●古墳時代(天武天皇)
The Emperor Tenmu established Yakusa no Kabane
老婆心から 天も焼く。
684年 天武天皇 八色の姓
皇族で政権を固めた皇親政治を展開した天武天皇は、684年八色の姓を制定。真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置という8種類の姓によって、壬申の乱以後の身分秩序を再編した。
●古墳時代(天武天皇)
The Emperor Tenmu established Yakusa no Kabane
老婆心から 天も焼く。
684年 天武天皇 八色の姓
皇族で政権を固めた皇親政治を展開した天武天皇は、684年八色の姓を制定。真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置という8種類の姓によって、壬申の乱以後の身分秩序を再編した。
●古墳時代
Prince Shotoku promulgates Seventeen-Article Constitution.
労(ろう)惜しむなと 十七条。
604年 十七条憲法 聖徳太子
蘇我馬子と協力しながら政治を進めた聖徳太子は、603年に才能や功績に応じて個人を評価する冠位十二階を定め、冠の色で役人を区別した。また604年には十七条憲法を制定し、国家の役人としての心構えを説くとともに、仏教を敬うこと、天皇に服従することの重要性を強調し、中央集権国家の建設に着手した。
冠位十二階の制 徳仁礼信義智(冠位は当時 霊視基地。)
問題
2013立命館・文法済営などA方式
下線部1冠位十二階の制に関連して、次の史料はこの制度に関する『日本書紀』の記事である。
始めて冠位を行う。大[ ア ]・小[ ア ]・大[ イ ]・小[ イ ]大[ ウ ]・小[ ウ ]大[ エ ]・小[ エ ]・大義・小義・大智・小智、并(あわ)せて寄せて十二階。軌並びに当色の絁(きぬ)をもって縫えり。……」
空欄[ ウ ]にあてはまる、もっとも適当な語句を下から一つ選び、記号で答えよ。(ア.徳 イ.礼 ウ.仁 エ.信)
(答:イ)
2010大学入試センター試験
問2 下線部a四天王寺は、蘇我馬子とともに戦った、ある皇子(王)が創建したと伝えられている。この人物が国政にかかわっていた時期の出来事について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1.世襲による氏姓制度とは異なり、個人の功績や才能を評価する冠位の制度が定められた。(〇厩戸皇子の記述)
2.中国南朝に使者を派遣し、倭と朝鮮半島南部での軍事指揮権を示す称号を求めた。(478年など倭の五王の記述)
3.倭国では大きな争乱が起こり、しばらく収まらなかったが、諸国が共同して女性の王をたて、約30国からなる連合体をつくった。(×239年など邪馬台国の記述)
4.稗田阿礼によみならわせていた神話や伝承、歴史などを、太安万侶が筆録し、書物として完成させた。(×712年古事記の完成)」
奈良時代の女帝(在位749~758)。聖武天皇の第2皇女(阿倍内親王)。
母は藤原不比等の娘、光明皇后。
738(天平10)年史上唯一女性皇太子となり、749(天平勝宝元)年聖武天皇の譲位を受けて即位。
仏教を深く信仰し、752年に東大寺大仏開眼供養を挙行。
758年、大炊王(淳仁天皇)に譲位。初め藤原仲麻呂を重用したが、上皇のとき道鏡を寵愛したため764年に仲麻呂一派が乱を起こした(恵美押勝の乱)。
この乱の責任で淳仁天皇を廃して重祚、称徳天皇(在位764~770年)と称した。
重祚後は道鏡を重く用いて政治・財政の混乱をまねき、貴族の反感をかった。770(宝亀元)年皇嗣(こうし)を決定しないまま死去した。
用語解説 重祚 退位した天皇が再び皇位につくことを重祚という。飛鳥時代に皇極天皇が重祚して斉明天皇となり、奈良時代に孝謙天皇が重祚して称徳天皇となった2例がある。
「玉砕検証(ぎょくさいけんしょう)(皇極→斉明・孝謙→称徳)。」と覚えよう。
2014早大・教育
