●江戸時代(後光明天皇 徳川家綱)
1651(慶安4)年 〈慶安事件〉★
Keian Incident: Yui Shosetsu plots a coup dé’tat unsuccessfully against Tokugawa shogunate.
一路(いちろ)強引 由井処刑。
1651年 牢人 由井正雪 慶安事件
3代将軍家光が没した1651年、それまでの武断政治に対する牢人の不満を利用した由井正雪らが倒幕を計画。この慶安の変は事前に発覚し失敗に終わるが、幕府も末期養子の禁を緩和するなど文治政治への転換をはかった。
●江戸時代(後西天皇 徳川家綱)
1657(明暦3)年 〈明暦の大火(振袖火事)〉★
Conflagration of Meireki ravages Edo, killing more than 100,000 people.
広(ひろ)くご難で べらんめい。
1657年 広小路 明暦の大火
1657年、本郷丸山の本妙寺で、信者が託した娘の振袖を焼こうとして出火、風に煽られて大火となった。振袖火事ともいわれるこの明暦の大火は江戸城も類焼し、焼死者10万を記録、江戸市中の半分以上を焼き尽くした。幕府は市街地の再建に際して広小路と名付けた火除地を設定し、翌1658年には定火消の制度がつくられた。
〈河村瑞賢〉 江戸前期の豪商河村瑞賢は明暦の大火に木材を商って巨利を得、豪商となった。幕命により江戸廻米のための東廻・西廻り航路を開くことに成功。また、淀川治水のため安治川を開いた。
「川も随分西東。」と、この人物も押さえておこう。
河村瑞賢 西廻り・東廻り航路 安治川開削