのか。
山門と興福寺はどうか。
個々の寺院が、主として朝廷に宗教サービスを提供するのみ。
権門体制論にとって、東国の寺社(例えば鶴岡八幡宮寺や走湯山・箱根・三島)はいかなる存在なのか。
東国の寺社は、黒田の分類では「寺家」には入っているのか。
朝廷ではなく幕府に宗教サービスを提供しているだけではないか。
それが最も鮮明に出るのは承久の乱。
二、幕府の「超権門的性格」
川合康氏「鎌倉幕府研究の現状と課題」を読む。(その3)~(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c86ac9836376b48ac6ffc692e720e03a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/445055e235c4074de2517fb032953962
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/605611b8db9d85327161d4bce4139188