問5 下線部d8世紀ににわかに台頭してきた宇佐の八幡神は皇位にかかわる託宣を下し、この神託の判断をめぐって大きな混乱が巻き起こったについての説明で正しいものはどれか。
ア 孝謙天皇の重祚をうながす神託が下された。(×孝謙天皇の重祚ではなく、道鏡の皇位就任の神託が下された)
イ 神託を確かめるために藤原百川が宇佐へ派遣された。(×神託を確かめるために宇佐に派遣されたのは藤原百川ではなく、和気清麻呂である)
ウ 神託後、日本史上初の法王が誕生した。(×道鏡が法王になったのは766年、宇佐八幡宮の神託が下ったのは769年なので、道鏡が法王になったのは、神託の後ではなく前である。)
エ 石清水から宇佐へ勧請された八幡神が猛威をふるった(×石清水八幡宮から宇佐に勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)されたのではなく、平安時代初期、宇佐八幡宮から石清水八幡宮に勧請された。)。
オ 神託によって皇位につくことをうながされた人物は、下野薬師寺に追放された(〇)。
部曲 田荘 豪族 (濁音)
名代・子代 屯倉 朝廷(清音)
2015センター試験・日本史B:「 問3 下線部c古墳時代には列島各地を政治的に統合したヤマト政権が誕生するにいたるに関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを、下の1~4のうちから一つ選べ。
a.ヤマト政権を構成する豪族らは、氏として組織化された(〇)。
b.ヤマト政権は、列島各地に田荘とよばれる直轄地を設けた(×:田荘は豪族の所有地)。
c.『魏志』倭人伝によれば、倭の五王は中国の北朝に朝貢した(〇:『魏志』倭人伝→『宋書』倭国伝 しかも南朝)。
d.大王や王族に奉仕する部民として、名代・子代が設定された(〇)。」〉
〈2015早大・文:「〔Ⅱ〕 次の文を読んで、問に答えなさい。
古代の人々が、「田」と呼ばれる土地とどのように向かい合ってきたのかは、歴史を学ぶ場合、重要な課題となる。
まず、『日本書紀』が記す「改新の詔」には、a「田荘」の廃止や、「田の調」の徴収などがうたわれている。この「改新の詔」をそのまま信用することはできないが、律令制以前における「田」の実態の一面を間接的に伝えたものであろう。」
問1 下線aの語句は何と読むか。平仮名で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
(答:たどころ)
2013青山学院・文:「問6.下線部e種々の技術に関連して、このような技術を大陸からもたらした人々には伴造に従い、大王家・朝廷に所属して、それぞれの職能に応じて奉仕したものもいたが、この人々は何と呼ばれたか。下から選んで、その番号をマークしなさい。
(1.部曲 2.品部 3. 4.舎人)
(答:2)
2012早大・文化構想:「下線d次第にその領域を拡大していったについて。畿内の王権が地方に進出し、その直轄領としたところはなんと呼ばれるか。記述解答用紙の解答欄に漢字で記入しなさい。
(答:屯倉)
moderate「マダリト」
「ゴマたれと紅葉おろしで控えめな味付け」
* 音楽の速度表示で「中くらいの速さ」を意味するのが「モデラート」。速くもなく遅くもない「控えめな」速度。
語幹「mode=型・新しい型」
「mode=型」+「-ate=形容詞語尾」=moderate
→型にはまった=節度のある・適度の
「mode=型」+「-est=形容詞語尾」=modest
→型にはまった=慎み深い・控えめな
「mode=型」+「-el=名詞語尾」=model
→型にはまったもの=模型・模範・モデル
「mode=新しい型」+「-rn=形容詞語尾」=modern
→新しい様式=現代の・最新の
⊿手ごろな価格
moderate prices
⊿穏やかな天候
moderate climate [or weather]
⊿あの人は大人だ(節度ある考えを持っている)。
He has moderate views.
⊿腹八分に医者いらず。
Moderate eating keeps the doctors away