●化政文化(国学と洋学)
〈塙保己一、『群書類従』を編纂〉★★
Hanawa Hokiichi devotes his life to the editing “Gunshoruijyu”.
鼻(はな)はグショグショ 我が子でしょ。
塙保己一 『群書類従』 和学講談所
武蔵に生まれ7歳で失明した塙保己一は江戸で賀茂真淵の門に入り、和漢の学に通じた。1793年に和学講談所という学問所を創立し、ここで古代から江戸初期に至る国書を25項に分類し、合冊して『群書類従』を編纂した。
ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と両親より教育されていて、来日した際、記念館を訪れている。
[ポイント]
1.塙保己一は、和学講談所を設け『群書類従』を刊行した。
[解説]
1.塙保己一(1746~1821)は盲目の国学者で、古典の収集・保存を心がけ、寛政期(1789~1801年)に幕府の援助を受けて和学講談所を設け『群書類従』を刊行した。
2.『群書類従』は古代より江戸初期までの古書1200余を編集し、1793(寛政5)年から1819(文政2)年までに木版で刊行した叢書(そうしよ)で全660余冊。古典の収集・保存に心がけ、のちの国史学・国文学の基礎を築いた。今日、現代人が多くの古典を読むことができるのは、塙保己一に負うところが大きい。
3.続編の『続群書類従』(1180余冊)は保己一の死後、弟子や子孫に受け継がれ、明治代に完成した。
〈2016立教大・済コミュ福観光
また寛政の改革期に、幕府は林家の家塾を幕府直轄の学問所とし、地誌類や歴史書の編纂を担当させた。幕府が塙保己一を援助して江戸麹町に建てさせた( ヌ )では、古代からの文献を集めた『群書類従』が編纂されたが、これは学問所において編纂されたさまざまな書物とともに、現在の日本史研究の基礎文献となっている。」
(答:和学講談所)〉
〈2013慶大・文:「
一方、塙保己一は( 0 )を設立して『群書類従』の編纂に従事した」
(答:和学講談所)〉