学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

0225 鎌倉クラスター向けクイズ(その3)【解答編】

2024-12-06 | 鈴木小太郎チャンネル2024
第225回配信です。


0220 「後鳥羽院の倒幕運動を「謀叛」と記したのは『承久記』」(by 古澤直人氏)〔2024-11-29〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7159c0a4cf22fa744bda168ffaba5861

『鎌倉幕府と中世国家』(校倉書房、1991)において、古澤氏は、

-------
 正中の変における後醍醐天皇の倒幕運動が同時代の古文書・記録・史書に広く「謀反(叛)」と表現されたことは、あまりにも有名な事実である(1)。<天皇や朝廷、国家に対する反逆>という、この言葉の原義的・律令制的用法においては(2)自己矛盾である「公家(天皇)御謀反」(3)「当今御謀叛」(4)以下の表現が、この「陰謀」(5)に対して用いられた事実に対しては、「鎌倉時代の国家秩序からいえば、事実として支配権力の最高・最重要のかなめを掌握していたのは幕府」であったからであるという説明がなされている(6)。しかし、承久の乱における後鳥羽上皇の討幕運動が同時代の史料に「謀叛(反)」と記されることはなかった事実を念頭におけば(7)、これは、承久以降鎌倉末期までに、律令制的な天皇制秩序体系とは異質の、幕府を中心とするあらたな「公」の秩序意識の形成を想定させるものであろう。

(3)「道平公記」元亨四年九月二十日条。
(4)「結城文書」(年欠)九月二十六日結城宗広書状。
(5)「鎌倉年代記裏書」元亨四年九月二十三日条。
-------

と書かれていた。
しかし、『中世初期の〈謀叛〉と平治の乱』(吉川弘文館、2019)では、

-------
元弘の乱の後醍醐天皇の討幕運動に対して、本来語義矛盾である「公家御謀反」(82)「当今御謀叛」(83)という表現がなされたことは、古くから研究者の注目を集めてきた。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/79ed3fb68867c53dc3c266520b00ef42

とされている。
注(82)(83)は、

-------
(82)「後光明照院関白記(道平公記)」元亨四年九月二十日条。(東京大学史料編纂所架蔵謄写本『柳原家記録百四十九』請求番号二〇〇一-一〇-一四九)。同書によれば元亨四年九月
 十九日去夜自関東早馬上洛、謀反人事武家騒動東西馳廻云々。又云。関東早馬事一向無其儀云々。
 二十日世上騒動大略公家御謀反之由武家存之云々。
と記されている。十九日の段階で、十八日の夜に「謀反人事について関東から早馬が到着し大騒ぎになったという情報が記され(別の情報として、早馬を否定する情報も記している)、二十日になって、その騒動が、後醍醐天皇の謀反と武家が認識しているという情報として具体化されている。その六日後、結城宗広は上野七郎兵衛尉にあてて書状を記した。
 今月廿三日、自京都早馬参テ候、当今御謀叛之由、其聞候。斎藤太郎左衛門許より先申て候。自六原殿ハ未被申候。明暁なとハ、令参着候ハず覧と申あひて候。
つまり、九月二十三日には京都からの早馬によって「当今御謀叛」との情報が(六波羅奉行人斎藤氏から)伝えられ、六波羅からの正式の伝達は明日朝早くにも到着するだろうと語り合っていたことが分かる。なお、正中の変に関する後醍醐天皇の討幕関係史料は、岡見正雄『太平記』(一)角川文庫、一九七九年)二九五頁以下の補注に詳しい。なお斎藤太郎左衛門については、森幸夫『六波羅探題の研究』(続群書類従完成会、二〇〇五年)二四九頁を参照。
(83)「藤島神社文書」年欠(元亨四年)九月二十六日結城宗広書状(鎌遺─二八八三五)。
-------

となっていて、いずれも元亨四年(十二月九日に改元して正中元年、1324)の史料。
古澤氏は「正中の変」を「元弘の乱」と誤記。


筆綾丸さんのコメント
-------
「謀反。謂。謀危国家」とあるのだから、謀反のタートベシュタント(構成要件)は「謀りて国家を危うくすること」であって、なぜ「天皇に対する殺人予備罪」となるのか、後に続く< >内の文意がよくわからないとはいえ、意味不明です。
そもそも、殺人予備罪などというものは近代刑法的な概念で、律令には存在しないのではないですか。
-------

『日本思想大系3 律令』(岩波書店、1976)p16
-------
八虐
 (1)一曰、謀反。謂。謀危国家。<謂。臣下将図逆節。而有無君之心。不敢指斥尊号。故託云国家。>
一に曰〔い〕はく、反〔へん〕を謀〔はか〕る。謂〔い〕はく、国家を危〔あやうく〕せむと謀〔はか〕れるをいふ。
 (2)二曰。謀大逆。謂。謀毀山陵及宮闕。<謂。有人獲罪於天。不知紀極。潜思釈憾。将図不逞。遂起悪心。謀毀山陵及宮闕。>
二に曰はく、大逆〔だいぎやく〕を謀る。謂はく、山陵〔せんりよう〕及び宮闕〔くうくゑつ〕を毀〔こぼ〕たむと謀れるをいふ。
 (3)三曰、謀叛。謂。謀背圀従偽。<謂。有人謀背本朝。将投蕃国。或欲翻城従偽。或欲以地外奔。>
三に曰はく、叛〔ほん〕を謀る。謂はく、圀〔くに〕に背〔そむ〕きて偽〔ぐゐ〕に従へむと謀れるをいふ。
【後略】
-------

頭注に、
「〔謀反条〕君主に対する殺人予備罪」
「謀反─慣用音ムヘン」
「国家─唐律では社稷。社稷も国家も直接には皇帝・天皇などの尊号を指称するのを憚ったもの(疏)」
とある。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする