群れやみな斑点 苦労見ん。
(608年 第三回 南淵請安(みなみぶちのしょうあん))(高向玄理(たかむこのくろまろ))(僧旻(みん))
[ポイント]
1.第三回遣隋使(608)に随行した留学生は、南淵請安・高向玄理・僧旻など8名だった。
[解説]
1.旻(?~653、日本名は日文)は、第三回遣隋使(608)で大使小野妹子に随行した学問僧。帰国後、私塾を開き、中臣(藤原)鎌足も受講したという。改新政治では高向玄理とともに国博士に就き最高顧問となった。
2.南淵請安(生没年不詳)は608年の遣隋使で隋にわたった学問僧。640年帰国後、中大兄皇子・中臣鎌足に中国の新知識を教え、大化の改新に影響を与えた。留学仲間の高向玄理・僧旻が政府に参加したのに請安が参加していないのは、その直前に死んだという説と、かれが蘇我氏配下の渡来人の出だったためという説とがある。
3.高向玄理(?~654)は、本姓高向漢人で渡来人の子孫。608年、隋に渡り、
645年帰国後、大化改新では国博士に就き最高顧問となった。654年遣唐使として再び唐都長安にはいり、同地で亡くなった。
〈2014立大・現代心理(心理)・コミュ福祉(コミュ政策・観光(交流文化)・経営(経営・国際経営)
問1.これ(大化改新と呼ばれる政治刷新が進められた)に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選び、その記号をマークせよ。
a.左大臣と右大臣の職が廃止となった(×)
b.蘇我倉山田石川麻呂が自殺に追い込まれた(〇)
c.高向玄理と旻が国博士となった(〇)
d.難波長柄豊碕宮に遷都した(〇)」〉
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
2.下線部2)推古天皇に関連する記述として正しくないのはどれか。次のa~dからlつ選べ。
a.甥の厩戸皇子が編纂したとされる書に『天皇記』と『国記』がある(〇)
b.小野妹子が遣隋使として派遣された(〇)
c.十二階からなる冠位の制度がもうけられた(〇)
d.中国の文物を学ばせるため、高向玄理、南淵請安、玄昉を留学させた(×玄昉→旻)
〈2012立大・経済法異文化コミ
5.このとき(推古天皇の治世は、30年以上にも及び、その間、厩戸王や蘇我馬子らが協力し、冠位十二階の制、(4)憲法十七条の制定といった施策が行われ、また、(5)中国との外交も再開された。)中国に渡り、帰国後日本に中国の制度や思想・文化を伝えた人物でないのは誰か。次のa~dから1つ選び、その記号をマークせよ。
a.高向玄理 b.曇徴 c.南淵請安 d.旻」(答:b)〉