学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

資料:「京大本・天理本に存在する天皇の三尾の津での言葉」について

2024-11-14 | 鈴木小太郎チャンネル2024
小川信氏
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 流布本が京大本・寛正本・天理本の三種の古写本に存在する問答体の箇所を削除して物語的な構成を省略し、且つ巻頭近くの先代様をめぐる冗長な論議を削除したと認められることは前に述べたが、その外にも、例えば後醍醐天皇隠岐遷幸の記事の中、京大本・天理本に存在する天皇の三尾の津での言葉が流布本に欠けているように、多少の削除が認められるのである。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6e12b2c0d65e7b0f14cc8bc6221d5d0e

(1)延宝本(流布本、『新撰日本古典文庫 梅松論・源威集』p50以下)
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 かくて、御旅の日数十余日を経て御座船、出雲国三尾のうらに着給ふ。当津に有ける古き御堂を一夜の皇居とぞ。君いまだ六波羅に御座の時、板屋にしくれのはら/\と過けるをきこしめして、
 住みなれぬ板屋の朝の村時雨きくにつけてもぬるゝ袖哉
とありし御製だにも忝なかりし御事なるに、まして此皇居さこそと思ひやりて奉りて、頻にあはれをもよほさぬものぞなかりける。田舎のならひなれば、人の詞もきゝしり給はず。あら/\しきにつけても都をおぼしわするゝ時の間もなし。さなきだに御ね覚がちなる夜もすがらうら浪こゝもとに立さはぐを、御枕をそばだてゝ聞給ふに、行人征馬のいそがはしげに行かよふに付ても、むかしの須磨のねざめ、王昭君が胡の地におもむきける馬上の悲み、思召残す方もなし。すこしまどろませ給はねば、都にかへる御夢もなし。
 去程に、夜もあけしかば供奉の人におほせられけるは、これより大社へはいかほどあるやらんと御たづねありければ、道はるかにへだたりて候よし申あげたりければ、武士どもに向て勅して宣はく、汝等知や、此御神をば素戔烏尊と申也。昔稲田姫を睦て日の川上の大蛇を命に替て、是を殺して釼を得、姫を儲けて宮作して、八雲立もいへる三十一字の詠を残して今に跡をたれ給ふ。朝家に三種の宝の中に第一の宝釼も、此御神の得給しぞかしとぞ、御涙せきあへずして龍顔実に御愁ある躰なり。次日、穏而御舟にめされしかば御送の輩も同みほの津より暇を申してとゞまりける。去年の冬上洛せし関東の両使も下向す。其後は世中何事となく静かならず。
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(2)京大本(『国語国文』33巻8号、p15)
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【前略】旅の日数十余日をへて御乗舟あり。出雲国三尾の浦に着給。当津に有ける古御堂を一夜の皇居とす。君いまだ六波羅に御座の時、板屋に時雨のはら/\と過けるを聞食あへず、御詠、
 住みなれぬ板屋の軒の村時雨聞に付けてもぬるゝ袖かな
とありし御製、忝なき御事なるに、まして此皇居の御ありさま、さこそと思やり奉て、頻に泪をながさぬはなかりけり。此国の人の詞も野飼の牛の子を思ふ声の如く也。海人のさへづりも思しられ、浦の波こゝもとに立さはぎ、御枕を峙て、征馬の頻にうこつくを聞食ても、昔の須磨のねざめ、異朝の王昭君が胡地に趣ける馬上の思、何も思召のこす方もなし。一面の琵琶を御身にそへられける。隠月に向給ても、少まどろみ給はねば、都に帰る御夢だにもなし。さる程に夜も深しかば、供奉の人に被仰て宣く、是より大社へは如何程有ぞと御尋ありければ、道はるかに隔る由申上たりければ、武士共に向て宣く、汝等知や此御神をそさのをのと申。昔稲田姫を※〔めにみ〕て日の川上の大地を命に替て、殺釼を得、妻を儲て宮造し、八雲立と三十一字の詠を残し、今に跡を垂給。朝家に三種の宝の中に、第一の宝釼も此御神の得給しぞかしとて、御泪ぐみ給て、龍顔誠にみだりがはしき躰なり。次日軈て御舟に被召し間、供奉し奉る武士某等是より数輩暇を申し、留ける時又勅して宣く、汝等是まで送奉事、正く一世の契に非ず。多生広劫の宿縁也。一樹一河の流をくむも若干の宿縁と聞、争か愁腸の思なからんや。したゐきたるべき道ならね共、帰路にのぞめば互に哀也とて、纜をときしかば、こぎ行舟の跡きえて惜からぬ余波の立帰さぞ恨めしき。三尾の津より御送の輩帰路せしかば、去年の冬上洛せしめし関東の両使某等下向す。其後は世中何事となく静ならず。
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(3)天理本(『行誉編『壒嚢鈔』の研究』p255以下)
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【前略】旅の日数十余日を経て、御船ねあり。出雲国三尾の浦に着給。当津に古る御堂を一夜の皇居としてんけり。君未た六波羅に御座の時、板屋に時雨のはら/\過けるを聞食て取敢す、
 住馴ぬ板屋の軒の村時雨聞に付てもぬるゝ袖かな
 と有し御製たにも忝きに、増てひなの皇居、さこそと思遣奉て頻に泪を流し侍りき。本より此国の人の詞も、野飼の牛の友を呼声の如くなるに、浦浪此本に立さはき、御枕を欹て征馬の頻りにうすつくを聞食ても、昔の須磨のねざめ、王昭君か胡地に起むきける馬上の恨思食残す方もなし。一面の琵琶を御身に副られさる物から、隠月に向給ても少しも真眠ませ給ねは、都に帰る御夢もなし。さる程に夜も深けしかは、供奉の人々に被仰て云く、是より大社へは幾程あるそと御尋ね有けれは、道遥に隔たる由を申上けり。其時武士共に向て勅定ありけるは、汝等知や、此御神は素戔烏尊にて御座す。昔稲田姫をさゐわひて、日の河上の大蛇を命に替て害て釼を得給へり。彼の大蛇を焼捨給ける煙り八色の雲に立けるを、八雲立つと詠し給へり。是卅一字の始也。朝家に三種の宝の中に宝釼と云も、此御神の得給しそかしとて、涙含ませ給ひけり。龍顔誠に猥しき体也。
 次の日軈て御舟に奉て供奉し進せけり。武士共其より数輩暇を申て留りける時、又勅して曰はく、汝等是まて送り奉る事、正に一世の契に非す。多生広劫の宿縁也。一樹の陰に息み、一河の流を汲むも、幾〔そこは〕くの宿習慣なれは、争か愁傷の思無らん。帰路を望は互に哀也とて、纜なを解れしかは、漕行舟の跡消へて惜からぬ余波りの立帰るさへそ恨めしき。三尾の津より御送の兵帰洛せしかは、去年の冬上洛せし関東の両使等。下向す。
 其後は世中何事と無く閑かならす。【後略】
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※(2)京大本と(3)天理本は読みやすくするためにカタカナを平仮名に変換しています。
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