天武八色まあすぐね。
(684年・八色(やくさ)の姓)(真人(まひと)・朝臣(あそん))(宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・天武天皇)
以下の4姓道師(みちのし)・臣・連・稲置(いなぎ)はあまり出題されないので省略しています。
[ポイント]
1.八色の姓(684年)は、上位から真人・朝臣・宿禰・忌寸などの8姓。
[解説]
1.八色の姓は684年、天武天皇が制定した8ランクの姓。以下は道師・臣・連・稲置とされる。天皇家への忠誠の厚い氏を優遇し、天皇家への権力掌握をはかった新氏姓制度と思われる。
2.真人は、最高位の姓(かばね)。継体天皇の近親とそれ以降の天皇・皇子の子孫に与えられた。
3.朝臣は、従来からあった、臣、連などの姓の上位に新設した姓。主に壬申の乱で功績のあった臣の姓をもつ氏族に与えられた。
4.宿禰は、大伴氏、佐伯氏など主に連(むらじ)姓を持つ神別氏族(祖先が神だとされる氏族の総称)に与えられた。
5.忌寸は、直(あたえ)姓の国造や、渡来人系の氏族に与えられた。
6.5位の道師は実際に授与されておらず、対象とされた氏族はどのような階級だったかは不明。
〈2016立命館大・全学部
〔D〕蘇我臣日向、倉山田大臣を皇太子に譖(しこ)じて曰はく、僕(やつかれ)の異母兄麻呂、6皇太子の海浜に遊ぶを伺ひ、まさに害せんとす。まさに反(そむ)かんとすること、それ久しからじ、と。6.皇太子、信じたまふ。7天皇、大伴狛連、三国麻呂公、穂積噛臣を蘇我倉山田麻呂大臣の所に使はし、反くことの虚実を問はしむ。大臣答へて曰く、問はるる所の報、僕面営(まのあたり)天皇の所に陳ぶる、と。(『日本書紀』)
問g 下線部6の皇太子が正式に即位して天皇となった時期に行われた政策は何か。もっとも適当なものを下から一つ選べ。
あ 八色の姓を制定して、新たな身分秩序を構築した。
い 氏姓をただす台帳として、庚午年籍を作成した。
う 百済の復興を支援するために、朝鮮半島に大軍を派遣した。
え 隋・唐で学んだ旻と高向玄理を国博士に任命した。
問h 下線部7の天皇は誰か。もっとも適当な天皇名を下から一つ選べ。
あ皇極天皇 い孝徳天皇
う斉明天皇 え天智天皇」
(答:gい〇庚午年籍は天武天皇のときの670年、※本資料は中大兄皇子=孝徳・斉明両天皇の皇太子にして後の天智天皇(位668~71)に関するもの。あ×八色の姓は天武天皇のとき、う・え×中大兄皇子時代、h.い)
〈2013立命館・文法済営などA方式:「
八色の姓……のなかで、旧姓を「公」と称していた皇親氏族に与えられ、第一位の姓として定められた姓は何か。」
(答:真人)〉
〈2012早大・人間科学:「
八色の姓のうち、最上階の姓は何か。
ア真人 イ宿禰 ウ連 エ朝臣 オ忌寸
(答:ア)」〉