御参拝しよ 仏来りゃ。
[ポイント]
1.欽明天皇の538年、日本に仏教が公伝された。
[解説]
1.欽明天皇の戊午(ぼご)年(538年)、百済の聖明王が仏像・経典を伝えたと『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起(がんごうじえんぎ)』の両者に記述がある。
2.『日本書紀』は欽明天皇の13年(壬申年、552年)のこととしているが、上記の戊午説の方が有力。百済の聖明王から欽明天皇に仏像・経典などが贈られたという内容は三者で一致。
3.この時期の朝鮮半島では、百済が高句麗や新羅の圧迫を受け(聖明王は554年、新羅戦で戦死)存亡の危機にあり、日本との提携の一手段として仏教外交を行ったものと考えられる。
4.一方、受け入れ側の日本では、新興勢力で仏教受容派の蘇我氏と、反対する旧勢力の物部氏が激しく対立した。(崇仏(すうぶつ)論争)
5.「志癸嶋(しきしま)(欽明)天皇の御世(みよ)、戊午(538)年の十月十二日、百済国主明王(めいおう)(聖明王)、始めて仏像経教並びに僧等を度(わた)し奉(たてまつ)る。勅して蘇我稲目宿禰大臣(そがのいなめのすくねのおおおみ)に授けて興隆せしむ。」(『上宮聖徳法王帝説』)
※蘇我稲目宿禰大臣は大臣の蘇我稲目(馬子の父)のこと。宿禰は尊称。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
6世紀の半ばごろ( イ )天皇の時代に、百済の聖明王から、釈迦仏の金銅像や経論が公的な形で伝えられた。このとき天皇が仏への礼拝の可否を臣下に尋ねたところ、受け容れに積極的な( ロ )が、物部尾輿と対立した。587年、( ロ )の息子は尾輿の息子を滅ぼし、一族の権勢を固めていった。」(答:イ欽明、ロ蘇我稲目)〉
〈2013慶大・法
仏教伝来に関しては諸説あるものの、『日本書紀』によれば、わが国に仏教が伝来したのは、百済の聖明王が[ 12 ]に経典や仏像をおくった552年とされる。」(答:欽明天皇※原問題には選択肢78語あり)〉
〈2013青山学院・文
百済からわが国に仏教が公的に伝えられたのは[ a ]天皇の時代である。問1、空欄[ a ]に入るもっとも適切な語句を、次の選択肢の中から選びマークしなさい。1.安閑 2.宣化 3.欽明 4.敏達
(答:3)
崇仏論争(蘇我馬子対物部守屋)
硬派な馬子もの申す。
(物部守屋(もののべのもりや))(蘇我馬子(そがのうまこ)・587年)
[ポイント]
1.蘇我馬子は、587年、対立する物部守屋を滅ぼした。
[解説]
1.6世紀中ごろには、蘇我氏は渡来人と結んで朝廷の財政権をにぎり、政治機構の整備や仏教の受容を積極的に進めた。
2.仏教の受容に積極的な蘇我馬子と反対する物部守屋のあいだの戦いとなり(崇仏論争)、587年に守屋を滅ぼして蘇我氏の権勢が確立した。
〈2010大学入試センター試験・日本史B
A 次の史料は、『日本書紀』の文章の一部である。ここには、ある政争にかかわって、二人の人物がそれぞれ戦勝祈願した結果、二つの寺院が創建されたという伝承が記されている。
蘇我馬子宿禰(すくね)大臣、諸(もろもろの)皇子と群臣とに勧めて、[ ア ]大連を滅ぼさむことを謀る。(中略)乱を平(しず)めて後(のち)に、(ある皇子の発願により)摂津国にa.四天王寺を造る。b.大連の奴(やつこ)の半(なか)ばと宅(やけ)とを分けて、大寺(おおでら)(注1)の奴・田荘とす。田一万頃(しろ)(注2)を以て、迹見首(とみのおびと)赤檮(いちい)に賜ふ。蘇我大臣、亦(また)本願の依(まま)に、飛鳥の地に[ イ ]を起(た)つ。
(注1)大寺:四天王寺を指す
(注2)頃:土地の面積を表す単位
問1 空欄[ ア ][ イ ]に入る語句の組合せとして正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1 ア大伴金村 イ法隆寺 2 ア大伴金村 イ法興寺
3 ア物部守屋 イ法隆寺 4 ア物部守屋 イ法興寺(答:4)
問2 下線部aは、蘇我馬子とともに戦った、ある皇子(王)が創建したと伝えられている。この人物が国政にかかわっていた時期の出来事について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1 世襲による氏姓制度とは異なり、個人の功績や才能を評価する冠位の制度が定められた。(〇:冠位十二階)
2 中国南朝に使者を派遣し、倭と朝鮮半島南部での軍事指揮権を示す称号を求めた。(×:倭の五王の記述)
3 倭国では大きな争乱が起こり、しばらく収まらなかったが、諸国が共同して女性の王をたて、約30国からなる連合体をつくった。(×:邪馬台国の記述)
4 稗田阿礼によみならわせていた神話や伝承、歴史などを、太安万侶が筆録し、書物として完成させた。(×)
問3 下線部bに関して述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1 国政を担う大連は、連の姓をもつ有カな氏のうちから任じられた。(〇)
2 『日本書紀』の「改新の詔」には、豪族の所有する田荘を廃止する命令が記されている。(〇)
3 有カな豪族のもとには、「奴」とよばれる人々がいた。(〇)
4 四天王寺は、人や土地を所有することが禁止されていた。(×)